第8章. 青い悪魔とその共犯者(1)
ゴォン――!
ドーン!
爆音と揺れが走る。身体が押し潰されるように歪み、
空気ごとぶつかった。硝煙のにおい、
悲鳴が弾け、会場は一気に阿修羅場のようだった。
「きゃあああああああっー!」
「近衛兵――! 近衛兵はどこだ!?」
「皇、皇子殿下が!」
「テ、テロだ! こんなことが…… どうしてこんなことが!」
何も、見えない。耳だけが熱い。
「……エーリヒ?」
横に押し倒されたアルブレヒトは、親友を呼ぶ。
公式の場だということを、すっかり頭から抜け落ちていた。
エーリヒ! エーリヒはどこにいるのか!
「エーリヒ――!」
自分を横に押し倒して、
その代わりに衝撃を受けた親友は一体どこにいるのか!?
悪寒が這い上がり、手が震える。
「返事をしてくれ! お願いだ! エーリヒ――!」
お願いだから、答えてくれ、エーリヒ!
君が俺のために死んだのなら、俺は――!
その時だった。
「……はい、アルブレヒト殿下」
すぐ横から聞こえる、いつもの優しい声。
「……!」
すぐ横の穏やかな声。振り向くと、赤い波のように髪が揺れた。
それが髪の毛だと認識するには、少し時間がかかった。
解けた赤髪が目の前を漂う。オブロフの使節。
そのそばで親友が微笑んでいた。二人を包む薄い緑膜、透明な揺らぎがあった。
「間に合って、良かったです」
「オブロフの使節……。これは……?」
混濁する中で、白い顔に嵌められた彼女の瞳だけが鮮やかだ。
アルブレヒトは起き上がる。
エーリヒとアルブレヒトは、ただ黙ってその場に立ち尽くしていた。
その間にも、彼らを包んでいた膜は徐々に薄れ、
やがて消えていく。
周囲に漂っていた異質な空気も嘘のように引いた。
エカテリーナが振り返り、微笑んだ。
――これで、運命のレールは外された。
「アルブレヒト殿下――!」
「殿下! お怪我は!」
「ああ……。俺もエーリヒも、無事だ」
「殿下! エーリヒ! ご無事で……、本当に良かったです……!」
腹心たちが駆け寄り、安堵の息が広がる。
だが、次の瞬間。
彼らはその奇跡のような光景に、目を見開いた。
小型爆弾とはいえ、この距離なら即死だ。
離れた場所にいた貴族たち数人でさえ、血を流しながら倒れ込んでいるのに。
それなのに、この至近距離にいた二人が、傷一つ負っていないなんて……。
まるで、奇跡だ。
――しかし、どうして?
「卿らは、無事か?」
「はっ! マルコとクリンスマンが少し負傷しましたが、
命に別状はありません!」
負傷者も頭を下げ、悔しさと安堵が交じる。
「私どもが側にいたのに……! 申し訳ございません、殿下!」
「本当に天の采配、創造神シャダイの加護としか思えません……!」
「……すべてイリィチャ公使のおかげだ」
皆の視線が一斉に青ざめた彼女へ向く。
「……え!?」
「なぜオブロフの使節が?」
「……イリィチャ公使。お疲れのところ恐縮ですが、説明をお願いします」
参謀ユルゲンが眼鏡を押し上げ、鋭い瞳で彼女を睨んだ。
エカテリーナは少し肩をすくめ、床に散らばった真珠を示す。
「かけていたネックレスです。
オブロフ魔導工学の集大成とも言える防御魔導具で……。
防御膜を張って、どんな攻撃も防いでくれます。一度だけですけど」
「そんな物がオブロフに!」
「作れる職人は一人だけです。お金があっても手に入れるのは難しい物です。
――成人の祝いに願い出て、父から受け取りました。
まさか帝国で使うとは」
ユルゲンの鋭い瞳が、眼鏡越しに彼女を睨んだ。
「……そのお言葉。公使はまさか、今のことを予想していましたか?」
防御魔導具を持っていたとしても。
一瞬で反応するのは、普通の反射神経では到底無理だ。
鍛えた兵でも遅れる。大切に育てられた令嬢にそんなことができるはずがない。
そこに、まさに今、死ぬところだった状況だ。
泣き崩れて当然の場面なのに。驚いたのは確かだが、
大した冷静さを保っている。
これは、並々ならぬ努力で得られるものではない。
つまり、今のことを予想していたとしか考えられない。
ユルゲンがさらに追及しようとした時だった。
