疑問と怒りと宣言と
沈黙が流れる。
――黒衣の女は、漆黒の瞳を細めた。
その視線に射抜かれるたび、胸の奥がざわめく。
「…伺ってもいいですか?」
アイオンはまっすぐに見据えた。
冷たい気配に押し潰されそうになりながらも、声は震えない。
「どうぞ? 答えるかはわからないけど」
「あなたは、女神とどういう関係なんです?」
女の口元に、かすかな笑みが浮かぶ。
その笑みは――酷く冷ややかで、どこか愉しげだった。
「どういう関係だと思う?」
「茶化してます? 他人の空似と言うには、似すぎてる」
「事実を知ったところで、どうなる?」
妖しく微笑みながら、淡々と続ける。
「その答えを聞いたら満足できるかな? 本当に納得できる?」
胸に、鋭い棘のような疑問が突き刺さる。
アイオンは言葉を失った。
女は楽しげに唇を弓なりにして、一歩近づく。
「…別の質問をしてみる?」
息をのむ。それでも、食い下がった。
「では、ここは何なんですか。この“森”は、なぜこうも異様なのですか。何かが――眠っている?」
黒衣の女は笑った。
「はは…可愛らしい勘違いだな」
声は柔らかいが、底冷えするほど冷たい。
「――この森は何ひとつ眠っていない。今も役割を果たしている。理由は…きみが想像している以上に、単純だ」
「どういう意味ですか?」
「答えが欲しい?」
女は小首を傾げ、妖艶な笑みを浮かべた。
「――きみが世界を回るなら、自ずと答えは見えてくる。この地の意味も、私の意味も。“あれ”がなぜ、この世界を見放したのかも」
アイオンは奥歯を噛み、深く息を吐く。
そして疑問を口にした。
「あの時、なぜ俺を導いたんです?」
女は沈黙――そして低く笑った。
「それは、答えてもいいかな」
指先に灯した小さな光を、弄ぶようにくるくると回す。
「頼まれてね。遠い昔の――友人に」
「友人?」
「そう。随分久しぶりだったから驚いたよ。でも、きみを見て理由はわかった――ここに来るには早すぎた。守らなきゃ、すぐ死んでたろうね」
ぱっと光を消し、女はアイオンを真っ直ぐに射抜いた。
「きみは、なぜまたここに?」
一瞬、言葉が詰まる。
それでも、アイオンは答えた。
「村を出る前に、グリフォンに礼を伝えるため。そして、村の子どもたちの万が一に備えて、赤い薬草を手に入れるためです」
黒衣の女は、わずかに目を細め――告げる。
「ひとつは叶ったな。でも、二つ目は無理だ」
声は、冷たい刃のように鋭かった。
「きみが赤い薬草を手にすることは――不可能。理由は簡単。きみに、群生地まで辿り着く力がないから」
(…っ)
「あの時は偶然、深部までたどり着けたにすぎない。それも、彼――グリフォンの助けと、私がいたからだ。だから襲われなかった」
女は、どこか意地悪そうに笑みを浮かべる。
「多少力をつけて、命も複数個持ってるみたいだけど……まだまだ足りないな。最低でも千回は生き返れるくらいじゃないと、私の庇護なしでは無理だよ」
苛立ちと悔しさがこみ上げる。
アイオンは、ようやく理解した。
「友人や“あれ”とは、クソ女神のことか」
命を糧にする力は、女神とアイオン本人しか知らない。
誰にも言っていない。
なら、選択肢はひとつ。
「それは当たり。だけど、力のことは聞いたわけじゃない」
女の声が冷たく笑う。
「魂に根付いたそれは、私のような存在には簡単にわかるよ。力加減を間違えた…悍ましい力だ」
「それには同意します。どう考えても、人の身には余る」
「ふふ。わかってるじゃないか。――まぁ、赤い薬草を取りに行けない理由は単純に、きみの力不足。…後はなにかある?」
アイオンは深く息を吐き、大きな疑問を口にする。
「…奇病を生み出したのは――女神ですか?」
――森が震えた。
どこまでも広がる森が、殺意に満たされる。
あれだけ静かだった森が、一斉にざわめき、魔物の叫びと争う音が響いた。
立っていられなかった。
虚勢を張って立ち上がろうとしても――体が震えて動けない。
どれだけの時間が過ぎたのか。
一瞬か、数時間か、数日か。
時間が曖昧になるほどの殺意は、やがて消えた。
「……疑問を口にする。それを許可したのは私だが、言葉は選ぶべきだな。それがどういう意味を持つかも知らぬ、無知な存在なら尚更」
黒衣の女が近寄り、視線を合わせる。
底知れぬ黒い瞳が、真っ直ぐに。
「――理解したか? 自分が今、どういう立場なのか」
「…せ、説明がつかない」
震える声で答える。
「禁断の森にしか、奇病に効く薬草がない。女神がこの世界を見捨てた二百年前から発生するようになった現象。……都合が良すぎる。まるで“間引くために作られた”かのように」
沈黙。
森は再び静寂に戻った。
やがて女が口を開く。
「…きみが何を言いたいかはわかる。だが、真実を教える気はない。――知りたければ、自分で調べるといいさ」
そう言って、立ち上がる。
「……だが、しまったな。一過性のものだが、場違いに生えてきてしまった」
