第3話「医師と執事長の『奇跡カンファレンス』」
窓から差し込む朝の光が、やけに眩しい。
外からは、遠くの兵士たちの掛け声と、木剣で打ち合うような乾いた音がリズムよく響いてくる。
平和な朝だ。
私が「一度死んで、中身が入れ替わった」という事実さえなければ、完璧に爽やかな朝の風景である。
「失礼いたします、サフィア様。お背中にクッションを入れますね」
侍女が、手際よくベッド周りを整えてくれる。
ふかふかのクッションに背を預けながら、サフィア――中身である緋色茜――は、これからの「イベント」に向けて密かに気合を入れていた。
(さて、いよいよ公式な健康診断ってところかしら。結果次第で、この先の自由度が決まるのよね)
前世でも、年に一度の健康診断の結果には一喜一憂したものだ。
「脂質判定C」に落ち込んで野菜中心の生活を誓ったり、「肝機能A」に安心してその日の夜にビールを飲んだり。
だが今回の診断項目は、そんな可愛いものではない。「魔力」だ。ファンタジー要素が追加された分、ハードルが上がっている気がしてならない。
「サフィア様、医師のハロルド先生がお見えになりました」
侍女がカーテンを少し引き、直射日光を遮ったのと同時に、部屋の扉が開いた。
執事のラグナに案内されて入ってきたのは、立派な白髭を蓄えた初老の男性だった。その後ろから、父も続いて入ってくる。いかにも、気になるからついてきたと言わんばかりだ。
入室した医師は、革製の大きな鞄を提げ、銀縁の眼鏡の奥から鋭くも理知的な瞳を覗かせている。
(うわあ、いかにも『頼れる古参の医師』って感じ。前の会社にも一人くらい、こういう産業医が欲しかったわ)
「失礼いたします、サフィア様。お加減はいかがかな」
「……はい。まだ少し身体が重いですが、昨晩よりはずいぶんと楽になりました」
サフィアは努めて殊勝に、深窓の令嬢(設定上は三男)らしく微笑んでみせた。
医師ハロルドは、サフィアの顔色を見て、ほっとしたように目尻を下げた。
「顔色は悪くない。……それにしても、本当に驚いた。一時はどうなることかと……いや、まずは診させていただこう」
ハロルドはベッドの脇に椅子を引き寄せ、鞄を開いた。
中から出てきたのは、聴診器のような器具や、いくつかの小瓶、そして奇妙な紋様が刻まれた水晶板だった。
(触診と視診、聴診的なことをして……ここまでは内科の基本セットね。問題は、そのあとに出てくる水晶板よ)
ハロルドの手際はおそろしく良かった。
冷たい器具が胸に当てられ、脈が測られ、瞳孔の反応が見られる。
その間、父が腕を組み、仁王立ちになってベッドの端で見守っているのが少しプレッシャーだ。
「ふむ……心音、呼吸音ともに安定している。熱も完全に引いたようだ」
ハロルドが頷き、いよいよ例の水晶板を手に取った。
「では、魔力の流れを見させていただきます。少し触れますよ」
医師の手がサフィアの額にかざされ、水晶板が胸の上に置かれる。
その瞬間――カッ、と部屋全体が白くなるほどの強烈な光が、水晶板から迸った。
「うおっ!?」
思わず素っ頓狂な声を上げたのは、サフィアではなく、測定していたハロルドの方だった。
水晶板は唸るような音を立てて震え、眩い紫の光を放ち続けている。
(ちょっと! そんなに光って大丈夫なの、その石!? 爆発しない!? これ、ガイガーカウンターが振り切れたみたいな反応じゃないの!?)
サフィアが内心で悲鳴を上げていると、ハロルドは慌てて手を離し、額の汗を拭いながら信じられないものを見る目でサフィアを見つめた。
「……こ、これは……」
「どうなのだ、ハロルド。サフィアの身体に、何が起きている」
父が身を乗り出す。
ハロルドは一度咳払いをし、震える手で眼鏡の位置を直してから、重々しく口を開いた。
ここからは、専門家による「カンファレンス(症例検討会)」の時間らしい。
「グラン様……まずは、サフィア様が患っておられた『魔力停滞症』について、改めてご説明しましょう」
(来たわね、病名解説。スライド資料がないのが残念だわ)
「人の身体には、血液と同じように魔力が巡っております。しかし、サフィア様の魔力脈は生まれつき細く、生成される魔力量に対して循環が追いついておりませんでした。結果、行き場を失った魔力が堆積し、内側から肉体を蝕んでいたのです」
(なるほど。要するに、魔力版の『重度循環不全』もしくは『多発性血栓』みたいなものね。詰まって、壊死しかけてたってことか)
前世でかじった病理学の知識が、まさか異世界の病気解釈に役立つとは思わなかった。
要は「パイプが細いのに水圧が高すぎて破裂寸前だった」ということだろう。
「本来であれば……これほどの発作が起きれば、助かる見込みは万に一つもございません。成長を待たずに命を落とすのが、この病の常でございます」
ハロルドの言葉に、部屋の空気が重くなる。
侍女が痛ましげに口元を押さえ、父グランが苦しげに顔を伏せた。
サフィアは少し居心地が悪くなる。
(ごめんなさいね。本来のサフィア君の魂は、残念ながら燃え尽きてしまったのよ。今ここにいるのは、そこに居抜きで入ったアラサーOLなわけで……)
「しかし!」
ハロルドが声を張り上げ、空気を一変させた。
「今のサフィア様の体内には、『澱み』は一切見当たりません! それどころか、かつてないほど清浄な魔力が、全身に均等に満ちているのです!」
医師は興奮気味に、手元の水晶板を指差した。
