運命の王子様
まさに青天の霹靂!
その日は突然やってきた。
八歳の誕生日を間近に控えたある日、降ってわいたような見合いの席で、その美しい王子様を見た瞬間、雷に打たれたような衝撃と共に前世の記憶がなだれ込んできた。
一瞬で何十冊、いや数百冊もの本のページをめくったような情報量が目まぐるしく脳裏を去来する。一つ息を吸う間に約三十年分の記憶を取り戻している最中、世界の全てがコマ送りとなって、体感時間は百倍以上にも膨れ上がり、目に入る景色の全てがつぶさに観察できた。
窓から差し込む光の角度、王子の長い睫毛の瞬き、夢見るような瞳の輝き、その首が不思議そうにゆっくりと傾いで、まだ小さな唇が、花が、綻ぶ様に、そっと…
「どうした、大丈夫か?」
優しそうな声がやけに大きく聞こえた。
本当に電撃を受けたようにびりびりと小さく震えていた私は、王子から声をかけられてはっと我に返る。
この一瞬で精神年齢が三十年もプラスされてしまい、内外であらゆる情報が錯綜して、もはや年相応がどんなものだかよくわからくなっている。
私はなるべく子供らしくなるよう言葉を選んでその場を取り繕った。
「すみません。王子様があまりにキレイで驚いてしまいました」
少し照れたように微笑む王子を見ると、どうやら挙動不審をうまく誤魔化せたようだ。
気を取り直して、日頃から躾けられている挨拶を練習通りに繰り出した。
「はじめてお目にかかります。バーレイウォール侯爵家のむすめ、ローゼリカともうします。以後おみしりおきくださいませ」
「第二王子のリュカオンだ。よろしく頼む」
二人の父親が似たり寄ったりの定型文でお互いの子供を褒め合った後、サロンに設えた一席に着く。
打ち解けた様子である親たちの話を聞きかじるに、今日は第二王子に婚約者を宛がう見合いの内の一つであるが、あまり堅苦しいものではなく、父親同士が親しい友人同士の為、親子で遊びに来た感覚の訪問であるようだ。
リュカオン王子は御年八歳、この国の国王を祖父に持ち、隣に座っている彼の父親は王太子殿下であられるらしい。
会話からなんとか情報収集し、現状把握に努めなくては。
私は黙って父親の隣に座って、耳と頭をフル稼働しながら王室の親子をちらりと伺い見た。するとすでにこちらを見ていたリュカオン王子と目が合ってしまった。今更目をそらす訳にもいかず、どうしたものかと固まっていると、その様子に気付いた王太子殿下が言った。
「子供たちには座ってお喋りも退屈だろう。お庭で遊んでおいで」
そうして私たちはお茶で喉を潤したと思った途端、テラスから庭へ放り出されてしまった。
あとは若いお二人でといきなり言われても困るって本当だなあ。
そもそも二人の父親は子供の見合いなんて口実で、本当にただ遊びに来ただけなんじゃないだろうか。今もサロンの中では、取り寄せた葉巻を出すとか、蒸留酒にするか果実酒にするかなどと相談している。まだ昼なのに。
二人して呆然としていたが、ここは私の家だ。私の父が王室の親子を招待したのだ。私が何か提案するのが筋と言うものだろう。
「父の作らせた生垣の迷路があります。そちらで遊びませんか?」
「面白そうだ、行こう」
王子は私の手を取った。案内せよということらしい。
「こちらです」
さて、困ったことになった。
迷路に興じる王子に手を引かれながら、私は思索を巡らせる。
見覚えのある衝撃的な美貌をきっかけに、約三十年の前世の記憶を思い出し、目の前の王子がゲームのキャラクターであったことが分かったのはいいが、肝心のゲームの内容はさっぱり解らない。
それもそのはず。私はそのゲームをプレイしていないのだ。
ゲームの名称すら「ぷり」だか「らぶ」だか定かでないのだが、とにかく件のこのゲームは、一定数の人気を得たという以上に、アニメ化や小説化、スピンオフに幅広いグッズ化など複雑なメディアミックスで有名になった作品だった。
コラボや新グッズの発売などで話題に上り、CMを目にする機会はゲームに関心のない人にも沢山あった。
そしてここにいるリュカオンは、そのゲームのメインビジュアルとして一番露出のあるキャラクターだったのだ。
気合の入った美しいイメージ映像が作られたり、タイトルと共にバーンと出てきたり、あるいは告知情報をお知らせしたりと、何かと前面に出てきていたので、ゲーム未プレイの私にも見覚えがあったという訳なのだ。
確かにゲームに興味がない人にも不思議と目を引くような魅力的なキャラデザインだったと記憶している。
つまり私は、ここがリュカオンのいるゲームの世界らしいとはわかるのだが、他の登場人物も、物語も、どんな系統の内容なのかすら分からないのだ。
当然自分自身の事も、ヒロインなのか、悪役令嬢なのか、そもそも登場人物なのかすら不明だ。
……。
なんだコレ。
全然何の助けも面白みもありはしない。
因果律を突き破り、己の道を切り開くような爽快感もなければ、元の物語との解離性を楽しむことも出来はしない。
これって、むしろ普通の人生なんじゃないだろうか?
