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Act05. 初めての出会いと決心(1)

 トントン。


 威厳のあるノックの音が響いた。


「ハルデンベルク子爵様(ししゃく)がお越しになりました。応接室にお通ししております」

「準備して出かけるわ」

「はい」


 使用人が丁寧に頭を下げて退室した。

 私はゆっくりとソファから立ち上がる。実は、もうとっくに準備を終えて待っていた。けれど、余裕があるように見せるのが肝心だからね。


 ……でも、実際は全く余裕なんてなかった。 鏡の前でずっと落ち着かず、焦りながら自分の顔を見つめていたのだ。


 ――今日の顔、気に入らない!

 白い肌は少し擦っただけでも跡が残る。そのせいで、目の下のクマが目立ってしまう。化粧で隠したつもりだけど、近くで見られたらバレるかもしれない。


 鏡の中の私は、頬を赤らめていた。手を握りしめ、また開いて。止まらない胸の高鳴りに全身が熱くなる。鼓動の速さが耳に響いてくる。


 ――エルだったら、どうしよう?

 ――エルじゃなかったら、どうしよう?


 思考がぐるぐる回る。私は乾いた唇を舐め、走り出しそうな足を無理やりゆっくり運ぶ。この扉を開ける瞬間、何かが決まる。


 ガチャッ。


 扉が滑らかに開き、その先に――振り返った整った体格の男性。

 私は必死に冷静を装い、視線を上げる。でも、無意識に息を止めてしまった。

 逆光の中、彼の顔に落ちた影は輪郭をくっきりとさせながらも、柔らかさを帯びていた。


「リューネの光が届く時期の祝福を。お会いできて嬉しいです、イリィチャ令嬢」


 ――似ている。


 私はドレスの裾を強く握った。


「エーリヒ・ヴェルナー・フォン・ハルデンベルクと申します。微力ながらアルブレヒト皇子殿下の補佐官を務めております」


 黒に近い栗色の髪、そして紺色の瞳を持つ青年。少ししっかりと見えながら流麗な顎のライン。清らかで澄んだ瞳は、たしかにエルと似ていた。しかし――


 エルじゃ、ない。

 エルは、青みがかったほど真っ黒な髪を持ち、瞳は深い紫色だった。


 何より、エルだったなら……、私をこんな見知らぬ目で見ることは……、ないはずだ。

 胸の奥で、冷たい何かがひやりと流れ落ちる感覚がした。


 ――がっかりしないで。最初からエルじゃない可能性は分かってたじゃない。むしろ、一度で見つかる方が奇跡に近い。エルが危険に巻き込まれていないなら、それはそれでいい。

 ……そう思っても、体の力は抜けた。せっかく掴んだ手がかりだと思ったのに。


 ――いけない。私は表情を崩さず、微笑んだ。


「初めまして、ハルデンベルク子爵。オブロフから参りました、エカテリーナ・アースナヤポリャーナ・イリィチャです。お気軽にエカテリーナと呼んでください」

「それでは私も、エーリヒと呼んでください」

「喜んで。ありがとうございます、エーリヒ」


 エーリヒの瞳が大きく見開かれた。『名前で呼んでほしい』という言葉は、ただの慣習で交わされる言葉に過ぎないから。初対面で名前を呼び合うなんて、ほぼ無い。特に異性では。


 私の小さないたずらに、彼が当惑する様子を見ると、笑いがこみ上げる。七皇子の最も鋭い剣と言われる男が、こんなに純真だなんて。


 しばらく言葉に戸惑っていたエーリヒが、やっと微笑みを返した。


「はは……、愉快な方ですね」

「ふふっ、よく言われます。お褒めと受け取っておきますね」


 ついでに、厚顔無恥とかもよく言われるけどね。

 最近、大使が血圧の薬を飲む羽目になったって噂があるけど……、まさか私のせいじゃないわよね?


 ――さて、どうしようか?


 もうここは帝国だ。動くも動かないも、私次第だ。

 胸のどこかにまだ空虚が残るけど……。私は気持ちを立て直す。


 ――まあ、これはこれで楽しいかもしれない。せっかく帝国まで来たんだし、思いっきり楽しまなきゃ損だよね!

