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キラリ転生☆アイドル無双 ~歌声チートでドキドキ学園ライフ~  作者: 一宮九葉


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幕間「癒やしの夜明け、回復の兆し」

 今朝、目が覚めた瞬間、彼女は自分の中に奇妙な違和感を覚えた。

 それは不快なものではなく、むしろその逆だ。毎朝、重い石を抱え上げるような気持ちで布団からい出していたのが、まるで嘘のように身体からだが軽い。

 窓の外は、昨夜から降り続いていた雨がようやく上がりかけているところだった。濡れた石畳が朝の光を浴びて鈍く輝いている。本来なら、こんな湿気の多い朝は古傷が痛んだり、気分がふさいだりするものだが、今日は違った。


 彼女は寝台から飛び起きると、手のひらをじっと見つめた。リネン室での作業で荒れ気味だった指先のささくれや、小さな切り傷が、きれいに塞がっている。

 何が起きたのかはわからない。ただ昨夜、夢現ゆめうつつの中で聴いた柔らかい歌声だけが、記憶の隅に温かく残っていたのだった。


 アスコット侯爵家本邸の厨房ちゅうぼうは、すでに朝食の準備で活気に満ちていた。

 巨大なかまどには火が入り、スープの入った大鍋がぐつぐつと快活な音を立てている。焼きたてのパンの香ばしい匂いと、野菜を刻む小気味よい音が響き渡る中、彼女はエプロンのひもをきゅっと結んで持ち場へ向かった。

 いつもなら、この時間は戦場だ。誰かの怒号が飛び交い、焦る足音が錯綜さくそうし、ピリピリとした空気が肌を刺す。けれど今日は、何かが決定的に違っていた。


「おはよう! いやあ、今日は野菜のつやがいいねえ!」

「おはようございます。本当に、なんだか包丁の入りも良くて」


 すれ違う見習い料理人も、皿洗いの少年も、みんな妙に顔色が良く、声に張りがある。目の下のくまが消え、肌艶はだつやが良くなっている者までいた。

 彼女はリネン室から運んできた清潔な布巾ふきんを棚に収めながら、隣で銀食器を磨いている先輩メイドに話しかけた。


「あの……先輩。なんだか今日、みんな元気すぎませんか?」


 先輩メイドは手を休めず、しかし楽しげにウィンクをしてきた。


「あんたもそう思う? 実はね、私もなのよ。昨日は洗濯物のかごを持ち上げる時に腰がピキッてなってたんだけど、今朝起きたらなんともないの。むしろ十代の頃に戻ったみたい」

「やっぱり……! 私も、指の傷が治ってるんです」


 二人は顔を見合わせ、声を潜めた。


「昨日の夜、聴こえたでしょ? あのお歌」

「はい。すごく優しくて、ふわふわした……」


 彼女は昨夜のことを思い出した。

 雨音に混じって、どこからともなく聴こえてきた、幼い子の歌声。歌詞の内容までははっきり覚えていないが、羊毛の柔らかさや、陽だまりの温かさ、焼きたてふっくらのパンといった、幸福なイメージが次々と浮かんでくるような歌だった。聴いているだけで、心のりがほぐれていくような不思議な感覚。


「あれ、サフィア様のお声よね?」

「ええ、間違いありません。あんなに可愛らしくて、透き通ったお声はサフィア様だけです」


 厨房の奥から、野菜係の女性たちが会話に加わってくる。


「うちの旦那もね、夜中に一度も起きなかったのよ。いつもはイビキがうるさくて私が眠れないくらいなのに、昨日は羊みたいに大人しく寝てたわ」

「私も、最近悩み事があってモヤモヤしてたんですけど、起きたら『まあ、なんとかなるか』って思えてきて。不思議ですよね」


 そこかしこから、「私も」「俺も」という声が上がる。

 どうやら、昨夜の歌はこの屋敷の全員に届いていたらしい。そして、その歌を聴いた者は皆、極上の眠りと共に、心身の不調をいやされている。

 魔法、という言葉を口にするのははばかられたが、誰もが心の中でそう確信していた。あのアスコット家の至宝であるサフィア様ならば、歌で人を癒やすことくらいできても不思議ではない、と。


