成し遂げたいこと
薔薇が咲き乱れる夜の庭園はしっとりと濡れた土と植物の青い匂いと花の芳香に包まれていた。
甘ったるく肺の奥に溜まりそうな匂いを感じながら庭園の片隅のガゼボに足を踏み入れると前を歩いていたユリシスがこちらに向き直る。
「俺は回りくどいのは好きじゃないし、兄を待たせるのも気が咎めるので単刀直入に言う」
如何にも軍属らしい堅苦しく簡潔な口調でユリシスはそう口火を切った。
「俺は王になるつもりはないので兄に王位を譲る。これはもう父にも相談し了承を得ている。故に今後も兄の隣に立つのなら王妃になる覚悟を決めてほしい」
予想外の言葉にフレイアは言葉を失った。
反射的に首を横に振ってから動揺しながらも口を開く。
「私はルフェウス殿下のいち臣下であり、そういった関係ではないのです」
ひとまずそのあたりの否定から入らなければいけないと思ったフレイアははっきりと告げたが。その言葉を聞いてもユリシスは表情を変えなかった。
「そう思っているのはあなただけだ」
「いいえ。私は王妃になることはできません」
フレイアがきっぱりと言い切るとユリシスは少し躊躇った顔をした。
その根拠をなんとなく察してしまったせいだろう。
王妃は、将来的に国母となる存在だ。
故にこの国では『伯爵位以上の令嬢』であることが暗黙の了解であり。
言ってしまえば瑕疵ひとつない令嬢が求められる。
故に処女ではあるが折檻の痕が残っているフレイアは王妃にはなれない。
仮に候補に名乗り出たとして、虐げられた過去が精神に影響している可能性が懸念され除外されるだろう。
「どんな未来になるにせよ、私はルフェウス殿下をお支え致します」
フレイアはにっこりとユリシスに微笑みかけた。
周囲がどう言おうとルフェウスとユリシスはお互いを思いあう素晴らしい兄弟だ。
それをすこし羨ましく思いながら。フレイアは自分がもしも生き抜いて、ルフェウスの傍に仕えることができたなら、その時は誠心誠意仕えようと決意を新たにした。
「あなたは……俺が何故王位を兄に譲るのか訊かないのだな」
ユリシスは面食らった表情のまま呟き。
フレイアは意外なことを訊かれたとでもいうように目を丸くした。
「私の領分ではありませんので」
思うままの理由を答えるとユリシスは漸く笑った。
「なるほど……兄があなたに惹かれる理由もなんとなくわかった。だがこのことは知っておいてほしい。俺が兄に王位を譲ろうとするのは向き不向きを鑑みてのこともあるが……東の国境で未来を視たからだ」
「未来を……?」
予想外の言葉にフレイアは息を飲んだ。
「あぁ。アウレアが裏から糸を引いていた紛争の鎮圧のため東の国境に赴いた俺は敵陣営にあった『遺物』で未来を視た。俺が王になれば国が滅ぶんだ」
ユリシスは真剣な眼をしていて。フレイアは何と言葉を返せばいいのかわからなくなった。
その未来は『どの未来』を指しているのだろう。
自分が北の修道院で死んだ場合の『前回』までの未来だろうか。
それとも『今回』の未来だろうか。
「その『遺物』は確かなものなのでしょうか」
『遺物』を鑑定できる者は滅多に居ない。
そもそも鑑定の『ギフト』自体がひどく珍しいためだ。
「あぁ。俺の腹心に居る。まだ年若いが『遺物』と『ギフト』の鑑定ができる者が。その者は確かに未来を視ることができるものだと言ったし……未来は確かにいくつか的中したんだ。俺は今日、兄上とあなたが踊る未来を確かめるためにここに来た。どうやらあの『遺物』は確かなもののようだ」
呟くユリシスの表情は、暗い。
自分が王位を譲ったところで国が滅ぶ未来が回避できたとは限らないためだろう。
フレイアはユリシスが、ルフェウスが何度も国が滅ぶ未来を回避しようとしていることを知ったらどう思うかふと考えたけれど。間違っても自分がそれを伝えるわけにはいかないと思いなおし。沈黙を守った。
「勿論、兄が即位することで未来が良くなる保障もないが……少なくともひとつ、滅亡する未来は回避できたと思う」
「はい、ただ、この国を護りたいという気持ちは私も……ルフェウス殿下も同じだと思います」
ルフェウスが王になったところで国が滅ばずに済むかどうかは、わからない。
ルフェウスが挙げた、国が滅ぶ未来の中に確かにルフェウスが王に担ぎ上げられた未来もあったのだから。
ルフェウスが言うように流行り病の後飢饉となり、反乱が起こって国が亡びる可能性が消えたわけではないのだから。
