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百怪―妖の怪24話―

作者: annmin

「丸太」


聞いた話。


元々木こりをしていた人で、

かなり年配だが、今でも時折り

山に入るという方から、

こんな話を聞いた。


彼の父親もまた木こりをしていて、

よく連れられて山に入っていった。

仕事の手伝いもあるが、まだ小さい頃は

出来る事も限られていて、ほとんどは

遊んでいた。


気に入っていた遊びは木登りで、

高い木を見つけては登り、

そこから見える景色に見入っていたという。

そのうち、ただ登るだけではなく

なるべく高い木を選ぶようになり、

日々もっと高い木はないかと

探し回っていたそうだ。


ある日の事、見た事も無い高い木を見つけた

彼は、さっそくチャレンジする事に。

幹に手をかけ、するすると登っていく。

なんだか表面がザラザラしていて、

それが滑り止めみたいになって、

今までのどの木よりも登るのが容易だった。


突然、木が倒れ始めた。

ただ自然に倒れていくのではなく、

何かゆっくりとその幹を地面に

押しつけようとしているかのように。

抱きつくようにしがみついていた幹が

ブルッと震え、倒れたそれは、木々の間を

ぬうようにして前進していく。


慌てて手を離し、その木が奥へ奥へ

消えていくのをただ見送った。


「蛇、とも思ったんだけど。

 あそこまでいくと龍だな、ありゃ」


父親のところへ戻り、その事を話すと

顔色を変えてすぐに下山し、それから

数日は山仕事を休んだという。




「引き潮」


聞いた話。


ゲーム会社に勤める20代の男性、

その父親に関するお話。


彼の父親の実家は茨城にあり、

海に近い場所にあった。

後に自衛隊の駅伝代表にまでなった父は、

体力があり、大学生の頃はいろいろな

トレーニングを自分に課していた。


その中で、夜の海で泳ぐというのがあった。

どうしてそんなトレーニングをしていたの

かは知らないが、元々体力があり、

体を動かすのが好きという性格からか、

疲れるまで運動するには並大抵の事では

ダメだったらしい。


ある日、どうしても沖に出てから戻れない

事態になった。

1キロ沖に出てから浜辺に戻る、というのを

日々続けていたのだが、その日は泳いでも

泳いでも浜に近づく事が出来ない。

幸い、ちょうど通りかかった漁船に拾われ

たが、そこの漁師に説教された。


「引き潮の時は、どんなに泳いでも

 沖まで出るな、

 絶対に戻れなくなるから、みたいな事を

 言われたらしいんです」


翌日、彼は再びその時間、つまり引き潮の

時を狙って沖へ泳ぎだした。

“確かめてみたかった”という。


「聞いてて、“バカ”というのが

 精一杯でしたね」


1キロほど沖へ泳ぐと、なるほど潮に乗って

スイスイ進む。

しかし、帰ろううとすると浜辺から

押し戻されるような力を受けて、

戻る事が出来ない。


「それで、漁師から聞いていた方法を

 試したって言うんです。

 “浜辺を一直線に目指すな、

 ジグザグに泳げ”って。

 緊急時の対処法として教えてもらった

 らしいんですけど、それを確かめるって

 ……やっぱりバカでしょ」


確かに、ベクトルとしては真正面から

行くよりも、斜めに突っ切って泳いだ方が

理にかなっている。

時間はかかるが、段々と浜が近づいてくる

のを見て、“おお、本当だ”と実感しつつ

泳いでいた。


浜辺まで後半分くらいか、と思った時、

ふと何かの気配に気付いた。

自分と並んで、何かが海中にいる。

暗くて良く見えないが、かなりの大きさの

ものが。

“こんな大きな魚がこの近辺にいたか?”

