モテ期の女神は後ろ髪がハゲあがっている
人生には、モテ期が三度来るという。
しかし望んだ時に来るとは誰も言っていない。
モテ期とは、短く儚いものなり。
期を逃せば次はいつなのか分からない。チャンスを逃さないことが勝利の極意なのである。
私はこのモテのビッグウェーブに乗るため、早急にヒロインの動向を探ることにした。
どうせヒロインと獲物がかぶったら負けてしまうのですからね。
チャンスは大切だが焦りは禁物だ。
ヒロインと目される新入生に関する調査は、家に届く脅迫状の事件以降、周囲を警戒しているイリアスからケンドリックに依頼され、私にも報告があった。
リリィ・アン・リズガレットは今年16歳となる騎士爵の家の娘である。
騎士爵は、世襲できない一代限りの爵位であり、勲功を立てた場合や、役職に必要な権威を与える為、王族の任意で比較的簡単に叙勲される。過失がない限り、未来永劫に権利を認める世襲貴族とは違い、一代限りの栄誉は金銭の支払いと大差ない。そもそも騎士というのは、兵士と違い、貴族しかなれない職業である。しかしそれでは不便なので、任命したい者に便宜上与える身分が騎士爵の始まりだった。
従属爵位を持たない家の次男以下が、王宮での役職を得て叙任される場合もあるが、騎士爵の殆どは王領直轄地の代官に任じられた官僚や、軍隊で出世した平民のエリートだ。
彼らは生まれながらの貴族階級でないため、平民の価値観と貴族の権利を併せ持つ。
リズガレット家もその類で、8年前にリリィ・アンの父親が叙勲された。
8歳の時、彼女をお茶会に招待出来なかったのは、おそらくリュカオンと初めて会った日に王宮で叙勲を受けたからで、紳士録にもまだ載っていなかったからだろう。
しかしリズガレット家は商家であり、どのような功を立てたのかは不明とのこと。
もともとはマリウス地方から、ルーシャンとザクセンの間にある山岳越えで、ティターニア地方へのルートを持った運送業者だった。ユグドラの北西方面は、ティターニア王国の滅亡後、人流も需要も激減しており、その隙間を突いた事業は細々としたものだったようだ。叙勲と前後する時期から、フードビジネスで多大な利益を上げ、一躍資産家になったという。王都でも名のあるカフェやパティスリーを手がける『スカーレット』は、このリズガレットの屋号だ。美しい彩りのチョコレートを私も食べたことがある。
両親と祖父母の全てが健在で、弟が一人の二人姉弟。出自の不審点も家庭環境の問題もない。性格は快活で善良、好奇心旺盛で周りが見えなくなることもあるが、概ね思慮深い。
調書を見る限り、アンジェラとは主人公のタイプが違うようだ。となると当然ストーリーのテーマも展開も違ってくる。
私は追加で、交友関係の調査を依頼した。
リリィ・アンは店にも出て商売を手伝っていて、顔が広く、学校以外にも行動範囲があるからだ。つまり学外にも攻略対象がいるかもしれないのである。
さて今後どのように動向を見守るべきか、どの程度の距離まで、何を口実にどんな立場で近づくべきかが問題だ。ある程度相手の望みを調べてからの方が失敗しないだろうが……。
考えてあぐねている時、渡りに船と向こうから接触があった。
「初めまして。先日お声を掛けていただきました、新入生のリリィ・アン・リズガレットと申します。授業についてご意見を伺いたいことがあり、お言葉に甘えることにしました。快くお時間を割いてくださりありがとうございます」
「初めまして。監督生のローゼリカ・バーレイウォールです。頼っていただき嬉しく思います」
本当にね。先方から近づいてくる分には、アプローチの言い訳も立ち位置も綿密に計画しておかなくてよい。私はただ親身に相談に乗るだけだ。
なんでも、授業選択を迷っているので助言が欲しいとか。まっとうな相談である。
「アカデミーに2年在籍して、主に経営を学ぶつもりです。せっかくですから、ここでしか取れない領主免許も取得したいと考えております。統計学とマクロ経済学のどちらがより重要か、お伺いしたく思います」
