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第9章. 十四年の遠回りをかけた風

 人の足が届かぬ氷結の大地。

 そこから生まれた風は、雲を追いやりながら、悠々と流れていく。

 移ろう流れに乗り、ただ下へ、さらに下へと――。


 アウフェンバルト帝国を大きく旋回した風は、向きを変える。

 大洋に近い島国へと。

 まるで何かの響きを呼び起こすかのように。


「……第三皇子は、部下の部下を経由して手に入れた爆弾を、

 靴底に仕込んでいたらしいです。

 あの綿密なアルブレヒト皇子ですら、

 そこまでは読めなかったようです」

「それも無理はない。

 まさかオブロフが、あんな物を作っていたとはな……」


 机に腰かけていた青年は、手を組んだまま、

 二人の会話を黙って聞いていた。

 吹き込んだ風が、烏の羽のような黒髪を、かすかに揺らす。


「今回も、公爵様の予見どおりですね。

 それで…… 結論は、どうなったのですか?」

「それが、予想とは少々違った形になりまして」

「……え? まさか……」


 驚きのざわめきが広がる。

 青年は静かに、組んでいた指をほどいた。


「結論から申し上げますと、アルブレヒト皇子とハルデンベルク子爵。

 お二人とも無傷で無事でした」

「公爵様の予見が、外れた……だと!?」


 黒髪の青年は、ゆっくりと首を横に振った。


「……私も人間です。外すことくらい、当然ありますよ。

 今回の件は、どうにも『イレギュラー』があったようですね」

「ぐぅっ、それは、ごもっともですが……」


 金髪をきちんと整えた男、レオニックが、もう一度問いただす。


「だが、戦勝の宴で、三皇子が予定通り自爆したのは事実だろ?

 あの部下が爆弾を入手していたのは、私が確認した情報だ」

「はい。そこまでは、すべて閣下の予測どおりでした」

「……おかしいな。

 結晶型の爆弾は、範囲は狭くても相当な威力があると聞いた。

 それが爆発して、二人とも傷一つ負っていない?

 どういうことだ?」


 若き公爵は、周囲の言葉に耳を傾けながら、

 卓上に指先でゆっくりと円を描いていた。


「三皇子が、アルブレヒト皇子をわざと挑発し、

 自分の元へと誘導したこと。

 そして、腹心のハルデンベルク子爵がその傍にいた。

 ――そこまでは想定どおりです。だが、結果だけが外れた……。

 やはり『イレギュラー』があったということです」

「場所も時間も、変更はありませんでした。

 となると、残る変数は…… やはり、『人』?」

「想定外の特別な誰かが、あの場にいたということですか?」


 グリウェンスフォード家に仕える家臣で補佐官のレオニックは、

 主君の横顔を見つめる。

 公爵の澄んだ紫の瞳は、この日もまた、遥か彼方を捉えていた。


「他に何か情報はありませんか?」

「はぁーっ……」


 大きな欠伸の音が、言葉を遮る。


 まるで死体のようにだらりと寝そべっていた大柄な男が、

 ゆっくりと体を起こす。


「それなら、私が少しだけは知っています」

「ネッド卿?」

「聞いてたのか、不良騎士さん」

「もちろんですよ。

 帝国どもを撒いて帰還して得た、貴重なオフだったんですから。

 少し飲みすぎただけで、問題なしです」

「……言いたいことは山ほどあるが、それは後だ。

 で、何か聞いた?」

「昨日、飲みながら聞いたんですがね。

 リューネの日の件です。我が国は潜在的(せんざいてき)な敵国と見なされ、

 特別な使節は送りませんでしたが……。

 オブロフは送ったらしいですよ。

 しかも、あのオレスキー終身統領の娘を、直接」

「終身統領の娘が、帝国までわざわざ……?」

「……待て。オブロフって、あの結晶型爆弾を作った国じゃないか?」

「偶然……かもしれませんけどね」


 こほん、と。


 グリウェンスフォード公爵家の不良騎士ネッドが、

 わざとらしく咳払いした。


「でも、その女……、さすがは、オレスキーの娘といったところか……。

 到着するなり、素早くハルデンベルク子爵に接触。

 リューネの日のパートナーになったとか。

 当然、戦勝の宴でも、子爵の隣にいたはずですよ」

「ふむ……」


 筋の通った推論だった。

 レオニックは、静かに主君に意見を仰ぐ。


「噂好きな放蕩(ほうとう)騎士にも、たまには使い道があるようですね。

 閣下は、どうお考えです?」

「……情報が足りない以上、断定はできません。

 ただ、オブロフという共通点は、注目すべきだと思います」

「うーん、でも閣下。

 なぜオブロフの使節が、アルブレヒト皇子を助ける必要があったんでしょう?