見渡す一面に、赤い薬草が生えていた。
「……あなたが、作ってる?」
「違う。……これは後悔の証さ」
悲しげな声で答える。
そして女は笑みを浮かべ、背を向けた。
「…ここに生えてる分は、きみの好きにしたらいい。でも覚えておいてくれ。あの病は結果であり、イレギュラーだ。俗物に騙された、憐れな存在による…な」
「ま、待ってくれ!」
呼び止め、頭を下げる。
「も、申し訳なかった。あなたを怒らせるつもりはなかった…感謝してます。あなたにも、グリフォンにも…女神にも」
振り向いた女が、微笑む。
「わかっているさ。私が過剰に反応しただけだ。済まなかったね。…詫びとして、好きなだけ持っていくといいよ。ただ扱いには注意するんだね」
「ま、待ってくれ、まだ!」
「次はもっと力をつけて、ここに来てくれ。……他の禁足地にも顔を出してくれれば嬉しい。“彼等”も喜ぶ…たぶんな」
そう言って、森に消えた。
次の瞬間、頭上に影が落ちる。
見上げると――黒いドラゴン。
優雅に空を舞い、圧倒的な咆哮を響かせ、飛び去っていった。
呆然と見送るアイオン。
我に返り、慌ててバッグに赤い薬草を詰め込む。
一過性――今だけだ。浅い場所で採取できる好機だ。
詰めるだけ詰め、急いで来た道を戻る。
半日かけた時とは違い、身体強化をフルに使い、一瞬でも早く駆ける。
魔物なんて気にする余裕はなかった。――いないことは、確信できていた。
――夜が来る前に、この森から逃げたかった。
#
夕陽がステンドグラスを染め、教会の床に赤い影を落としていた。
レアは祈りを終えて立ち上がる。
その背で、ベティが片付けをしながら呟く。
「アイオンさん、戻りませんねえ〜」
「そうね。でも、あの子のことだから、大丈夫よ」
レアはそう答えたが、わずかに声が硬い。
――その時、扉が勢いよく開いた。
「レア様! ベティ様!」
駆け込んできたのはカーラだった。
頬を紅潮させ、肩で息をしながらも、その瞳には炎のような光が宿っている。
「カーラ? どうしたの? そんなに慌てて」
「…決めたの! 私も――アイオンと一緒に行く!」
レアとベティが同時に目を見開く。
「ええええっ!? ど、どこにですか〜!?」
「村を出るの! あいつと!」
カーラは一歩踏み出し、拳を握った。
「理由を聞いてもいいかしら?」
レアの声は落ち着いていた。
カーラは深く息を吸い、力強く言った。
「…村で帰りを待ってるのは嫌だ」
握った指が震える。
「村が嫌いなんじゃない。あいつがいない村が…嫌なんだ」
涙をこらえながら、カーラは顔を上げる。
その目は真剣そのものだ。
「だから、私も行く。あいつを守りたい! 支えたい!」
その言葉に、レアはしばし沈黙した。
ベティが慌てて口を挟む。
「で、でも〜! 旅なんて危ないです〜! アイオンさん一人ならなんとかなっても、カーラさんの安全までは〜」
「わかってる! それでも、決めたの!」
カーラの声は迷いを知らなかった。
レアはふと問いかける。
「…お母さんには、了承を得たの?」
カーラの目が潤む。
だが、すぐに笑って答えた。
「…泣かれたよ。私も泣いた。…でも最後に言ってくれた。“あんたの好きにしなさい”って」
拳を握る。
「だから、もう迷わない」
「…もし、アイオンが受け入れなかったら?」
その問いに、カーラは一瞬もためらわず答えた。
「――それでも行く!」
その声は教会に響き渡る。
「どれだけ拒まれても、絶対についてく! 置いてかれても、勝手についてく!」
その言葉に、ベティは呆然とし、レアは小さく息をついた。
「わかったわ。でも、その覚悟がどれほど重いか、理解してる?」
「…してるつもりです。それでも行く」
カーラは迷いなく答えた。
「そう。なら、止められないわね」
レアは微笑み、ベティはまだ不安そうに首を傾げる。
「でも〜、絶対にアイオンさん驚きますよ〜。なんで? って聞かれて、どう答えるんですか〜? …遂に告白を〜?」
「それは……それはまだ、できないけど!」
カーラは炎のような目で言い切った。
「――絶対に首を縦に振らせる! 何度でも言う! あいつを、一人にはさせない!」
夕陽が、その横顔を赤く染める。
教会に力強い空気が満ちた――が。
「…いいですね〜。私も行こうかな〜」
唐突に呟いたベティに、カーラが振り向く。
「え!?」
「面白そうですし〜、回復術使いは貴重ですよね〜? それに、アイオンさんの事も――」
――ゴンッ。
ベティの後頭部に、レアの無言のチョップが落ちた。
にっこりと笑みを浮かべるが、その目は笑っていない。
「ベティ?」
「…っ! じょ、冗談ですよ〜…」
レアは小さくため息をつき、カーラに視線を戻す。
「…わかったけど、なぜ私達に?」
「そりゃお二人ですし! あ、イザークとエリーに荷物の事聞くんだった! じゃあ!」
そう言って、カーラは慌ただしく出ていった。
彼女の決意は、夕陽よりも強く燃えていた。