思っていたより具体的な内容で驚いた。てっきり単位が取りやすい簡単な授業について質問すると思っていたからだ。
驚きを悟られないように注意を払いながら、質問の答え用意しつつ、フル回転で打算を巡らせる。
「家業のお手伝いをなさるのですね。統計学もマクロ経済学も、領地経営実習の理解に役立ちますね。私個人としては、マクロ経済学の方がより重要かと思います。統計学1は比較的簡単で、素養があれば独学でも内容理解には困りません。ですから、統計学2を履修される場合や、成績の評価をあげるには良い選択だと思います」
「ではマクロ経済学を選ぼうと思います。参考までに、おすすめの授業はございますか?」
「差し支えなければ授業計画表を見せていただいても?関連分野で内容が重複している授業もありますから」
よし!自然な感じで切り出せた。
「お願いします」
授業計画が分かればヒロインのタイムスケジュールを把握し放題。是非とも知りたい。有益な情報の取得に成功し、私は思わず満面の笑顔になってしまった。
計画表は忙しそうにびっしり埋まっている。
通常、教養の講義も受けつつ三年での取得が想定されている領主免許を二年で取ろうというのだから、当然だ。内容は必須科目と経営分野に偏っている。逆にダンスやマナー、女子が一般的に受講する授業は一切ない。
「一年でここまで詰めなくとも免許の取得に問題はなさそうですが……。家政学やインテリアプランナーもおすすめですよ。店舗の内装はプロのデザイナーに任せるとしても、基礎知識があった方が具体的に指示できますし、ご婦人たちのスタンダードを知っておいて損はないと思います」
物流業なら交易にも手を出しやすい。流行を知り審美眼を磨いておいて損はない。カフェなら美味しい料理だけでなく内装も大切だ。
私は目を皿のようにして、計画表を隅から隅まで見つめる。
う~ん……。なんとか……なんとかリリィ・アンにも有意義で、リュカオンと一緒のクラスになる授業はないかな?真剣に勉強しようというのを邪魔するのも気が引けるし、これ以上授業をねじ込むのは難しいが、分野が偏っていて、いくつか似たような講義内容がある。
余計なお世話かもしれないが、経営学方面ばかりでなく、もう少し教養や文化の講義もあるのが理想だ。
今年入学したリリィ・アンと、五年目で成績優秀のリュカオンが一緒に取れる講義は……。
講義要綱の冊子の目次を指で二週ほど往復する。
ないな……。
「ダンスなどはいかがでしょう?ご興味がないかもしれませんが、レッスンだけではなくて、交流ができる講義として人気です。ここでしか出来ない人脈づくりには最適かと」
「それは魅力的ですね。ローゼリカ様も受講なさっていらっしゃいますか?」
「ああ、ええと。実は……」
私はダンスの授業を取っていない。家庭教師に習って一通り踊れるようになったし、練習相手は家に帰ってもたくさんいる。
だけど、自分が取らない授業をおすすめされても説得力がないよね。
リュカオンにも、一緒に受けようと誘う以外に、受講を進める方法はない。
仕方がない。今年は参加するとしよう。
笑顔で理由を取り繕った。
「私はダンスが苦手で、今年初めて受講するのです。あ、でも道連れが欲しいという下心でおすすめしたわけではありませんよ」
もっと高尚な、あなたの恋路を応援するという理由があるの。
「道連れが欲しいと思うのはいけないことですか?一緒にと誘ってくださったのは嬉しいです」
「では、ダンスの枠はこの時間ですから……」
時間割を調整し、今日の相談は一区切りとした。
監督生用の談話室を出て、リリィ・アンは別れ際の挨拶として会釈した。
「それでは、授業でお会いできるのを楽しみにしております」
「次の授業と言わず、気軽に声を掛けてください。知らない人と一緒にいる時は、話しかけづらいでしょうから、友人を紹介しておきますね」
この後はリュカオンと同じ授業で、中庭のベンチで待ち合わせしている。リリィ・アンと今日この時間に約束したのはこのためだ。
手っ取り早く、2人を目の前で合わせて反応を見る……!