サメが出るなんて話は聞いた事はないし、

何より背びれは見当たらないから、その

心配はしなかったものの、暗闇の海中で

いきなり現れた同伴者に、いい気分は

しない。


なるべくそれを見ないようにして、

浜辺を視界の中心に置いて泳ぎ続けたが、

何せジグザグに泳いでいるので、

いずれはそいつの方へ舵を切らなければ

ならない。

そして、その時に全体を見てしまった。


「大きい、何てものじゃなかったそうです。

 海中の影が沖までずっと続いていて―

 どこまで続いているのか全くわからない

 くらいに」


驚き慌てたものの、ここは海の真っ只中。

この大きさの物に襲い掛かられたら、

どうなるものでもない。

観念して、少しでも浜に近づくよう

泳ぎに専念する事にしたという。


やがて浜の明かりが地平線のように

全体に広がり、足がつく深さにまで

来ると、それは姿を消していた。

姿が消えると同時に恐怖が蘇り、

泳ぎも何もなく浜辺を目指した。


陸上へ上がり、体を拭いて火を起こし

冷え切った全身を暖めていると、昨夜、

自分を拾ってくれた漁師がやって来た。


漁師は“またお前か”みたいな顔をしたが、

彼はそれに構わず今起きた事を早口で漁師に

伝えたという。


「カイジンか」


驚くでもなく、漁師は開口一番そう言った。

おそらく、海神、という事だろう。

あれを見たらどうなってしまうのか、自分は

これから大丈夫なのかをたずねると、


「こんな夜中に身一つで沖まで泳ぐ

 バカがいるから、珍しくなって見にきた

 だけだろう。

 機嫌損ねないうちに、こんな事ァ

 止めるんだな」


事も無げに言うと、そのまま去って行って

しまった。


その父も、今はすでに定年退職しているが、

時々は公共機関に頼まれて、水泳指導に

行っているらしい。

しかし彼の記憶では、プール以外で、

海でも川でも水に入る父親は見た事が

無いという。




「一本道」


個人的に仏道の修行を一時した事があるの

だが、その時の同僚の話。


彼が自転車に乗って横断歩道を渡っていた。

もちろん青信号である。

と、その時突然かなりのスピードを出した

自転車が目の前を横切った。

運転していたのは老人である。

車道側から青信号の横断歩道を一気に

突っ切ろうとしたらしい。


「危ないっ!?」


目の前を老人の乗った自転車が横切り、

とっさにハンドルを90度回転させた彼は、

代償として顔面からアスファルトの地面に

突っ込んだ。


事故の原因となった老人は一時こちらを

振り返ったが、状況を察知してか一目散に

車道に沿ってそのまま逃げてしまった。


救急車が呼ばれ、意識がはっきりしていた

彼は自らの足で車両へと乗り込んだ。


警察も現場検証に来ていたが、

「人を避けて事故を起こした」と誰かが

証言してくれていたにも関わらず、

「でもですねえ、それが転倒の原因とは

限りませんし……」と面倒くさそうに

対応しているのが耳に入ってきたという。


病院に着くと、鼻の頭と左側が裂けており、

それを縫う事になった。

左手で多少は受身を取ったせいか、後は

右足が少し擦り切れただけで、治療後、

そのまま自宅へ帰る事を許可されたという。


血が流れたので、とにかく鉄分補給のために

帰宅途中に、そのテの栄養ドリンクを何本か

購入した。

家に着くと、すぐに食事と一緒に胃に流し

込んで、彼は布団に入った。


「何てツイてないんだ」


目を閉じると、それなりに体力を失って

いたのか、時間を置かずに寝入った。

気がつくと、彼は一本道を歩いていたと

いう。


「何ていうのかな、森の中とか都会とか

 そういう道じゃなくて……

 真っ暗な中、白い道を歩いている感じ」


その道を歩いていると、いきなり猿が

現れた。

まるで道を通せんぼしているかの

ように―

醜悪な顔付きをして、こちらを威嚇し、

襲う気満々という事は一目でわかった。


ふと彼は、自分が棒を手にしていた事に

気付いたという。

猿が襲い掛かってきたところを、その棒で

打ち付ける。

何度も何度も打ちつけるが、その度猿は、

退きながらも再度攻撃の機会を伺うように

離れない。


何度か打ちつけている内に、猿は弱って

いき、段々と動かなくなっていった。

やがてピクリとも動かなかった猿を

またいで、ようやく立ちふさがっていた道を

進もうとすると、そこで目が覚めたという。


「そこで思い出したんだ。

 関係あるかどうかはわからないけど」


病院から帰宅する際、彼は医師から

注意を受けていた。


「今日一日は絶対安静にしてください。

 吐き気や目まいがしたら、即座に救急車を

 呼んで」


顔面を強打したので、24時間は脳出血に

用心しなければならない、との事だった。

朝、渡された薬を飲もうとした時に、

詳しい注意書きを見つけたという。


「あれを殺さなかったら、どうなって

 いたんだろうね。まあそんな事よりも」


結局、事故は自損扱いになり、治療費と

眼鏡代と自転車の修理代が自腹だった事の

方が問題だと、彼は憤慨した。




「ゴースト」


とあるチャリティーに参加して頂いた、

大道芸をしている外国人の方から聞いた話。

40代と思われる彼は、10年くらい前から

来日していて、日本語も日常会話に支障の

ないレベルで話せる。


今は日本人の奥さんと結婚し、永住資格も

手に入れ定職もあり、そこそこ収入は安定

していると言っていた。


だが、来日したての頃はそれこそ決まった

住所も無く、滞在期限が切れるまで、よく

各地を転々としていたという。


「よくヒッチハイクしていたね。

 歩かなきゃいけない時もあったけど、

 山の中とか、日本はたいていどこも

 道がしっかりしていたから」


その時も、たまたま車の通りが無く、

仕方なく夜の山道を歩いていた。

雲一つ無い月夜で、外灯の光が目印のように

ポツポツと先々を照らしている。


「で、いきなりパラパラッて

 降ってきたんだよね、雨が」


月は相変わらず夜空に浮かんでいる。

雲も見えず、一体何があったのかと

戸惑うが、別にそれほど強い降りでも

ない。

気にする事もないかと、一歩踏み出した時、


「その道の、こちらから見て右側かな?

 茂みから何か飛び出してきたんだ」


向こうの外灯が縦に細長いシルエットを

形作る。

動物……ではない。

目をこらして見ると、どうもそれは

たたまれた傘のようだった。


それは、柄の部分をくの字に曲げながら、

ピョコ、ピョコ、ピョコと跳ねるように

道を横断して、反対側の茂みへと消えた。

気が付くと、小雨は止んでいたという。


「日本では、傘もゴーストになるんだね」


……それは多分、ゴーストじゃない。




「石段」


30代後半のグラフィッカーの男性から

聞いた話。


彼は高校時代、眼鏡店でアルバイトを

していたそうだ。

シフトの日が土日に重なった時は、

そのお昼に母親が用意してくれた

お弁当を、神社の境内で食べるのが

楽しみだったという。


その神社は都内とはいえ、周囲がかなり

自然豊かで、境内に行くまでの石段から

神社の社殿に至るまで、夏の日中でも

木陰で薄暗いほどに―


彼がいつものように、境内でお弁当を

食べようと石段を上っていた時の事。

ふと、何気なく空に目をやると、木々の

葉の隙間から、白いものが見えた。


「……旗?」


それは、無地の長い布のように見えた。

その日は風が強く、横なぐりの強風が

吹き荒れていて、どこかの洗濯物が

それで飛ばされたのかな、くらいに

しか思わなかった。


足元を見ながら、一段一段上っていくと、

ちょうど最上段の入り口のところに、白い

布が落ちていた。

見たところ、幅50cm、長さは5メートル

ほど。


「あの布が落ちてきたのかな、

 と思ったんですけど」


彼の足が階段を上るを止めた。

これだけ強風が吹き荒れている中を、

多くの木々に囲まれたこの場所に―

どの木にも引っかからずに落ちてくる

事など、有り得るのだろうか?


