推しのキメ顔からしか摂取できない栄養素がある
ご無沙汰しております。
3週は更新できるかと思います。よろしくお願いいたします。
授業の登録も終わり、本格的に新学期が始まった。
ダンスの授業は週に一回、朝が遅い女生徒も参加しやすい午後に予定が組まれていた。
大人数の参加を想定しているため、講義は煌びやかな式典用の講堂で行われる。ここは卒業年次のプロム本番で使われる場所であり、内装は豪華で装飾的、体力育成用の屋内運動場とは一線を画している。
私の呼びかけでリュカオンとウィリアム、それからいつもの愉快なバーレイウォールの仲間たちがダンスの授業に参加してくれることになり、私たちはリュカオンに付き従うようにして、ゾロゾロと講堂へ入った。
色違いの御影石で規則的な模様を描いている床が、輝くほどに磨き込まれている。高い天井から垂れ下がる複雑な装飾のシャンデリアが灯れば、効果的に光を反射することだろう。壁面には凝ったレリーフがふんだんに施され、王宮かと見まがうほどの絢爛な意匠だが、やはり若いせいで血気盛んな学生が沢山出入りするためか、手の届かない高い位置にのみ彫刻が施されていた。
余談だが、シャンデリアの装飾は簡単なフックで引っ掛かっているだけのものらしい。そんな仕様では危ないと思うのは地震が多い国の人間の発想で、裏を返せばシャンデリアが天上装飾の花形である国には地震がない。
講堂の中はすでに人が集まっており、勢力の分布図のようにいくつものグループが出来上がって一定の距離ごとに散開している。ダンスの授業では、華美で不適切な装飾がない限り服装は自由なので、色とりどりのドレスを着た女子の集まりは、思い思いに花を束ねたブーケのようだった。
「皆様にご挨拶してまいります」
「うん。また後で」
リュカオンに一礼して、私は女子グループの一つに近づいた。
「皆さまごきげんよう」
気取った挨拶はむずがゆいが、郷に入ってはなんとやら。彼女らの流儀に合わせるのが友好の意思表示だ。私は精一杯柔らかく、中心人物の女子から順番に、グループの一人一人に微笑みかけた。
このグループのリーダーはヴィオレッタ・ケルン公爵令嬢。涼し気なつり目と銀髪が登場時の姉君にそっくりな美少女である。
ヴィオレッタは気が強そうな、大きなつり目で私を一瞥した。
「ごきげんよう」
すげない一言であったが、すかさず扇の先で隣を指し示す。グループに加わって良いという合図だった。
取り巻き達が少しずつ詰めて空けてくれた場所に私は収まった。
大勢の人間が集まれば、小さなグループがいくつも出来るのが世の常、人の習いだ。数が多すぎると上手くまとまらないため、適切に細分化してより大きな集合体を形成するのである。
社交界の予行練習場であるダンス講義では、大小様々な勢力が拡大や安定を求めて身を寄せ合っている。
ヴィオレッタの取り巻き達は、存在意義の準拠を血筋に求める、権威志向で保守的な考えの持ち主だ。それが悪いということはなく、性質というのは長短両面を併せ持っている。彼女らは礼儀や序列に厳しい代わりに、自らも礼儀正しく、伝統的なマナーや気遣いに長けていた。
それなりにネームバリューを持つ私が、ヴィオレッタに礼を尽くし、好意的であることで、このグループの価値は高まる。その一方で、グループに属していないことで私が彼女らの地位を脅かすこともない。空気を読んで立ち回る私に、取り巻き達は非常に好意的だった。
そして肝心のリーダーはというと。
「今年度はダンスの授業でご一緒させていただきます」
「そのようね。見ればわかります」
「初めて受ける授業で勝手がわかりませんので、ヴィオレッタ様のお力添えを頂けると幸いです」
「よろしくてよ。歓迎しますわ」
こちらを見向きもせずに、取りつく島もないような受け答えだが、内容は肯定的である。
ヴィオレッタはけぶるような銀髪を両サイドの高い位置で、縦ロールにして垂らしている。分類としてはツインテールになるのだろうけれど、ボリュームある髪が上品にまとまっているので、子供っぽい印象はない。むしろ非常にクラシカルな髪型だ。沢山の星を称えたブルーグレーの瞳に重そうな睫毛、細い鼻梁の顔立ちは、彼女の姉上同様、少女漫画の登場人物を彷彿とさせる。
