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泥の町  作者: 山口 にま
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第十三話 末は博士か大臣か

 帰宅した美咲が帯を解く前に健悟も帰って来た。

「何だ、気分が悪いって言うから寝ているかと思ったよ。おふくろたちと食事でもしてくれば良かったのに」

「ごめんね」

美咲は健悟から預かった賞牌を取り出し、

「出窓にでも飾っておこうね。それとお花も」

健悟は美咲を見て、

「君、泣いた?」

「ううん、どうして?」

「いや、なんとなく」

言うなら今だ、美咲は思う。

「健君、おめでとう。こんなに大きな賞を取れて良かったね」

「とりあえずほっとした。親父たちも教授たちも喜んでくれた」

「私だって嬉しいよ。研究者として認められたってことでしょ。健君にはずっと研究を頑張ってほしいな」

そして付け加えた。

「私はもう研究はできないし」


さて、この人はどう出るか。美咲は健悟の言葉を待った。健悟は笑顔を消して、

「君、Q国で何かあったの?何かあったんでしょ?」

「どうして?」

「変な時期に日本に戻って来たし、就職先も今までの研究とは全然関係ない所だし」

健悟は既に詰問口調だ。美咲が何から話そうか言葉を探していると、健悟は言った。

「親父達もすごく心配していた」

この人たちは私のいないところで欠席裁判をしていたのか。美咲はさっと心を閉ざす。

「おとうさんは関係ないじゃない。第一何を心配しているのよ」

「だって美咲の帰国が突然だし・・・・」

「つまり私に何か問題があるのかって、欠陥品じゃないのかって心配しているんでしょう」

「君、何で俺の親のことをそう悪く取るの?」

健悟はうんざりした顔をする。

「健君は私のことを心配しているの?」

健悟はしばらく考えてから、

「何でいきなり研究を辞めちゃうんだろうとは思ったけれど」

「そうじゃなくって、私が傷ついているんじゃないかとか」

「傷つく?何で?」

美咲は口をつぐんだ。下手のことを言ったら、この人はまた親に告げ口をするだろう。

「来週、守谷に行こうよ。おふくろがお祝いしてくれるっていうんだ。兄貴たち一家も呼ぶって言うし」

またあの家に閉じ込められて、一日ただ働きをさせられるのか。

「私も行かなきゃいけないかな?おとうさんたちは健君に会えたらそれで充分でしょう。孫を連れて行くわけじゃないんだし、私が行く必要はないじゃない」

「来週はみんなが集まるから、美咲も来てよ。それにおふくろは美咲にも手伝ってほしいんだって」

「私、台所に立たせられるのが嫌なんだけど」

「どうして?お嫁さんは旦那の家に行ったら手伝うのが普通でしょ」

「普通かどうかは分らないけれど、会社勤めで疲れているところに、週末まで働きたくないの」

「年に数回だろう?それも我慢できないのかよ」

「来週は本当に勘弁して。健君一人で行って」

健悟は酔いも手伝ってか、顔を紫色にして、

「君は人の祝い事に水を差す、心の狭い人間だ。自分のことばかりで、利己的な人間だ」

 美咲は健悟を睨みつけると、何も言わずに寝室に向かった。帯を解いて、身軽になったところで、スマートフォンを開く。ネットで近所の産婦人科の予約を入れる。

「ご相談内容。妊婦健診。不妊治療。がん検診。避妊相談。その他」

美咲は避妊相談にチェックを付けて送信した。健悟の子どもを産んだらおしまいだ。逃げられなくなる。


 風呂からあがると美咲はベッドにもぐりこみ、さっそく携帯を開いた。

「さっきは話を聞いてくれてありがとう。心の霧が晴れたって感じだよ。みさき」

多聞からの返事はすぐに来た。

「君は一体僕の部屋に何をしに来たんだい?あんなエロい着物でちゃらちゃらと僕を誘惑して。悔い改めろ。多聞」

美咲はベッドの中で思わず忍び笑いを漏らす。隣には夫が寝ているというのに。

「もうすぐバレンタインデーだね。近くなったらそっちに行っていい?もっとも多聞先生は女子中学生からもらったチョコレートの食べ過ぎで鼻血ぶーだろうけれど」

「最近の女子中学生は怖いです。風紀指導をしたら、殺してやろうかと言われたよ。違う意味で流血だ」


美咲は夫とのやり取りをメールに書いてみた。

「さっき夫にあのことを言おうとしたよ。夫にQ国で何かあったんだろうと詰め寄られたよ。さらに、私のことは夫の実家でも問題になっていて、どうも私は欠陥品扱いらしい。怖い・・・。政治活動のせいで入国拒否にあったなんで、口が裂けてもいえません。言ったら、即時死刑執行されそう。でも怖いもの見たさで言ってみたい。舅も姑も卒倒するだろう」


 「美咲、眩しいよ」

健悟はまだ起きていた。美咲は結局最後のメールは送信せずに携帯を閉じた。

「来週、守谷に行こうか?」

美咲は言った。健悟はちょっと黙った後、ありがとうと礼を言った。

「その代り、私も実家に帰っていい?二月に父親の誕生日があるんだ。お祝いしてあげたいの」

「俺も一緒に行くよ」

「ううん。健君がいると私も親も気を遣うから一人で帰りたいんだ」

「美咲がそれで良いならば、俺は構わないけれど」

この次に多聞に会ったら、私はきっと抱かれてしまう。それでも健悟は私を守谷に連れて行くつもりだろうか。馬鹿な人だ。


 早い時間に早水家に行ったら、食事の用意に駆り出されるのが目に見えている。美咲はだらだらと出かける時間を遅らせた。正午ちょうどに守谷に着いた。


 案の定姑と二人の嫁たちは台所で働いている。美咲は挨拶を済ませると、応接セットに座り、そこに置いてある新聞を何とはなしに読んだ。舅が、ウホンウホンと変な咳ばらいをしている。台所に立てと言う意味か。人を欠陥品扱いしていたくせに、嫌な親父だ。美咲があまりに不機嫌な顔をしているので、健悟は何も言わない。


