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泥の町  作者: 山口 にま
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第一話 研究者は故郷に錦を飾るか

 病院の待合室で多聞は泣きじゃくるばかりの恋人を持て余している。手首を切ったり、薬物を過剰摂取したり。今日は何度目かのリストカットで縫合に来ている。

 何でだ、何でこんなことをするんだ、と肩を揺すって問いかけたいのを多聞は我慢する。

「もう、やだ・・・・。何をやってもうまく行かない。」

「とりあえず親御さんとよく相談しろよ。一人で抱え込まないで。いーじゃん仕事なんか他にもいっぱいあるんだからさ」

「働くの、怖い・・・・」

大丈夫だって、と言おうとして多聞は口をつぐむ。どうせ何を言っても否定されるだけだ。

 小春日和の今日、病院の窓から蛇行した川が見えた。この町は川が多い。沼地を開拓して出来た町。土地の水はけは悪く、台風の度に町は冠水してしまう。


 日曜日の緊急外来は空いている。待合室のテレビはニュースに流している。

「チャンネルエイト、一時のニュースです。世界人権週間の週末、今日は各地で人権を訴えるデモや集会が開かれました。」

画面が切り替わり、

「私たちは国際社会に対して告発する!政府が人民に牙を剥く、これを恐怖政治と呼ばずして、何が恐怖政治なのでしょうか」

浅黒い肌の外国人の男がなまりのある日本語でアジテーションをしている。アジアのQ国の大使館前だ。

「政治犯、クー・リシエを釈放せよ!」

「秘密裁判をやめろ!」

同じ肌の色をした男女の外国人がシュプレヒコールを飛ばす。その外国人の中に、一人だけ浮かび上がるように白い顔が見えた。


 これ、桐島さんじゃないかな?

 多聞は思わず身を乗り出す。帽子を目深にかぶり、太い縁の眼鏡をかけているが、この集会に参加する日本人は桐島美咲以外にいないだろう。彼女はQ国から一時帰国の身で、昨夜八年ぶりに再会を果たしたのだ。

「恐怖政治は許さないぞ!」

女の声が響き渡り、ニュースは終わる。

 この声、絶対桐島さんだ。多聞は確信する。


 多聞は隣に座る恋人のあやが泣き続けていることを横目で確認してから、スマートフォンでフェイスブックを開く。MISAKI KIRISIMAのページを見ても、今日の大使館前デモについては記載がない。

「チャンネルエイトで映っていましたよ(^○^)」

と入力していたら、

「田崎あやさんとお連れの方」

と看護師が呼びに来た。多聞はメッセージを送信しないままスマートフォンの電源を切った。


 多聞は箱根駅伝の強豪大学に籍を置き、アンカーとして駅伝を駆け抜け、大学を優勝に導いたこともあった。

 卒業式では当然のように総代として返辞を読むことになっていた。

 多聞のほかにもう一人総代がいた。それが桐島美咲だった。

 彼女はQ国の国民性と、それにのっとった農業支援について論文を書き、学術団体の賞を得たのだ。


 ステージに共に上げられた多聞と美咲。

 固そうな女の子だな、それが多聞の美咲に対する印象だった。薄い化粧、まっすぐな黒い髪。緊張で顔をこわばらせている。

 最初に美咲が返辞を読み上げることになった。美咲は震える小さな声で、ざわついた客席に向かい自分の研究の概略を説明し、担当教官への謝辞を述べた。震えているのは声だけではなく、足も、原稿を読む手も震えている。手の震えに合わせて原稿がカサカサと音さえ立てていた。

 この子、そのうちぶっ倒れるんじゃないか。多聞は心配になる。ついに美咲は言葉を継ぐことが出来なくなり、黙ってしまった。


 司会者が助け舟を出そうとマイクを握りなおした瞬間、美咲は急に大きな声になる。

「ご存じのとおり、Q国は民主化が進んでいるとはいえず、私が留学した大学が政府の圧力で閉鎖されたこともありました。私よりも何倍も優秀なQ国の仲間が学問を諦めて大学を去りました。罪名がはっきりしないまま収監された仲間もいます。私には日本と言う帰る国も、またこの大学と言う帰る大学もありました。こんな恵まれた環境は絶対に無駄にしてはいけません。Q国の仲間の分まで頑張らなくては。

今卒業にあたり、この大学にも、そしてQ国の仲間にも感謝の気持ちしかありません。四月から私は大学院に進みます。自由に学問ができることへの感謝は生涯忘れないつもりです。

