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第8章. 青い悪魔とその共犯者(2)

 ううっ……、考えただけで恐ろしい……!


 私は覚悟を決めながら目を閉じた。

 目を閉じると、さっきの悲惨な光景がちらついた。


 ――会場を染めあげた暗赤の血の海。

 あちこちに散らばった、三皇子だったはずの肉片。

 思い出すだけで吐き気がする。

 もし防御が不発なら、それは私とエーリヒ、

 そしてアルブレヒト皇子だったはず。


「うううっ……。」


 生まれて初めて目にした恐ろしい光景だった。

 喉が熱い。空嘔吐を飲み込む。

 私は必死に抑えた。理由はただ一つ。

 ――私は白鳥でいなければならないから。


 悲鳴を上げて気絶して運び出されるような

 令嬢たちと同じにはなれない。

 私には何も残らないから。

 深呼吸。よし、やっと少し落ち着いた。

 やっぱり外に出て正解だったんだ。


 ――でも、これからどうしよう?


 アウフェンバルト帝国まで来たのに、エルには会えなかった。

 もしかしたら、これからも永遠に会えないかも……。

 でも、エーリヒは助けたからね。

 目標は達成、ということにしておこう。


 でも、問題はそれだけではないんだ。父――。

 父が怒る姿を思うと、

 今でも逃げた方がいいのかなって、思ってしまう。

 大使なら、私をぐるぐる巻きにして、

 オブロフに送り返してしまうんじゃないかな……?


 自宅軟禁で済めばいいけど。本気で怒ったら、

 私を六十過ぎの後妻に差し出すとかも……。

 想像するだけでゾッとするよ。やっぱり逃げるしか……。


「ここにいたのか」


 震えていた指がぴたりと止まった。

 私はゆっくりと体を回し、声の主へと向き直った。


「あら、お客様ですね」


 泰然とした言葉に、男の眉がくねった。


「客は俺ではなく、そなたの方だと思うが?」

「もちろん立場で言えば、殿下がこの城の主で、私はただの賓客(ひんきゃく)

 ――でも今の状況では、私が先客ですわ」

「本当に、よくしゃべる口だな」


 彼が呆れたように言いながら頭を横に振った。

 月のない真っ暗な夜。遠い灯りが淡く差す。

 整った輪郭が浮かび、白金の髪が静かに光る。

 しばしの沈黙の末、彼が口を開いた。


「姉上が、そなたに本当に感謝していると。

 先程は慌てすぎて、礼の言葉さえ言えなかったとおっしゃっていた」

「それは恐れ多いお言葉です」

「正式に感謝の挨拶をしたいので、

 ぜひ自分の招待を受けてほしいとおっしゃっていた。そして……」


 小さくため息をついていたアルブレヒトが言葉を続けた。


「俺も、そなたに深い感謝を表したい。

 そなたは、俺とエーリヒの命の恩人だ。

 いくら感謝しても足りないだろう。本当に、感謝する」


 アルブレヒトは、拳を握った右手を左胸に当て、深く頭を下げた。

 視線は彼の肩で一瞬だけ止まった。


「……!」


 私は目を大きく見開いた。

 帝国の皇子である彼が、私に直接頭を下げるなんて。

『見てやる――』と思ってはいたけどね。

 私は驚き、慌てて手を振った。


「皇子殿下が、こんなことで頭を下げられるなんて……!

 そんな必要は全くありませんわ。

 正直、感謝の言葉すら期待していませんでしたし」

「……何だと?」

「あっ、いや、……しまった?」


 脳を経由せず口が、本心をありのまま吐き出してしまった。


 ――わぁ、やっちゃった……。


 今日はさすがに脳を酷使しすぎて、

 疲れた脳がストライキ中だ。

 でも言い訳にはならないな。


 横からの視線が、とても熱い。

 私はその刺すような視線を避けて、そっと顔を背けた。

 正直、少しも期待していなかったのに。

 こんな傲慢な帝国の皇子様が私に頭を下げるなんて……。

 だって、相当嫌われていたから。

 でも、まさか予想が外れるなんて……。


「そうか……」


 恩人だから我慢してくれているのかな。

 彼は何か言いたげで、堪えている。

 唇をすくめながらも、黙って顔を上げるアルブレヒト皇子。


 まつ毛が長く、顔に影を落とす。

 それを見て、私は再び感嘆した。

 緊張がほぐれると、彼の容姿の美しさに改めて気づかされる。


 なんで男のまつ毛がこんなに長いの?