 配膳ぐらいは美咲も手伝い、その後は黙々と食事を食べる。姑は、健悟が幼少からいかに優秀だったかを繰り返し話している。

「美咲さん、どうしてこの前の受賞パーティーでは先に帰っちゃったの?」

「何だか気持ちが悪くなってしまいまして」

「こういうときこそあなたがお酌に回って、みんなにお礼を言わなくっちゃ駄目じゃないの。」

「はあ、済みません」

「いいじゃないか。美咲だって仕事で疲れているんだから」

健悟は珍しく美咲を庇う。

 美咲の目の前には五歳のレオが座っていた。レオは風邪を引いたのか、さっきから鼻をすすりあげている。食べるのに夢中で、テッシュを取りに行く余裕もないらしい。一度強く鼻をすすり、ごくりと音を立てて鼻水を飲み込む。美咲はざっと全身に鳥肌が立つのを感じる。子どもなんて絶対にいらない。


 食事が終わり、例によって山のような食器を美咲が洗うことになり、やっと片付いたと思ったら、今度はコーヒーの用意。疲れ切って食卓に戻ると、長兄と次兄の嫁がそれぞれ包みを出して、

「お父様、いつもありがとうございます」

どうやらそれはバレンタインのプレゼントらしい。もちろん美咲は用意していない。こんなものを上げたら、今度はホワイトデーの名目でまた守谷に呼びつけられる。

 コーヒーを飲みながら、長兄のところの息子がどこの大学を受けるだの、あんりちゃんがまたピアノで何かの代表に選ばれただの、つまらない会話がいつまでも続く。美咲はたまらず、うつむいてぱかっとあくびをする。

「あら、美咲さん眠いの」

と姑。

「だったら奥で少し横になったらどうかしら」

長兄の嫁のさわが言う。

「いえいえとんでもございません」

美咲は言った。義理の親の家で寝られるはずはないではないか。コーヒーを片付ける時、美咲は健悟にそろそろ帰宅したいと言ったが、

「みんなが帰る前に俺たちだけが帰るわけにはいかないでしょ」

と却下。結局六時まで拘束されることになった。

 帰り際、姑が

「美咲さん、今日はあんまり元気がないみたいだけど、大丈夫?」

「大丈夫ですよ」

「もしかして、赤ちゃん?」

それだけはありませんと美咲は強く否定した。姑は露骨に落胆した顔を見せ、

「そろそろ赤ちゃんが出来ても良い頃でしょう。お父さんも待っているのよ」

私が帰った後、私の品評会が始まるんだろうな。美咲は自分を種付けのために買い付けられた家畜のように感じる。いいんだ。せいぜい私を虐めればいい。そうすれば私が多聞の胸に飛び込む理由が出来る。

「お母さんは余計なことを言わないでよ」

とここでも珍しく健悟が自分の母親に意見を言うのだ。姑は黙ってしまった。


 二月に美咲の父親の誕生日があるのは本当だった。美咲は大手を振って実家行きの電車に乗る。正午に実家に着き、父親にプレゼントを渡す。

「どうだい、新婚生活は?」

父親が聞いた。

「あんまり、幸せじゃないかな・・・・」

その言葉に父も母も顔を曇らせる。美咲は年老いた親を心配させるのが可哀想になり、

「なーんてね。大丈夫。うまくやっているよ」

「向こうのお父さんお母さんは可愛がってくれるの?」

母親の問いに、

「古い考えのおうちだよ。嫁は家の中で一番身分が低いの。健君の実家のことでいつも彼とは喧嘩ばかり」

母親は暗い顔をする。

「でも健君は優しい所もあるよ。私が実家に帰ることには文句を言わないし」

実家に帰ることにして美咲は多聞と会っているのだが。


 美咲は母親と一緒に台所に立ち、昼食の用意を手伝った。母親は

「赤ちゃんのこととか考えているの?」

と聞いて来た。

「避妊している。今は健君との子どもを持つことは考えられない」

厳しい表情で言い切った美咲に、母親は何も言わなかった。


 夕方の早い時間に美咲は実家を出て、多聞に会いに行く。いつも二人で行くレストランに入り、チョコレートを渡す。そういえば去年のバレンタインデーに健悟との結婚の話が出たなと美咲は思う。

 食事の後はいつものように多聞の部屋だ。結局美咲は多聞を受け入れることが出来ない。

「いっつもそうだよな」

多聞は頬を膨らませて言う。美咲は多聞の頬を指でつついた。私、離婚を考えているの、美咲はそう伝える代わりに、多聞の体に自分の腕を巻き付ける。

「多聞は私がここに転がり込んで来たら、困る?」

「いいんじゃない」

実際に私が身一つで来たらどうなるかしら?私たちは普通の恋人になれるかしら?

「多聞は私が結婚していることについてはどう思っているの?」

多聞は言葉を選びつつ、

「仕方ない。君が勝手に結婚していったのから」

ねぇ多聞。あなたが望むのならば私は明日にでも離婚するわよ。それとも私が人妻のままでいた方が、あなたには都合がいいの?

 美咲は多聞の胸に触れた。。

「いい加減許して欲しいんだけど」

多聞は言う。美咲は多聞を撫でる手を止めることなく言った。

「ちゃんとしたらね」

「ちゃんと?」

「今のままじゃ多聞に抱かれることはできないよ」




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