「いやーっはっはっは! 最高だ! 今日の俺は無敵だぞ!」


 その時、ひときわ大きな笑い声が厨房にとどろいた。

 声の主は、大鍋担当の料理人だ。見事な太鼓腹と、それ以上に見事にツルリと輝く頭部を持つ彼は、おたまを指揮棒のように振り回しながらスープの味見をしていた。


「どうしたんですか。朝からテンション高いですね」

「おうよ! 見てみろこの肌のハリ! 昨日は肩が重くて腕が上がらなかったんだが、今はどうだ。牛一頭くらいなら軽々持ち上げられそうな気がするぞ!」


 料理人は豪快に笑い飛ばし、自分の頭をペシペシと叩いた。


「それにだな……どうも、ここがムズがゆいんだ」

「ここって、頭ですか?」

「そうだ。なんだかこう、春先の土のように、何かが芽吹こうとしている気配を感じるんだよ」


 その言葉に、厨房中の視線が一点に集中した。

 彼の頭部は、長年の調理しごとによる深刻なストレスを物語るように、不毛の大地と化していたはずだ。

 料理人は磨き上げられたスープのふたを鏡代わりにして、しきりに頭頂部を確認しようとしている。


「おい、誰か見てくれ! 俺の目に狂いがなければ、うっすらと産毛うぶげのようなものが……いや、これは希望が見せる幻覚か?」


 若いメイドは思わず吹き出しそうになるのをこらえ、他のメイドたちと共に彼の周りに集まった。


「どれどれ……あ、でも確かに、いつもより頭皮の色が健康的なピンク色をしてるかも」

「本当だ。血行が良くなってる証拠ですよ」

「ちょっと待って、ここ! この光の加減で見えるか見えないかの細い線! これ、毛じゃないですか!?」


 「ナニーッ!!!」と料理人が叫ぶと、厨房ははちの巣をつついたような騒ぎになった。


「おおおっ! サフィア様のお歌は毛まで生やすのか!」

「すげえ! 奇跡だ!」

「いや、汚れがついているだけかもしれませんよ、冷静になってください!」

「うるさい! 俺は信じるぞ! このムズ痒さは、生命の息吹だ!」


 料理人が感極まって涙ぐみ、周囲の使用人たちがそれを半ば面白がり、半ば本気で祝福する。活気に満ちた、しかしどこか平和ボケした喧噪けんそうが最高潮に達した、その時だった。


「――楽しそうだな、お前たち」


 氷のように冷たく、しかし重みのある声が響いた。

 瞬間、沸騰していた鍋に冷水をぶちまけたように、厨房の空気が凍りついた。

 全員がぎぎぎ、と音を立てるような動きで振り返る。

 いつの間に入ってきたのか、入り口の影に、アスコット家執事長ラグナ・バルゼルドが立っていた。

 元騎士団長の威圧感は伊達だてではない。腕を組み、鋭い眼光で厨房を見渡すその姿に、料理人はおたまを取り落としそうになり、若いメイドは直立不動の姿勢をとった。


「あ、あの、ラグナ様……これはその……」


 料理人が言い訳がましく頭をでる。

 ラグナはゆっくりとした足取りで厨房の中央まで歩み寄ると、ピカピカに磨かれた作業台や、手際よく下準備が進んでいる食材を一瞥いちべつした。


「作業の手は止まっていないようだが……朝から随分とにぎやかだ。何かいいことでもあったか?」


 試すような口調だった。だが、その瞳の奥には、彼らが何で盛り上がっていたのかを完全に理解しているふうである。

 沈黙に耐えかねたように、先輩メイドがおずおずと口を開いた。


「その……昨晩、サフィア様の素敵なお歌が聴こえましたので……みんな、とても体調が良いのです」

「……ほう」


 ラグナは短くうなずいた。否定はしなかった。

 彼は視線を料理人の頭部に一瞬だけ走らせ(そこには確かに、あわれみと呆れが入り混じった何かがあった)、それから全員を見回して言った。


「皆が息災であることは喜ばしい。体調が良ければ、それだけ良い仕事ができるというものだ」


 ほっと安堵あんどの空気が流れる。しかし、ラグナはすぐに声を一段低くした。


「だが――主家しゅけの力について、屋敷の外で軽々しく吹聴ふいちょうすることは許さん」


 ピシャリと言い渡された言葉に、全員が背筋を伸ばした。


「昨夜の件で『何か』あったとしても、それはアスコット家の内々のこと。市場での井戸端会議や、酒場の笑い話にするような話題ではない。わかっているな?」

「は、はいっ!」


 全員の声がそろう。

 ラグナは厳しい表情を崩さないまま、ふ、と口元だけでわずかに笑ったように見えた。


「よい返事だ。……その活力を、今日の朝食の準備にしっかりと注ぐように。サフィア様も、美味しい食事を楽しみにしておられる」


 それだけ言い残すと、ラグナはきびすを返し、風のように去っていった。

 残された厨房には、心地よい緊張感と、先ほどまでとは違う種類の安堵が広がった。


「……ふぅ。やっぱり執事長さまには敵わないわね」


 先輩メイドが胸を撫で下ろす。


「でも、怒られませんでしたね。それに、最後のお言葉……」

「ああ。『サフィア様が楽しみにしておられる』か」


 料理人は頭をかくのをやめ、キリッとした表情でおたまを握り直した。


「よーし! そういうことなら張り切るしかねえだろう! 毛根のケアは後回しだ、今はサフィア様のために最高のスープを作るぞ!」

「おー!」


 再び厨房に、活気ある音が戻ってきた。

 けれどそれは、単なる騒がしさではない。

 若いメイドは、バスケットいっぱいのパンを抱えて歩き出しながら、心の中でそっと感謝の言葉を呟いた。


(ありがとうございます、サフィア様)


 この身に満ちる活力も、晴れやかな気分も、すべてはあの小さくて愛らしいあるじがくれたものだ。

 癒やされた身体は軽く、足取りは弾むようだった。彼女はこの屋敷で働ける喜びをみ締めながら、おいしい朝食を待つ主の元へと思いをせた。

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