先生方、有難うございました!」


 美咲はマイクの前で深く首を垂れる。ざわついていた客席の私語は止まっている。美咲が大きく肩で息をすると、それが合図になったかのように大きな拍手が起こった。

「桐島!いいぞー!」

喝采に対して美咲は困ったような嬉しいような笑顔を向けて小さく手を振った。


 「学問の府たる大学で学問に邁進した四年間でしたね。我々教職員もこれ以上嬉しいことはありません。

ついで、箱根の守護神、経済学部四年の横手多聞君の返辞です」

すでに多聞は有名人だった。学生や来賓が身を乗り出して多聞の声を聴こうとしている。ステージの袖のカメラが彼に向けられる。

 あの子以上に俺は人に気持ちを掴む話ができるだろうか。多聞は急に緊張する。声が上ずり、こそこそと用意した原稿を読み上げるのが精いっぱいだった。

 返辞の終わりごろには客席から私語が漏れてくる。パラパラとした拍手。それでも明日のスポーツ紙には多聞の卒業が大きく取り上げられるだろう。


 多聞は美咲とともにステージを降りる。緊張から解放されると、目の前のまじめを絵にかいたような女子学生と話をしてみたくなった。

 Q国に留学していたなんてすごいですね、そう多聞が声をかけようとすると、カメラをぶら下げた男が近づいて来た。

「すいません、写真撮らせてください」

「あ、良いですよ」

多聞はマスコミ用の笑顔を作って答える。

男は多聞を無視して、

「桐島さーん、お写真一枚良いですか。あ、もうちょっと広いところが良いかな。こちらでお願します」

男に導かれて美咲は学生の波の中に消えていく。


 多聞はいつも美咲を取り逃がしてしまうのだ。


 卒業から八年。大学の仲間が海外への異動が決まった。壮行会を兼ねて銀座で古い仲間が集まることになったのだ。その中に化粧の濃い女が混じっている。女は十二月だというのに薄手の赤いブラウスを着ていた。胸元に細かい刺繍が施され、南国の民族衣装を彷彿させた。

「もしかして横手多聞君かしら?」

女はアイラインに縁どられた目で多聞の顔を覗き込む。多聞は女の名前を思い出すことが出来なかった。学生時代は陸上部の練習に明け暮れ、授業はろくに受けていない。陸上部の部員以外は数えるほどしか友人はいない。多聞があいまいな笑顔を浮かべていると、女は傷ついた様子もなく、