前世で大人だった分ちょっと人より物知りなぐらいで、知り合いの王子様に少々見覚えがあっても害はない。
未来予知というチートがない分、波乱万丈な人生コースも待っていないかもしれない。
そうだ、そうしよう。未来など知りもしないこの世界の普通の住人として、清く正しく自然体で生きて行こう。
私が一つの結論に達しようとした時、庭の迷路もまた終着点へと差し掛かっていた。
ゴールはその季節によって変わり、一番美しい庭に繋がるように出来ている。まるで明るい未来のように、道が開け、美しく咲き誇る花たちが私を待っていた。
王子が達成感と共に後ろについていた私を振り返った。嬉しそうな顔につられ、私も晴れ晴れとした気持ちと相まってほほ笑む。
たとえ私にどんな運命が待っていようとも、人並みに努力し、思いやりを持って誠実な態度で人に接しよう。そうすればきっと後悔のない人生が送れるのでは――…
「ローゼリカ。私と婚約しよう」
突然花が色あせて見えた。
はい!?
私は疑問符を叫びそうになるのを、間一髪、両手で口をふさぎこらえた。
怖い怖い!突然何を言い出すの、この人?
ここに至る経緯で、どのあたりに婚約する流れがあったのかさっぱり判らない。
どこかから電波を受信したような唐突さに、人知を超えた存在の介入を垣間見たような気がして、私は震えあがった。
危ない。これは罠だ。大いなる流れに乗せようとするフラグだ。
叫びを飲み込むように大きく息を吸い、一拍置いて吐き出す。
いい加減な返事は命取り。心を鬼にして、絶対に聞き間違いの無い様にお断りの返事をしなければならない。
「いいえ。いたしません」
「えっ?」
美しい王子リュカオンは、そんなにきっぱりと断られると思っていなかったのか、驚きの声を上げ、それからしばし考えこみ、もう一度え?と聞き返した。
「なぜだ?」
何故ってなによ。こっちが何故よ。都合よく解釈されないよう素早く答えよう。
「私たちは今日初めて会ったばかりで、お互いの事を何も知らないからです」
うん。取り付く島もない完璧な答えだ。焦って早口になっちゃったけど。
「お互いの事を知るのは、これから時間をかけてでもいいと思うが…」
リュカオン王子は納得がいかないようでぶつぶつ言っている。
これは危険なんじゃないか?何の前触れもなく、フラグが力技で立ち上がろうとしているのでは?
「王子殿下。少し落ち着かれて。迷路で沢山歩きましたから、あちらに座って何か飲みましょう」
大人たちがメインの庭だけをすぐ見ることが出来る様に、ガーデンテラスはすぐそこだ。遠巻きに控えていたメイドに用意を頼むと、すでに整っていると返事が返ってくる。
私たちは可愛らしいママゴトのお茶会のように、二人きりで席に着いた。
「なあローゼリカ、どうしてもダメか?君は私の美しさに驚いたと言ったし、笑顔も見せてくれたから、てっきり私を気に入ってくれたものと思ったが」
早速か。やはりとは思ったが素早くそこに話を戻してきたな。
しかもかなり強引だ。普通こんな繊細な問題、断られたのに食い下がったりしないだろう。
これは放っておいたら取り返しのつかないことになる。
だってこのメインキャラクターの婚約者などに収まってしまったら、どう控えめに見積もっても波瀾万丈なゲームシナリオに組み込まれてしまう。誠実にやっていくだけではどうにもならない強制イベントの荒波にもみくちゃにされてしまうではないか。
それが自然な流れだったらまだしも、こんな取って付けたような安い展開で流れに乗るのが良い選択とは言えない。
安易に我が道を委ねる者は、また安易に苦難に飲まれてしまうだろうからだ!
ここは迅速かつ完璧に、大胆にして入念にフラグを叩き折ってくれる!
「私でなくとも誰だって、殿下を一目見て素敵だと思うに決まっています。ですから安心して気に入るお相手をお選びになれば良いのです」
「君を気に入った」
「どういう所が、と反対にお聞きしたいです」
「そうだな、君は話が通じる。一人目は自分が喋るばかりで会話にならなかったし、二人目はおどおどして一言も発しなかった」
「王子殿下」
ふっと鼻で笑ってしまった。
他愛ない。婚約者を決める理由としては不足だ。
「話が通じるなんて普通の事です。世の中には話が通じる女性は沢山おりますし、今はお話が苦手な方も、いつまでも子供のままではありません。もっと沢山の中から、より良いお方をお探しください」
「出会いは数ではないだろう」
「ですが、お話を聞いたところお見合いの三人目で話の通じる者に出会ったのですから、そういった者は大勢いると考えるのが道理です。急いで決めるようなお年頃でもありません。じっくりと一番良いお方を見つけてください」
「ふうむ」
リュカオン王子は思案顔になって空を見つめた。そういった仕草は優雅で堂に入っており大人びて見える。
「ま、そうだな。判った、そうしよう」
フラグとの戦いに辛くも勝利し、密かにホッと息をついた。