夢と目覚め
暖かいのか寒いのかわかりづらい気温ですね
昼下がりの庭園は明るく、花の匂いが微かに甘く、香っていた。
東屋に設えられた椅子に座る母の膝で目を覚ますと、微笑みを浮かべた母が顔を覗き込んでくる。
そっと伸ばされた指先が頬を撫で、顎の輪郭を辿って髪を優しく梳きやった。
その手を放してほしくなくて縋るようにぎゅっと握る。
白魚のような繊手は思いのほか硬く。掌には胼胝がある部分もあって。
あぁ、そうだった、と思い出す。
そうだ。母は貴族然としていたけれど父がしない分、領地の見回りをしたり、馬を駆ることもあったのだ。
見上げた母の顔は驚くほど自分に似ていたけれど。
浮かべる表情のせいだろうか。
自分より明るく、朗らかに感じられた。
母が亡くなったのは三十を少し過ぎた頃。
すらりと伸びた自分の手足から母の年齢が察せられるのに、それが信じられないほどに母は無邪気に見えた。
『フレイアちゃん、私幸せだよ』
唐突に母がそんなことを言うので目の奥が熱くなる。
『子供は三歳までで親孝行を済ませるっていうけど本当だと思った。それくらいフレイアちゃんは可愛くて、一緒に居られただけで私、ものすごく幸せだった』
子守歌を歌うような口調で母はそんなことを言う。
何故だか悲しい気持ちになって。見上げると慈愛に満ちた眼差しが返ってくる。
『私、できるだけのことはしたからね。悔いはないんだけど……やっぱりフレイアちゃんともっと一緒に居たいなって思うよ。せめて大人になるところを見たかったな』
微笑む母はどこまでも優しくて、うつくしくて……強い眼をしていて。
それだけであぁ、と思う。
そうだった。
母は『正史』を守る存在である『主』に牙を剥き。
自分の『ギフト』で『神』だったその存在を『亡霊』に引きずり落とし……
その魔力の代償を肩代わりし、死んだのだ。
「フレイアちゃん……あなたの魔力は多くないから、強大な『ギフト』を使いこなすことはできない。それでも念のため、ひどいことにならないように記憶を封じさせてもらうけど……どうか『言葉』に気を付けて、幸せになってね」
そう言って母は抱きしめてくれる。
柔らかいぬくもりが心を満たしてくれるのに、胸が苦しい。
離別を予感して涙が溢れるのを、母が拭ってくれる。
「じゃあ、行きましょうか、グリム」
そして母は東屋の片隅に佇んでいた誰かに声を掛ける。
腰に佩いた繊細な細工の剣が、見えて……急激に意識が引っ張られる感覚があった。
花の匂いのする庭園はめまいがするほどに明るくて。
その昼下がりの日光に一瞬照らされたのは、燃えるような……
「目が覚めたか、魘されていたよ」
はっとして目を開けるとスカーレットが此方を覗き込んでいた。
いろいろと言いたいことがあるだろうに微苦笑を滲ませるスカーレットが滲んだ涙を拭ってくれる。
それが無性に恥ずかしくて目を伏せるとばたばたと、珍しく騒々しい音を立ててメアンが駆け寄ってきた。
咄嗟に声を上げようとしたけれど何日か昏睡していたのか、咳が出てしまう。
「心配をおかけして、申し訳ありません……」
有無を言わさずベッドに閉じ込めるような勢いのメアンが吸い飲みから水を飲ませてくれると声が出るようになる。
ほんの少し意識がはっきりすると気になるのは流行り病のことだ。
「あの、病はどうなりましたか……?」
そう問いかけるとメアンは涙目になり、スカーレットは眉を吊り上げるが、深々と息を吐いた。
なにか、大きな感情を抑えたようだ。
「『奇跡的に』バスラットの一角から蔓延する気配がなく『奇跡的に』誰も死んでいないよ」
スカーレットの口調にフレイアは安堵する前に姿勢を正した。
『特別製の眼』がなくとも、何もかもお見通しなのだろう。
「あなたは慈悲深く、賢い。ルーンベル伯爵という責任を伴う立場の人間だ。だからあなたの行動や決断についてとやかく言うのはよそう……そう思っていた」
スカーレットの声が低められる。
静かな声なのに骨に染みるような心地がするのは感情が乗っているからだ。
フレイアはベッドの上で姿勢を正した。
こんなふうに誰かから叱られるのは初めてで、どんな顔をしたらいいのかわからなかった。
「だが私はルミルの意志を継ぐ者として言わせてもらう。あなたの軽率な自己犠牲は、あなたが思っているよりも多くの人を傷つける、と。あなたの行動は称賛されるべきものだが、あなたを想う人々にとっては裏切りに等しいといっても過言ではない」
泣いてはいけないと思うのに。
注がれる言葉に数多の顔が浮かんでは消えて。勝手に視界が滲んでしまう。
「ルミルはずっと、君が幸せになることを望んでいた。軽率に命を懸けるような真似をするんじゃない」
スカーレットは声を荒げていないのに。
まるで泣いているように感じられてますます涙が止まらなくなる。
上擦って、音程を踏み外した声で詫びたけれど。
『命を懸けない』ことを約束することはできないと思った。
その事すら見抜いているのかスカーレットは。それ以上何も言わずに手を差し伸べるとフレイアの頭を子供にするようにかいぐった。
思わぬ感触に戸惑いながら。
フレイアはスカーレットも母の旧い友人だったのだろうと考えたけれど。
こんなにも見事な紅い髪を見たら憶えているだろうと思った。




