やり残した事
午前の陽光が草を染め、風が青葉を揺らしていた。
木陰の丸太に腰を下ろしたイザークとエリーは、地図を広げて話し込んでいる。
「来たな、悩める若造」
イザークがにやりと笑う。アイオンは少し苦笑しながら近づいた。
「そんなに歳変わらないでしょ。昨夜、家族に話しました。出ることは納得してくれました」
その言葉に、イザークは満足げに頷く。
「おお、やっと腹括ったか! で、いつ出る?」
アイオンは短く息を吐き、視線を森に向けた。
「すぐには行けません。やりたい事があるんです」
「やりたい事?」
エリーが首をかしげると、アイオンは静かに答えた。
「しばらく離れるので、最後に礼を言いたい人?がいます。その人に、会いに」
イザークは腕を組み、しばし黙ってから笑った。
「なんで疑問形なんだよ? まぁ、わかったよ」
「なので、お二人は先にバルナバに行ってもらって構いません。…一応、皆と挨拶してくださいね? あなた達、俺より仲良くしてましたから、惜しむ人も多いでしょう」
「そりゃあな! 礼儀は大事だし、きっちりやるさ」
「当たり前じゃない! 皆、良くしてくれたもの」
エリーが微笑む。
イザークは肩をすくめ、にやりと笑った。
「…お前もしっかり別れはしろよ? ベティさんとか! ベティさんに!」
エリーがすかさずイザークの頭を叩く。
「このバカは本当に…。で、いつくらいになりそうなの?」
「わかりませんね…。なので、待ってなくていいです。別の街に行っても構いません」
「そんなにか?…まぁ、気長に待つよ。ギルドにも伝えとくわ! 超大型新人が来るってな!」
ゲラゲラと笑うイザーク。
「やめてください」
「このバカは私が抑えとくから安心してね」
エリーが柔らかく笑う。
イザークは拳を突き出した。
「ま、あとでな!」
アイオンも拳を合わせる。なんだかんだ、いい友人関係になっていた。
#
イザークたちと別れたアイオンは、カーラの家の前に立ち、深く息を吐いた。
昨日の姿が頭をよぎる。
――もう会えないかもしれない。
そんな考えを、必死に追い払う。
扉を軽く叩く。しばし沈黙ののち、中からカーラの母親、サーラの声がした。
「アイオン?…ごめんね、カーラなら出かけてるの。今日は戻らないと思うわ」
「そう…ですか。わかりました」
胸の奥がざわめく。避けられているのか、それとも偶然か。
答えは、扉の向こうにあるはずなのに――。
「じゃあ、また――」
「あ、ちょっと待って!」
サーラが慌てて呼び止め、ドアを閉め、外へ出てきた。
「…あの?」
「ごめんね、強引に。でも、伝えておきたくて」
その目は真剣で、アイオンは思わず息を呑む。
「…なんでしょう?」
「カーラのこと、よろしくね」
「え? は、はい…?」
サーラは少し笑った。
「あの子、素直じゃないから驚くかもしれないけど…いい子なの」
「…知ってます。それは」
「ふふ、そう」
よく見ると、サーラの目は赤く充血していた。
「…なにか、あったんですか?」
「いえ! な〜にも! じゃあね、アイオン!」
足早に家へ戻るサーラ。
(…なんだ?)
