表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/34

第10章. 帝都の夜の誘惑と予想外の訪問者(5)

 途中から肩をふるわせてたマティアスは、ついに我慢しきれず爆笑(ばくしょう)

 そして――


「ぎゃははっ!」

「痛っ!」


 私の背中を、思いっきりバンバン叩いてきた!

 いやほんとに痛いんだけど!? 私、男じゃないからね!?

 なんでそんなに本気で叩くのよ!


 ジト目で睨みながら背中をさすったけど、マティアスはまったく気づいてなかった。

 笑いすぎて、顔が真っ赤になってた。


「暑いし、風にでも当たってくるわ!」

「えっ、ちょ……エーリヒも!?」


 なぜかエーリヒまで連れて、二人は外へ出ていった。





 ***



 ひとり残ったフランツが、私の空いたグラスにワインを注いでくれた。


「さ、飲もうか」

「ありがとう」


 夜の帝都、赤いワインがグラスに満ちていく。

 気がつけば、もうすっかり夜更けだった。

 ピアニストの指先から零れる旋律は、静かで美しく――まるで夜想曲みたいに響いていた。


 グラスの中のワインが、ゆらめきながら波打つ。

 軽やかな音が、照明のきらめきと混ざり合って――まるで、音楽そのものみたい。


 私はそっと耳を傾けた。

 黒の燕尾服(えんびふく)をまとった演奏者が、身を屈めて鍵盤の上を舞う。

 アレグレット。少し速めのテンポ。

 交差する指、揺れる旋律、そして――だんだんと、速さを増していく。


「エカテリーナ」


 フランツの声が、集中していた耳を打つ。その指先が、そっと私の頬に触れた。

 顔を上げると、鋭い顎のライン。

 そして、銀鉱石(ぎんこうせき)のような灰色の瞳が、あからさまな誘惑を湛えて――私を見ていた 。


「アルブレヒト殿下は、重いって感じ?」

「うん。外見も、立場も、なにもかもが」

「じゃあ――俺は?」


 低くかすれた声が、耳元に落ちる。視線が絡まり合って、胸がふっと痺れる。

 思わず、瞳を見開いてしまった。


 彼の瞳がふっと動く。唇がわずかに開かれる。沈黙のなか、そっと距離が縮まる。

 髪を撫でる指先。熱が伝わって、鼓動がざわつく。

 ぎりぎりの距離――もう、息が触れそうで。


「――さあ、どうかな?」

「俺はいいと思うけど。舞踏会で初めて見たときから、惹かれてたし」


 髪をなぞっていた手が、顔に触れて、また離れる。

 名残惜しげに、もとの場所へ戻っていく。

 指先が唇に寄せられた。キスを誘うような仕草。

 そのまま、銀の髪の美男子が、じっと私を見つめてくる。


 ごくり、と喉が鳴った。挑発するような視線が、甘く、私を誘ってくる。


 ――想像してしまった。

 目を閉じたら、このまま唇を奪われるんだろう。


 鼓動が早まる。甘さの奥に、しびれるような刺激がある。

 自然と、両手に力が入って。唇が、無意識に、閉じてはまた開く。


 そのときだった。


 彼の目元が細められた。

 次の瞬間、顔がすっと近づく。熱を帯びた吐息が、私の吐息と重なっていく。まさにその瞬間――


 私は、自分の指先で唇を塞いだ。


「プレイボーイでしょ? 自分でもわかってるくせに」

「ふむ、それはどういう意味だ?」

「閣内恋愛なんて、うまくいってもプラマイゼロ。こけたら最悪でしょ」

「あなたは本気でそう思ってるのか?」


 彼の手が、膝の上に伸びてくる。

 ぞくりとしたけど、私は脚をひねってかわし、笑った。


「この制服はドレスと違って誤魔化せないんだから。手は大人しくしてなさい、フランツ」

「……惜しいな。ドレスなら俺の手ぐらい、誰にも気づかれないのに」

「へえ?」

「――殿下の慧眼(けいがん)かもしれんな。おまえみたいな奴がいるからだ」


 呆れた声が割り込んできた。エーリヒと戻ってきたマティアスだ。

 状況を察したのか、彼はフランツの肩をつかみ、私から引き離して腰を下ろした。


「まったく……だから俺は、ちょっとも席を外せないんだよ」

「嘆かわしいな。友の気持ちを全然わかろうとしない奴がいるとは」

「よく言うな! 舞踏会で一緒にいた黒髪の女性はどうしたんだ!」

「お互い納得して区切りをつけた、ほんの一時の遊びだ。もう関係ないさ」

「おまえな! それで何人目だと思ってるんだ!」


 マティアスが説教を始めそうになって、フランツが慌てて話題をそらした。


「まあ、俺のことはいい。エカテリーナにも言い寄る男は結構いるだろ?