 少し困ったような笑みを浮かべるエーリヒに、私は再び微笑んでみせる。

 ――うーん。例えば、あの狭いオブロフじゃなくて、ここで素敵な恋愛相手でも探してみるとか?





 ***



 トコトコ。

 ヒヒヒン――!


 馬車がゆっくりと速度を落とし、やがて止まった。

 エーリヒの顔を見た城門の衛兵たちが、慌てて姿勢を正し、槍を下ろして私たちを通した。先に馬車から降りたエーリヒが、丁寧に私へと手を差し伸べる。


「着きました。この庭園を通って、城の中へどうぞ」

「ここが、皇城ノイエ・ヴィスルイゼンですね!」


 私は心から感嘆する。

 朝の霧はすっかり晴れ、今は雲ひとつない青空。白く輝く城の姿は、私の想像をはるかに超えて荘厳で、美しい。


「さすがに、すごい規模ですね……。迷子になったりはしませんか?」

「ええ、よくあると聞いています」

「やっぱり……」


 即答に思わず苦笑する。

 こんなに即答で肯定されるなんて! 彼は迷わないだろうけど、私は間違いなく迷子になりそうだ。


 ――まあ、今日は初日なんだから、脱走本能にはブレーキをかけておこう。

 そもそも、こうして皇城を訪れることになったのは、ちょっとしたきっかけだった。


 軽く会話を交わしていたときだった。私が様々な芸術品の集大成である皇城が気になると言ったら、彼は意外と快く申し出てくれた。彼自身も、これから皇城での用事があるらしい 。


 もちろん、逃せない好機だった。――なにせ、三日後のテロを考えると、会場を事前に把握しておきたかったから。

 皇城の庭園は、典型的な迷路式とはいえ、その規模がまるで別格だった。 最初に視界を奪ったのは、圧倒的な大きさを誇る噴水だった。


「すごい……。これが三百年前の彫刻家、ラウデルロの作品という (ペガサス・)角獣(ユニコーン)の噴水ですね?」


 白金の翼をもつユニコーンが、水瓶を両前脚でしっかりと抱えている。そこからあふれ出す水が複雑に枝分かれして、いくつもの虹を描き出していた。


「はい、その通りです」

「わぁ……! オデオン様式最高の真髄と呼ばれる作品を、こうして見られるとは……」

「芸術にご興味がおありですか?」

「母が美術に造詣が深かったので。自然といろいろ学ぶことになりました」


 ――はっ、少し興奮しちゃった。でも、我慢できるはずないでしょ!?

 だってこの庭園中の彫像、どれも博物館級の文化遺産なんだよ!


 だが問題は――、足が痛いってこと。

 今シーズンはヒールが高いほどオシャレって風潮で、つい合わせちゃったけど……。こうなることを知っていたら、楽な靴を選ぶんだった。


 扇子をぱたぱたと軽くあおと、彼が私を丁寧に案内した。マヨルラカオレンジの並木奥にある五角形のガゼボ(東屋)だった。


「ここで少しお休みになりませんか?」

「はい、お気遣いに感謝いたします」


 ……気づいてくれたのね。

 私は遠慮なんてせずに、すぐ腰を下ろした。もう、大きさだけで圧倒される感じだ。これでやっと、庭園一つなの!?


 ノイエ・ヴィスルイゼンが広いという話は耳にタコができるほど聞いてたけど、非常識すぎる。

 ハイヒールで長く歩くくらいは、とっくにマスターしたと思ってた。けど、私、井の中の蛙だったよ……。


 ズキズキする足をすぐにでも揉みたいけど、我慢する。助けてぇぇ。もう足にタコができそう……!


「平日午後の皇城は、思ったより人が少ないですね」

「イリィチャ令嬢が静かに見学されたいかと思い、人の少ない場所を選びました。……不祥事のせいもあります」

「あ……」


お読みいただきありがとうございます!

次回は皇城でのお話になります。お楽しみに。

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