約束の場所では、すでにリュカオンが本を読みながら待っていた。ひさしの陰で、斜めに切り取られた日の光を浴びる彼は、一枚の絵画のように様になっている。
「お待たせいたしました」
「構わない」
リュカオンは、いつものバーレイウォール一行以外の人影を見つけて社交スマイルを顔に張り付けた。
「殿下、こちらは新入生のリリィ・アン・リズガレットです。教授に頼まれて、力添えさせていただくことになりました」
リリィ・アンはリュカオンを前に深く叩頭している。
「分かった。私もここでは一介の学生だ。楽にしていい」
「リリィ・アン様、リュカオン・ベネディクト・アルビオン第二王子殿下です」
「お目にかかれて光栄です」
「寛大なお方ですから、私に急ぎのご用事がある時は、居場所をお伺いされるとよいかと思います。ね、殿下」
「うん。私たちは長い付き合いで親密だ。一緒にいることも多いから、気兼ねなく過ごしなさい」
リリィ・アンは、輝くようなリュカオンの社交スマイルを、感激したように呆然と見上げている。そして次第にヘラ……と顔が緩んだ。
うんうん、そうよね。リュカオンの美貌は返事を忘れてしまうくらい突き抜けているわ。
美貌云々の話を抜きにしても、王族を前にすればこんな反応が普通だと思う。
そこから行くと、やはりアンジェラはとんでもない豪胆の持ち主だった。それもひとつのヒロインらしい才能だったのだろう。
リリィ・アンは見た目こそ派手な美少女だが、中身は地味というか……、堅実で大人しい。こんな序盤から、私の度肝を抜くようなイベントは起こしそうにない。
当たり障りのない出会いではあるけど、無反応というわけでもなく、それなりに好感触だ。
「そろそろ行こう。私たちはこれで」
一番身分の高い者が移動しないと、他は動けないので、リュカオンはいつも切り上げるのが早い。今日ばかりは名残惜しい気持ちだが、引き伸ばす名分もない。私は後ろに付き従った。
「それじゃ、またお会いしましょう。御機嫌よう」
「お時間ありがとうございました。……あっ!……きゃあッ」
緊張して足がもつれたのだろうか。リリィ・アンは何もないところで躓き、そのまま転倒を回避しようとして前へつんのめった。
そして数歩の距離ではあるが、私とリュカオンめがけて一直線に突進してきた。
私が振り返ってリリィ・アンを支える前に、ずっと視線から外れた死角に居たけれど側についていたシャロンが、そっと最小限の動きで私の腰を引き寄せ、突進の軌道の外側へと移動させる。
当然リリィ・アンは私の横をすり抜け、振り返るのが遅れたリュカオンにぶつかってしまった。
腕がお互い背中に回り、抱きとめるような形になる。
まああ~!ラッキースケベだわ!
普通では縮まらない距離まで近づいて感じる体温に、おのずと心拍数は急上昇。そして軽度の接触であっても、体格の差を意識せずにはいられない!
これぞ、乙女ゲームと少女漫画における、お手本のラッキースケベよ!
はっきり言って、パーシヴァルのやつは別物だから。あれはジャンルが違うから。
堅実でも見せ場は作るわね!さすがリリィ・アン。イベントスチルきっちり頂いたわよ!
ちょっとドジっこ属性も付いているのかな?いい仕事するじゃないの。
「申し訳ございません!!」
「気を付けて。もう行ってよろしい」
「はい!大変失礼いたしました!」
しかし私の期待を他所に、リリィ・アンは赤面した顔を見せてくれることもなく、頭を下げて足早に立ち去ってしまった。
「シャロン、気付いたなら私も一緒に引っ張ってほしかった」
「そうしたらリリィ・アン様が転んでしまうではありませんか」




