第8章. 青い悪魔とその共犯者(3)
力のない皇子と生まれ、
常に暗殺の脅威にさられた日々。
彼の狭い範囲に入っていたのは、姉とエーリヒだけだった。
誰も信じられない人生で、二人だけが全てだった。
互いを愛していると知りながらも、
何一つ助けられなかった。
無力さに打ちひしがれ、ただ見守ることしかできなかった自分が、
あまりにも辛かった。
それは、アルブレヒトの最も触れたくない、逆鱗。
弱点になり得ると知りながら、誰にも話さなかった。
なのに、なぜだろう。
思わず口をついた言葉に、自分でも驚く。
――姉上とエーリヒ以外に、こんな素直な告白はしたことがないのに。
「そしてエーリヒもだ……。
エーリヒは、姉上が二度も心にもない結婚でどれほど苦しんだかを、
よく知っている。
独身を宣言していた姉上が言葉を翻すことになったら、
人々に指をさされると恐れている。
深く愛していながら、ただ黙って何も言えずにいるのだ」
――おかしい。適当にごまかせばいいはずなのに。
なぜ俺は、こうも素直に話している?
アルブレヒトは彼女の赤い髪の先を追い、空を見上げた。
……もしかして、俺は――。
この息苦しかった心を、誰かに吐き出したかったかもしれない。
「お互いを想いすぎて、逆に近づけないのですね」
「その通りだ。俺はエーリヒに、
一年以内に少なくとも伯爵の爵位を与える。
そして、二人の結婚を命令するつもりだ。」
「命令ですか?」
「もう、息苦しく見ているだけでは耐えられない。
伯爵なら、身分差についてとやかく言われることもないだろう。
俺は……、今まで不幸だった親友と姉が、
幸せになってほしい。これからは」
彼の言葉には、強い渇望と意志が込められていた。
凍っていた男の薄い青い瞳に、初めて温かな光が宿る。
氷を削り取ったような顔が、ほんのりと熱が差した。
――こんな顔もするんだね、この男。
エカテリーナは彼の顔を見つめた。
視線に気づいたのか、アルブレヒトはすぐ口を閉じる。
「は……。外部者に、あまりにも多くを話してしまったな」
彼が神経質に髪をなでつける。
エカテリーナはしばし考え、突然くすりと笑った。
「外部者だからこそ、むしろいいのではないですか?」
「どういう意味だ?」
「私がこんな話を聞いたところで、利用価値はありませんから。
だって、『外部者』ですもの」
意外にも、何の飾り気もない心からの笑顔だった。
アルブレヒトは、無意識に唇がわずかに上がるのを感じる。
認めたくはないが、この女性には、
他の者にはない何か引き寄せられるものがある。
その感覚を否定できなかった。
「……それは、そうかもしれんな」
しぶしぶの肯定に、エカテリーナの微笑みは、
なぜか一層濃くなる。
「……?」
何だかぞっとする微笑みだ、と感じていること間に、
彼女の肩が揺れ始めた。
揺れがだんだん大きくなり、やがて笑い声が爆発的に広がった。
「ふふっ……。あっははははは――!」
「……なぜ笑うのか?」
***
あっ、いけない。緊張がほぐれすぎたわ。
私は機嫌を損ねているらしいアルブレヒト皇子の顔を見て、
慌てて弁解した。
「あの、違います! 嘲笑っているのではありません!
やっと理解したんです。
――私、帝国での振る舞いで殿下に嫌われる覚悟はしていました。
ですが、舞踏会場でお会いした殿下は、予想以上にひどい方でしたの」
「……」
「今、理由が分かりました。
私、牽制されていたのですね?
エーリヒと皇女殿下の間の邪魔者になるかもしれない、と」
「それは……!」
生々しい動揺がにじむ声。
急所を突いたと実感する。私は笑いをこらえた。
――そんな幼稚な理由で、公的な使節にあれほど冷たく?
この冷静な皇子が?
暗闇の中でも真っ赤に火照った顔がはっきり見える。
私は再び笑いが爆発しそうになった。唇をぶるぶる震わせた。
だが、彼も鋭く反撃した。
「そう言うそなたは、実際エーリヒに気があったのではないか?
