緊張の登校
リース王国王立学園、通称『学園』は貴族の子女が通う学び舎だ。
二百年前までは全寮制の男子校で。それは質実剛健な印象を受ける寮や旧校舎を改造したと言われている図書館から感じられる。
とはいえこの学園は貴族の子女が通う場所。
基本的に貴族には各家の家庭教師がつくため、この学び舎に集う者は大半が凡そすべてのことを学んでいる。
故に入学する際、基礎的な試験しかないし授業もよほどの劣等生でもない限り、基本的には選択制だ。
生徒達の主な目的は二年間の学生生活で『将来』のための繋がりを作るためのもの。
すなわち派閥における横のつながりや就職先、または許嫁が居ない場合は婚約者である。
ただ、この学園にはひとつ、特殊な科がある。
探究科である。
入学には厳しい試験が必要でありこの学園の教育課程が満十五歳からの二年制に対し、探究科は満十一歳からの六年制。
その目的は『遺物』の究明だ。
この世界にはかつて魔法があったと考えられている。
何が起こったのか定かではないが千年以上前に魔法は失われ。
現在は『遺物』と呼ばれるものだけが残されている。
『遺物』はかつて『魔道具』と呼ばれていたもので。言葉の通り魔法の道具だ。
それは触れたものを温める石程度のものから瀕死の人間を回復させるほどの奇跡を生み出すものまで幅広い。
『遺物』は触れた者が持つ魔力を吸い、効果を発揮することがわかっている。
当然、魔力を持たない者が『遺物』に触れても何も起こらないし。奇跡を起こすような『遺物』を動かすには膨大な魔力が必要である。
もしも多くの者が魔力を持っていたなら国を発展させるために盛んに取り入れられただろう。
しかし魔力を持つ者は十人に一人に満たず。血統として受け継がれるものでもないようで。更に奇跡を起こすような『遺物』を行使できる者は一世代にひとり現れるかといった具合だったこともあり。国として『遺物』の研究は続けられてきたがそれは極めて小規模なものだ。
また、学園で『遺物』について学んだとしても王立遺物研究所以外の就職先はほぼ皆無だ。
卒業生の中には卒業後に領地を治める傍ら、発掘された『遺物』について調べる者も居るようだが極めて稀で。
そもそも最初に魔力測定が行われ、基準値に満たない者は最難関と言われる試験を受けることすらできないため、必然的に探究科の生徒は一学年に何人もいる年のほうが珍しいと言われるほどだ。
できる事なら探究科に入りたかった。
そう思いながらフレイアは馬車の中。
特徴的な濃藍のローブを靡かせた探究科の生徒の背中を目で追った。
ルーンベル伯爵家の財政について深く知っているわけではないが潤沢とは言えないことくらいわかる。
そもそも、二年制の学園に通う事すらよい顔をされなかったのだから六年制の探究科に入りたいと言っても聞き入れられなかっただろう。
「フレイア様。到着いたしました」
向かいに座るメアンが促す。
暗澹とした気分を引きずりながらも深く息を吐いたフレイアは顎を引いて姿勢を正した。
学園は、友人がたくさん居たわけではないが心安らかに過ごせる場所だった。
ただ妹が入学して以来、息をひそめるようにして過ごさなければいけない家よりは多少マシ程度の場所になってしまった。
それもいま。件の噂のせいでどうなっているのかわからない。
いま学園へ行くのは死地に赴くのと同義かもしれない。
「今はご一緒できませんが必ずすぐに向かいます」
表情を取り繕いながらも不安で居る事を見抜いているのだろう。
メアンが強い眼差しに固い決意を覗かせる。
「ありがとう……でも大丈夫ですよ」
顰蹙を買っているとはいってもこの場所は貴族社会の縮図ともいえる学園だ。
多少の嫌がらせや謗りは受けるだろうが命に関わるようなことはないだろう。
『死』を知ったせいだろうか。
暗澹とした気分ではあったが恐怖はあまり感じなかった。
第一王子の紋章を掲げた馬車が止まり。御者が恭しく扉を開ける。
フレイアは白く照り付ける、夏の初めの日差しに目を細めながら馬車を降りた。
第一王子の紋章を掲げた馬車が現れた時点で注目されていたのだろう。
馬車から降りた途端、数多の視線を感じた。
まるで見えない糸が絡まってくるような気分を味わいながら。フレイアはそれでも何も気づかない顔をして真っ直ぐに学び舎を見上げた。