 この前のティーパーティーでも、一番の人気者だったんだぜ」

「はあ……。フランツだけでもうんざりなのに、なんでおまえまで」

「えっ? 私は紹介された人と話しただけだよ!

 それ、私までフランツと同じ扱いじゃない?」


 リューネの日以来、泣きたくなるほど忙しい日々だった。

 遊ぶ暇なんてなかったのに。不公平すぎる!


「おい、それ本気で言ってるのか?

 おまえのせいで別れたカップルがいるって噂、もう俺の耳にまで届いてるんだぞ」

「なんでそれが私のせいなのよ? 私が言い寄ったわけでもないし。

 ただ、その男が勝手に私に惚れて、女が怒って別れただけでしょ。

 ――そんな程度で壊れるなら、どうせ長続きなんてしなかったのよ」

「はは……」

「むしろ感謝してくれてもいいくらいだわ」

「まったく、口だけは達者だな!」

「いったっ!」


 頬が、ぐいーっと伸ばされた!

 ……マティアス、酔ってるでしょ!? こんな仕打ち、人生初なんだけど!?

 ……別に惚れたりしないけど!


 完全に、近所の悪ガキを叱るお兄ちゃんみたいだった。

 気さくに仲間扱いされてる気は、

 まあ、悪くなかったけど――頬はめっちゃ痛い!


 私は、心の中でそっと誓った。

 ――絶対、婚約者に告げ口してやる。

 外の女の、繊細な頬を引っ張ったとか。背中をバンバン叩いたとか。


 聞いた話じゃ、婚約者にはめっぽう弱くて――恐妻家(きょうさいか)予備軍なんだとか?

 ふふ……どうなるか、楽しみね……。


 じとーっと睨んでやったのに、マティアスはぜんぜん気づかない。

 代わりに、延々と説教を続けてくる。


「わかったか? ここは帝国なんだぞ。

 殿下の意志で官僚の席にいるおまえの行動は、全部殿下に繋がるんだ!」

「かっっったい! 恋人作らずに広く遊ぶくらい、どこが悪いのよ!」

「それ、いつもフランツが言ってるセリフだぞ!」

「殿下は、私の行動なんて気にしてないって! フランツだって放置されてるじゃん!」


 ……なぜか毎回、被弾しまくるのはフランツだった。


「おまえは殿下に特別に招かれた客人なんだ!

 最初から好き勝手やってるあの奴とは違う!」

「それ差別じゃん!」

「……なあ、さっきから俺の名前、出すぎじゃないか? なんでそんなに巻き込むんだ?」


 フランツが、うんざりした顔で銀髪をかき上げる。


「わかんない? 普段のおまえの行いのせいに決まってるでしょ!」

「うるさいよ、フランツ!」

「……」


 フランツ号――見事に轟沈!


 エーリヒは口を挟まず、静かにフランツの背中をぽん、と叩いた。

 そのまま(ふところ)から時計を取り出して確認し――ふっと、表情が曇った。


「話に夢中で、伝えそびれていましたね。

 本当なら戻ってすぐに言うべきでした……マティアス?」

「ん? なんだよ」

「まさか、忘れてませんよね。……もうすぐ、お見えになる時間です」

「……え?」


 なに? 誰が? 私は首をかしげた。フランツも「さっぱりわからん」って顔してる。

 でも――私たちとは違い、隣にいたマティアスの顔だけが、一瞬で固まった。


「しまった! すっかり忘れてた! いつ頃だ!?」

「もうすぐです」

「誰? えっ、まさか……?」


 嫌な予感が、言葉にする前に、背筋を駆け抜けた。

 私は反射的に振り返る。

 氷を背中に押しつけられたみたいに、ゾクッとした。

 誰もいないはずなのに、背中がぞわぞわと冷えていく。


 ……気のせい。きっと、気のせい。

 こんな夜に、こんな酒場に、まさかあの殿下が来るなんて――そんな、バカな。まさか……。


「……そなたたちは、こんな場所でもずいぶんと賑やかだな」

「でっ……っ!」


 ――この声は!


 私はとっさに、叫びそうになった口を、全力で噛み殺した。

 モンスターか幽霊じゃあるまいし、「出た!」なんて叫んだら……。その後が、怖すぎる!


 びくびくしながら振り返ると、フードを深くかぶった男が片手で頭を押さえて、ため息をついていた。


 ……疑いようもない。

 顔の上半分を隠してても、(あご)までしっかり(おお)っていても。

 そんな程度で隠せる美貌じゃ、ないからね。


本日もお読みいただき、ありがとうございました。

次回もどうぞご期待ください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