「きっと横手君は私のことは知らないわよね」

同級の一人が口を挟んだ。

「お前ら二人で卒業式の総代をやっていただろう」

そこでやっと多聞は目の前の女のことを思い出す。

「なんだか、雰囲気変わったね」

目の前の女は明るい笑顔で、なんというか、全身から自信がみなぎっているのだ。ステージの上で倒れそうになっていた優等生の女学生とは違う。

「横手君は実業団に入ったのよね。相変わらず走っているのかしら?」

「いや、今は教える方。」

「教える方?」

「公立の中学校で体育教師をやっているんだ」

「ジャージが似合いそうね!」

多聞は女の名前を思い出すことはできなかったが、周りが彼女をみさきと呼んでいるので、自分もそう呼ぶことにした。

「みさきちゃんは何をやっているの?院まで進んだんだろう?」

「まだ卒業していないで院にいるのよ。就職はしたことがない。日本とQ国を行ったり来たりしている」

困ったように首を振る美咲。それでも別に困っているわけではないらしく、あくまで笑顔だ。

「そんなにQ国に入り浸っているならば、Q国の国籍を取っちゃえば?」

友人の一人が茶々を入れる。

「いやよ、あんな人権後進国の野蛮国家。政府に逆らうと片っ端から監獄行きよ」

と美咲。


 多聞の記憶の中で、美咲が蘇る。

「返辞でそんな話をしていなかったっけ?Q国の学生仲間が収監されているとか」

「したかもしれないわね。私は年がら年中Q国の人権がどうのとか政治犯がどうのとかの話をしているから。」

「じゃあ何でそんな恐ろしい国に出入りしているの?」

多聞の問いに美咲は、しばし首を傾けてから、

「何でだろうね?私の研究は穀物の品種改良がテーマなんだけれど、大学の先生が政治犯になっちゃってね。知らんぷりは出来ないよ」

「よお、体育教師」

遅れてやってきた多聞の友人が二人の間を割って入る。

「なんだ桐島さんも来ていたの?ますますQ国人みたいな顔になってるな」

「化粧が濃いって言いたいの?」

美咲は男をぶつまねをした。それきりQ国の話は終わりになった。


 壮行会が終わり、一次会で帰るのは多聞と美咲だけだった。多聞はさっきから恋人のあやがひっきりなしに電話をかけてきているのが気になったし、美咲は

「明日Q国人と約束がある」

とのことだった。

美咲は私鉄への乗り入れ切符を買う。多聞と美咲は隣同士の駅だった。

「日本にいる間は実家にいようと思って」

「俺は勤務地が近いから、今の場所に越して来たんだ」

「どこに勤めているの?」

「西中学」

「実家からすぐだわ」

「偶然だね」

「西中のあたりは水害が凄くない?ちょっと雨が降るとすぐに水が出ちゃう」

「だからうちの中学は台風の度に集団下校になるよ」

「あそこは泥の町だから」

泥の町、確かに雨上がりは泥のような汚水のような匂いがあたりを漂うのだ。


 美咲は話題を変えるように

「フェイスブックってやっているの?」

「一応アカウントは持っている。ほとんど書き込んでいないけれど。君は?」

「やっているわよ」

美咲はスマートフォンを出して、自身のページを表示させた。

「外国人ばっかりだ」

「Q国人が多いわね。Q国は建前上フェイスブックが禁止されているから、みんな海外のサーバーを使っているわ。横手君に友達申請していい?」

「いいよ」

「横手多聞、これかしら。名前が珍しいからすぐにわかるわ。ではぽちっと」

その場で承認する多聞。

「すげー、これで俺も国際派」

「そうよ、あなたもQ国民主化運動家の一味よ」

「捕まらないようにね」

「外国人は逮捕されないわよ。せいぜい国外退去になるだけ。Q国人は命がけで運動しているけれどね。学校の先生が捕まってしまって、全然釈放されないの。Q国の刑務所ってすごいのよ。不衛生で、その中で拷問するから、囚人はみんなB型肝炎にかかってしまう。死刑囚は無理やり臓器提供させられるし、ひどいもんよ。先生、生きて出獄できるかな・・・」

「何でその先生は捕まったの?」

「普通選挙嘆願のための署名をネットで集めたら捕まった」

「その話、聞いたことある」

「クー・リシエでしょ?クー先生はノーベル平和賞の候補になったから少しは日本で報道されるようになったのよ。ノーベル平和賞偉大なり、よ。抑圧されている場所に少しは光が当たる。明日が平和賞の授賞式で、世界人権デーよ」

「あ、世界人権デーってそういうこと?」

「ま、もっともQ国では人権も何もないわね。クー先生が行方不明になっても、誰も何も言わなかったもん。クー先生のことを蒸し返したら、次は自分が標的になるだけ。先生の授業がなくなって、研究室もなくなって、いつの間にかクー先生なんて教授は大学にいなかったことになっていた」

「Q国ってすごい統制国家なんだね。ところでそんな統制国家に君はいつ帰るんだい」

「年明け早々にQ国に帰る。大きな学会が控えているの。今はQ国の大学で助手をやっているけれど、いずれ日本に戻ってきて日本の大学に就職したいわね。あ、次の駅で降りなきゃ」

美咲はマフラーを巻きなおす。ブラウスは薄手だったけれど、外は分厚いダウンコートだ。

「うー日本は寒いなぁ。」

車窓の外は銀座のきらめきとは打って変わり、闇が広がり、遠くで信号が点滅しているのが見える。電車は市境の一級河川上を通っているのだ。

「また日本に帰ってきたら会いましょう、横手先生」

「先生はやめてくれよ。君こそもうすぐ先生になれそうじゃないか」

「まだ分らないわ」

「研究、頑張って」

「ありがとう」

美咲は手を振って電車を降りて行った。

 エネルギーを持て余しているような人だな、多聞はホームを歩く美咲を見送って思った。

 

携帯電話の着歴とメールはあやばかりだ。どうせ関係の良くない親か、入社してばかりの会社の愚痴だろう。狭い世界の中で生きているあや。多聞は折り返す気持ちにはなれなかった。


 しかし放っておいたのがいけなかった。午前2時のあやからの電話は、

「私、血まみれ」

だったのだ。



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