可能性としてはゼロではないが……

疑問と同時に背筋に冷たいものを感じた

彼は、くるりと背を境内に向けた。


後ろへ向きを変える時、視界の片隅でその

布が、糸で吊るされたように浮き上がった

ような気がした。

恐怖と混乱で、彼は一気に下まで

駆け下りた。


下まで来ると、おそるおそる境内を

見上げた。

そこには、いつもの石段が木漏れ日に

照らされているだけだったという。




「流す」


愛媛県出身の女性から聞いた話。


すでに初老、といってもいいくらいの歳の

彼女は、幼少の頃不思議な体験をした。


近くの小川にかけてある橋、その上で

下の水の流れを、お菓子を食べながら

ただながめていたのだが、ふと一つ

落としてみる気になったという。


「ふ菓子を食べていたんですけどねえ。

何ていうか、どういう風に流れていくのか

見たかったんだと思います」


少し千切って川に落とす。

それは当然水に浮いて下流へと流れていく。

10メートルほど流れた地点で、ふ菓子は

水中へと消えた。


「でもねえ、それが妙に思えて」


水を吸ってだんだんと水中に沈んでいくの

ではなく、一気に水の中へ消えたような、

そんな感じがしたのだという。


もう一度見てみようと、少し千切っては

それを川に落とす。

何度か繰り返すうちに、彼女はある事に

気付いた。


「近付いてきてたんですね」


ふ菓子が水中に消えるまでの時間が、

落とす度に早くなってきていた。

それは見る見るうちに橋の真下近くに

まで―


怖くなってきた彼女は、残りのふ菓子を

思い切り下流へと放り投げた。

すると、それを追いかけるように、水中で

影が下流へと素早く向かったという。


彼女は振り返らずに家まで走った。

中では祖母がお茶を飲んでいたが、

今見てきた事を泣きながら訴えると、

祖母は優しく頭を撫でながら言った。


「そんなの、おかに上がっていりゃ

 怖くも何ともない」


祖母はそれが何か知っていたみたいだが、

なぜかそれ以上聞いてはいけない気がして

黙っていた。


「ただな、あまりうかつに川に何か

 もう流してはならんよ」


以来、彼女は東京に出てくるまで、祖母の

言葉を守ったという。


「あの時は怖かったんですけど、今は

 懐かしく思えてねえ」


次に里帰りする時は、孫と一緒にお菓子を

流してみるつもりだと、彼女は微笑んだ。




「廃屋」


「山はね、いろんなものを見ますよ」


そう語りだしたのは、あるゼネコンの

下請け会社に勤め、つい数年前に定年

退職した男性だった。


彼は、主に測量を担当していたという。

工事が決まると、規模や揃える人員を決める

ために、仲間と一緒にそこへ向かう。


ある時、依頼を受けてかなりの山奥まで

入った事があった。

道といえば獣道としか言えないような道

しかなく、明らかにもう十年以上は人が

出入りしていない場所だったという。


目的の地点まであと少しという時、視界に

入ってきたものがあった。

それは、漆喰の壁が一枚、ポツンと木々が

開けた場所に立っていた。


「朽ちた廃屋とかは珍しくないんだけど、

 ああいうのは初めて見ましたね」


近付いて見ると、壁の近くに腐って根元から

折れた柱や、家の基礎となる土台やらが確認

出来た。

ここに人が住んでいた建物があったのは、

確かな事だったが―


「でもね、普通建物っていうのは

 何でもそうだけど、たいてい柱以外から

 崩れるんです。柱が無くなれば、他は

 建っていられません。

 いわば骨が無くなったという事ですから」


だから、柱が朽ちているにも関わらず、壁が

残っているのを、仲間と一緒に不思議そうに

見ていたという。


仕事もあるので、足早にそこを立ち去り、

一通り測量を終えると、元来た道を引き

返した。

途中、そこも通ったが、その時には壁は

きれいさっぱりと消えていた。


「仲間も、『あれ? あそこに壁あった

 よな?』と言ってましたから、記憶違い

 ではないと思います」


ふぅ、と一息入れると、彼はこちらに

視線を戻し、


「あれは、あれからどこかへ行って

 しまったんですかね?

 それとも、あの時だけ戻ってきて

 いたんですかね?」


そう、イタズラっぽく目じりを曲げた。




「酒」


とあるボランティアで行った老人ホームの

男性から聞いた話。


彼が子供の頃と言っていたから、年齢から

して、戦後間もない頃だと思う。


「当時は、ペットボトルとかいうものは

 なかったからな」


お酒を運ぶのは一升瓶か、徳利といわれる

モノ。

両方とも“割れもの”で、その持ち運びには

神経を使った。


「あの頃は、何でも貴重でね。

 落として割ったりしたら怒られるなんて

 モンじゃ済まなかった」


ある時、家で父親とその知人が酒を飲む

機会があった。

酒が進み、足りなくなったお酒を買いに

行けと言われたが―


「その時の田舎の夜っていうのは、本当に

 真っ暗闇なんだ。

 月が明るいって感じるんだからさ」


夜道は怖いが、父親のコブシはもっと怖い。

彼は空の一升瓶を持って、それに酒を注いで

もらうため、酒屋へと向かった。


両側に田んぼだけの、何もない一本道を

歩いていると、背後に気配を感じた。

振り返ると、そこには大きな影が月を背後に

して立っている。


「何というかな、すごい大きな猿だった。

 ただ、そいつの目がなぁ」


鼻の上にたった一つ、大きな目がギロリと

こちらをにらんでいた。

ひっ、と息を飲むと、ゆっくりとこちらへ

近付いてくる。


彼は一升瓶を抱きかかえながら、

後ずさりして距離を開けようとするが、

それに合わせるように猿も歩みを進める。


「それで、いつも親父がちょっとした傷

 なら、お酒を吹き付けて治しているのを

 思い出して」


一升瓶のフタを開けて、少し手の平に

流すと、そいつに向かって投げつけた。


「逆効果だった」


その猿は飛び散ったお酒を地面に顔を

付けて舐め始めた。

どうやら、目当てはお酒だったらしい。

しかし、持って帰らなければ父親に酷く

叱られるのは目に見えている。


結局、彼は後ずさりしつつお酒を散らし

ながら、猿をやり過ごす事にした。

やがて集落の明かりが近付いてきた頃―


「ふっ、て消えちまったんだ。

 どこかに行くでもなしに、目の前で」


彼の手には半分まで減ったお酒が残って

いた。

怒られるだろうが、それでも全部無駄に

しなかっただけマシか、などと考えながら

家の扉を開けた。


当然、父親は激怒したが、それでも彼は

今起きた事を話すと、一緒に飲んでいた

知人が父親を止めた。


「とにかく明日の朝まで待て、みたいな

 事を言っててさ。

 何かワケがわからんかったが」


翌朝、家の前に大小の山芋が積まれていた。

中にはアケビやビワもあり、家族はそれを

見てポカンとしていたという。


「その知人はマタギでね。

 アイツが何か、知ってたんじゃないかな」


死ぬ前に、もう一度あの猿に会いたいと、

彼はお茶をすすりながらつぶやいた。




「唇」


聞いた話。


知人が小学生の頃、父方の実家に里帰り

した時の事。

家族で山に入り、ふと偶然に荒れ果てた

神社を見つけてしまった。


物珍しさに探索する彼に、両親、特に

父親は何も触るな、と注意した。

彼は妙な日本人形や文字の入った木の札

等を見つけたが、父親の言いつけを守り

それらには手を出さなかったという。


そこにいたのは30分くらいだったと当人は

記憶しているが、帰ってからが大変だった。

夜、就寝前に唇が腫れ上がってしまい、

しかもそれがすごくかゆかったそうだ。


彼は祖母に、昼間神社跡に行った事などを

話した。

両親の話との食い違いがあったものの、

祖母は“よし、任せとけ”と言ってそのまま

外へ出て行ってしまった。


しばらくするとウソのように唇の腫れは

収まり、同時に祖母が帰ってきた。

“今日はもう寝ろ”と言われ、かゆみから

解放された彼は、そのまま眠りについたと

いう。


翌朝、祖母にどこに行ったのか聞くと、

例の場所に唐辛子をまぶした生肉と、水を

入れたバケツを持っていったらしい。

生肉を放り投げてしばらく待つと、ひぃひぃ

と泣き声が聞こえてきた。


「家の孫に悪さしたのはどいつだ?

