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舞踏会にて

楽しく書きました

お付き合いいただけると嬉しいです

 鏡と硝子とクリスタルでできたシャンデリアが一番に目を惹く大広間には豪奢な服に身を包んだ人々が集っている。

 磨き抜かれたフロアでダンスを披露する者。

 扇子の陰で表面上は穏やかに言葉を交わす者。

 食事を楽しみながらグラス片手に会話に興じる者。

 そっと人目を忍ぶふりをして公然の秘密とばかりにテラスで肩を寄せ合う男女も居る。


 そんな中。鼓膜を圧すような声が響いた。


「フレイア・ルーンベル! お前は俺に相応しくない! 婚約破棄だ!」


 公衆の面前で婚約者から婚約破棄を突き付けられた伯爵令嬢、フレイアは、ただ震えた。

 婚約者の傍には異母妹が居て。いまにも倒れてしまいそうな儚げな表情でその腕に縋って、此方を見ている。


「うつくしく愛らしい妹を妬んで酷くいじめたそうだな!」


 事実無根だ。

 母亡きあと、継母と一つしか歳の違わない異母妹を迎えた伯爵家での立場がない自分が、誰よりも屋敷で大切にされている異母妹を傷つけられるわけがない。

 そう主張しようにもそんな反論を許さない空気があって。フレイアは下唇を噛む。

 異母妹のおおきな眼には、見慣れた嘲りの色があって。お姉さま、こわい、と甘く囁きながら婚約者に身を寄せ……婚約者の肩の影で口元を歪めて嗤っていた。


 救いを求めるように視線を這わせたフレイアは。眉を顰めて此方を見る父とその傍らに立つ継母を見て目を伏せた。

 虐げられていたフレイアには屋敷の外に知り合いは居らず。唯一の……消極的な味方と言ってもよい兄は家を嫌って隣国に留学したきり、帰ってこなくなって二年が経つ。


「かしこまりました」


 第一王子が主催する舞踏会でこれ以上騒ぐのは得策ではない。

どの道、こうなることはわかっていたことだ。

フレイアにはその答えしか用意されていなかった。



 婚約者にエスコートをされることのなかった行きと同じく。帰りもフレイアはひとりきりで城の大広間を後にし。帰りの馬車が夜盗に襲われ……『令嬢』としての命を終えた。

 それが継母と異母妹の差し金であったことを知ったのは後のことで。

 フレイアが『人間』としての命を終えたのはそこからわずか。一年後の冬の最も寒い日のことだった。






 降るような見事な星空が、城の大広間の窓の向こうに見えた時。

 フレイアはこめかみが内側に引っ張られるように、強く痛むのを感じた。


 専属侍女のマリアと準備をしている時。押し掛けてきた妹に仕える侍女のひとりに嫌がらせのようにきつく髪を結い上げられたのは少し前のことなのに。目を見開いてしまうほど、その痛みは鮮烈で。