好意を示しているように見えたが」
「……全くなかったとは言えませんけど」
私は少し肩をすくめた。
「でも、この前、城で、エーリヒと皇女殿下を見かけました。
その時から気づいていました」
「そうか」
「ええ。エーリヒは本当にいい人ですし、
もし皇女殿下がいらっしゃらなかったら……。
興味は湧いたかもしれません。
でも! 無理に割り込んで、愛し合う二人を引き裂こうなんて思いません。
だから、ご安心ください、皇子殿下」
自由恋愛信奉者とはいえ、
他の女性を好きな男性は好まない。奪うつもりもない。
……好みではあったけれど。
松のように真っすぐで、優しい人が。
失恋まではいかないけど、少し残念――、そんな感じ?
噴水の音が静かに響く。
夜遅くの灯りを浴びて、フクロウの声が流れた。
しばらく無言で私を見つめていたアルブレヒト皇子が、
静かに腕を差し出す。
「帰ると言っていたのではないか?」
「あ、はい。それはそうですが」
その腕は明らかにエスコートの合図。
でも、ここはパーティー会場じゃないし?
彼が私をエスコートする理由なんて――、と迷っていると、彼は軽くため息をついた。
「足、捻挫しているだろう。
歩くのが大変だろうから、馬車まで支えてやろうという意味だ」
私は一瞬驚いて彼を見上げた。
彼の目は、少しだけ長く私を見つめ返していた。
「えっ……? どうして分かったんですか……?」
「その程度のことは分かる。
――そなたが今までわざと変な行動をした理由は、
全く推測できなかったが」
「あら、今は推測されたんですか?」
私はわざと丸くした。
純粋なカーチャは何も知りませんわ、という顔。
その目に、彼の眉がぴくっと動く。
『なぜ俺がこんなものを見ねばならない』と言いたげだが、我慢している様子。
あー、残念。もっと反応してほしかった。
「そなたが教えてくれない限り、推測に過ぎないが……。
そなたは、エーリヒと俺を救おうとして、
わざと今までのことをやらかした。違うのか?」
私は答えずに、にっこり笑った。
すると彼は、自分の行動を思い出したように頬を赤らめ、そっぽを向く。
あ、恥ずかしがる美男子の顔って、
見ごたえがあるよね? もっと見せてくれないかな?
――残念。どうやら、見せてくれなさそうだ。
青い血が流れる帝国の悪魔。
今までは、ただ兄弟を粛清した血に飢えた皇子だと思っていた。
なぜエーリヒが彼の話をすると、
あんな優しい顔になるのか。今なら少しわかる。
……私は微笑みながら、そっと目を閉じた。
《七皇子アルブレヒトにとって、
エーリヒ・ハルデンベルクは唯一の理解者であり、親友》
《目の前で、その親友を失ったアルブレヒト皇子は、
きっと一生自責に駆られるでしょう》
――これで情報部予測報告書、通称『予言』は完全に外れた。
うまくいった安堵の一方で、胸の奥には恐れが広がる。
《アルブレヒト皇子が皇帝に即位後、
冷徹な独裁者となる予測確:84.7%》
頭に残る活字を思い浮かべ、目の前の男を見る。
オブロフの統領である父が望んだもの――。
《備考:今後3年以内に反乱・内戦が起こる可能性: 73%。
具体的な数値は、今後変動し得る》
――それは帝国に比べれば微々たる中立国オブロフが、
帝国を弱体化させる事だったのだ。
「……行かないのか?」
声が耳に届く。
顔はわざと別の方を向いているけれど、
腕はまだ差し出されている。
耳が真っ赤だ。背けた顔も、きっと火照っている。
見えなくても分かる。口元がゆるむ。思わず唇の端が上がった。
……うん、やっぱり後悔はしない!
私は微笑みながら、アルブレヒト皇子の腕に私の腕を乗せた。
「光栄です、皇子殿下」
歩幅を合わせるため、彼は無言で速度を半拍落とした。
石畳の端を避けるとき、添えられた掌がわずかに強くなった。
お読みいただきありがとうございました。
今回はアルブレヒト皇子との距離が少し近づいた回でした。
次回はいよいよ――“彼”が登場します。どうぞお楽しみに!