 治せばすぐ水をやるぞ」


暗闇に向かって話しかけると、闇の向こう

から声が返ってきた。


“悪かった”

“怒るのは当然じゃ”

“カンニンしてくれ”


そんな言葉が聞こえ、祖母はバケツを置いて

帰ってきたのだという。


「ただ、不思議なのは、両親は神社跡には

 行ってないって言うんですよ。

 昔の茶屋の跡に行っただけ、それも5分

 くらいしかいなかったって」


祖母も、あの山には神社などなかったと

言っていた。

一体あれは何だったのかと聞くと、


「子供が珍しいから、ついイタズラしに

 出てきたんだろうな、みたいな事を言って

 ました」


何が? と祖母に聞くと、“イタチかムジナ

だなあ”と答えたという。




「横切る」


福祉施設に勤める女性から聞いた話。


夜、自宅で寝ていると、自分の布団の上を

横切っていく何かの気配を感じた。


「重さも感じたので、夢ではないと

 思うんですが」


それはネズミだった。

それも、ハムスターなどの愛玩用ではなく、

子猫ほどもある大きさのドブネズミ。

それが3、4匹ほど彼女のお腹の上を通り

過ぎていく。


彼女が息を飲んで驚く中、それらは次々と

布団の上を通り、そしてその先のTV画面

へと消えていった。


「真っ暗な画面に吸い込まれるように

 消えていって―

 当然TVは付けてないんで、後には

 黒い画面が残っているだけでした」


次の日、布団に入るとまた気配がする。

今度は毛並みが黒いウサギが3、4匹、

また布団の上を横切ってTV画面の中へ

消えていった。


「次の日は小さな馬がまた3、4匹

 現れて……

 で、たまらなくなって近くのお寺に

 相談に行ったんです」


そこの住職は事情を聞くと、すぐに自宅に

来てくれた。

そして部屋をぐるりと見渡すと、ある物を

指差した。


「これはいけませんな」


鏡があった。

小さな立て掛け式の鏡だったが、それが

ちょうどTVと向かい合わせに置かれて

いたのだという。

それは電源の付けていないTVの画面に

鈍い光を反射させていた。


「鏡をその場所から移動させたら、

 その日から何も現れなくなりました」


あのまま鏡を置いていたら、最終的には

何が現れたんでしょうね? そう言って

彼女はため息をついた。




「例年」


お寺の同僚から聞いた話。


私より4、5才ほど年下の彼は、毎年夏に

なると父方の実家へ里帰りしていたという。


大自然の中、近くの川へ釣りへ行ったり、

山に入って虫を捕ったりと、子供心にも

それは待ち遠しい季節だった。


「でも、楽しみはそれだけじゃ

 なかったんですよ」


田舎に帰るもう一つの楽しみ―

それは、女の子に会う事だった。

親戚の? と聞くと彼は首を横に振り、


「最初は僕もそう思っていたんですけど、

 どうも違っていたらしくて」


彼女と初めて会ったのは、もう使われて

いない、木材の集積小屋みたいなところ

だったという。

結構大きく、ハシゴで1階と2階と行き来

するような建物だった。


「必ず会える、というわけでは

 なかったんですが」


それでも小屋に行くと、2、3回に1回は

そこにいて、よく遊んだという。

遊ぶのはいつも二人きりで、なぜかそれを

話してはいけない気がして、親にも黙って

いた。


「今考えてみれば、怪し過ぎますけどね。

 でも何ていうか、女の子と遊んでいる

 自分があの年代では特別な存在のように

 思えて」


それは中学に上がる頃まで続いたらしい。

しかし、彼が中学に入って1年目の夏、

いきなり彼女からお別れを言われた。


「もうあなたには私は見えなくなるから、

 いきなりそんな事を言われて」


中学2年の夏、もうその小屋に行っても

彼女はいなかった。


「大人になったって事なんですかねえ」


不思議な事に、その彼女の顔や着ていた服

など、全く思い出せなかったそうだ。

しかし今でも田舎に帰った時は、その小屋

に毎日顔を出しているそうである。




「畳」


学生時代からの友人で、今は自衛隊にいる

知人から聞いた話。


今は潜水艦乗りらしいが、新人の頃は一通り

訓練され、もちろん地上での訓練も受けたと

いう。


「林の中とか山の中とか、夜戦もしたよ。

 戦争になれば昼も夜もないからな」


関東のとある基地に勤務していた頃、

地上戦の訓練があった。

朝から3昼夜通しての、ハードなもの

だったという。


「最後の夜かな。もう少しで終わりだって

 時に、妙な体験をしたよ」


その時は、山のふもとで斜面の木々の間を

他の仲間と歩いていた。

枯葉を踏む音と、時折入る無線の音だけが

闇の中に響く。


と、いきなり先頭で歩いていた仲間が声を

上げた。

同時に体勢を崩して転ぶのが目に入った。

何やってるんだ、そう思った時―


「いきなり地面が揺れたんだ。

 で、ドミノ倒しみたいにパタパタと、

 自分も含めてみんな倒れてしまった」


地震かと思ったが、感覚がおかしかった。

全体が揺れるのではなく、足の下だけが

動いたような感じだったという。

やがて木々のざわめきの他に、何か引きずる

ような音が聞こえた。

暗闇なのでよく見えなかったが、平らな黒い

何かが、斜面を上っていくのが見えた。


「何ていうか、縦に5、6畳ほど敷いた畳が

 動いているような感じだったよ」


倒れた原因は、どうやら仲間がその上を

知らずに歩いて、それが動いた事による

ものだったらしい。

訓練が終わり、報告の中にその事も入れて

教官に提出したのだが、


「それはよくある事だからいちいち書くな、

 だってさ」


ウンザリした表情の教官に、アレは何かと

聞いたが、“気にしても仕方がないものを

気にするな”としか答えてもらえなかった

という。




「侍」


同じ歳の知人から聞いた話。


彼の実家は岐阜にあり、よくそこで仲間と

一緒に、サバイバルゲームで遊んでいた。


「まあ過疎ってやつでね。

 ちょっと山に入れば、犬と老人くらいしか

 おらんかったし」


だからサバイバルゲームをやるには持って

こいの環境で、時間さえあれば山に入って

二手に別れて対戦を楽しんでいた。


「ある時、山を一回りして相手の裏をつく

 作戦を立てたんだ」


山と言っても小さく、少し高い丘くらいな

もので、30分もあれば回りこむ事が可能

だった。


歩き続け、もう少しで、というところで

それは突然目の前に現れた。


「何ていうのか、昔の侍みたいな格好を

 してた。ただそいつが」


その男は手に刀を持ち、今にも襲い掛かって

きそうな感じだったという。

振り上げられた刀をそのままに、ポーズを

とっているかのように停止している。


「ただ、ほら。

 こっちもサバゲーの最中だったし、当然

 モデルガンだけど銃は持っていたわけで」


無意識のうちに、仲間も一緒にそいつに

銃を向けていた。

彼の目はそれに釘付けで―

やがてジリジリと足を後退させると、

一目散に逃げ出した。


サバイバルゲームどころではなくなり、

二手に別れていた仲間に連絡を取り、

彼らは慌てて下山した。


「みんなで俺の家に戻って、警察に連絡

 するかどうか話していたんだけど。

 爺さんがやってきて

 “そりゃ山の狐か狸だろう”って」


驚かせようとして出てきたものの、まさか

銃を持っているとは思わず、逆にびっくり

して逃げたのだろう、との事だった。


「そんな事より、“それよりあそこは

 マムシも出るんだ、気ぃつけろ”って

 言われた事の方が怖かったよ」


そう言って、彼は頭をかいた。




「履物」


通っているお寺の近くにある、保育園の

保母さんから聞いた話。


園児たちを連れてハイキングに行った際、

その中の一人が行方不明になり、大騒ぎに

なった事があった。


結局、その子は夕暮れと共に見つかったの

だが、発見された時に不思議な事を言って

いたらしい。


「何でも、林の中で迷って泣いていたら、

 髪の長いきれいなお姉さんが、“迷子に

 なったの?”って聞いてきて。

 その子がウン、って答えると、手を引いて

 林の外まで連れてきてくれたんだって」


しかし、誘拐の可能性もある。

その後先生同伴で警察の聞き取りが行われ、

その人物を詳しく彼から聞き出した。


「でもねえ、何ていうか……

 まず白っぽい着物を着て、片手には変な

 ウチワを持っていて」


足には変な物を履いていたという。

絵を描かせてみると、それは一本歯の下駄に

しか見えなかった。

さらに、山伏の絵を見せると“これと同じ”