 思わずこめかみを押さえたフレイアは眇めた眼で周囲を見渡した。


 鏡と硝子とクリスタルでできたシャンデリアが一番に目を惹く大広間には豪奢な服に身を包んだ人々が集っている。

 磨き抜かれたフロアでダンスを披露する者。

 扇子の陰で表面上は穏やかに言葉を交わす者。

 食事を楽しみながらグラス片手に会話に興じる者。

 そっと人目を忍ぶふりをして公然の秘密とばかりにテラスで肩を寄せ合う男女も居る。


 更に壁際に並んだ料理も。

 天井から優美に飾られている垂れ幕の色も。

 上等な制服に身を包み、壁際に間隔を置いて立っている近衛騎士も。

 王の権威を知らしめ、皆の目を楽しませるために魔法の演術をしている宮廷魔導師も。

 すべて、見たことがある。


 あぁ。これは不調からくる幻覚などではなく、既視感、だ。

 自分はこの光景を……

 初めて見るはずの、第一王子の婚約者を選ぶために開催された舞踏会の光景を……見たことがある。

 遠い日に見た悪夢のように、唐突で、やけに明細に。それをいま思い出すのは……この状況に身を置くのが初めてではなく。

 何故かこの展開を他人事のように、見てきたように『知っている』からだ。


 そう。これは何度かあった、出来事。


 継母との折り合いが悪く、伯爵家で肩身の狭い想いをしていたフレイア・ルーンベル伯爵令嬢はこの舞踏会で……この舞踏会の、あと、で……


「お姉さま!」


 ぎょっとするほど大きな声で呼ばれたフレイアは周りの視線を浴びながら。豊かな金髪を揺らし、こちらに向かってくる妹……詳しく言うなら腹違いの妹……を見つめた。

 自分が主役と言わんばかりの、豪奢な純白のドレスを身に纏う妹は。何も知らなければ天使のよう、と表現するしかないほどの美少女だ。


 フレイアは反射的に下腹に力を入れ。無表情を心掛けた。

 憤怒も苦悶も悲哀も……目の前の、天使の皮を被った悪魔には餌になってしまうことは。この八年で嫌というほどに思い知らされていた。

 欲しいものを諦め、失ったものはなるべく忘れて。妹が興味を抱くことのない、数少ない持っているものを大切に思うようになった。


 いま、何のために妹が駆け寄ってきたのか。

 フレイアはそれも、知っている……わかっている。

 これから何が起こるのかも。


「今日は参加できたのですね! こんなに大規模な舞踏会ですもの、良かったですわ!」

 歩調を緩めた妹が微笑みかけてくる。

 花弁のような唇がつりあがって、宝石のような緑の眼がすうっと細まる。

 それはすべてわかっているうえで、浮かべている笑み。


 ルーンベル伯爵家の姉妹の噂はありふれているが有名だ。

 国内でも評判の美少女で、聖女のような性格の愛らしい妹と……

 地味で根暗で性格の悪い何の才もない姉。

 うつくしさを妬んで妹をいじめているのは本当なのかという疑念と義憤を帯びた視線が肌を焼くようだ。

 どうやら妹はまた信奉者を増やしたらしい。


「けれどおひとりで入場されましたの? わたくし、お姉さまが参加されないと思っていたので……ライアス様にわたくしのエスコートを頼んでしまいましたし……」


 一転して、妹は声を低める。


「それにドレスはどうされたのですの? わたくしはライアス様にご厚意で用意していただいた素敵なドレスがありますけれど……お姉さまにはないですよね? 国王主催の舞踏会なのに新しいドレスで参加しないなんて失礼なこと、お姉さまはされませんよね?」


 いまフレイアが身に纏っているのは唯一持っているドレスを侍女のマリアと何度もリメイクしたもの。

 当然宝飾品は母の形見の首飾りしかない。

 それをよくわかっている妹は、くすくすと小さな声で嗤う。


 フレイアは黙ったまま姿勢を正して妹を見下ろし続けた。

 けれどその態度がいけなかったのだろう。

 いや、どんな言葉を返しても。どんな行動をとっても。

 きっと妹は気にくわなかったのだろう。

 それは伯爵家に初めて継母と妹が足を踏み入れた、八年前から変わらない。


「あらお姉さま。第一王子主催の舞踏会ですのに硝子の首飾りだなんて……」


 口元の笑みをふっと消すと妹は一歩、こちらへ足を進めて数少ない、いいや唯一のフレイアの首飾りに手を伸ばそうとし。フレイアは反射的に身を縮めた。


 唯一の母の形見である首飾りを妹は硝子と判断するが実際は上質な水晶だ。

 この首飾りがいまは亡き母の唯一の贈り物なので。フレイアは妹に宝飾品を盗まれるようになって以来、この首飾りだけは奪われないように磨くことをせず、最も目立つ場所についていた深い蒼に煌めく宝石を外して隠していた。


 これから起こることが現実なら……と思ったフレイアは重心を爪先に移す。

 幸い、幼少期と言える頃から扱き使われていたので身体感覚は令嬢にしては優れている方だ。


「なんてみすぼらしいのでしょう。色のない宝石などつけている方が恥ずかしいわ。あ。リィは良いことを思いつきました。折角ですし高貴な色に染めてあげましょうね……きゃあっ!」


