第7章. 運命は変えるためにある(4)
『今日を忘れない。
俺が弱かったから……、俺たちが弱かったから、だ』
『殿下……』
『十年だ。十年以内に、必ず跪かせてやる。
同じ苦しみを……、いや、その十倍の絶望を味わわせてやる。
絶対に……!』
「――覚えてなどいない!
何という濡れ衣だ、アルブレヒト!」
アルブレヒトは呆れて苦笑を漏らした。
自分はあの日を、一瞬も忘れたことはなかったのに。
「あなたが覚えていようがいまいが、関係ない。
俺はただ、あなたがやったことを、そのまま返しているだけだから」
弱いというだけで踏みにじったのなら。
強い者に踏みにじられるのも当然だろう。
薄紫と空色が絶妙に混ざった瞳が、氷のように輝いた。
「アルブレヒト殿下」
「……ああ」
エーリヒの慎重な呼びかけに、アルブレヒトは息を整えた。
***
――そして私は、その光景を見つめていた。
予測報告書の一文が、耳元で囁かれたようによみがえる。
《アルブレヒト皇子の復讐心から生まれた驕りが、彼の足を大きく引っ張ることになるでしょう》
胸の奥がざわつく。
私は視線を逸らし、ネックレスの小さな真珠に指先を添えた。
《リューネの日。
舞踏会場に引き出される三皇クラウデルンは、七皇子アルブレヒトに対してテロを試みると推測されます》
《その手段は、オブロフ製の超高価結晶型魔導工学爆弾。
三皇子が腹心の秘書の名義で、急いで購入した履歴が確認されています》
……報告書通りなら、テロは今、この舞踏会場で。
人々が持ち込める武器や攻撃魔導具が厳しく制限されている場所。
そして何より、皇子は無防備に近い。
背筋に冷や汗が伝い落ちる。外の警備はあれほど厳しいのに。
肝心な皇子のそばは、まるで虚を突かれたように手薄。
――あの皇子は、うちの狸を見習うべきね。
オブロフでは、舞踏会の時ですら護衛が何十人も目を光らせているのに。
三皇子は、衣服のどこかに爆弾を隠しているはず。
でも……。
私はいつの間にか、手が首飾りに触れていた。
……爆弾はどこに隠されているのだろう?
そして時は、いつ?
「くっ……くくく……ふっ……ははは……」
下げていた頭を上げた三皇子の口から、狂気じみた笑いがあふれ出す。
全てを諦めた者だけが放てる、破滅の色を帯びた笑い。
両目には不穏な狂気が宿り、その瞳が揺らめいていた。
「そうか……。ずっと胸に誓っていたのだな? 小賢しい野郎よ!
ああ、俺は敗れた。だが、お前ごときは誰一人認めはしない。断じて!」
「……」
「骨の髄まで高貴な貴族たちが、卑しいお前を? くはっ……!
それだけは、絶対に変わらんぞ! 帝国の恥だ!
お前も、男を食い物にする汚いお前の姉も! くはははははは!」
「クラウデルン――!」
アルブレヒトの顔が、初めて険しく歪んだ。
《三皇子は七皇子をわざと挑発し、自分の側に引き寄せた瞬間、自爆する》
「おお、哀れなアルブレヒトよ!
おお、哀れなる帝国よ!」
私は体を緊張させた。分かっている。
報告書の通りなら、もう時間はない。
真珠のネックレスを握る指が震える。
……あの超小型爆弾なら、皇子とエーリヒ二人とも一緒に死ぬ確率が約三十パーセント。
エーリヒが死んで、皇子が重傷を負いながら生きる確率が約五十パーセント。
そして皇子だけが無傷で済む確率が、残りの二十パーセントだったっけ?
――三皇子は止まることなく笑い続けた。
世界で一番楽しいかのように、子供のように笑いながら、涙をこぼしていた。
狂気に染まった三皇子に、人々は釘付けになっていた。
私は息を殺し、アルブレヒトとエーリヒの側へと静かに忍び寄る。
一歩。
二歩。
軍服を着た男たちが私をちらりと見たが、制止の声はかからなかった。
――怖がった私がエーリヒの側に避難したがっていると思っているのだろう。
そう誤解してくれるなら、むしろ好都合だ。
ドレスの裾をぎゅっと握った手が、冷や汗でびしょびしょだった。
《ここまでは、すべて三皇子の思惑どおりに進むでしょう。
ですが、当情報部では七皇子の唯一の親友、エーリヒ・フォン・ハルデンベルクを変数として注視しています》
……彼は極限の忠誠心に加え、卓越した身体能力を持つ。
『予言』によると、これから彼がアルブレヒト皇子の前に立ち、全身で彼を守ると記されていた。
たとえ、その身を犠牲にしても――。
その通りだ。
怒りに駆られたアルブレヒト皇子は、三皇子へと歩み寄っていく。
彼の部下たちは、数歩下がった場所に立っていた。
――すべて、書かれていた通りに。
真珠のネックレスを握りしめた私の指が、細かく震えた。
オブロフ製の結晶型爆弾。
爆発範囲は極めて狭いが、その範囲内での殺傷力は比類ない。
そんな魔導具だ。
……そして今の私は、すでにその射程内にいる。
防げなければ、エーリヒもアルブレヒト皇子も、そして私もこの場で即死する。
膝ががくがくと震える。
だがドレスがそれを隠してくれるのは、この上ない幸運だった。
……あとは、すべてが思い描いた通りに進むよう、祈るしかない。
震える足に力を込め、耐える。
もうすぐだ――、本当に、もうすぐ。
転がったまま頭をもたげた男の顔は、醜く歪んでいた。
ワインに濡れた頬の上でぎらつく瞳は血走り、悪鬼のような光を放っている。
「くくっ、ふはは――! 卑しい血筋に汚れる帝国なら!
いっそ滅びてしまえ!」
「何だと!?」
「死ね、アルブレヒト!
卑賤の分際で皇位を狙い、兄弟たちを手にかけた外道め!」
「……貴様!!」
足を高く振り上げた瞬間、理解した。
――あの靴だ!
結晶型爆弾は靴底に隠されていたのだ!
……発見できなくても当然だと納得する暇もない。
――2秒。
三皇子の靴が下がり始める。
私は真珠のネックレスを握りしめ、思い切り引き裂いた。
お願い……、どうか間に合って!
――1秒。
「危ないです! 殿下!」
***
決定型爆弾の存在を知らずとも、エーリヒは直感で悟った。
――これは、何か取り返しのつかない危険だと。
早く、アルブレヒト殿下を!
自分がどうなっても構わない。
ただ、あの方だけは……、あの方だけは絶対に守らなければならない!
驚いた顔でこちらを見る、親友にして主君。
エーリヒは驚異的な瞬発力でアルブレヒトを強く押しのけ、前へと飛び出した。
その刹那、彼は己の最期を予感し、ぎゅっと目を閉じる。
……アルブレヒト様、どうか――
――0秒。
ぱらぱらっ――真珠の粒が床いっぱいに弾けて、床を転がった。
ほぼ同時に、三皇子の足が床を強く踏みしめた。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
アルブレヒト殿下と三皇子の因縁、そして舞踏会に潜む凶行――。
予測報告書が告げる未来に、物語はいよいよ核心へと迫ります。
次回もどうぞお付き合いください。