 オブロフなら、帝国が弱るほど得では?」

「ん? どうしてですか?」


 公爵の傍を離れない護衛騎士・オーガスティンの問いに、

 レオニックが舌打ちまじりに応じる。


「大陸の情勢を考えろ。アウフェンバルト帝国と、我ら反帝国連合。

 その間の仲介貿易で、大きな利益を得ているのが、オブロフだ」

「その通りだよ。オブロフは仲介貿易(ちゅうかいぼうえき)で富を保っている国。

 だからこそ、戦争は長引くほど儲かる。

 逆に、力の均衡が帝国側に傾けば……、

 オブロフのような小さな中立国は、自立が難しくなるんだ」


 公爵の補足に、オーガスティンは、ぽりぽりと頭をかいた。


「うわっ、なんか難しい話ですね……」

「お前にもわかりやすく言ってやろう。

 うちに入ってくる帝国産ワインって、ぜんぶオブロフ経由だよ。

 だからあんなに高いんだ。あいつら、そこでがっぽり儲けてる」


 言われて、すぐにピンときた。


「そんな! 酷すぎますってば!

 帝国のワイン、こっちは涙流しながら買ってるんですよ!?」

「たぶん、帝国内で買うより三倍はするぞ」

「ぐはっ……! なんと卑怯な! そんなの、反則でしょ反則!」

「はあ? 国同士の関係に、卑怯も何もあるか」

「そうだ。これは、オブロフの統領が有能ってことだよ。

 情勢を敏感に読み、仲介貿易と技術開発で国を発展させるのは、そう簡単じゃない……」

「……閣下? 何か、気になることでも?」


 公爵が、静かに問いかけた。


「……ネッド卿。オブロフの統領の娘について、

 他に何か聞いているか?」

「もちろんあります。名前はエカテリーナ。そして実はですね……」

「どうした?」

「その…… 実は、俺が帝国行きの横断列車に潜り込んだときに、

 会った女性かもしれません。特等客室で」

「なっ……、何だと!?」


 その場の空気が、わずかに揺れた。

 公爵は静かに手を上げ、再び問う。


「どんな人物だった?」

「え? あ、ああ。

 ターコイズブルーの瞳に、珊瑚色と薔薇色の間のような鮮やかな髪を持つ――

 とんでもない美人でしたよ。

 気が強くて、頭も切れるタイプでした。

 私が給仕に不慣れなことも、ロイトン出身ってことも、一発で見抜かれましてね」

「……カーチャ」

「へっ?」


 側近たちは、一斉に目を見開き、

 グリウェンスフォード公爵を見つめた。


 公爵は―― 笑っていた。

 いつもの静かで穏やかな微笑みでない。

 本当に嬉しそうな笑顔だった。


「レオニック卿」

「はい、公爵閣下」

「アルブレヒト皇子の皇太子冊封式(さっぽうしき)は、いつ頃になりそうですか?」

「……リューネの日の事件があったので、

 帝国側は急いで動かないでしょう。

 おそらく、一ヶ月から二ヶ月の間になるかと」

「オブロフと帝国との距離は、横断列車でも丸十日……。

 いったん使節を派遣した以上、既存の使節を帰還させ、

 新たな使節を送ることはないでしょう」

「はい、その通りだと思います」

「ありがとう」


 公爵は、軽く頷き、ゆっくりと立ち上がる。


「女王陛下にお目通りを願わねばなりません。準備を」

「少々お待ちください。ま、まさか……?」

「ええ、帝国の皇太子冊封式です。

 関係が良くなくても、どの国も祝賀の使節を送るでしょう。

 我が国も例外ではありません」

「そ、そうでしょうが……。

 公爵様ご自身がお出向きになるおつもりですか?」

「どうしても行かなければならない理由が、できました。

 アウフェンバルト帝国に」


 カーチャ。――やはり君だ。今度こそ、と全身が告げている。


 青年は空を仰ぎ、息を整え、静かに微笑んだ。

 幼いころ。

 親さえも、ほとんど僕を諦めかけていた頃だった。


 ――その時、君に出会った。

 言葉さえうまく話せなかった僕に、

 いつも明るく笑いかけてくれた君。

 つらい日々の中、その笑顔がどれだけ僕に救いだったか。


 ――風に乗って、鳥の鳴き声が聞こえる気がする。

 君の笑顔を思い出す。

 僕の腕を見て、声をあげて泣いた君のことも。


 再会を告げる風の囁きが、胸を満たした。

 十四年の遠回りを経た風が、いま彼の背を押した。


 ――君に、会いに行くよ。今度こそ、誰よりも恋しい君に。

 あのときの答えを、君に届けるために。


お読みいただきありがとうございました。

十四年越しの約束が、いま物語を動かし始めています。

次のパートは再び帝国編、エカテリーナの物語をお届けします。

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