意味を測りかねたまま、アイオンは次の目的地へ向かった。
#
軋む木の扉を押すと、煙と肉の匂いが鼻を打った。
奥で豪快にナイフを振るうブライが顔を上げる。
「おっ、アイオンじゃねぇか! 買い取りか?」
「いえ、買い物です。ホーンラビットの干し肉を、できるだけください」
ブライの眉が跳ね上がる。
「できるだけ? おいおい、祭りでもあるのか? それとも―」
言葉を切り、意味ありげに笑う。
「どっか遠出するのか?」
アイオンは肩をすくめ、淡々と答えた。
「ちょっと。できますか? 無理なら今から狩ってきますけど」
「いや! 大丈夫だ! 最近冒険者がハーピーらを狩ってくれてるからホーンラビットも数が安定しててな! ワイルドボアが少ないのが気がかりだが、十分な数はある!」
「なら良かった。じゃあ、これだけ買うんでお願いします」
200Gを差し出す。
ブライはしばしアイオンを見つめ、鼻で笑った。
「お前、どんだけ買うつもりだよ…。ほらよ」
「ありがとうございます。…結局ブライさんの味付けの秘密はわかりませんでした」
「当たり前よ! 味の秘密を教えるわけねーべ!」
「…そうですよね。それじゃあ」
「あ、おい待て!」
足を止め、ブライを見る。
「これも持ってけ!」
ナイフを渡された。
ブライがいつも使っている、ミスリルの解体ナイフだ。
「い、いえ、いりませんよ! こんな高価なもの!」
「気にすんな! そりゃ予備よ! アルバに渡そうと思ったが、あいつには勿体ねえし、俺のお古で十分よ。…餞別だよ」
「…まだなにも言ってませんよ?」
「バーカ! わかるんだよ! 達者でやれよ?」
「…数日後にまた来ます。その時に買い足しますので」
「おう!」
一礼し、店を出た。
#
買いたい物は買い、家に戻る。
扉を開けると、セアラが振り向いた。
「あら、お帰りなさい。早かったのね?」
「少し買い出しに行ってました」
アイオンは視線を逸らした。胸の奥で、言葉が引っかかる。
――でも、言わなきゃ。
「…セアラさん、少し村から出ます。いつ戻るかわかりませんけど…その後は、本格的に村を出ます」
セアラは驚いた顔をしたが、すぐに柔らかく笑った。
「そう。気をつけて。…あなたは、ちゃんと考えて動く子だから、信じてる」
「ありがとうございます」
その言葉に、ほんの少しだけ肩の力が抜けた。
ふと、視線の先にナリアがいた。
小さな手で机の端を握り、じっとアイオンを見つめている。
口を開きかけて、何も言わず、視線を落とした。
「…行ってきます」
ナリアの返事はなかった。
胸に重いものを抱えたまま、アイオンは扉を開ける。
#
木製の柵を抜けると、見慣れた門番――ロッチとボブがいた。
2人は丸太に腰をかけ、昼下がりの陽光を背にしている。
「おっ、アイオンじゃねぇか!」
ロッチが手を挙げた。
「また森か? 最近お前の姿ばっかり見てんな」
「今日は、ちょっと遠出します。心配しなくていいですよ」
アイオンは軽く笑ったが、その声はどこか硬い。
「遠出ってどこに?」
ボブが目を細めた。
「バルナバに行く気か?」
ロッチが首をかしげる。
「バルナバには行きませんけど…まぁ、内密でお願いしますね。無駄に心配させたくないんで」
言葉を切り、視線を逸らす。
「内密ってお前なー!」
「門番として聞いとかないと、後が怖いんだが」
2人は声を多少荒げる。
しかしアイオンは意に介さない。
「わかってます。でも―必要な事なので」
その一言を残し、アイオンは深く息を吸った。
そして、体中に魔力を巡らす。
空気が弾けるように、全身に力が走る。
靴底が土を砕き、風が頬を裂く。
次の瞬間、アイオンの姿は門の前から掻き消えた。
「おい!」
「相変わらず馬より速いな…」
ロッチとボブは顔を見合わせる。
「…バルナバに行かずにどこ行くってんだ?」
「さぁ?」
#
アイオンは最短距離をひた走る。
(久しぶりの長距離移動用だけど、やっぱりこっちもバランスが崩れてる…。走りながら調整するしかないか)
そして、同時に感じる。魔力の上限が増えている事も。
(魔力量も上がってる。今までは実感するほど余裕もなかったけど、省エネを心掛けてるこの強化だと実感できるな)
景色は次々と変わる。
(…これなら、夜のうちには着く。またあの湖で休んで、早朝に入る)
なんのために向かうのか?
万が一のために赤い薬草を手に入れて、レア達に渡しておきたかった。
あの時採取した赤い薬草では心許なかったから。
子どもは今後も生まれる。が、取りに行ける人間はいない。
(村のためにできるのはそのくらいだ。それに―)
暫く離れる自分ができるのはそれくらい。
そして、もう一つ理由があった。
(だいぶ遅くなったけど…礼がしたい)
あの時助けてくれたグリフォン。
あれがなければ、今日の自分はなかった。
グリフォンからしたら少ない量かもしれないが、土産は持った。
(会えるかどうかもわからないけど…)
アイオンは速度を上げた。
赤土を蹴り、影を裂き、風と一体になる。
あの日の自分よりも確実に成長していた。
―その事実が感じられて、嬉しかった。