 案の定。妹は不意に大きな声を上げたと思ったら前につんのめり。その手にあった赤ワインのなみなみと入ったグラスが宙を泳いだ。

 前によろめく妹の顔は嗜虐の色に歪んでいたけれど。フレイアは素早く爪先で絨毯を蹴って縁から紅い軌跡を溢れさせるワイングラスを避けた。

 幸いワイングラスは絨毯に転がって割れなかった。

 妹はつんのめった姿勢から絨毯にか弱い仕草で膝をつき。フレイアは転がったワイングラスが誰かに踏まれないように拾い上げた。


「リーナ!」


 まるで見ていたかのような……いいや、見ていたのだろう……タイミングで耳を圧すような声がして。

 絨毯に崩れた妹は。騎士服に身を包んだ青年……フレイアの婚約者の、ライアス・エスメラスに支えられた。

 艶やかな黒髪に狼めいた琥珀色の目は。妹に気づかわしげな視線を向けた後、此方へと向けられる。

 その視線の鋭さは間違いなく敵を見る眼で。

 またしても襲われる既視感にフレイアは絨毯を踏む爪先にくっと力を込めて眩暈を抑え込んだ。


「リィを突き飛ばしたのか! 実の妹だというのになんということを!」


 婚約者として咎めているといった様子の彼の態度は、あまりにも後ろ暗さがなくて。自分が何も悪いことをしていないとわかっていても身を固くしてしまう。

 けれど『我に正義あり』とでも言いたげな彼の表情はぞっとするほどに奇妙に歪んでいて醜く。フレイアはそっと眉を顰めた。


「ご覧になっていらっしゃったのなら、私がそのようなことをしていなかったことは明白です」


 『夢』の中の自分はワインを被ったまま戸惑うばかりだったけれど。今は違う。

 冷静に指摘すると此方に目を向けている招待客の一人と目が合う。

 茶会にも夜会にも参加することがないのでわからないが、騎士なのだろう、勲章をたくさんつけた鳶色の髪をした若い男が表情を緩めて頷く。

 これ以上ライアスが馬鹿を言ったら証言してくれるということだろう。


「俺が言いたいのはグラスを拾うより妹を助け起こす方が先だろうということだ! 心無い奴め」


 婚約者のライアスはエスメラス侯爵家の三男。

 継ぐ爵位はないが入団した騎士団で頭角を現し、精鋭である第一騎士団の小隊を任されるほどの実力者で。三代限りではあるが爵位を賜るだろうともっぱらの噂だ。

 彼は単純で向こう見ずだが、十年前に婚約をしたころはこうではなかった……ように思う。


 良くも悪くも政略的な婚約だったし『地味な』フレイアはライアスの好みではなかったようで、その態度はそっけないものだったが。季節の折には手紙や花束を贈ってくれたし。関係を繕う程度に茶を嗜むこともあった。