「エーリヒ……! アルブレヒト……!」
後ろから、慌ただしい声が聞こえた。
必死に走ってくるアーデルライド皇女の姿が見えた。
薄緑のドレスが乱れ、金髪が激しく揺れる。
「姉上!」
「皇女殿下……!」
「ああ、アルブレヒト……。エーリヒ……!」
二人の無事を見て、彼女は膝から崩れた。
そんな皇女を、急いで駆けつけたアルブレヒトとエーリヒが支えた。
皇女の陶器のような美しい顔を、涙がぽたぽたと伝い落ちた。
「良かったです……、本当に、良かったです。二人とも無事でいて……」
「もちろんです、姉上。俺はそう簡単には死んだりはしませんから」
「アルブレヒト……」
アルブレヒトは人目など気にせず、震える姉をそっと抱きしめた。
明るく話しながら、姉を慰める彼の手つきは優しかった。
アーデルライドの震えが徐々に収まる。
彼はそっと彼女の腕を解き、優しい声で続けた。
「俺だけじゃない、エーリヒも無事です。ほら、 姉上、見てください」
震える目を上げたアーデルライド皇女と、エーリヒの目が合った。
礼を尽くして彼女を見つめ、微笑むエーリヒ。
茫然と彼の身体を確かめていた皇女の口から、
かろうじて沈んだ声が漏れた。
「シャダイ様……感謝を。エーリヒ、もし、そなたが……、そなたが……!」
――『良くないもの』を見せたくない。
そう頼まれてあえて遅れたが、入口で爆音が鳴り、胸が凍った。
止める声は届かず、彼女は無我夢中で走った。
もしも愛する弟に、そしてエーリヒに何かあったら、
心臓も止まっていた。
どうにか胸に埋めようとした。
けれど、埋めきれなかった気持ちが込み上げてくる。
アーデルライド皇女はさらに言葉を続けることができなかった。
「皇女殿下。」
エーリヒが静かに歩み寄る。
「……すみません。早く立ち上がらなければいけないのに」
「私は大丈夫です。どうか安心してください、アーデルライド殿下」
「エーリヒ……」
まだ立ち上がれないアーデルライドの頬を、
際限なく涙が静かに伝い落ちた。
それを見つめるエーリヒは、切なげに微笑んだ。
「……皇女殿下。どうか私の無礼をお許しください」
「……えぇ? あっ……!」
エーリヒは一歩前へ進み、そっとハンカチを取り出した。
まだ頬を伝う涙をやさしく拭い、温かな笑みを向ける。
遠い昔――。三人で遊んでいた幼い頃と同じ、変わらぬ微笑みだった。
「どうか泣かないで、ください、アーデルライド殿下」
「エーリヒ……」
「泣かないでください。
私はアーデルライド殿下の涙を見るのが、
世界で一番…… 怖いのです。
幼い頃も、今も、きっとこれからも。……永遠に変わらないでしょう」
***
気がつけば、夜はすでに深まっていた。
彼らを見守って静かに外に出た私は、顔を少ししかめた。
……威厳を保て。
でもやっぱり、このハイヒールが問題だったわ!
見事に伸びた十二センチヒールラインは名品らしく確かに美しい……けど。
この前、皇城に行ったときもそうだったけどね。
今回もだ。足首がじんじん痛む。柱に寄りかかり、小さく呻く。
「あぐっ…… いった……」
もっと低い靴にすればよかったのに。
人は同じ過ちを繰り返す――まさに今の私。
触れば分かる腫れ。捻挫だ。
すぐ処置していればここまでひどくはなかった。
恥に負け、気づかれないよう引きずったのが裏目ってわけね。
でも、その深刻な状況で言えるはずないでしょう?
緊張が切れた瞬間に踏み外し、
防御魔導具が無事発動したのを見て「よかった……!」と一歩、
そこで『ガクッ』華麗に負傷、なんて。
格好つけた手前、今さら言えない。
私は呻きを再び飲み込んだ。
水面の下では必死にタップダンスを踊る白鳥だって、
外からは優雅に浮いているだけに見えるわけだ。
……まあ、もう幕引き空気だし、帰ってから氷で冷やし、
明日医者を呼べばいい。
――問題は、広い会場を横切って、馬車まで歩くことね。
お読みいただきありがとうございました。
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