ヴィオレッタは眉と眦をキリリと吊り上げ、意を決したように口を開いた。
「春に頂いた薔薇、形も香りも素晴らしかったですわ」
「ありがとう存じます。秋も花が付きましたら、ヴィオレッタ様に相応しいものを選んでお送りいたします」
「催促するために申し上げたわけではありませんわ。あなたはいつもお忙しくて、きちんとお礼を申し上げる機会がなかっただけですから。勘違いなさらないで」
持っていた扇を開いて口元を隠し、ツンと反対方向を向いてしまった。
「勿論です。私も欲しいのはお礼ではなく、ヴィオレッタ様のお喜びになったお顔です」
語調は強いが、私は彼女が繊細で優しい気遣いの持ち主だと知っている。
「誰だって笑顔になりますわ。花に罪はありませんからね」
お分かりいただけただろうか。
そう、彼女はツンデレである。
これでもか、これでもか、とボディブローを叩きこむように分かりやすいツンデレだ。
以前男のツンデレに遭遇した時は、普通に無礼だったので、『コイツ許さねえ、モノローグまで全部読ませろ』と思ったものだが、分かりやすい上に礼儀を気にしてイマイチ言う事にパンチがないヴィオレッタは、胸が締め付けられるほど可愛い。可愛いを通り越してあざとい。『俺以外にそんな顔見せんなよ』と私の中の別の部分が目覚めそう。
一生愛す。
「こうしてお顔を合わせる機会が増えたのですから、また些細な話もしたいと思いますよ。代わりというわけではありませんが、遠慮なくわたくしをお頼りなさい」
限界まで顔を背けてうなじしか見えないが、その白いうなじがバラ色に染まっている。
もうちょっとツンを増やした方がいいと思うよ。チョロ過ぎて悪い男が群がってきそうだから。
その心配をしているのは私に限ったことではないらしく、ヴィオレッタには常に近侍がピッタリ張りついている。
世間知らずだったり、すぐ失神したりするせいで、近侍や侍女が付いている深窓のご令嬢は他にも多数いるが、生徒でない者は講義が受けられない。講義中も一人にしないために、そういった随身までが生徒として在籍しているのは、私とヴィオレッタの2人だけだ。
彼女の近侍は、女生徒ばかりのグループの一番後ろに、たった1人でポツリと立っていて、鋭い眼光で私を睨んだ。
昨年度の私は、誤解されそうな言動でいかにも悪役令嬢に仕立て上げられそうなヴィオレッタに心を砕き、彼女の繊細な本質を周囲に知ってもらえるよう努力した。
感謝されこそすれ、恨まれる覚えはないのだが、よくも俺だけの推しを全国区にしやがってと言わんばかりの、ヴィオレッタの近侍と私は折り合いが悪い。
授業が始まるギリギリの時間に、リリィ・アンが講堂へと入ってきた。
「ヴィオレッタ様、あちらが今年ご入学のリリィ・アン・リズガレット様です」
「ええ、聞いています。何かとご不便でしょうね」
「監督生として頼まれておりますので、お声を掛けてまいります」
「是非そうなさい。わたくしの所へはいつでも気兼ねなく、い、いらっしゃればよいのですから」
「ありがとうございます。ではまた」
恥ずかしがって顔を背けてしまったので見えていないだろうが、一礼してからグループを離れた。
声を掛ける前に講師が入ってきて、そのまますぐ隣で最初の授業概要を聞く。いつの間にかリュカオンたち男子も私の後ろに立っていた。
この授業で指導する項目は主に3つだと講師が言う。
まずは比較的テンポが速く、ステップしながらくるくる回転する、舞踏会でおなじみのワルツ。決まった振り付けも曲目もないため、テンポさえ合っていれば好きな曲で自由に踊れる。社交界に出て舞踏会に参加するとなれば、基礎を学んでいなければ話にならないが、固定のパートナーと固まったルーティンで踊るのは、練習時間さえあれば難しい事ではない。気心の知れたリュカオンとイリアス以下バーレイウォールの面子となら、私にも出来る。
しかし社交で使うのだから、初対面の相手でも踊れるのが真骨頂で上級者のなせる技だ。その為の正しい姿勢とステップ、リードの仕方、合わせ方を練習する。