 ただ、ライアスは単純で野心家で『女の子』に弱く。

 騎士団で出世頭となり、あっさりと妹の手に絡め取られた。

 それだけだ。

 フレイアへのライアスの態度はだんだんと冷たくなり。

 妹への好意を隠そうともしなくなった。


 今日の舞踏会のドレスや宝飾品とて本来であれば婚約者であるライアスから贈られるのが一般的であるにもかかわらず。ドレスどころかエスコートすらすっぽかされる始末だ。

 自分に女性としての魅力がないと言ってしまえばそれまでかもしれないが。

 家同士の契約としての婚約をここまで反故にするライアスにも問題がある。

 父にも伝えたが父は父で継母と妹の言葉を真に受け『お前の努力が足りない』と言われてしまった。

 しかし権力も実家での立場すら持たない自分に何ができよう。


 そしていま、ライアスは妹のことを恥ずかしげもなく大声で愛称で呼んだ。

 もう、これは関係を公言したも同じで……この状況で続く言葉は、知っている。


「もう我慢の限界だ! オレはおまえのような地味で心根の醜い女となんか、結婚しない」


 いつ、何の我慢をしたというのか。

 もはや苛立ちすら湧かず、心底フレイアは呆れたが眉ひとつ動かさないまま周りの様子を伺った。

 物見高い群衆はいろいろな表情で此方を見ている。

 噂の真相に興味を持っているのであろう単純な好奇心と、醜聞の真偽をはかるような残酷な興味の視線。第一王子主催の催しで揉めている自分達を咎める視線。

 鳶色の髪の騎士が気の毒そうな眼を向けてくれているのもなんだかいたたまれない。


 けれど何故だろう。

 以前の自分なら過去に受けた恐怖を思い返して、肩を震わせて委縮することしかできなかったはずの状況なのに。

 いまは妙に冷静で。

 それどころか『私は何も悪くない』という、ふてぶてしいまでに正しい判断ができるようになっている。


 そう『私は何も悪くない』

 元はと言えば気の多い、父親である伯爵が母の喪が明けないうちに継母と年子の異母妹を引き取ったのが悪いし。そのくせ家を空けがちで根性悪の継母の言うなりになったから本来の跡継ぎであるはずの兄と自分がないがしろにされる結果を招いた。

 兄は兄でことなかれ主義で学園に入ってからは休暇ですら家に帰ってくることはないし卒業と共にあっさりと伯爵家は継がず、現在は隣国に留学中だ。

 本来、そんなことが許されるはずがないのに父はあっさり継母に丸め込まれ。いつしか自分か妹が婿を取ることになっていた。

 使用人達は継母や異母妹に苦言を呈したり歯向かう者は片っ端から解雇されたので屋敷の中にフレイアの味方は幼い頃から息を殺すように仕えてくれている侍女のマリアしかいない。


 極めつけは婚約者のライアスだ。

 家同士の契約を一方的に、ここまで破ったことも恐らく侯爵には伝えていない。

 騎士団で出世するうちに自意識が過剰になってしまったのだろうか。

 自分がどこまで偉いと思っているのだろう。


 フレイアはしんしんと冷えた気分になりながら伏し目がちに、けれど顔は下げずに婚約者と、婚約者に寄り添う妹を見据えた。

 見る者の胸を冷やすような眼に射抜かれたライアスは思わぬ反撃を受けたというように一瞬怯んだがたてつくような視線が気にくわなかったのだろう。

 そばかすの薄まった頬を紅くして一歩、踏み出してくる。


「フレイア・ルーンベル! お前は俺に相応しくない! 婚約破棄だ!」


 騎士団で鍛えているだけあって。腹から出した声は大広間中に響いた。

 冷静に考えずとも、これはとんでもない迷惑。

 視界の隅で彼の父であるエスメラス侯爵が顔を赤くしたり蒼くしたりしているのが見える。


 そして一番目立つ、大広間の最も豪華な一角に佇んでいる第一王子がじっとこちらを見ているのも、ぴったり寄り添ったライアスと妹の向こうに見える。

 遠くて表情は伺えないけれど。きっとライアスの宣言は聞こえただろう。

 よりによって『婚約者探しの舞踏会』で。空気を読まずに婚約破棄を宣言する参加者が居るとは縁起でもない。

 当事者でなければ笑えたかもしれないが。当事者なので笑えない。


「王立騎士団エスメラス第三分隊隊長、いまこの場で、そのお話は相応しくありません。改めて父とエスメラス侯爵と共に話し合いの場を……」

 フレイアは迷わずライアスの階級名を口にした。

 婚約破棄宣言をされた以上、名前を呼ぶわけにはいかないという常識的な配慮だったのだが。どうやらその配慮も興奮しきった恋に溺れた男には通じなかったようだ。


「黙れ! 今更俺に媚を打って縋っても遅い! 俺はリィを愛しているのだから俺の愛がお前に向くことは永劫ない!」


 何をもって縋っていると思ったのだろう。

 フレイアは胃が痛むのを感じながら黙り込んだ。


 既視感は、まだある。

 真っ赤になっているライアスの顔も記憶に残っているし。ライアスに腰を抱かれながら『こんな公衆の面前で婚約破棄されるだなんてお姉さま、お可哀そう』というような同情的な顔をしている妹の、嘲るような目つきも『見たことがある』ものだ。

