第10章. 帝都の夜の誘惑と予想外の訪問者(2)
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「こんにちは、フランツ、キルステン」
「来たか」
「半日ぶりだな、エカテリーナ。変わりはないか?」
「……半日で何か変わると思う?」
「正確には……十二時間ぶりだな……」
はは……。みんな笑ってるけど、全然笑えてない。
……なんで涙が出そうなの?
そう、『押し寄せる仕事』の前では、
国籍も年齢も性別も関係なかった。
まさか一週間で、
アルブレヒト皇子の部下たちと、呼び捨てで話す仲になるなんて。
彼らは皆、軍人らしい引き締まった体格で、見事な美形揃いだけど……。
残念ながら、今は何の関係もなかった。
私たちの間にあるのは、皇子にこき使われて死にかけたことで芽生えた
――謎の同志愛だった。
私は幸い帰宅できたけど、何人かは城で仮眠を取ったらしい。
もう、ブラック職場すぎない!?
――でも、あの人たちは元軍人でしょ? 体力あるんでしょ?
私はそうじゃないの!
「思ったより人数が少ないね。他の皆は?」
「マティアスはそろそろ来る。バルデマーは軍務で今日は不参加だ。エーリヒは内務省に用があったが、今ごろ終わっているだろう」
「……みんな忙しいのね。じゃあ、ユルゲンは?」
キルステンの端正な顔が、わずかに歪んだ。
「知らん。どうせあの陰気なやつ、開始直前ぎりぎりに出てくるさ。
お前も物好きだな、あんな不気味なやつを気にかけるなんて」
「だって同僚でしょ?」
「同僚だと? 馬鹿げてる! あんなやつは――」
――ガチャリ。
扉が開いた。現れたのは、まさにそのユルゲンだった。
乱れ一つない灰色の髪。冷たく光る眼鏡。両腕いっぱいの書類。
完璧に『冷徹な軍師』そのもの。
「……」
今の会話を聞いてたはずなのに、
まるで他人事みたいに無表情で席に着いて、書類を読み始めた。
「こんにちは、ユルゲン」
「……」
「ほら、返事くらいはしてくださいよ」
「……そうだな」
渋々って感じで、仕方なく相槌を一つ。またすぐに、視線は書類に戻る。
――こういうの、なぜか放っておけないんだよね。
側にいた二人は、眉をひそめたけど、何も言わなかった。
やがて他の者たちも、続々と集まってきた。
そして最後に現れたのは、秘書を伴ったアルブレヒト皇子。
全員と視線を交わしつつ、なぜか私の目だけは、避けた。
……少しぐらい良心の呵責、感じてくれていますか?
――ひどい。私の安息の日々を返してください、皇子様!
「――それでは、次の案件に移る。昨年の貿易収支は……」
「経済活性化のための新たな施策ですが……」
「アーベルブラウ地方で不穏な動きが……」
……ねえ、毎日三時間は会議してるのに、
なんで次から次へと問題が湧いてくるの!?
経済、社会、治安、福祉、教育に外交。
――私は誰? ここはどこ? 眠い。脱走したい……。
帝国で食べたいスイーツが山ほどあるのにーっ!
……でも、そんな現実逃避すら許してくれないのが――アルブレヒト皇子。
少し俯いて書類を読む、その横顔の角度まで完璧。
前髪を払う仕草すら、絵になるんだから。
本人は『皇族は髪を長く伸ばせ』という規律に、
「本当ならバッサリ切りたい」ってブツブツ言ってたけど……。
帝国の皇子でありながら、生き残るため軍門に入ったと聞いた。
けれど、その経験こそが、逆に彼の武器となった。
……彼は、軍略の天才だった。しかも、希代の。
そして彼を支える七人の部下たち。
『アルブレヒトの七本の剣』と呼ばれる精鋭集団。
……でもね、反対派がつけたあだ名は――『アルブレヒトと七人の小人』。
ぷっ……。あっ、やば……いま笑ったら絶対怒られる!
