執務室にて
言霊は大切ですね
そろそろ涼しくなる……
そろそろ涼しくなる……
「意向のすり合わせをしたいと存じます」
メアンと共に王城に戻ったフレイアは自室に戻る前に第一王子に謁見を願い出た。
執務室に通され、多忙であろうルフェウスに単刀直入に述べたのが冒頭の言葉だ。
「勿論、『知りすぎることはためにならない』ので、差し障りのない範囲で殿下の目的や目論見をお伝えいただけると幸いです」
自分の事情についてどこまで伝えるべきかはルフェウスの出方次第だと思いながら。最低限伝えたいことをフレイアは反芻した。
自分が望むことはそう多くない。
すなわち伯爵家に二度と戻りたくないこと。
望まざる死を回避したい……それだけだ。
自分の食い扶持を稼ぐ術さえあればルーンベル伯爵家が零落しても問題ないと思っているし、結婚は諦めているので自分の風評がどうなろうと構わない。
勿論領民のことは気にかかるが父が領主として管理しているより領地が国に返還された方が民の暮らしが良いものになる可能性の方が高いと思っている。
「目的かー……僕の目的はこの国を護ること。目論見は……まだ決め手になるようなものがわかっていないというのが正直な現状かな」
ルフェウスの返答にフレイアは眉をひそめた。
それは何一つ手の内を明かしていないことと同義だ。
不服な表情を隠さなかったのでルフェウスが肩を竦める。
「僕の『ギフト』は時にかかわるものでね。ほんの少し先の未来がわかるんだ」
その言葉にフレイアははっとした。
思わず問い詰めそうになってから。この状況で黙り込んでいるのも不自然かもしれないと思って唇を開くとルフェウスと目が合った。
その探るような眼に。フレイアはルフェウスが『以前』を……いいや『未来』を知っているのだと確信した。
自分が未来を垣間見た原因がルフェウスであると決まったわけではないにせよ、無関係ではないだろう。
「君。どうやってか知らないけれど……『知って』いるんだろう」
問いかけの形を取った言葉を、確信に満ちた声で投げられ。フレイアは飲まれたような気分になりながら浅く頷いた。
「はい。私は『ギフト』を持っていないのですが、何故か未来を……というか自分の死に方を知ってしまいました。婚約され、一年後に北の修道院で病を得て死ぬという」
「うん。そうだね。僕の知った未来と同じようだ。君は確かに一年後に死ぬことになっていた。けれどその未来もいまはわからない。まだ一日しか経っていないから何も言えないけれど違う未来にたどり着くのかもしれない」
ルフェウスの言葉にフレイアは俯いた。
婚約破棄は起こったが自分はひどい目に遭うことなく王城で過ごすことになり。妹と元婚約者は西の塔に軟禁されている。
果たして未来の帳尻は合うのだろうか。
自分はいつか同じ目に遭って北の修道院で病に罹り、死ぬのだろうか。
それとも別の場所で違うことをしていても……やはり何かが起こって一年後に死ぬのだろうか。
何故か現状が変わっているのだから死を回避できたという気持ちにはなれないのはルフェウスがひどく静かな眼をしているからだ。
「殿下は未来を知っているからこそ、国を護るためにどうにかしたいのですね。私に声を掛けたのは……『違う』行動を取ったからでしょうか」
問いかけるとルフェウスは苦笑を浮かべた。
「君は本当に察しが良いね。そうだよ、白状すると手詰まりでね……打開策を探しているんだ。でも『ギフト』を持たない君が何故、運命に抗えたのかわからないからなぁ」
「確かに。何故急に自分の末路が見えるようになったのか……思い当たることがないか思い出してみます」
フレイアはそう言ったものの、思い出せる気がしなかった。
昨日の記憶だというのに既に舞踏会の記憶はひどく曖昧で。ただ、自らの行く末を憂いて大広間の片隅に佇んでいたことしか覚えていない。
「私はどんなふうに振舞えばよいでしょうか」
第一王子の忠実な臣下としてか。
第一王子の寵愛を受けた愛人としてか。
「君の行動がどれほど影響するかもわからない。だからとりあえず、君の思うままに行動してほしい」
じっとフレイアを見つめたルフェウスはただ微笑んだ。
結局曖昧ではないかという不服な気持ちと、その見守るような眼がなんだか落ち着かなくて。フレイアは眉を寄せた。
「国は……どんな危機に曝されるのですか」
きっと訊いても教えてはくれない。
けれど訊かずにはいられなくて問いかけるとルフェウスは少し遠い眼をしてちいさく笑った。
「それが……一年後に流行り病が蔓延してその後に飢饉が起こり。挙句の果てにある貴族が旗頭となって反乱が起こり。王族が殺されてその後隣国に乗っ取られる」
「それは……また……」
「ね? どこから手を付けたらいいのかわからないでしょう。だからどうにかしたいんだ」
「それで何度も『未来』は繰り返されているのですね」