 けれど逆上して口角泡を飛ばすライアスの顔は、既視感から遠のいていくし。妹の姿もまた、『元』より醜悪なものに見える。


「本日は殿下の、婚約者を決めるための、舞踏会です」


 それだけはちゃんと弁えてほしい。

 そう思いながらゆっくりと言葉を紡いだけれど。


「まぁ……お姉さまはライアス様という素晴らしい婚約者がありながら、殿下の婚約者になりたいの?」

「最低だな。尻軽女め」


ふたりの頭はいかれてしまったのか、それとも自分の言葉に聞く耳を持たないだけなのか、言葉が通じない。


 この際、沈黙が肯定だととらえられても構わない。

 こんな三文芝居よりもひどいものをこの場で披露するわけにはいかない。

 どうにかしてこの状況を変えたい。

 そう思いながらフレイアは視線を巡らせ。よりによって第一王子がつかつかとこちらに向かってくるのを見て目を伏せた。

 万事休す……



「ごめんなさいね、お姉さま……わたくし、ライアス様のことを愛してしまったのです。なによりわたくしのお腹にはライアス様との愛の結晶が……だから、お姉さまは身を引いてくださいますよね。でもお姉さま、おかわいそう。わたくしのほうが年下ですのに、わたくしが結婚を先にしてしまいますしライアス様は婿入りしてくださるので……お姉さまも早めにご結婚相手を見つけられて、わたくしのお屋敷から出て行ってくださいませね。その方がお互いのためになると思うのです」


「リィ……君にひどい意地悪をする姉に、そこまで気を遣う必要なんてないんだよ」


「いいえ、わたくし、心配なのです。お姉さまはもう十七歳。これから婚約者を探してもまともな相手が見つかるとは到底思えません。ただでさえお姉さまは容姿も控えめな方でお静かな方で質素を好まれる方で、本ばかり楽しまれているのでお相手が見つかるのか……リィは不安なのです」


「リィのためにも早急に伯爵家から出ていけ。この際、メイドになってどこかに仕えるでも、修道院に入るでもいい。リィに嫌がらせをしたお前を拾う物好きな男なんていないに違いないからな! 間違っても殿下がお前を見初めるなんて思うなよ、恥知らず。お前みたいな地味で貧相で生意気で面白みのない暗い女を妻にしたい男なんて存在しない」


 目を伏せるフレイアを見て悲しんでいるとでも勘違いしたのだろう。

 背後からこの催しの主賓である第一王子が歩み寄ってくることに気づかない二人は水を得た魚のように、好き勝手な、聞くに堪えない言葉をフレイアに投げつけている。


 率直に言うと妹は何を主張したいのかよくわからないので声が言葉として頭に入ってこないし。ライアスはライアスで意味の分からないことを言っている。

 妹は大きな眼に涙を浮かべているような姿はきっと。聖女のように清らかに見えているのだろう……その台詞さえ聞こえていなければ。


 だがあまりにも迂闊なことにふたりは周囲の注目を集めすぎた。

 この国では婚前交渉が厳しく禁じられているわけではないが血統を守るという観点からあまり歓迎されない。

 たとえそれが婚約者同士だったとしても婚姻前の妊娠はもっての外で。もしも妊娠してしまった場合はその事実を隠し通して式を挙げるのが一般的だ。


 故に先ほどからふたりを見る目が少し冷えているのだけれど。ふたりはそんな変化も感じられないほどに敵である自分に意識を傾けてしまっている。

 このまま黙っていても『以前』のようなひどいことにはならない気がしたけれど。純粋に疑問に思ったことがあった。

 後から思えば自分もこの状況にほとほと疲れていたのかもしれない。


「あなたは先月十六になったばかり。子供は十月十日で生まれます。この国では……十八歳にならなければ結婚できないはずなのですけれど……?」


 気づいた時にはそんな言葉が口から零れていた。


「嫌ですわお姉さま。それは男性のことでしょう?」

「……十年前はそうでしたわね」


 馬鹿にする顔をしている妹の顔がもう、なんというか痛々しい。

 十中八九、十年前の常識を妹に語ったのは継母だ。

 身体を使ってでもライアスを奪えというのも継母の差し金だろうか。

 だが結婚の年齢について誤認しているとは思わなかった。

 今時平民でも知っている常識だ。

 そのやりとりは周囲に届いたのだろう。波が広がるように小さな笑い声が広がっていく。




「あはは! もう……バカなことしてるから咎めに来たのに笑っちゃったじゃないか」


 そんな中。豪快に笑い飛ばす声がして。フレイアは背筋をまっすぐに伸ばしたまま作法通りにカーテシーをした。


「なにがおかしい……!?」


 笑われたことにカッとした様子で振り向いたライアスはその顔のまま目の前で第一王子に対面して硬直し。妹は眼と口をぽかんと丸く開けたまま作り物めいた第一王子の美貌に見惚れていた。


