大きな変化
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「スカーレット様、やっぱり私、違和感があります」
「そうだね、この身体で二十年生きている私もそう思っているよ」
ベッドに横たわったフレイアは椅子に腰かけてこちらを見下ろす『父』を見て眉を顰め、スカーレットもまた、肩を竦めた。
「それは……そうですよね」
母をあんなにも慕っていたスカーレットだ。
母を虐げたルーンベル伯爵となって複雑な気持ちにならないわけがない。
スカーレットは手ずから林檎を剥いて小さく切って食べさせてくれる。
話によると自分は記憶が戻る前から三日ほど熱で寝込んでいたらしい。
『刺激が強いから』という理由で『フレイアちゃんをもっとだっこさせて!』と騒ぐ母は、子供部屋を出禁になった。
「母は『ギフト』が暴走したと言っていましたけれど、どれだけの人が入れ替わってしまったんでしょう?」
「あの場に居た者……城に居た者は全員影響を受けた可能性が高いと思うけれどギフトを持つ者は免れた可能性が高い。あとはルミルと深く関わった人間だな。『前回』の記憶は皆、持ち合わせているようだが人によるようだ」
スカーレットの言葉にフレイアは考え込んだ。
母の『ギフト』の暴走がどれほどのものかわからないけれど。母に関わった者と言えばルーンベル家の人間は当てはまる。
恐らく実家のヴァーシュ侯爵家にも影響が出ただろう。
それでは辺境伯家は……どうなったのだろうか。
「フレイア!」
不意に部屋に響いて、フレイアは肩を震わせた。
「目が覚めたんだね、よかったぁ」
誰、と咄嗟に思ってしまったのも無理はない。
十年前といえばまだ兄も家に居たのだ。
兄はルフェウスと同い年で四歳年上なので……いま、十二歳。
『前回』容姿こそ父に似ていた兄は、父を嫌悪していたし継母と異母妹とも距離を置いていたけれど、何を考えていたのかわからない人だった。
幼少期に言葉を交わした記憶はあるが、勉学ばかりに明け暮れ、共に遊んだ記憶もなければ仲良くした記憶もない。
味方と感じる程度の認識はあったが結局外国に行ったっきり、戻ってくることはなかったけれど……いまは明らかに、おかしい。
「もう痛いところはない?」
子供らしい真っ直ぐな、若葉色の目が潤んでいる。
優しい手が額に触れ、それだけで安堵したように兄が顔を綻ばせて微笑む。
「欲しいものはない? お父さま、枕元でナイフなど使ったら、危ないです! エマに頼みましょう、林檎を切るなら!」
「あぁ、すまない。そうしよう……それよりもエルムス、フレイアの傍で騒ぐのはやめなさい」
「そ、そうでした、ごめんなさい、お父さま……フレイア、ごめんね。よくなったら遊ぼうね」
微苦笑を浮かべたスカーレットが兄を咎め。兄は思い出したように姿勢を正すとフレイアがちゃんと布団をかぶっていることを確かめ、慌ただしく部屋を出ていった。
「……明らかに以前の兄ではないです」
ぱたぱたと足音が遠ざかる音を聞きながらフレイアは呟き。スカーレットも頷いた。
「私もすべては把握しきれていないけれど、使用人が何人かと女官長、家令もだな……あとは『私』が入れ替わったことであの庶子はいなくなった。少なくとも私は把握していない」
「リーナも……」
フレイアは呟いた。
ずっと自分を虐げてきた異母妹だが、いざいなくなったと言われるとなんだか複雑だ。
「それにしてもスカーレット様……『お父さま』になったのは予想外だったのですか?」
母は元々スカーレットだけを入れ替える予定だと言っていた。
ふたりの約束なのだから自分が踏み込んではいけないと思いながらも気になった。
「同然予想外だよ。私は生涯ルミルの傍にいる事を望んだだけで……夫になりたいわけではなかったのに……気づけば私はルーンベル家に居た」
「……あぁ」
嫌なことを思い出した、とでもいうような顔をしたスカーレットにフレイアは声を漏らした。
二十年前のルーンベル家と言えば……財政は傾いていないだろうが、評判の良くない頃だ。
王都からほどほどに離れていて、辺境伯家の存在があるため、国防にそこまで関わることはなく、豊富な農地を持っている……そんな地域にはびこるのは搾取と賄賂と圧政だ。
父が流刑の後、処刑された際、多くの親族が汚職により裁かれたことは記憶に新しい。
代理人探しが難航したのもそのせいだった。
「まぁ、私には『ギフト』も『遺物』もないけれど、ギルド長としての知識や手腕があったからね。いまやもう、ルーンベル家は別物だよ」
スカーレットが晴れやかに笑うので。フレイアは微笑んだ。
スカーレットはスカーレットなりに、良い人生を歩んでいるのだろう。
「スカーレット様と父が入れ替わったということは……父がギルドの長官なのですか?」
「それはないよ。もしも時が戻ったのが三年前程度ならそれもあり得たが……恐らくは名もなき孤児として生きているか、死んでいるかだろう」
スカーレットが『父』の顔で微笑む。
言いようのない恐怖を感じて、フレイアはそっと柔らかな布団を握り込んだ。
「ごめんね。つい十八歳の君と同じように接してしまう……気になることが多いだろうが、これ以上はやめておこう」