ルフェウスの言葉に。フレイアは腑に落ちたことがあった。
十中八九。自分に何度も死んだ記憶があるのはルフェウスの『ギフト』によるものだと。
ルフェウスは自分の能力を『時に関わるもの』と表現した。
よりよい未来の訪れを……国の安寧を求めて。ルフェウスは何度、歴史を繰り返したのだろう。
「何度も君を殺してごめん」
ルフェウスが初めて笑みを消して俯く。
真摯な声で詫びてくるルフェウスだがその眼は揺れていなかった。
謝ってくれるけれどやめる気はないことが伝わってきて。フレイアはちいさく笑った。
「いえ、死ぬことが私の運命だったのでしょう。けれど今は思うままに行動してよいとおっしゃったので……私はどうにか死なない方法を探そうと思います」
自分の死が国のためになるのならきっと第一王子は自分を躊躇いのなく殺すだろう、と思いながらそう告げるとルフェウスは頷いた。
「君を死なせないという確約はできないけれど僕もできるだけ力を貸すよ」
「わかっています。でも……たとえあなたの思いつきや気まぐれだったとしても、あの家から出られただけで私は割と救われた気持ちになっているのですよ」
本心を伸べてにっこり微笑むとルフェウスは珍しく気まずそうな眼をして浅く頷いた。
良心の呵責があるのだろう。
「それにしても疫病や飢饉は備えることしかできませんが、反乱の旗頭となる貴族や攻め込んでくる隣国がわかっているのなら対策のしようがありそうなものですが」
なんだか気まずい沈黙が続くのでフレイアは話題を逸らすことにした。
その辺りに踏み込むのもどうかと思ったけれど、共通の話題になるようなものがそれしか思い浮かばないのだから致し方ない。
「それが繰り返す度に変わってしまってね。まるで誰かに見られているかのように対策しても反乱を起こす貴族が変わって、この国は滅んでしまうんだ。こんなこと言いたくないけれど……もしかするとこの国は滅ぶ運命に『なってしまった』のかもしれない」
「反乱を起こす貴族の理由も毎回変わるのですか」
「そうだね。毎回変わるよ。大抵広大な穀倉地帯を擁する大貴族か、強い軍備が備わった辺境伯で。理由としては流行り病の国からの支援が遅れたことによる不満や飢饉により民が餓えたことが根本にあるけれど……いろいろだね。単純に買収された、新興宗教に取り込まれて洗脳された、傾国の美女に誑かされた、あぁ……王位継承で揉めてっていうのもあったね。叔父上が担ぎ上げられる場合と弟が暗殺されて僕が担ぎ上げられる場合とか、あとは民衆が城を焼き討ちした場合もあったかな」
思い出すことも苦痛なのだろう。
ルフェウスがこめかみに手を当てて呻くような口調ながらも答えてくれる。
柔和な口調と優しい微笑みは彼の戦化粧のようなもので。実際の彼の素はこちらなのだろう。
「眠れていますか、殿下」
思わずフレイアは心配してしまった。
いまの第一王子は結末のわかっている覚めない悪夢の中に居るようなものだろう。
今回はなにがいけないのか考え続けて碌に眠ることもできないのかもしれない。
隈こそないが、しろく繊細な面差しもまた事情を知ると少し違ったものに見えてくる。
「正直あんまり。悪夢ばっかり見るし……だんだん夢と『未来」の区別がつかなくなりそうでさ」
微笑んだルフェウスの顔は見るからに参っていて。
人の心配をしている余裕などないのだが、フレイアは心配になってしまった。
「今夜は夢も見ないほどに深く眠れますよ。明日には気分も良くなっています」
「ふふ、変なの。なんでそんなふうに言い切れるの」
「『言霊』というものがあると思うので言ったら多かれ少なかれ『そうなる』かもしれないなと」
言いながらフレイアは懐かしく思った。
『言霊』という言葉はいまは亡き母から教わった概念だ。
母は、フレイアがちいさな頃に悲観的なことを言う度に咎め、楽観的な未来を語ってくれたものだ。
それは気を紛らわせる程度のもので実際は何の役にも立たないかもしれないけれど。長らく忘れていた感覚を思い出したフレイアは笑みを深めた。
「今回は上手くいきますよ。流行り病は特効薬がすぐにできて飢饉も……天候はどうすることもできませんが備蓄が十分なのでどうにか乗り越えられます。貴族の反乱も未然に防がれ。国土の疲弊がないのでエスタ公国もセダン帝国もアウレア王国も攻めてきません……あぁ。和平が結ばれるというのも良い未来かもしれないですね」
笑いながら無責任に、すべてがうまくいく未来を語るとつられたようにルフェウスも笑う。
「ご都合主義過ぎないかな、流石に」
「良いではないですか、口にしたり思い浮かべるのは自由です」
「ふふ、うん……ありがとう。その未来はわからないけれどなんだか今日はよく眠れる気がするよ」
笑うルフェウスの顔色は部屋に入ってきた時よりもかなり良いものになっていて。
フレイアはその様を見て安堵した。