「ご覧ください。この輝きは、体内魔力の密度を示しており……それも異常な数値です。大人の魔術師でも、これほどの密度を持つ者はそうおりません。髪と瞳の色が変わったのも、魔力の性質そのものが根本から変質した証拠でありましょう」
「変質……? それは、危険なことなのか?」
「医学的には『前例がない』としか申し上げられません。ただ一つ言えることは、サフィア様は奇跡的に一命を取り留めただけでなく、莫大な力をその身に宿して帰還された、ということです」
(要約すると、『本来なら死んでいたけど謎の奇跡で生き延びて、ついでに体内魔力パンパンの火薬庫になりました』ってことね。……さらっと言うわね、この先生)
サフィアは内心で冷や汗をかいた。
「奇跡の生還」といえば聞こえはいいが、自分の身体が「高エネルギー反応体」になっていると言われたようなものだ。
取り扱い注意にもほどがある。
「……つまり、もう大丈夫だということか?」
すがるようなグランの問いに、ハロルドは表情を引き締め、首を横に振った。
「いいえ。むしろ、ここからが重要です」
医師の視線が、鋭くサフィアを射抜く。
「これほど強大な魔力を、制御する方法を知らないまま放置すれば、再び体内で暴走する危険がございます。今のサフィア様の身体は、言わば『縁までなみなみと水が入った器』。少し揺らせば、溢れ出してしまうでしょう」
「なんと……」
「しばらくは激しい運動は禁止です。感情の昂ぶりも、魔力を刺激する恐れがあります。いずれは専門の魔術師につき、魔力制御を学ばせる必要があるでしょう」
(安静第一。前世でも散々言われた「無理は禁物」ね。でも、この世界で「魔法使っちゃダメ」「走っちゃダメ」って、だいぶハンデじゃない? せっかくのチート枠なのに)
執事であるラグナは手帳を取り出し、今後のスケジュールや制限事項をメモし始めた。
サフィアは、自分の身体のことだ。
黙って聞いているだけでは、前世の社畜魂が許さない。
リスク管理のためには、正確な情報が必要だ。
「……あの、ハロルド先生」
サフィアはおずおずと手を挙げた。
少女のような愛らしい声に、全員の視線が集まる。
「はい、なんでしょう、サフィア様」
「その……魔力が堆積するのは、身体のどの部分から症状が出やすいのでしょうか? たとえば、指先が冷たくなるとか、胸が苦しくなるとか……予兆のようなものはありますか?」
質問の内容に、ハロルドが目を見開いた。
9歳の子どもがすることではない、具体的すぎる質問だったからだ。
「それに、食事や睡眠で、魔力の巡りを良くすることはできますか? お薬以外にも、私が気をつけることで、発作を防げるなら知っておきたいのです」
(あ、ちょっと専門用語寄りだったかしら。ついカンファレンスのノリで「予防策とリスクファクター」を聞いちゃった)
一瞬、部屋が静まり返る。
だが、ハロルドはすぐに感心したような表情になり、深く頷いた。
「……素晴らしい心がけです。難しいことをよくご存じで」
「い、いえ、自分の身体のことですので……」
サフィアは慌ててごまかすように微笑んだ。
内心では「危ない危ない、中身が大人だとバレるところだった」と冷や汗をかいているが、周囲には「病を乗り越えて大人びた賢い子」として映ったようだ。
父グランが、どこか誇らしげに目を細めているのが見える。
「指先の冷えや痺れは、確かに初期症状の一つです。また、水は魔力の巡りを助けますから、こまめに摂ることは良いことですよ」
「ありがとうございます……では、無理をせず、たくさんお水を飲むようにします」
サフィアが優等生的な回答をすると、診察はようやく終了の流れとなった。
ハロルドが薬の調合についてラグナに説明し、最後に改めてグランに向き直る。
「本当に、奇跡としか言いようがありません。……神が、この子に何か特別な使命を与えて残されたのかもしれませんな」
「ああ……そうだな。だが、生きていてくれただけで、十分だ」
グランの重みのある言葉に、サフィアの胸がちくりと痛む。
(使命、か。夢の中の声は「たくさんの人を笑顔にしておくれ」なんて言ってたけど……さしずめ私は「さわるな危険!炎上系アイドル候補生(物理)」ってとこかしら)
医師と父、執事が部屋を出て行き、静寂が戻ってきた。
残った侍女が、ほっとしたように息を吐き、水差しからコップに水を注いでくれる。
「難しいお話ばかりで、さぞお疲れになりましたでしょう……でも、もう『死ぬかもしれない』とは仰られませんでしたわ。ね? それだけでも、本当に嬉しいことです」
「ええ……そうね」
サフィアは差し出された水を受け取り、一口飲んだ。
ひんやりとした水が喉を通り、身体に染み渡っていく。
医師の言葉通りなら、これも魔力の巡りを助けてくれるはずだ。
(まとめると――私は本来なら死んでいたけど、謎のパワーで蘇生。ただし体内エネルギー過多で、下手に動くと暴発する危険あり。要するに『危険!取扱注意』のレッテルを貼られたわけね)
サフィアは枕に頭を沈め、天井を見上げた。
前世は過労で終わった。
今世は「安静」から始まる。
退屈そうだが、あの「水晶板」を爆発させんばかりに光らせたエネルギーが自分の中にあると思うと、不思議と恐怖よりもワクワクする気持ちの方が勝っていた。
(危険物指定の三男、か……ふふ、ちょっと楽しくなってきたじゃない)
さて、ベッドの上でできる暇つぶしは何だろう。
激しい運動はダメでも、本を読むことや、歌を口ずさむことくらいなら許されるはずだ。
サフィアは、自分の喉に眠る「特別な力」の正体をまだ知らないまま、これからの療養生活の計画を練り始めた。




