たいせつなもの
少しずつ物語は進みます
久しぶりに足を踏み入れたマナーハウスはがらんとしていた。
物はなく、使用人もほぼいない。
家の中にあった調度等は父の罪により大半が国に差し押さえられ。使用人がほぼいないのはルーンベル伯爵となったフレイアが継母の息のかかった使用人を解雇したからだ。
色々とあったけれど恨みを持たれても嫌だったので、フレイアは彼ら一人一人の紹介状を用意しようとしたけれど。それは何故か笑顔の第一王子に引き継がれた。
なんでも彼らを使用人としてまとめて雇えるところがあるらしく。
正規の労働をこなせば十分な給金も出るというので使用人達の意志を確認したうえで任せることにした。
父と継母は罪人たちが流れ着くという『西の果て』へ流刑となり。妹は何の因果か北の修道院に送られるという。
裁かれる様は見ていないが三人とも終始反省の色はなく。
裁判官は呆れ果て。本来被告の味方であるはずの弁護人すら判決に異を唱えなかったそうだ。
「本当に何もないね。思い入れのある品まで持っていかれてない?」
がらんどうになったマナーハウスへ。何故かルフェウスもついてきた。
「思い入れのある品……ずっと暮らしていたはずなのに自分ではあまり使った記憶がないからでしょうか。あまり思い入れはないですね……強いて言うなら母の肖像画くらいのものです」
言いながらフレイアは玄関ホールの階段を上がり掛かっている母の肖像を見上げた。
抱えられるほどの大きさの額縁の中には優美なドレスを身に纏い、嫣然と微笑む亡き母が居る。
黒い髪は絹のように艶やかで。そのしろい面差しは気品のなかに貴婦人らしい優美さがある。
記憶の中にある、母の姿そのものだ。
母と瓜二つ、と周囲から言われるフレイアだが。一つだけ違うのが目の色だ。
わかりづらいがフレイアの眼が春の昼下がりの凪いだ海の色を思わせるのに対し、母は暮れなずむ夏の空のような、深くも明るい色をしている。
フレイアが今日マナーハウスを訪れたのは、母の形見である首飾りの宝石を取りにきたためだ。
このマナーハウスは維持し、いろいろなことが落ち着いたら移り住む予定だ。
故に信頼できる使用人をまた一から雇わなければいけない。
けれど乗り気になれないのはこのマナーハウスでの良い思い出があまりないことと。十八歳を超えて生きられるかわからないという気持ちが抜けないことが原因だ。
侍女のマリアを解雇したのもそれがある。
マリアは……郷里の家族を継母に人質に取られ。『あの夜』帰りの馬車の鍵を意図的に開けておくように脅されていた。
涙ながらに事情を語り、罰を乞うマリアにフレイアは言葉を掛けたけれど。マリアは良心の呵責を引きずるだろうと思った。
よほど『気にしないから変わらず仕えてほしい』と言いたかったか知れない。
ルフェウスを始めメアンにも『家族と主人を秤にかける使用人を傍に置くべきではない』と忠告されたが。本音を言うならそれでも傍に居てほしかった。
それでも気持ちを押し殺して解雇したのは、自分と一緒に居ればマリアも死ぬかもしれないと思ったからだ。
『今回』の自分がどうなるのかわからない以上、姉のように思っていたマリアとは離れなければいけないと思った。
マリアは継母に真っ先に解雇された、母である乳母の居る郷里へと帰っていった。
紹介状は心を込めて書いたので良い雇先が見つかると良いと願っている。
「ここが君の部屋だったの?」
一目見て物置だったにちがいないとわかる、窓のない狭い部屋を見たルフェウスは眉を顰めた。
その顔には義憤がある。
「そうですね。けれど過ごしてみると意外と心地よいお部屋ですよ」
気にした様子もなくフレイアはベッドを置いただけで圧迫感を感じるほど狭く粗末な部屋へ足を踏み入れる。
おいてあるベッドも明らかに使用人と同じものとわかるような粗末なものだし。シーツには継ぎまで当たっている。
妙齢の女性の部屋、ということを忘れて一緒に部屋に足を踏み入れそうになったルフェウスはすんでのところで立ち止まり。代わりに唇を引き結んだメアンがフレイアに続いて部屋に入った。
「持ち出すものはございますか」
「特にないですね。『準備費用』という名目でお城のお部屋にすべて揃えていただきましたし……殿下、その節は誠にありがとうございます。必ず給金からお返しいたしますので」
「いや……正規の制度だから気にする必要なんてないよ」
第一王子の剣呑な顔に気づかないまま、フレイアはベッドをずらして壁とベッドの隙間に身体を滑り込ませた。
しまい込んだきり、取り出していないので位置が曖昧だ。
寄木細工の床板には一見綻びなどないように見えるので、見ても位置はわからない。
探るように爪先で床を突くけれど音の違いも感じられない。
あまりにも長い間置いていたのでほんの少し不安になる。
「ここに在るはずなんですが……」
誰かに弁解するように呟くとほんの少し、気のせいかと思うほどわずかに音の違う床板があることに気づいた。
恐らくこれだ、と思ったフレイアは屈みこむと拝借してきたちいさな釘抜きで床板を一枚引きはがした。
「よかった」
床板を一枚剥がすとちいさな木箱が出てくる。
その中にはまた皮袋が入っていて。そっと口を縛っていた紐を緩めて揺らすと掌の上に宝石がひとつ、転がり落ちてきた。
母の眼を思わせる、深い蒼い色をした宝石だ。
もうこれからは隠す必要もなく首飾りに付けることができるだろう。
「君の眼にそっくりな色だね」
「そう見えますか? 母の眼の色にそっくりだと思っていたのでそんなふうに思ったことはありませんでした」
思いもよらないことを言われてフレイアはじっと掌の上で静かに輝く宝石を見つめた。
生前、母が肌身離さず身に着けていたものだ。
けれど数年ぶりに見た宝石は確かに自分の記憶の中とは少し違う色味をしているような気もする。
そっと身に着けていた首飾りに宝石を付けるとなんだかあるものがあるべき場所に納まったような気がした。
「君の母君は『ギフト』を持っていた?」
探るような口調にフレイアは笑った。
「持っていましたよ。とても面白い力でした。ちょっとしたものを入れ替える能力で。よく飲もうとした紅茶をミルクに替えるという悪戯をされていました」
母のことを誰かに話したのは数年ぶりで。
なんだか妙に胸の奥が緩んで。なんでか泣きそうになる。
調子がおかしいのかもしれないと思って下唇を噛んで笑ってごまかしながら。
肖像画の印象に引っ張られて澄ました顔で微笑む母の顔を思い出すばかりだったけれど。
自分の記憶の底に居た母は悪戯っ子のようににっかりと笑う女性だったことを思い出せて……何故かひどく安堵した。




