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泥の町  作者: 山口 にま
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第八話 不幸はみんなで分かち合う

 これは早水家の結婚式なのだ。美咲はそう思うことにした。ドレスから始まって、式の進行も引き出物も早水側の要望に反対はしなかった。追加料金のかかる要望があった時だけ、「差額は健君側で払ってよ」と言うだけだった。


 美咲が非上場の商社に就職が決まった旨を健悟に伝えると、

「何で商社なの?君ぐらいの経歴だったら、研究所とか農林水産省の外郭団体とかあったでしょう」

「そんなに良い口はなかなかないわよ」

「教授の紹介とかはなかったの」

「そういうのもなかったわね」

健悟は探るような顔つきになり、

「君、もしかしてQ国で問題でも起こしたの?」

「問題って?」。

美咲は質問に質問で返した。健悟は答えなかった。

「私が何か悪いことでもしたと思っているの?」

「俺は美咲を信じているよ」

 果たして私のしたことは悪いことだったのだろうか。美咲は怖いもの見たさで、健悟にすべてをぶちまけてしまいたくなる。民主化運動にかかわって学会を追放されたのだと。都内でデモを企画してマスコミまで呼んだのだと。健悟は少なくとも多聞のように、「君、なかなかやるね」という反応は示さないだろう。

 結局、健悟の口から「おめでとう」は聞けなかった。


 まだ夏の気配を残す九月の週末、美咲は結婚式を迎えた。式が始まる前の控室で、健悟の母親の選んだドレスに袖を通し、鏡の中の自分を見つめる。膨らんだ袖のせいで、腕がよりたくましく見える。

「美咲ちゃんは何を着ても似合うから大丈夫」

励ますように言う美咲の母親。本当、美咲ちゃんは綺麗だよ、と姉も同調する。

「この子のドレス、私が選んだのよ」

とはしゃぐ健悟の母。

「うちの孫を紹介しますわ。長男のところの、上から、大地、高校三年、あんり、中学二年、あんりが披露宴ではピアノを弾きます。次男のところは、レオ、五歳、かのん三歳、それから五月に生まれたばかりのにいなです。レオとかのんが美咲さんのドレスの裾を持ちますわ」

レオは奇声を発しながら控室を走り回る。立ちどまったと思うと、鼻くそをほじってそれを口に入れる。こんな汚い手で私のドレスを触るのか。美咲は顔を背けた。女児の孫達は揃いも揃って真っ白なワンピースを着てきた。美咲は彼らに笑顔を向けることが出来ない。

「可愛いでしょう?みんな小さな花嫁みたい。そうそう、美咲おばちゃんを中心にして、みんなで写真を撮りましょうよ。カメラマンさん、お願いね」

健悟の母親はそう提案する。

「おばちゃんって・・・・」

美咲の姉は苦笑する。固い表情のままの美咲を気遣って、美咲の母親は

「うちの子は本番でお写真を何枚も撮りますからお孫さんだけでどうぞ」

カメラマンは孫に囲まれて満面の笑みの健悟の母親を何枚も写真に収めた。美咲の母親が心配そうに自分の娘の横顔を見やった。

 

 時間通りに結婚式が始まった。姪のにいなはずっと泣き止まない。鳴き声はチャペルの外で待機している美咲の耳にも届いて来た。母親がぬいなを連れ出してくれないかと美咲は待ったがそんな気配は全くなかった。式場スタッフもにいなの退出を待っているようだった。しかしにいなを外に出せるのは叔父である健吾だけだ。そして健吾は美咲に思惑など知らんぷりだ。スタッフは困りきった顔をして、

「ではおじかんですので。行ってらっしゃいませ。」

と深く礼をしてチャペルの扉を開けた。

美咲は健悟と腕を組んでバージンロードを歩いた。リハーサルでは歩調が速くならないように注意された。もちろん八センチヒールではゆっくりとしか歩けない。赤ん坊の泣き声に邪魔されつつも祝福の拍手と、四方から焚かれるフラッシュ、そしてビデオカメラの撮影の中、美咲は人生最良の日の喜びをかみしめるように、伴侶となる健悟とともに一歩一歩歩みを進めて行った。しかし、美咲のドレスの裾を持つ子どもたちは自分たちの好きなペースでどんどん歩いていく。彼らは美咲のドレスの中を突っ込んで行く。そしてレオは言った。

「おばちゃん、早く行ってよ」

 参列客から笑いが起こった。子どもたちの非礼を誰も叱らない。健悟の母親でさえそっと口を押えて笑っているだけだ。美咲の両親が顔をこわばらせ、姉が子どもたちを睨みつけた。


 美咲は今更ながら参列客の席を見渡した。美咲はとうに結婚式への興味を失っていたので、親戚やごく親しい友人しか呼ばなかった。多聞は勿論来ていない。不幸の序章としか思えないこの結婚式を見て、多聞君はどう思うかしら?

「さあ桐島さん、こんなところから逃げ出すんだ」

と言って私をどこかへ連れ出すか?そして健吾は赤っ恥。

いいえ、多聞君は学校の先生だから、やっぱり社会常識は守ってしまうんだよね。衷心からご同情申し上げると言う目で私を見るぐらいか。

やっぱり大学のみんなを式に呼べば良かったのだ。この自分の不幸を多くの友人たちと分け合いたかった。


 披露宴と二次会が終わり、美咲と健悟は酔っぱらってホテルの部屋に戻って来た。部屋のソファーには披露宴が終わった時点で脱ぎ捨てたウエディングドレスが残っていた。

「もう一回これを着ろよ」

健悟は言った。ウエディングドレスの美咲を犯すつもりだった。美咲は健吾の意図が分かり、

「もう疲れちゃったし」

と断った。そして、

「こんなの、私が選んだわけじゃないんだし」

と嫌味を付け加えた。

 あんなに楽しかった建悟との触れ合いも日常となった。更にアメリカ在住の若き研究者であった健悟が、古い家の因習にいまだにとらわれている田舎出身のお坊ちゃまになりさがっている。もはや結婚に何の意味も見いだせなかった。

 

 多聞に会いたいと思った。


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