と答えたという。


「女性の天狗って、私、聞いた事無いん

 ですけど」


私も聞いた事は無い。




「方向」


修行仲間の知人から聞いた話。


彼の実家は愛媛にあったのだが、中学に

上がる頃に東京に引っ越してきたのだと

いう。

その彼がまだ10才にもならない頃、

こんな体験をしたらしい。


家の近くに小高い丘があり、その頂上に

神社があった。

その境内でよく遊んでいたのだが、最近に

なって記憶がおかしい事に気付いた。


「そこにいた女の子と遊んでいたんです

 けど」


昔ながらの着物を着ており、それ以外は

別にどうという事もない子だった。

同じくらいの年で、ただその頃は異性と

遊ぶと同性に冷やかされたりバカにされ

たりする世代。

その事もあってか、彼はそれを家族にも

話していなかったのだが―


「遊んでいた時、今思えばどうにも不思議な

 事があったので」


彼女とは、よくアヤトリや手遊び歌など、

2人でする遊びに付き合わされていたと

いう。

しかし、遊んでいる最中、話している方向が

よく変わった。


「正面に向かい合ってても、なぜか隣りから

 声が聞こえてきて、振り向くとそこに

 彼女の顔があったりして」


それはよくある事で、ある時は頭上の彼女と

手遊びしたまま話していた事もあった。


「当時は何とも思わなかったんですけどね」


近いうちに愛媛に行く機会が出来たので、

それで思い出したのだという。

その少女と遊んだのはその年の夏だけで、

それ以来会っていないそうだ。




「引越し」


会社を定年退職し、今は老後を楽しんでいる

男性から聞いた話。


彼は若い頃からゴルフを趣味としていて、

定年後はそれが仲間との数少ないイベントと

なっていた。


「でもまあ、みんな年だからね。

 一月に2回あればいいくらいで」


ある時、広いコースを回っていた彼は、

急な天候の悪化で雨に見舞われた。

他の仲間とははぐれており、彼は適当な

大きな木を見つけ、その下で雨宿りする

事にしたという。


「嫌な予感がしてね。雷が鳴り始めて、

 これはマズイかなぁって」


避難する小屋はあったものの、距離にして

そこまで300メートルはある。

音と光の間隔は段々短くなっているような

気がして、彼は迷いに迷っていた。


ふと、彼の視線をさえぎった物があった。

というより、いきなり降ってきたような

感じだったという。


子供が立っていた。

こちらに小さな背中を向けている。

年は7、8才だろうか、白地に赤い花柄の

着物にハカマをはいていた。


その子供はてってって、と雨の中を走り

出した。

危ない、と思って追いかけようとした

時、子供が振り返って、言った。


「行かないの?