次に参加者全員で輪を作り、決まった振付を繰り返すラウンドダンス。この国では振付の1ルーティンごとにパートナーを交代していくタイプが社交界で採用されている。沢山のパートナーと知り合えるので、気に入った相手に目星をつけるお見合いを兼ねた舞踏会には欠かせない。盆踊りとフォークダンスを少々上品に味付けしたものが想像出来たらそれで正解だ。人気の曲の振付をいくつか覚えて実践する。
それからジャンルを問わず現在人気の演目。これはその年によって違うものが選ばれる。パートナーとのホールド状態を維持せずステップするチャチャチャのようなダンスの時もあれば、流行の曲に振付して団体演舞として踊ることもあるとか。
「さて、ここにいる皆様はダンスの素養がお有りの方が多いかもしれませんが、私の授業では初心者の方も歓迎しております。ダンスを愛する方が一人でも増え、どなたにも社交の道具ではなくダンス自体を楽しんで頂くことが私の夢だからです」
この国ではプロのダンサーを除き、ダンスは芸術ではなく教養や礼儀作法の分野とされているが、この先生は厳格な淑女タイプというより、芸術家肌のようだ。さすが国内最高学府。講師選びが素晴らしい。情熱的なセクシーさがとっても素敵。
「最初の授業では、皆さまの具体的な指標として、生徒の中から自信のある方のダンスを見せていただきたいと考えておりますが、どなたか立候補はいらっしゃいますか?」
「……」
名乗り出る者はなく、ただ静かに私の後方へ視線が集まっているのを感じる。リュカオンを差し置いては……という心情なのだろうか。
「……王子殿下。お願いしてもよろしいですか?」
貧乏くじである。王族は大変だ。
「パートナーが見知った者であれば問題ありません」
「ではミス・バーレイウォール、あなたにもお願いします」
「はい、先生!」
私はヤル気全開の風情で機敏に挙手した。
「私のダンスが、皆様のお手本となるのは到底叶いませんが、このシャロンなら!シャロンなら必ずやご期待に応えます!!」
うちのシャロンはすっごいの!家に来るダンスの家庭教師から、競技会に出ようと熱いラブコールを受けているんだから!
得意満面で隣の美少女を押し出すと、クラス中が静まり返って私のシャロンに注目する。
「え?……あ、『はい』って了承の返事ではなかったのね……。えっと……ミス……」
「ミレニアムです、先生!」
「ミス・ミレニアム。踊っていただける?」
「ご要望とあらば、お応えするまでです」
シャロンは力強く一歩を踏み出し、前に進み出た。
リュカオンとシャロンは手を取り合って広い場所まで移動し、お互いに上体を逸らしてポーズを取った。その一連の流れがすでに熟練のダンスパートナーだ。リュカオンはよく遊びに来ては、私のダンスの練習にも付き合ってくれるが、私がすぐばててしまうせいもあって、シャロンと踊っている時間の方が、結局長いような気がする。
音楽が始まり、スムーズに滑り出す。軽やかなターンは、清流を流れてゆく花のように可憐で、ステップは靴に羽が生えたかのように体重を感じさせない優雅さでありながら、広いホールを駆け巡る大胆さも備えている。緩急によるダンス表現は、クールな無表情とはかけ離れて、夢見るように甘い。何より、心臓の鼓動まで合わせているのではないかというくらい、息がピッタリだ。
あああ、最高だわ……!今日の出来はかつてないほど最の高……!!
私は感激でむせび泣きたいのをぐっとこらえて二人の姿を目に焼き付けた。
だって涙で視界が滲み、この究極の美を見逃すなんて愚か者のすることよ。おかげで行き場を失った涙が鼻の方へ流れて行って鼻水が出そうだけど構うものですか。
曲はまだ残っていたが、ホールを8の字に移動した後、2人は観客の生徒たちに向かって一礼し、ダンスを終えた。私を含め、全員から盛大な拍手が沸き起こる。
「素晴らしい!期待以上よ、ミス・ミレニアム!私と一緒に競技会を目指しましょう!!」
でしょ、でしょ〜!?
この先生は見る目がある!