叩き込まれた作法で身を守るように視線は固定し姿勢を保つ。
そうすれば射抜くような鋭い視線と目が合うことは不思議とないし、囁き声なのに一字一句聞き取れる声を聞いても俯かずに済む。
昨日の舞踏会に参加していたなら妹側にも非はあったことがわかるだろうし。その後の第一王子とのことも察しの良い者なら何か裏があるのではないかと考えるに違いない。
なにせ自分は妹が言うように『地味で根暗で性格の悪い何の才もない姉』だ。
聡明と名高い第一王子を誑しこめる要素がどこにもないことくらい、多少頭の回る者なら気づくだろう。
そんな卑屈なことを考えながら歩いていると早速学び舎の入り口に立って此方を睨んでいる女子生徒がひとり。
その顔より先に目を惹く、金色の豊かな髪を見てフレイアは密かに溜息を吐きたくなった。
セラス・フォートレイ公爵令嬢だ。
ちなみに第一王子の従妹にあたる。
成績優秀だけれど直情的な令嬢で、フレイアの妹のリーナのいう事を真に受け、実の妹のように可愛がる一方で、フレイアを表立って咎めることが多かった。
そう考えるとあの第一王子と血縁関係であることが少し信じられなくなる。
彼女も昨日の舞踏会には参加していたので一部始終を見ていたはずだがいったい何を言われるか。
妹のことか、それとも第一王子に関することか……
戦々恐々としているうちに彼女の間合いに入っていた。
「ごきげんよう。フレイア・ルーンベル伯爵令嬢」
「ごきげんよう、セラス・フォートレイ公爵令嬢」
晴れ渡る空を思わせる淡く蒼い眼が此方を睨み据えている。
以前なら目を伏せていたが真っ直ぐに見つめ返すとその雪のように白い肌にさっと赤みが差した。
見たことのない変化を不思議に思う間もなくセラスが一歩、踏み出してくる。
「あの! わたくし、間違っておりましたわ。ずっとリーナ、いいえフレイア様の妹のいう事を真に受けて……公爵令嬢である自分の影響力を考えられないまま、あなたに不適な態度や言動をとっておりました」
「……え」
ふたりきりの教室などならともかく、いまは朝で。ここは学び舎の前で。
不特定多数の目が集まる場所だというのにセラスはその良く通る声で何の躊躇いもなく詫びた。
「ずっとあなたに……一度もお勉強で勝てなかったこともあってリーナのいう事を信じてしまいたかったの……だから……でも……謝罪では済まないとわかっているのだけれど……本当にごめんなさい」
セラスの顔が歪む。
フレイアは呆然としたまま、その大きな眼の端に涙が溜まっているのを信じられないきもちでただ見つめた。
『公爵令嬢』としてはあるまじき行動に周囲もざわついている。
予想と全く違うセラスの行動にフレイアは逆に変な汗が止まらなかった。
思えばセラスはフレイアを良く思っていなかったが。その性格故、通りすがりにはっきりと『もっと妹に優しくしなさい』等と言われる程度のもので。陰口を叩かれたり何か、直接的にいじめられたことはなかったことを思い出す。
当然、公爵令嬢である彼女が自分に対してそんな態度だったからこそ、他の生徒も追従したと言っても過言ではないけれど。彼女がここまでする理由はない。
それにしても、いったいどういう風の吹き回しなのだろう。
もしかしなくても第一王子の差し金だろうか。
そう思いながらフレイアはそっとセラスの肩に触れた。
このまま自分が何も言わなければセラスは頭まで下げてしまいそうだったからだ。
そんなことになったらどんな噂になるかわからない。
第一王子の威を借りた伯爵令嬢が公爵令嬢をいじめたなどというものになりかねない。
「セラス様……すべてを諦めていた私の態度も良くなかったと思います。私は何も気にしておりませんので、私のことは今後お気になさらず」
こんな時。どんな言葉を投げれば最も良いのか。
友人が少なく社交にも慣れていない自分にはわからないけれど。
「お勉強は今後、お互い切磋琢磨していきましょう」
この直情的で素直すぎる令嬢が苦しまないことをそっと祈って微笑むと。何故かセラスの目に溜まっていた涙がとうとう眦を通り越した。
音程の狂ったありがとうという言葉を貰ったフレイアは。
それ以降、得難い友人をひとり得るのだが。
その日学園に蔓延した噂はやはり『第一王子の威を借りた伯爵令嬢が公爵令嬢をいじめた』というものだった。