 そこにはもういちゃいけないんだよ?」


わけがわからず、とにかくその子供を

追いかける事にした。

どうやら、小屋の方向に向かっている

らしい。

保護者か誰かいるのかもしれない、そう

思っていると、背後に轟音と光が走った。


「それまで雨宿りしていた木に雷が

 落ちてね。

 あれはびっくりするしかなかった」


子供は―

そう思って向き直ると、落雷など気にしない

とでもいうように、構わず遠ざかっていく

後姿が見えた。


とにかく小屋までの方向は同じなので、

追いかける形で彼は子供の後ろを走った。

と、小屋まで2、30メートルまで来た

時、子供が方向を変えた。


え? と思う間もなく、子供は近くにあった

木に頭から飛び込んだという。

そのまま子供の姿は木の中へと消え、後には

彼一人が残された。


「とにかくこっちも小屋の中に入ってさ。

 雷がおさまるのを待つしかなかった」


雨が止んだ後、彼は子供が消えた木を探そう

と思ったが、もうどれがどの木やらわからず

断念したという。


「何か“宿る”っていうのはわかるけど、

 引越しも出来るものなんだねえ」


そのゴルフ場は今も健在で、彼も時々通って

いる。




「半身」


ある主婦の方から聞いた話。


彼女が旦那と子供を連れて実家に里帰りした

時の事。

夫は都会生まれで、田舎に来る事を嫌がる

事もなく、むしろ満喫していた。


「よく1人で山や沢の方に出かけちゃって。

 子供はまだ小さいから目が離せないし、

 両親は孫にべったりだし。

 今思えば、気を使ってるのもあったん

 でしょうけど」


しばらく散歩でもしてきます、と言って

出かける夫に、義父である彼女の父は

必ず声をかけた。


「何か危ない目にあったら、川を飛び越えて

 帰ってくるんだぞ」


その意味はわからなかったが、いつも

いつも言っている事なので、何か習慣

かそういうものなのだろうと勝手に

納得していた。

そうして両親、そして自分の子と3代

水入らずの時間を過ごしていると、夫が

今まで見た事も無い形相で家に駆け込ん

できた。


「み、水を」


慌てて水をコップに一杯くんで差し出すと、

それを一気に飲み干した。

何があったのか聞くと、一言一言思い出す

ように声を絞り出した。


「半分、半分の女が」


言っている事がわからず母親と顔を見合わせ

たが、ただ1人父親だけが顔色を変えて玄関

へと走っていった。


「……いねえ。おい、ちゃんと川飛び越えて

 きたのか?」


その問いに夫はガクガクと首を縦に振る。


「そっか。それなら大丈夫だ。

 もう心配するな」


あっけに取られる3人を横目に、その輪の

中心にいた子供を彼はあやし始めた。


「後で夫に聞くと、沢を散歩している時に

 女の人に……

 出会ったというか、いきなり背後に

 現れた、と本人は言ってました」


後ろを振り向くと、視界の隅には入って

くるのだが、必ず背後に回りこんでくる。

長い髪がたなびき、その下に着物の裾の

ようなものが映り込む。

それ以外何かされるでも無いが、人気の

無い沢でこんな事をしてくる事自体、

それがまともな存在ではない証明でも

あった。


「とにかく逃げても動き回っても、必ず

 背後に回り込むんだって。

 その時、父にいつも言われていた言葉を

 思い出したらしいの」


目の前の川に足を入れ、急ぎ足で対岸へと

向かった。

と、その時初めて視界の隅から女が消えた。

対岸まで来ると、女が川の向こう側で立ち

止まっている。


「美人だったって……こんな時まで男って

 いうのはって母と一緒にあきれてしまい

 ましたけど」


しばらく見ていると、女が川の中へ足を

入れた。


「お、く、う」


何の変哲も無い、せいぜい水深2、30cm

くらいの川の中で、その女は苦痛で進めない

といわんばかりにうめいていた。


とにかく足止めにはなっているらしい。

だが家は反対側なので川を渡らなければ

帰れない。

しかしあの女がいる川には入りたくない。

少し上流の方に橋があったはず、そこを

渡れば、と思ってそちらへ目を向けた瞬間


「バシャンッ、て水の音がして。

 で、思わず女の方をまた見てしまったん

 です」


あの女が倒れていた。

真横に。

その半身を川面から出して、片目で彼を

にらみつけていたという。

もうまともな存在では無い事はわかって

いる。早く上流に行こうと走りかけた

その時―


「起き上がった……夫の言葉を借りれば

 まるで横になっていた棒がひとりでに

 立ち上がったようだったって」


そして、その立ち上がった女には、川に

入っていた半分が無かった。

その半分になった口から、またうめき声。


「はぅ、ぐ、ひぃ」


その後は叫び声を上げて、上流の橋を渡って

そのまま家に駆け込んだという。

母と2人で信じられない話に戸惑っていると

父が笑いながら口を開いた。


「そこまで追いかけられたとはなぁ。

 よほど気に入られたんだなぁ、お前」


あれは何なのか夫が聞くと、基本的に男

だけを追いかけてくる、女には害は無い

(というか見えない)、流れている水は

渡れない、と言った。


「あれは一体何なんですか?」


「神サマ、とまでは言わんけど、まぁ

 山に住む何かと思えばいい。

 今のところ、人取って喰ったっていう

 話は聞かんから」


父は終始カラカラと笑っていた。


「でも、今までそんな話聞いた事も

 無かったし、男限定なら最初から

 夫には注意してくれても」


もしかしたら、出来ちゃった婚なのを

根に持っていたのかも、そう彼女は

いたずらっぽく笑った。




「噛む」


縁日関係の、いわゆるテキ屋の方から

聞いた話。


その祭りではお面を売る事にしていた彼は、

当日、現地で準備に追われていた。


ふと、面が風に吹かれ飛んでしまった。

近くの雑木とも藪ともつかない中へ落ち、

仕方無く彼は、中へ腕を突っ込んだ。


「いつっ!」


指先が何かに噛まれたように痛みが走った。

藪の中をのぞくと、面と目が合った。


「いひひっ」


それは意地悪そうに笑うと、薄闇に溶ける

ように消えてしまったという。


慌てて元の場所へ逃げ帰ったが、見ていた

仲間から質問された。

どうやら、仲間には飛んでいったお面が

見えなかったらしく、いきなりどこかへ

行ったように見えたそうだ。


「後から考えてみれば、あんなお面、

 扱ってた中には無かったな」


獣と人の中間のようなお面だったという。




「アメ細工」


前記のテキ屋さんから。


別に本職ではなく、仕事は普段土木関連に

従事しており、テキ屋になるのは地元の

縁日の時期だけらしい。


「他から流れてくる人がほとんどだ。

 そういうのは組合があって、屋台とか火を

 使わない道具とかは、各自治体が管理・

 保管しているって聞いたな」


そうして各自治体から必要な時だけ、場所や

道具を借りるのだという。


「最初は、そういう流れの人たちの手伝い

 から入ったんだよ」


だから別にテキ屋も、お面が専門というわけ

ではない。

その時その時で、クジ・金魚すくい・鉄砲・

食べ物系も何でもやってきた。


「ある時、アメ細工の屋台を手伝っていた

 時があったけど」


その屋台の主が所用で離れてしまい、その

間の店番を頼まれた。

もう人通りもまばらになり、そろそろ終了

という時刻だったので忙しくは無かったが、

そこへ小さな客が現れた。


「兄妹かな。今時珍しく、2人とも浴衣で

 それがよく似合ってた。

 10才と4、5才くらいに見えたが」


兄と思われる方が、「ちょうだい」と言って

きた。


「お金はあるのかい?」


それには黙って答えず、ただ一番上に飾って

あるアメ細工を指差した。


「それがよりによって一番高価いヤツでね。

 まぁ高価いと言っても500円くらい

 だったから、後で立て替えてやっても

 いいとは思ったんだけど」


それ以前に、上の段のアメ細工は鶴や龍を

かたどったもので、目の前の兄妹が持つ

には不釣合いに思えた。


「んー、こっちにしないか?」


イルカとウサギ型の安いアメ細工を渡すと、

兄の方は不機嫌そうな顔をしたが、対照的に

妹と思われる女の子の顔が笑顔になった。


「……今年は、これで」


当たり前のように受け取ると、その兄妹は

アメ細工をそれぞれ片手に去っていった。

“ここ(アメ細工)の知り合いかな?”

マズイ事をしたかな、そう思っていると

屋台の主が帰ってきた。


「あちゃー、弱ったな。

 今回は俺の店に来たのか。

 言う通り渡してくれりゃ良かったのに」


やっぱり知り合い? と聞くと、バツが

悪そうな顔をして、はっきりと答えない。

店をたたんで、打ち上げをして帰ろうかと

言う時、忠告された。


「帰りに気をつけてくれ。

 多分、そんなに悪さはしないと思うが」


奇妙に思いながら家への帰り道を歩いて

いると、何かが胸元に張り付いた。


「足長バチ。それが胸の袂から中に入って

 きやがって」


パニックになって、腕を振り回したり胸元を

叩いたりしたが、これといった痛みは無い。

観念して、とにかく家まで戻る事にした。


家につくと服を脱ぎ、裸になった。

見ると、胸元に5ミリほどの羽虫が胸の

素肌に喰らいついたまま死んでいるのを

発見。

何も感じなかったが、離す時に少しだけ

チクッとしたという。


「『一方が気に入ったからだろうな。

 それだけで済んだのは』

 そう後で言われたよ」


あれは何だ? と聞くと、

・こちらも良くわからないが、ぞんざいに

 扱ってはならない決まり。

 前々からそう言われている。

・基本、男女の姿で現れる。

・年齢はその時によって異なり、老夫婦の

 時もあれば、赤子を抱いた女性の時も

 ある。


くらいしか聞けなかったという。




「魚突き」


「こうヤスっていうやつで突くんだけどね。

 フォークのでかいのみたいな。

 今のガキどもはやらないかな」


東北出身の方から聞いた話。

彼の田舎は文字通り自然が豊富で、夏とも

なればタンパク質系の獲物は、田や小川へ

行けばいくらでも獲れた。


「魚も夜寝るから、頭にランプ付けて

 夜突きにいくんだ。

 面白いほど取れたよ」


獲物は魚に限らず、エビや沢ガニなども

対象だった。

それらは大人たちの晩の酒のツマミに

なったり、翌日の朝食に出たりする。


岩陰に隠れている魚を突いては、竹製の

カゴに入れていく。

作業のように突いた魚を引いた時、ヤスが

いきなり重くなった。


「何か引っかかったかな?