「なにがおかしいって? 僕の意志がどうであれ、僕の婚約者を探すための舞踏会で婚約破棄というめちゃくちゃ縁起の悪いことをされたらね。人に任せて君達を摘まみだすくらい造作もないんだけど……ちょっと気になったからね」


 第一王子は明るくやわらかな口調で話しかけてくる。 

 柔和で親しげな口調だが目が……欠片も笑っていない。


 第一王子は御年二十一歳。

 昨年まで本人の希望で遊学に出ていて。婚約者の侯爵令嬢が病で婚約を辞退したため、急遽設けられた舞踏会だ。

 当然、今宵この場に集った貴族たちは第一王子を祝福し、あわよくば自分の近親者を妃にと望む者ばかりだ。


 そんな場で揉め事……それもかなり低俗な……を起こしてしまった自分たちの責は如何ほどか。

 謝罪どころか顔を上げることも許されない。

 そう思ってフレイアはカーテシーの姿勢のまま顔を上げなかったしいろいろなことを漸く理解し始めたライアスの顔からはさぁっと色が失せたのだが。

 妹の考えや常識は違ったようだ。


「ご、ごめんなさい……けれど、全部お姉さまが悪いのです。平民育ちだという理由だけで、ご自分の容姿に自信がないからという理由だけでリィをいじめるから、婚約者のライアス様と仲良くできないから……ライアス様は悪くないのです。わたくしの境遇に同情してくださって……ひどい生活から助けてくださろうとしただけなのです。結婚も言葉の綾で……勿論妊娠も、婚約もしていません。ルフェウス様……わたくしを、助けていただけませんか」


「り、リィ……?」


 眩暈がした。

 なんというか理解が及ばなくて。フレイアは自分の頭の芯がぐにゃぐにゃになるのを感じた。


「随分と面白いことを言う子だ……衛兵、ふたりを西の塔に入れておけ」


 視線を向けることなく第一王子は近衛に命じ。ライアスは顔を蒼くしたまま、妹は理不尽な目に遭った悲劇のヒロインのような表情で大広間から姿を消した。


 妹がこうなったのは誰の責任だろうか。

 際限なく妹を甘やかす継母だろうか。

 教師や姉にいじめられたという言葉を真に受ける父だろうか。

 妹の言うことを欠片も咎めない侍女や教師だろうか。

 とりあえず言えることは『私は何も悪くない』ということ。

 けれど貴族としてルーンベル伯爵令嬢リーナの姉として、身内の不始末のけじめはつけなければいけないだろう。




 そんなことを思いながらフレイアは姿勢を崩さないまま、第一王子の言葉を待った。

 妹を咎め、謝罪をすることすら、許されていないので顔を上げるわけにはいかない。

 この国の不敬罪は……重いのだ。

 

「そう、身を固くしないで。僕は君に同情しかしていないから。けれどまぁ、確かにここは話し合いに向いていない場所だからね、僕らは適した場所で話そうか」


 低められた声を投げられて。フレイアは背筋の付け根からほんの少しだけ力を抜いた。

 許されていないから目を上げていないけれど磨き上げられた目の前の床に。磨き抜かれた第一王子の靴が見えた。


 顔を上げて、と促され。最初に目に入ったのは星の光を紡いだような白銀の髪。

 長い髪は銀糸を織り交ぜた蒼い紐で結われていて。顔を直視することを躊躇っているうちにどうやったのか、その眼差しに囚われた。

 長い睫毛の陰から見えるのは、星空を思わせるうつくしい双眸。

 大陸一と名高い、側妃によく似た端麗な面差しを綻ばせ。第一王子はどこまでも完璧な動作でフレイアをエスコートし。ざわつく大広間から堂々と連れ出した。

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