嵐の前の静けさ
さてどうなるのか……
「フレイア様。少し休憩されてはいかがでしょうか」
メアンに声を掛けられたフレイアは浅く頷いて座ったまま伸びをした。
あっという間に時が過ぎ。領地に戻ってからあっという間に一年が過ぎていた。
この一年の間にルーンベル領は激変した。
ひとまず着手したのは領地の治安の向上と農地の視察だ。
流行り病が蔓延する前に治安はどうにかしなければいけないし。
流行り病の後には飢饉が起こるという。
ルーンベル領の財政は、それはもう悲惨なものだったがギルド長官であるスカーレットの伝手で治安維持のための人員を十分に雇うことができて。この半年で領地の治安は見違えるほどに良くなり、そのおかげで商人や旅人の往来が増え、街道沿いの宿場町も潤っている。
治安が良くなり、宿場町が栄えたことで元はバスラムを目指していた民が移住することも増え、たった半年でかなり領地経営が安定した。
更に飢饉が起こることを知る母の差し金だろう。
ルーンベル領には開墾された畑が数多にあり。
母の死後、圧政と治安の悪化による領民の流出により放置されてはいたものの手を入れたらどうにかなりそうだ。
父は視察をしたこともないようで記録にすら残っていなかったが、備蓄庫も巨大なものがあり。『遺物』により品質が守られた穀物が数多、保管されていた。
領地経営を行う上で『ギフト』の力も役に立った。
飢饉がどんな原因で起こるのかわからないが春と冬に収穫する小麦を改良することで風や温度変化、乾燥に強いものを生み出すことに成功した。
本当に良い苗ができたのか、屋敷の片隅で改良した種苗の成長を早め、様々な環境で栽培したので間違いないだろう。
その改良した種子を無料で提供したことで農作も盛んになった。
成果が出るのはまだ先だが手ごたえを感じている。
領地経営は順風満帆と言って差し支えない状況だが問題があるとするならば信頼できる代理人を見つけられないことくらいだ。
父の処刑を機にルーンベル家には調査が入り。何人かの親族は処罰を受けたので平穏なものだが本家に近寄る者も居なかった。
もっと領地が落ち着いていれば婿入りしてくれる男性を見つけ、彼を代理人とすることも考えたがそれも現実的ではない。
幸い執務に携わる人材もギルドを頼り、領地のやる気のある者を積極的に教育しているので自分が領地を空けても大きな問題はなさそうだが、いつまでもギルドに頼るのは良くないことだし、領主として無責任だ。
兄が帰ってきてくれたなら悩まずに済んだのだろうが、兄はもう国に戻ってくる気がなさそうで。小さかった商会は大きくなり、とうとう妻まで迎えたそうだ。
「本当に、誰かいないかしら」
フレイアは酷使した眼を瞑りながらメアンに零し。メアンは微苦笑を漏らして紅茶を用意しながら自分の『ギフト』を共有できたらいいのにとこっそり思った。
「もう一年ですね」
最も信頼している腹心のひとり。ヴァシルに声を掛けられたルフェウスは頷いた。
「フレイアには責任を取ってもらう予定だったんだけどね。まさか社交期にも顔を出さないとは思わなかったよ」
てきぱきと書類を捌きながらルフェウスは微苦笑を浮かべる。
言葉とは裏腹にその表情は心なしか明るい。
たった一年で『あのルーンベル伯爵領』が劇的と言ってもいい変貌を遂げたことは王都でも噂になるほどだ。
辺境伯家であるバスラム家、城塞都市および交易都市バスラットを拠点とするギルドと連携し飛躍的な発展を遂げ。街道沿いの宿場町は賑わい。彼女が手ずから改良を加えたという小麦は気候の変化に強く、驚異的な収率を誇るという。
更に東の守りを固めるため、辺境へと至る街道はより効率的な道が整備され、食い詰めた民が職を求めて移住することでより発展しているという。
当然、称賛の声は現ルーンベル伯爵。
8年にも及ぶ家族からの虐待を耐え、女伯爵としてその任を務めあげるフレイアに向けられているのだが、知らぬは本人ばかりである。
「あまり目立たないようにと伝えたんだけどね……フレイアはきっと部屋に籠りきりだから自分は目立っていないと思っているよ」
「それはそれは……『あの方』の耳にも届きそうですか」
ヴァシルの質問にルフェウスは首を振った。
「いいや。まだ歴史に名を刻むほどじゃないからね……『正史』ではあの領地は僕が管理することになっていたからまだ誤魔化せているよ。そもそも『現在』は『正史』とは違う。端から同じようにすることなんて不可能だ」
ルフェウスは小さく息を吐いてフレイアのことを思い出した。
『今回』のフレイアが生きているのは『旅人』であるというフレイアの母ルミルがその運命に抗った成果だ。
『正史』の通りであればフレイアは北の修道院で流行り病に罹って死ぬ。
だがフレイアは伯爵として領地で執務にあたり、夏の終わりに発生するはずの流行り病の噂は秋に差し掛かるいま、まだ聞かない。
こんなことは初めてだ。
こめかみに手を当てて考えながら壁にかかった大陸地図を見つめる。
流行り病の発生源や原因は特定されていないが東部から広がった。
呼吸器と視力、生殖能力に甚大な後遺症を残す伝染病で。
罹患すると数日続く高熱と激しい頭痛。熱が納まってからも咳が長く続く、致死率の高いものだった。
ネズミや渡り鳥などの動物が媒介しているのか、はたまた流行り病と見せかけた隣国からの毒物か……様々な憶測が流れたが特定するに至っていない。
ルフェウスは毎回、流行り病の一年前に『東部に視察に出向くことになっている』が。
それは国に返還されたルーンベル伯爵領を視察するためだ。
だが今回は『主』の指示で辺境伯家へと赴いた。
母に憑依した『主』を滅ぼすため、神をも消し去るという『遺物』カムサルを借りることができればよかったのだがそれもできなかった。
辺境伯家嫡男リオン暗殺に関しては視察の結果彼もまた英雄の素質を持っていることがわかったと報告するにとどめ。必要とあらば『主』の命令に従うと表明したことでどうにかなった。
魔物の襲来に関しては報告しなかったし。当然、ルミルが『旅人』だったことやフレイアの『ギフト』についても報告しなかった。
『主』は千里眼に似た能力を持っているがその力は限定的だ。
王都での噂は把握しているだろうが辺境の出来事は把握していない。
問題なのは流行り病が起こらなかったら……『正史』に近づけるため、人為的に流行り病を起こせと言いかねないことだ。
ルフェウスは拳を握った。
そのような愚かな命令をするに違いない、と確信してしまう程度には『主』のことを知っている。
「フレイア……」
もしも、『前回』までと同じように流行り病が蔓延した時。
フレイアは無事でいられるのか。
北の修道院の生活で弱っていたから死んだのだと思いたい自分と。
『正史』のようにフレイアが死んでしまうのではないかと恐れる自分が居た。
東部へ遠征に赴いていたユリシスから流行り病の噂がもたらされたのは、その五日後のことだった。