全員百八十センチ超えで、キルステンに至ってはほぼ二メートル。
どこが小人なのよ!
――あれ? じゃあ、『七人の小人』なら、
アルブレヒト皇子は……『白雪姫』?
いやいや、この冷酷皇子様が白雪姫なんて――笑い死にする。
「一か月後の冊封式の準備はどうなっている?」
……あ、重要な話題来た。気を引き締めなきゃ。
「滞りなく進んでおります。
招待状を送った各国からも出席の確約を得ており、使節団の規模も数百名に及ぶ見込みです」
「名簿は入手したか? 各国の使節が集う場だ。
アウフェンバルトの名に恥じぬよう万全を期せ」
「はっ!」
……リュネの日の件もあったし、今度こそ失敗は許されない。
鋭い眼差しで全員を見渡す皇子に、皆が一斉に頭を垂れる。
オブロフ? 私がいるから追加派遣はないって、大使が答えてた。
即位式でもないし、父がわざわざ来るほどの格じゃないしね。
……でも、なんで私、大使より働いてるの?
あの人はすっかりリバウンドして優雅に過ごしてるのに!
諦めたら楽になる――そんな悪魔の囁きが聞こえたけど、無視する。
逃げるんだ、絶対逃げきってみせる……。
だって、もう五時間も会議してるんだよ!? クワーッ!
「本日の会議はここまでとする。諸君の労に感謝する。解散せよ」
……やっと!
五時間越えの地獄会議が終わり、皇子が立ち上がる。
秘書役のシュレスホルツ令嬢も従った。
彼女って侯爵令嬢だったっけ。
そういえば、まともに話したこともない。内閣の女性って、私と彼女、たった二人なのに。
「殿下、次は二十三分後、公的支援関連の案件が――」
「分かっている。時間がない、すぐ移動だ」
「かしこまりました」
……今みたいに、会話する余裕すらくれないんだから。
彼女は貴族令嬢にしては珍しく、短めの茶髪を低い位置でひとつに束ねていた。
話すたびにその髪が揺れて、隣では皇子が足早に歩を進めていく。
どう見ても、次の予定もびっしりのようだ。
――ほんと、疲れないの? 二人とも。本物の仕事中毒だよ……。
私はムリ。
そう思いながら、新調した真っ白なコートを合わせていると、フランツが声をかけてきた。
「エカテリーナ、この後、予定とかあるか?」
銀髪に映える銀灰色のコートをぴしっと羽織ったフランツだった。
「ううん、特にないけど?」
「ちょうどいい。せっかくだし、夕食を一緒にどうかと思ってな。人数が集まれば賑やかだろう?」
「美味しい店なら?」
「もちろん」
「じゃあ、行こうかな」
「ははっ、気持ちいい返事だな。エーリヒ、お前は?」
「僕もいいよ」
エーリヒが柔らかく微笑むと、
フランツは嬉しそうに彼の肩をポンッと叩いた。
「最近あまりに忙しそうでさ、顔を忘れかけてたんだよ」
「会議で毎日顔合わせてるでしょ?」
「だから、ギリギリ忘れずに済んでるってわけだ」
「フランツの言う通りだな。会議以外じゃ、顔を合わせる暇すらなかった」
「じゃあ、五人だな。よし、行こう!」
――内戦で皇子を支えた、七人の小人……いや、『七本の剣』。
皇都カイザースベルクで、彼らの顔を知らぬ者はいない。
何しろ見た目からして、超目立つし。
派手な制服でぞろぞろ歩けば、なおさらだ。
……レストランのオーナーからしたら、
もはや災害級の迷惑集団よね。
味に定評あるレストランは、夕食時で満席。
なのに、私たちは一番良い席に通され、これでもかというほど丁重にもてなされた。
「二次会はどうする?」
青ざめた店主を尻目に、フランツがにこにこと笑いながら言った。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
気づけばエカテリーナ、もうすっかり「ブラック内閣」の一員ですね……。