ルフェウスが、国が滅びない、より良い未来を求めているのはユリシスの幸せを願っているのもあるだろう。
国が滅ぶということは王も死ぬという事だ。
ルフェウスは弟を護りたいに違いない。
「あと、ルーンベル伯爵。こんなことを言っては驚かれてしまうかもしれないが……俺は、あなたが神を殺すのを視た」
「え……」
予想外の一言を投げられたフレイアは絶句してただユリシスを見つめた。
この世界には数多の宗教があるがリース王国が信奉しているのは万物を創成したとされる女神を始めとする多くの神が国を、ひいては世界を守っているという信仰だ。
まさか自分がその神のひとりを殺す未来を視たからユリシスは声を掛けてきたのだろうか。
神を手に掛けた者が……そしてそんな者を擁する国が滅ばずに存在できるわけがない。
だからこそユリシスは自分を消しに来たのだろうか。
しかしそれなら王妃云々の話は端から必要なかったことになる。
「あぁ、誤解を与えてしまったな。あなたが殺すのは兄を縛っていた悪神らしき存在だ」
「ルフェウス殿下を……? しかし、そんな畏れ多い……でも私は『ギフト』も何も持たないただの人間なのですが」
「そうだな。実を言うと鑑定の『ギフト』を持つ部下に密かにあなたを見てもらったが……膨大な魔力があるが『ギフト』を持っていないと言っていた。何らかの『遺物』を使う可能性もあるのではないか。何か、あなただけが持っている『遺物』に心当たりはないか」
フレイアは初めて聞くことばかりで戸惑いながらも。自分の存在がルフェウスの求める未来の役に立つかもしれないと考え……確かに自分が昂っているのを感じた。
こんな感覚は初めて感じるものだ。
いうなれば使命感、というものだろうか。
畏れ多くも自分は、神を手にかける可能性があるという。
きっと今回の自分は……
神を手にかけるという暴挙を犯したことで天に裁かれて死ぬのだ。
けれどそうすることでルフェウスは自由に動くことができるようになるのだろう。
彼を縛っている神を殺すことでルフェウスが望む未来を手に入れられるなら……
たとえそれが原因で死ぬことになったとしても……そして神を殺したという罪でこの世界から存在を抹消されることになったとしても……力を尽くさない選択肢はない。
「私、頑張らなければいけませんね……それが良い未来につながる保証はまだないですけれど。あの……ユリシス殿下。『遺物』を探すためにも鑑定の『ギフト』をお持ちの方と一度会わせていただけないでしょうか」
腹が決まればすべきことは見えてくる。
来る未来に胡坐をかかずに人事を尽くさなければ。
そんな気持ちのままフレイアは何故か悲しげに見えるユリシスに声を掛け。
「それは構わないが……ルーンベル伯爵。あなたは神を殺すことで罰を受けて死ぬだろう。それがちゃんと、わかっているのか」
ユリシスにわかりきったことを訊かれて目を瞬かせ。彼の質問の意図を察して微笑んだ。
「存じております。でも私……『そうなってもいい』と思うくらいルフェウス様のことが大切なんです」
無力に死ぬ自分の運命を変えるきっかけが何だったのかは、いまとなってはもうわからないけれど。
たとえ気まぐれだったとしても。ただの興味だったとしても。藁にもすがるような想いだったとしてもルフェウスは確かに自分に居場所をくれたのだ。
短いけれど楽しい時間を過ごすことができたのだ。
まだほとんど何も、秘密が多い彼について知らないけれど……それだけで命を懸けられる。
「だから、できる事ならこのことは、ルフェウス様には内密にお願いいたします」
神を殺す未来があることを知ったら。
それが打開策になる可能性が高いとしても彼はきっと止めてくれるだろうから。
呆気にとられたように目を見開いていたユリシスは。
フレイアを静かな眼差しで見つめた。
「俺が会って間もないあなたの頼み事を守る理由は?」
尤もな言葉にフレイアは頷いた。
「王位の件、まだルフェウス様に仰っていませんよね。それで十分ではないのなら……東の安定のため、ルーンベル領に宿場町を作りましょう……あぁ。もしも私ができなくとも必ず遂行できるよう、理由を子細に伝えたうえで後任に任せますのでご心配なく」
「わかったよ……はは、俺はいろいろな意味で兄上が羨ましいと思う」
少し考えてから提案するとユリシスはこめかみを軽く押さえてから弱ったように笑った。