 そう思ってライトをその先にあてたん

 だが」


岩と浅瀬の茂みが照明で浮かび上がる。

よく見ると、ヤスの先の魚が何かに挟まって

いるように見えた。


何かと思って近付くと、グイッと背中が

引かれた。

一緒に魚突きに来ていた仲間の1人だった

が、その方へ振り向くと同時に


「逃げるぞ!! って怒鳴られた。

 みんな一斉に逃げていくんで、俺も

 怖くなって逃げたよ」


川から離れ、一番近い人家の近くまで

来た時、逃げたわけを仲間に聞いた。


「何でもよ、ハサミが見えたんだと。

 俺が突いた魚を、片側が大人の手くらい

 ある蟹のハサミが挟んでいたと」


20年程前、彼の小学校の頃の話だという。

その川も多少整地されたものの、未だ残って

いるらしい。




「ヒワ、カナ」


山登りを趣味とする初老の男性から

聞いた話。


「北関東の生まれでさ。

 周りがみんな山。

 山なんて珍しくもなんとも無かったのに」


それでも趣味になるくらい、山には何かしら

魅力があるらしい。


「だけどね、俺ぁ今でも家の近くの山だけは

 登らない」


どうして? と聞くと、怖いから、とボソッ

と答えた。


その山は子供の頃からの遊び場で、特に

険しいというものでもなく、山というより

丘と言った方が正しい程度のものだった。


「遊び場って言ったけど、俺だけじゃない。

 あの辺のヤツラはみんなあそこで遊んで

 いたんだ」


ただ、大人たちからは常に注意された。

特にまだコンクリート舗装されていない

川の上流に行く事は厳禁だった。


「それを聞かないのがガキってものでね。

 大人が見回りをして、とっ捕まえては

 よく張り倒していたよ。

 ま、俺もその張り倒されたうちの1人

 だけど」


その上流は両岸が切り立った崖のように

なっている地形があり、そこが安全上の

問題になっていた。


「飛び込みやすい地形だもんな。

 10mはあったんじゃないか?

 そりゃ、度胸試しにゃ格好の条件だよ」


飛び込んだ後、また飛び込むには川に沿って

下流に戻り、そこから崖上への道をたどれば

いい。しかし、それには時間がかかる。

面倒くさいから誰もやらない。

ではどうするかというと、


「崖を登るんだよ、バカだから。

 ロッククライミング? っていうのか。

 ああいう要領で」


崖の途中で突き出ている突起部分や、生えて

いる木の枝などを器用につかみながら、崖上

まで登るのだという。


「で、俺が登ってた時なんだけどさ。

 落石にあったんだ。

 それほど大きい石じゃないけど、

 顔くらいの大きさはあったな」


危ない! という仲間の声に顔を上げた時

には、もう目前まで迫っていた。

子供心にも“あ、死んだ”と思ったという。


その瞬間目をつむった。

しかし、いつまで経っても石がぶつかる

気配が無い。

恐る恐る目を開けると、頭上で誰かが

背中越しに腕を突き出し、石を握って

いた。


その突き出された手は爪が異様に長く、

しかし腕回りは白く細かった。


「ヒワ、カナ」


その声で、後ろにいる存在は女性だと

気付いた。

その気配が消えるのと同時に、仲間の

声が戻ってきたという。


「後で聞いたんだが、落石が俺の真上で

 岸壁にぶつかって跳ねたと。

 運が良かった、良かったって」


それ以来、彼は飛び込みを止めた。

仲間も、それを臆病とは言わなかった。

また、改めて危険を認識した事もあり、

飛び込みは誰彼言う事なく行われなく

なっていった。


彼は、子供の頃は父親が怖くてそれを

黙っていたが、一緒に酒を飲めるように

なった時、それを初めて明かした。

父親はじっと彼の目を見て言った。


「止めて良かったな。

 それと―もうあの山には入るな」


父親が言うには、まだヒヨっ子、未熟だから

助けてくれたのだろう、との事だった。


「ヒワ、カナは“ひ若いな”と言ったの

 だろうと説明してくれた。

 年下や未熟者を見下す言葉、だとさ」


しかし、今さら山に積極的に入る気も

無いが、どうして入ってはダメなんだ?

そう父親に聞くと、


「お前は目を付けられた。

 釣りだって小魚が釣れたら逃がすだろ?

 次は、無い」


その父親も10年前に鬼籍に入ったという。

未だ独身の彼は、もし死期がわかればあの

山に登るよ、と笑った。




「代金」


大道芸をしている知人のお話。

彼の実家は東北地方の、ある温泉宿

だという。


海沿いにあるその温泉は、岩をそのまま

浴槽として利用した露天風呂で、

それほど有名ではないものの、遠くから毎年

やってくる客も少なくないところだった。


彼が10才くらいの頃、家業の手伝いを

やり始めた。

最初の仕事は岩風呂へ朝の見回りに

行く事だったが、その岩風呂の端に、

魚が打ち上げられている事があった。


「でもねえ、妙なんですよ。

 魚はまだわかるにしても、サザエとか

 アワビとかある日もありましたから」


それは、1ヶ月に1、2度くらいの割合で

あったという。

それを持って帰ると、決まって朝食は

その魚介類になったが、次の日から

2、3日は父か祖父が朝の見回りを

変わった。


「その間、僕は別の仕事を

 言いつけられたんで、遊べる時間が

 出来るわけでもなくて、嬉しくも何とも

 なかったんですけど」


それから3年ほど経ち、彼が中学生に

なった頃―

朝の見回りの仕事は相変わらず

続けられたが、たまたま、まだ日が

昇る前に見回りに行った事があった。


「それでも、いつもの見回りより1時間

 程度、早いくらいでしたけどね。

 水平線はすでに明るくて、もう少し

 したら日の出かな、くらいの」


岩風呂に近付くと、パシャッという音が

聞こえた。

“え? 誰かが入っているのか?”

しかし、こんな時間に客に入らせる事は

無い。無断で入っているとなると、すぐに

家に知らせなければならない。

確認のため、彼は岩陰からのぞき込んだ。


そこには、妙齢の女性の後ろ姿があった。

髪はストレートで長く、陶器のような

白い肌が薄闇に映える。

まさか無断で入るような人間が女性とは

思わず、彼はいささか混乱した。


「まあ、初めて女性の裸を見てしまったと

 いうのもありますが」


やがて海に一直線に光が横切ると、

湯浴みしていた彼女はその両手を

ゆっくりと岸の岩に付いた。

“上がるのかな?”

