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Act 02. 二十五日の猶予と、再会への切符(2)

前回――

帝国行きの切符を手にした彼女は、限られた猶予の中で次の一歩を踏み出す。

だが、その行く手には予期せぬ影が――。

「どうして?」


エルはしばらく言葉を考え、ゆっくりと答えた。


「カーチャは、いつも…… 優しい。僕を…… 見てくれる。他の人と、違う。僕を見て……、嬉しそうな顔を、してくれる。好き」


その無垢(むく)な笑顔に、なぜかとても切なくなった。


私はエルを抱きしめて、大声で泣いた。

――ごめんね。エル……、死なないで。私のせいで死んじゃダメだよ。全部私が悪かった。

こんな優しくて純粋なエルを、一人に絶対できない。


胸の中で言葉や思いがぐちゃぐちゃに渦巻く中、まとまりのない言葉がぽろぽろと溢れた。


「私も、ひっく、エル、本当に好き!」

「うん、僕も」

「これからは私がエルを守ってあげる。私たち結婚しよう!」

「え……、ええ!?」





***



「久しぶりに懐かしい夢を見たね……。エルのことを考えたせいなのかな?」


私は大きく伸びをしながら、あの頃のことをふと思い返した。


あの時、エルは何て答えたんだっけ? 肝心なそれが思い出せない。私にとって最初で最後のプロポーズだったのに。


――その後、みんなにバレて死ぬほど怒られたことしか思い出せない。当然、外出も禁止されたし。

代わりに謝りに行った母から聞いた話では、エルは両腕を骨折し、熱が出て療養だと。

心配で気が狂いそうだったけれど、面会も禁止だった。オブロフに帰ることなった日は三日後だったのに。


結局、私はエルに会えずオブロフに戻った。八歳、夏だった。


「エルを見たのは、それが最後だったよ」


帰ってきてから気づいたんだ。私は、エルの本当の名前すら知らなかった。


『エル』――あれは愛称だったはず。なのに、彼の本名が思い出せない。いや、そもそも聞いたことすらないような気がする。


どこの国の出身かさえ、私は知らない。

戸籍調査なんかより、ただ遊び回ることが楽しみで仕方なかったからね。


「ほんと、馬鹿みたい……」


小さく舌打ちして、目を閉じた。


――昨晩、一晩中悩んだ。


どうすれば父に疑われず、自然に帝国行きの許可を得られるかな?


『あの事件』が起こるのは、リューネの日。

勝利したアルブレヒト皇子が戦勝記念の宴を開く予想の日。


なら、やっぱ祝賀使節として行きたいというのが、一番自然だろう?

理由は…… しばらく退屈していから、気分転換に旅行でもしたい―― 言えばいいはず。うん、普段から気まぐれに生きていて良かった。


今もどこかで、あの優しい声が聞こえた気がした。『カーチャ』って呼ぶ、小さな少年の声。

冷たく乾いていた心臓が、ふと鼓動を打った。懐かしく、同時に不安に。


「時間があまりないわ。リューネの日まで、あと二十五日。オブロフから帝国までは、横断列車に乗って丸々十日かかるから……」


父は起きているだろうか?


遠くから鐘の音が鳴った。いつもなら何とも思わなかったはずのその音が、今日はどうしてか葬式ミサの鐘のように聞こえた。私は拳に力を入れた。


――その時、ノックの音が静かに響く。


「入りなさい」


銀のトレイに白い封筒を載せたメイドが、静かに近づき頭を下げた。

その封筒には、父からの伝言が記されていた。

私は深呼吸をして、父の執務室へ向かうことにした。


会いたいと申し出る前に呼ばれるなんて、少し驚きだ。

まさか……、昨日書斎に忍び込んでたの、バレていなよね?

胸がざわつく。私は唾をゴクリと飲み込んだ。そして、震える手で扉をノックした。


「入ってこい」


父の声が返ってくる。扉を開けて一歩足を踏み入れると、椅子に座った父がゆっくりと顔を上げた。


「昨夜はよくお休みになれましたか?」

「ああ。座りなさい」


父の表情は、いつも通りだった。それでも、私の胸に不安が消えることはなかった。父は、昨日笑顔で握手を交わした相手を、翌日には冷酷に処刑できる男だから。


「昨日はかなりお酒を召し上がっていたそうですが。二日酔いは大丈夫ですか?」

「ははっ! いらない心配だぞ。俺がその程度で何ともないってことは、お前もよく分かっているじゃないか」

「それでもです。父上が隙を見せれば、あの愚かな兄がうるさくなりますから」

「ははは、だから俺はお前が好きなんだ、カーチャ。ところで――

「はい?」


背筋が自然と伸びる。


「帝国から書簡が届いたのだ」

「帝国…… ですか? どんな内容だったんですか?」


私は無垢な表情を装い、目を大きく見開いた。父は淡々と答えた。


「近づくリューネの日に、戦勝記念の宴が開かれる。アルブレヒト皇子が各国に招待状を送っている。自分の勝利を確実に知らしめたいんだろうな」

「なるほど……」

「使節団を派遣しなければならないが、お前が代表で行ってみるか?」


まさか、こんなにあっさり――! 私はすぐに承諾した。


「まあ、良かったですわ! ちょうどドゥカティの新作が帝国限定で発売されると聞いて、どうやって手に入れるか悩んでいたところでしたの!」

「ふむ。古臭い帝国の連中らが、お前の出身を快く思わないかもしれん。しかし、表向きには問題いないだろう。お前は俺が認めた唯一の娘だからな」


「もちろんです。絶対くじけたりなんてしません。だって、私は父上の娘ですもの」

私とそっくりの青緑色の瞳が、私に向かって鋭く光った。

「それでいい。しかし、カーチャ」

「はい、父上?」

「帝国はまだ混乱の中にある。気を付けろ。特にアルブレヒト皇子の周辺は、いつ暗殺の試みがあってもおかしくない。だから、あまり近づかぬようにな」


その言葉の裏に、深い意味が込められているように感じた。私は震える指先をそっと隠した。


「まあ、美男子という噂が絶えないから、近くで見たかったのですけどね。適度な距離を保って見守ることにしますわ」

「ははっ、そうだな。適度が一番だ。――もう行ってもいいぞ」

「はい、父上」


私は軽やかに一礼し、部屋を出る。人気のない建物の角を曲がると、小さな少年が現れ、今日の報告メモを差し出してきた。


私は一瞥して、それをくしゃくしゃと丸める。


「うわ、今日も馬鹿が馬鹿なことをしてるね」


どうやら、愚かな兄が、面白いことを仕掛けているようだった。


物語は、ここから加速する。

次回、彼女を待つのは運命を揺るがす再会――。

第四話は明日06:10公開予定です。

お見逃しなく。

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