 まつ毛だけじゃない。瞳、髪の毛、そして汚点ひとつない白い肌まで――。


 ……こんな美貌、あり得るのか? 本当に、私と同じ人間なんだよね?

 すらりとした体つきでも、

 肩は適度に広く、腕はしっかりしている。なのに、美しい。

 アーデルライド皇女も妖精や天使のように美しい。

 けれど、彼はそれを超える。


 ――まさに、完璧。


 この美貌なら、博物館にでも飾って鑑賞すべきじゃないかしら?

 なのに、この美男子が皇位戦争の勝者で、

 次の皇帝になるなんて……。

 相対的剥奪感が半端ないよ。本当に。

 私は話題を変えた。


「私に聞きたいことがたくさんあるだろうとは、お察しします」

「もちろんだ」

「ですよね。でも、今お話しするには慌ただしすぎます。

 日を改めて、きちんとお話しさせていただいてもよろしいでしょうか?」

「うむ」

「一度の説明では終わらないでしょう。

 さっきの神経質――いえ、堅そうな方には特に。

 どうせなら関係者をすべて揃えて、いっぺんに済ませた方がいいでしょう?」


 アルブレヒトの肯定の言葉を聞いた瞬間、

 内心でほっと一息ついた。


 実は今も、足首がズキズキと痛む。

 ……もう少しだけ我慢して。私の足よ。二度とこんな高いヒールを履くものか。


「実は、私も気になることがありました」

「何だ?」

「うーん……。少々おこがましいのですが、

 どうしても聞きたいことがあります。皇女殿下とエーリヒ……。

 あれはどうしてなんですか?

 側にいれば誰でも気づけるほど、二人がお互いを大切に思っているのに」


 少し口が苦くなったが、私はそれを認めざるを得なかった。

 アーデルライド皇女とエーリヒが同じ空間にいるだけで、

 空気が切なくなったから。


 帝国に来てまだ間もない私でさえ気づく。

 ならば、他の人が気づかないはずがない。

 隠そうとしても隠せない、お互いへの切なさが溢れている。

 知らない者が見ても一目でわかるほどだ。

 皇女の方が少し年上だという話は聞いた。

 それでも、皇子の信頼する親友と、彼の愛する姉の結びつきは、理想的なはず。


 なのに、どうして……?

 やっぱり身分のせいか?


 暗闇の中, 彼の唇がわずかに噛まれ、

 赤い唇が動き始めた。


「……姉上は、二度も政略結婚(せいりゃくけっこん)を強いられた。

 俺の勢力が弱く、まともな縁談もなく、

 年上の貴族の後妻として嫁がなければならなかった」


 帝国の皇女なのに。想像以上だった。


「しかし……。どちらも数年経たずに死に、

 姉上は再び宮殿に戻られた。

 そして、もう結婚はしないと宣言された。そうしなければ、

 三度目の結婚になるのが確実だったからだ」

「……」

「周囲からも、姉上と結婚する者は必ず死ぬという不吉な噂が流れた。

 それが幸いして、姉上の願いが叶った。それが、三年前のことだ」


 やっぱり、力がなければ自由すら持てないのか。

 私は小さく重いため息を吐いた。

 改めて、自由恋愛主義者――

 とにかくひどく自由すぎる父の存在がありがたい。


 彼があんなに自由を重んじたから、

 私にも家門のための政略結婚みたいなものを強制しなかった。

 まあ、庶子(しょし)というのもあるだろうけどね。


「そして当時のエーリヒは、

 姉上に求婚するには若すぎて、身分も低かった」

「そうでしたか」


 それは私も予想していた。エーリヒは騎士家門の出だ。

 平民より上でも、まともな貴族として扱われるほどではない。

 帝国の皇女とは天と地ほどの身分差。


「しかし今、エーリヒが子爵になっても、二人は近づけなかった」

「なぜでしたか?」

「……姉上は、既に二度も結婚し、しかも独身まで宣言していた身だ。

 だから自分がエーリヒの側に立てば、彼の評判が下がると心配しているのだろう」

「そんな……」

「年も上だし、欠点のある自分より、

 もっと若くて素敵な女性と出会った方が、

 エーリヒには幸せだろうって。――そう考えているのだ」





 ***



 静かだ。二人だけが立つ空間で、小さなため息が落ちた。

 無言の同調のようだ。

 全く考えたこともない相手に、こんなにも話すとは思わなかったが。

 それでも、アルブレヒトは止めることができなかった。



お読みいただきありがとうございました。

アルブレヒトとの初めての静かな対話回でした。次回もよろしくお願いします。

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