なおもその裸体を目で追っていると、

そのまま半身を引き上げる。


その腰から下にはウロコがあった。

上半身が向こうの闇に溶け、そして

尾びれが上下逆さまとなり視界から

消えた。

岩風呂の向こうはそのまま海である。


呆然としてしばらく立ち尽くしていたが、

気を取り直してその場所に向かうと、

そこには立派なイシダイが1匹、そして

サザエが3個置いてあった。


彼は戻ると、父親に今見た事を話した。

すぐに祖父も呼ばれ、彼の目を見つめながら

こう話したという。


「美しいと思っても人間ではないんじゃ。

 あまりうかつに近付くなよ」


それからは決して夜明け前に岩風呂を

見回る事はしなかった。

その温泉宿は今でも健在だが、未だに

時々魚や貝が“打ち上げられる”事が

あるそうだ。




「巻きつく」


50代半ばの男性から聞いた話。

彼はトラックの運転などの仕事を転々と

してきた、いわゆる肉体労働者である。


彼には息子が一人いたが、子供が生まれて

からすぐに奥さんに先立たれてしまい、

男手一つで息子を育ててきた。

今では息子も大学生にまでなり、ようやく

一息つけるようになったという。


「しかしなぁ、子供ってホント、生まれた

 頃から記憶を持っているんじゃないかな」


彼の話によると、最近息子からこんな事を

言われたらしい。


「なぁ親父、家には昔、蛇がいたよな?

 って」


借家ではあったが、仮にも都会の一戸建てで

ある。

しかし、彼には心当たりがあった。


赤ん坊の頃の息子は不思議と手がかからな

かった。

泣き叫んだり、ぐずったりするという事が

なかったという。


ある時、オシメを換えようとベビーベッドに

近付くと、ロープのような物が赤ん坊に巻き

ついている。

驚いて近付くと、はっきりとそれを確認した

彼は大声を上げた。


「白い蛇がよう、こう、全身に巻きついて

 いたんだ」


慌てて取り払おうと手を伸ばすと、白蛇は

スルスルと外へ出て行ってしまった。

後には、スヤスヤと眠っている赤ん坊が

ベッドに残された。


それから、息子の寝床に蛇の物と思われる

ウロコが落ちている事が何度もあった。

それは息子が3才くらいになるまで続いて

いたが―


「ある日、息子が“白い蛇を見たよ”って

 言ってきたんだ」


それまでは、余計な心配をかけまいと、

息子にも蛇の事は言ってなかった。

とうとう気付かれたか、とも思ったが……


「その時あたりからかな。

 パッタリと止んだんだ。ウロコも姿も

 見せなくなった」


師にその話をして、それは母親でしょうか?

と聞いてみたが、


「ま、向こうに行けばわかるこった」


そう言って取り合わなかった。




「ごめんね」


聞いた話。


父親が山小屋の管理をしていたという

男性から、こんな話を聞いた。


「もちろん、他に何か仕事はしていたで

 しょうが―

 僕が幼い頃に離婚してしまいましたので」


夏になると、彼は登山客相手の山小屋で、

その手伝いをしていた。

もちろん、学校に上がればそれは夏休みに

限られたが。

基本的には夏しか手伝いに行かなかったが、

一度だけ、冬に手伝いに行った事があると

いう。


「夏とは全くの別世界でしたね。

 これが本当に同じ山か、と思うくらいに」


雪が降れば、一面真っ白の銀世界となった。

あまり標高が高くない、中腹よりも下に

山小屋はあったが、それでも吹雪があったり

すると、遭難の危険性も高くなる。


夏とは違い、近くの川で釣りをしたり

虫を取ったりは出来ないが、

その初めての経験に彼は興奮していた。


「晴れていれば、足跡すらない世界に

 飛び出して行けるんですから。

 雪だるまを作ったり、つららを折って

 鍋に入れて溶かしたり。

 それなりと言うか、かなり楽しんでいたと

 思います」


それは、山小屋に来てから一週間ほど経った

夜の事。

彼は父親と一緒に布団を並べて寝ていたの

だが、コンコンと扉をノックする音が

聞こえた。


風か何かだと思っていた彼は、

薄く開けた目を再び閉じる。

しかし、今度は何かボソボソと

声が聞こえた。

女性の声で、どうやら彼の名前を

呼んでいるらしい。


「お母さん……?」


山小屋に来るのは父親と自分だけで、母親は

家で留守番をしているのが常だった。

山小屋に行くのは魅力的だったものの、

母親と離れる事に対する寂しさは当然

彼にもあって―

そこへ自分の名前を呼ぶ女性の声。

飛び起きると、すぐに木の扉を開けた。


「でも、開けるとそこには誰もいなくて」


勢いよく開いた扉の向こうには、チラチラと

雪が降り始めているだけだった。

どこかに隠れて、驚かせようとしているの

かも―

そんな考えを持つのは、やはり子供だから

だろうか。

それほど広くも無い山小屋の周りを、母親の

姿を求めて走り始めた。


すでに周囲は暗かったものの、山小屋から

漏れるランプの光が一面の雪に反射して、

暗闇というほどではない。

ちょうど扉のある場所から反対側に回った

時、それはいた。


少し離れた場所に、白い和服を着た女性が

立っている。

当時は和服とは認識していなかったが―

その足は地面には着いていない。

文字通り宙に浮いていたのだ。


母に甘えられるという希望は、一気に

恐怖へと変わった。

同時に、本能が身を隠せと全身に告げる。

彼はまず、10メートルほど離れた

ところにある、夏の間に冬用の薪を

溜めておく簡易小屋に走った。

鍵は掛かっておらず、飛び込むと同時に

体を縮める。


「うふふ……どこにいるのかしら?」


突然、頭の上から聞こえたその声に

耐えられず、全力疾走で簡易小屋を離れる。

次に目指したのは、昼の間に作った雪だるま

だった。

その影に身を潜めて、様子を伺う。


「それで隠れているつもり?」


今度は背後から声が聞こえた。

観念して、父のいる山小屋へ戻ろうと

駆け出す。

雪に足を取られて上手く走れないが、

笑うような声は容赦なく後ろから

迫ってくる。


山小屋まで後数メートル、というところで

前のめりに転んでしまった。

声はそのまま冷気と共に彼に覆いかぶさる

ように―

もうダメだ、そう思った瞬間。


ふと、風が一瞬だけ止んだ気がした。

そして、あの女性の声が―


「あはははは、ごめんねえ~……」


それはボリュームを最大から最小へ

絞るように、小さく消えていった。

顔を上げると、父親がこちらに

駆けてくるのが見えた。

そこで彼は意識を失ったという。


気が付くと、白い天井が見えた。

寝ている場所も、山小屋のせんべい布団では

なく、ふかふかのベッドで―

彼は病院へ搬送されていた。

首を横に曲げると、そこには両親がいて、

目を覚ました彼に気付くと、母親はそのまま

彼を抱きしめた。

同時に、父親に対して罵声を浴びせたという。


「その後すぐに両親が離婚してしまって。

 僕の親権は母が取りましたから……」


父親も争う姿勢は見せず、親権もあっさりと

手渡したという。

その後、父との交流は無い。連絡も全く

来ないそうである。

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