見極め
「遅いぞ義姉上!」
アルテをエスコートするリオンの姿に違和感を拭えないルフェウスがフレイアと共に広間に入ると鼓膜を圧すような大声が響いた。
思わず肩を竦めているとまたフレイアがあどけない少女のような横顔で走り出す。
そんなフレイアを迎えるのは巌のような体躯の屈強な男……ではなく立派な体躯の少年だ。
リオンと同じ淡い金の髪をしているのにこちらは雷光の印象を見る者に与える。
目を惹かれるのは背中に背負った大剣だ。
白銀の鞘と柄には繊細な彫金がされており。それだけでその剣が辺境伯家の至宝であることが窺える。
十中八九、この少年が……
「相変わらずとても元気ですね、ラクレス様」
「おぉ、フレイア姉さん!」
幼い子供同士のようにがばりと抱き合おうとした二人をアルテとリオンが馴れた様子で止める。
「おぉ!? 何故関節を極めてまで止める兄上! 八年ぶりなのに!」
「八年経っているからだよ、このお馬鹿さん。礼儀作法の時間にいったい何を学んだの?」
「そ、それはー……」
「まったくもう、あれほど言ったのにまたサボったんだね。この馬鹿」
「うぐぅぅ……ごべんなざい、兄上ぇぇ……!」
「失礼いたしました、つい以前の癖で……」
「気にすることはないよ! でも少し妬けるなぁ……私にはしてもいいからね! なんたって女同士だし!」
儚げに微笑んだまま容赦なく関節を極めるリオンに慈悲を乞うラクレス。
失態を犯したと肩を縮めるフレイアの手を取り妖しく微笑むアルテ。
なんだこの状況は、とルフェウスはこめかみが痛むのを感じた。
いろいろな意味で辺境伯家は魔境だ。
そしてそこにフレイアが馴染んでいるのも意外で。
事前にフレイアに話をしていてよかったし同行してもらって助かったと心底思った。
「騒がしくて申し訳ない……第一王子ルフェウス殿下」
「いや、黙って訪れたのは此方だ」
見かねてだろう。
立ち上がったのは辺境伯夫妻だ。
一瞬警戒した視線を向けてしまうけれど。
剣を腰に佩きひげを蓄えた老騎士然とした辺境伯は会ったことがあったし。優美な身のこなしの辺境伯夫人も王都で言葉を交わしたことがあった。
「この度はどういったご用向きで?」
「視察させてもらいたい。ユリシスから依然として東は落ち着かないと聞いてね。戦況が落ち着いた時に一度機会を設けることにしたんだ」
「ご自由に。何日か滞在できるようにお部屋も用意いたしましょうぞ」
「あぁ、頼むよ」
微笑む辺境伯はそこで何故かマントを落とす。
ばさりと重たげな音を立てて深紅のマントが絨毯の上に落ちても辺境伯夫人は当然、控える使用人も含めその場に居合わせる誰もが驚かない。
……ルフェウスと腹心として控えているメアン達以外は。
フレイアがあっと思い出したように小さな声を上げるのを聞いて。ルフェウスはいろいろなことを察した。
「ところで殿下。フレイア・ルーンベル伯爵は私の末娘も同然でね……これまでは辺境伯家が伯爵家へ内政干渉をするわけにもいかんと臍を噛む思いだったが……いろいろとあった分、今後は後悔しないように行動しよう、と皆で話し合ったばかりなのだよ」
辺境伯は微笑んでいた。
けれどその眼光は鷲のように鋭かった。
「どういった間柄なのか……野暮だとは思うのだがね。その辺りははっきりさせておくべきかと。ときに殿下。剣の心得は」
「閣下、どんな噂をお聞きになったのか存じませんが、私は殿下の臣下であり、そういった間柄では……」
慌てたフレイアが弁解しようと口を挟むが。逆効果だった。
「噂など判断の材料にしておらぬよ。言動もまた繕える。だが太刀筋は誤魔化せぬ」
「構わないよ。弟ほどではないが僕もある程度心得はある。庭にでも出るかい」
辺境伯がどういうつもりか理解したルフェウスは上着を脱ぎ。フレイアは腹心達が止めるかと思って視線を泳がせるけれど誰も止めようとしない。
むしろリオン達はひどく楽しそうで見物する気満々だ。
「はっはっは、何のための『広間』とお思いか」
「なるほど。やけに空間が空いているのはそのせいか」
誘うように歩を進める辺境伯の後にルフェウスが続く。
本来はダンスを披露する空間であろう、磨き抜かれた大理石の上でふたりが間合いを取った。
一見ふたりとも力を抜いて立っているように見えるが重心は爪先に移っているし見ているだけで思わず息をひそめてしまうような緊張感が漂っている。
フレイアは思わず口元に手を当ててそっと呼吸をした。
自分の息の音すらふたりの邪魔になるような気がしたからだ。
上天に差し掛かった太陽が天窓からしろい日差しを投げかけてくる。
陽光を遮って鳥が飛んだのだろう。
さっと黒い影が落ち……鋼のぶつかる鋭利な音がした。
どんな膂力で打ち合ったのだろう……蒼い火花が散り。辺境伯の振るった剣の軌跡が陽光の下で禍々しいほどにうつくしく、網膜に焼き付いた。
その重い一撃にルフェウスの眉が寄るけれど姿勢は崩れない。
巧みに角度をつけて力を逃したルフェウスは爪先に残した重心からさらに踏み込み、攻勢に転じる。
ルフェウスの操る剣は軽く作られているのだろう、辺境伯がもつ剣に比べると短く刀身も細いがその分刀身の輪郭が見えないほどに速い。
キィンと澄んだ音がした時にはもうルフェウスは剣を振りぬいていて。その速さと正確さに一同が息を顰めるように魅せられるのを肌で感じた。
一合、二合、と打ち合ううちに優劣は少しずつついてくる。
やはり辺境伯には生まれ持っての膂力と磨き上げた技巧と積み上げてきた経験がある。
けれど勝負がつかないのはルフェウスもまた才能を持って生まれた上に努力を怠らなかったからに他ならない。
そしてなにより刃には迷いがなかった。
表情は静かに見えるほどに凪いでいるのにその眼差しは直向きで、息を飲むような熱があった。
「はっはっは! これは面白い! このまま続けても殿下には負けませぬが勝てもしませぬな」
どれほど経っただろう。
唐突に剣を納めた辺境伯は笑い出し。フレイアはようやく肩の力を抜くことができた。
「謙遜を……」
気が抜けたのだろう。
同じく剣を納めたルフェウスはどっと疲れたのか汗を滴らせながら息を切らしている。
「いやはやご無礼を。殿下の為人……確かに見せていただきました」
一方の辺境伯は笑みを深めると剣を鞘ごと抜いて前に置き、跪いた。
その意味は……恭順。
「何を心に置いておられるのか……それは儂にもわかりませんが我ら辺境伯家一門。ユリシス殿下に続き、危急の際にはルフェウス殿下の剣となることを誓います」
その言葉と共に辺境伯夫人、リオン、アルテ、ラクレスが同時に跪いた。
「ただしそれとこれとは別でしてな。もしもフレイアに不誠実なことをなさる場合はその素首いただきに参りますので、お覚悟を」
「あぁ……僕がひどいことをしないようにこれからも見ていてくれ」
心底驚いた顔をした後、ルフェウスは物騒な宣言に笑って応えた。




