九死に一生を得る
病気は怖いですね
数年前に寝込みましたが辛いものでした
一生を農夫で終えるなんて御免だ、と。
親の反対を押し切って家出同然に家を飛び出したのは十四の時だ。
あれから十年。
自分は紆余曲折を経てギルドに所属し、充実した日々を送っていた。
少年の頃、夢見た『ひとかどの人物』になることはできなかったけれど。
ほどほどに稼いで一目置かれ、婚約者までできた。
誇れる自分になったので一度故郷に帰ろう、と……思った矢先。ギルド長官から直々に今回の疫病の調査依頼が入ったのだ。
以前からギルド内では疫病の発生に過敏になっていた。
過去に猛威を振るった流行り病はいくつもあったが、流行り病は天災のようなものだ。
弱った者が攪乱される、自然の摂理なのだから人の力でどうにかするなど間違っているとまで思っていた。
だが……
ぼやける視界で見慣れない天井を見上げる。
眼球を微かに動かすだけで脳天からこめかみが割れたのではないかと思う痛みに苛まれ、微かに息を吐く。
胃液で焼けた喉が弱々しく震えて乾ききった唇から、かひゅ、と嫌な音が鳴る。
死にたくなるような頭の痛みに苛まれて、どれほど経ったのかわからない。
部屋の中は少しでも光の刺激による頭痛を抑える為に窓に暗幕を張って暗くしてあるからだ。
少しでも眠って体力を回復させたら治るのではないかという期待よりも。
このまま目を閉じたら二度と目覚めないのではないかという恐怖が上回るが。
いっそのことそうなってほしいと願ってしまうほどにこの流行り病の症状は過酷だった。
最初に発症した夫婦は十数日の高熱の後、水すら飲めないほどの激しい咳をしていた。
峠を越したと医師は判断したが、実際罹患するとわかる。
高熱がおさまっても身体が治癒に向かっているわけではないことが。
きっと咳は……『とどめ』なのだ。
自分が罹患してから何日経ったかわからないが、あの夫婦は生きているだろうか。
ほんの数日で見る影もなく、枯れ木のようになった手を見つめる。
この病は生物的に弱い人間に牙を剥くのではなく、老若男女を問わず命を刈り取りに来るものだということは嫌というほどわかった。
つくづく恐ろしい病だ。
罹患した者の元の体質や体力など関係なく、まるで死神のように公正かつ理不尽に、須らく襲い掛かってくる。
これは攪乱などではなく、虐殺だ。
いったい、何が原因でこんな病が生まれたのだろう。
まだ熱は下がっていない。
こんな状態になった後、眠れないほどの咳に苛まれるのか。
そう考えるだけで瘧とは違う恐怖で身体が震えた。
この病に罹るまで自分が死ぬことなど考えたことがなかった。
冒険者となり、時に魔物を狩る依頼をこなすことがあっても。
戦いの最中で死ぬ恐怖は既に克服しているから婚約者とも将来を語ることができたし。戦友とも気兼ねなく約束を交わすことができた。
「たすけて……」
荒れきった喉から口を衝いて出たのはそんな、吐息にも劣りそうな声だった。
この苦しみから解放してほしかった。
それがたとえ、死でも。
今のこの苦しみから解放してほしかった。
自分が熱で震えているのか、恐怖で震えているのかもわからない。
ずっと痛み続けている頭が更に軋む。
逃げるように目を閉じるけれど。錆びた釘で脳を突き回されるような痛みは治まらない。
まるで幼子にもどったように弱々しく泣く。
城塞都市に残した婚約者にも、ギルドに属する戦友達にも、郷里に残してきた両親にも……こんな病に罹ってほしくないと心底思ったけれど。この病をどうにかする力など自分にはない。
恐怖と悲哀で無力に震えていると不意に、目の奥でしろい光の帯がふわりと揺れた。
思わず驚いて目を開けると、割れそうな頭の痛みがずいぶん楽になっていた。
深く息を吸って、吐く。
数日ぶりにまともな呼吸ができたような気がして。泣きたくなるような安堵がこみ上げた。
まだこめかみの奥に痛みは蟠っているし熱も下がっていないが死を感じるほどの感覚はもう遠のいている。
何が起こったのだろう。
思い起こすのは眼裏を過ったしろい光の帯だ。
「女神様が、微笑まれた、のか……?」
口を衝いて出た言葉にはっとする。
自分は神など信じていなかったけれどその考えは何故かしっくりときた。
まだ熱に侵されたままの身体をどうにか動かして水差しの水をそのまま飲む。
一口飲むたび、生き返るような気分になりながら。
この病が治ったら原因究明と……この不思議な現象について調べよう、と決意した。