フレイアの強張った表情に気づいたのだろう。
スカーレットが微笑んで髪を撫でてくれる。
「スカーレット様……勝手に私が……死んだこと、怒ったりしないんですか」
その掌が優しくて。
フレイアは一番気になっていたことをひっそりと訊いた。
「私は君の決意を尊重して、敬意を払うよ……だがあのルフェウス様を見てしまった後では……もう二度と軽はずみなことをするなと言いたくもなるな。咎めるだけなら簡単だ。だがそれでは君は、やめないだろう」
兄に、異母妹に、瓜二つな若葉色の目は。以前のスカーレットの深紅の目と正反対と言っても過言ではないのに。記憶の底にあるスカーレットの目と重なった。
「今度は……ルフェウス様の為と言いながら自分を犠牲にしようとしないで、ちゃんと向き合うんだ、フレイア」
「はい……!」
喉奥で涙の味がする。
おさまっていた涙がまた、堰を切ったように溢れてくる。
ルフェウスの気持ちを知りながら置いていってしまった想いと。
最期に気づいてしまったルフェウスへの特別な想い。
そんな諸々が胸の奥で膨らんで溢れて、零れても零れても溢れてくる。
「私……ルフェウスさまに……あいたいです」
『前回』を思い出せないほどの痛みをもたらした張本人が自分であることをよくわかっているけれど。
記憶を失っているとしても。自覚した想いが実らなかったとしても……一度だけでも会いたいと思った。
会いたい、とは思っても現実は厳しい。
自分はいま八歳。ルフェウスは十二歳。
リース王国のデビュタントの年齢は一般的に十五歳から十八歳。
学園に入学してからというのが大半だ。
『以前』と同じならルフェウスにはもう婚約者が居るし、そもそも自分とルフェウスは四歳差。
側室の嫡男とはいえ有能なルフェウスは婚姻相手に困るような王子ではないので政略結婚にしても微妙な差だ。
そして何より以前よりは財政的に安定しているとはいえ自分は伯爵令嬢。
ルフェウスが王位を継がないとしても釣り合わない。
わかっているけれど。幾度も捧げてくれた言葉を、惜しみなくくれたぬくもりを思い出すと胸の奥が蝕まれるような気持ちになる。
騙して、傷つけて、絶望させたのは自分なのに……もう一度会いたい、会って言葉を交わして……できる事なら自分がルフェウスの特別になりたい、と思ってしまう。
「ううぅー」
いま自分は八歳。
気持ちがすぐに体に出る。
堪える間もなく溢れた涙も慟哭も止められない。
枕を抱きしめて声を殺す。
静かに泣くのは、三日三晩付き添ってくれた乳母のエマにこれ以上迷惑を掛けたくないからだ。
けれど涙も嗚咽もなかなかおさまらない。
八歳の身体で現実を考えるのはとても、とても辛かった。
──うるさい。さっきから寝ていたのに。
「ご、ごめんなさい」
不意に頭の中に声が響いて。フレイアは慌てて謝った。
涙で歪む視界を瞬きで晴らし、周囲を見渡すけれど何も見えない。
──見えるわけがないだろう、間抜け。ほかならぬお前が私を『殺した』のだから。
「え……」
口の中が干上がる。
幻聴? それとも罪の意識だろうか。
いいやきっと……
「あなた……メナーディア」
──そうだ。唯一、お前が殺した相手。
私が唯一殺された相手、それがお前だフレイア・ルーンベル。
頭の中に声が響く感覚は言いようのない不快感をもたらした。
だってこんなの、逃げようがない。
「生きていたのね」
──死んださ。けれど私はお前が生きている限り、死なない。
いつか乗っ取ってお前の『ギフト』で私は今度こそ……
「嘘ね」
──嫌なガキだ。
そうさ、私は何もできない。
お前が死ぬまで死なないが、私の魂がお前のものと混ざった結果、魔力を使えない。
せいぜいお前の中で嫌がらせする程度の、無力な存在だ。
「出て行って、出て行ってよ!」
ほんの少しおさまったはずの涙がまた、出てくる。
ひとりで考えたかったのに邪魔された。
それもすべての元凶に。
ルフェウスには簡単には会えない。
変わった世界線で、ルフェウスの婚約者は病にならず、ルフェウスはこのまま結婚して幸せに生きていくのかもしれない。
そう、死ぬ前の自分は望んだはずなのに。
どうしてか、綺麗に諦められたはずのルフェウスとの未来が、今になって顔を出す。
悲しい気持ちが膨れ上がる。
ひとりになりたい、ひとりになりたい、こんな馬鹿みたいな、子供じみた、恥ずかしいところ、誰にも見られたくないのに!
よりによって、メナーディアに!
──え、あ、待て……おいっ
「待たない! 出て行って……うわぁぁ!」
癇癪を起こしたようにフレイアは抱き着いて縋っていた枕をぶん投げた。
それは天蓋に直撃し、天蓋が落ちてくることはなかったけれど、天蓋が大きく揺れる。
──あ、ちょっと……落ち着けって……ほんとに……『ギフト』が発……
頭の中に響いていた声がぶつりと途絶え。魔力が減った感覚があった。
魔力を持たず、魔力を得るすべがないメナーディアを追い出すことにこんなにも魔力を損耗するのはきっとメナーディナのいうように魂が混ざり合っていたせいなのだろう。
けれど頭の中に訪れた静寂に、フレイアは一旦ほっとしたと同時に体力が尽きて。
そのままぐったりと眠りに落ちた。




