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番外編 ライアの旅立ち

ジーナたちが去った後のオルババ村は、静けさを取り戻していた。


数日後。朝の光が教会の白壁を照らし、扉が軋む音とともに、ライアが姿を現す。


赤い髪を後ろで束ね、肩には大きな荷物。すでに、すっかり旅支度を整えていた。


「ふぅ…お世話になったわね、女神様」


女神像に軽く一礼する。

女神教徒ではないが、最後の礼儀だと思った。

そして、見慣れた扉を押し開ける。


外では、レアとベティが待っていた。

二人は立ち上がり、ライアに歩み寄る。


レアは落ち着いた笑みを浮かべ、柔らかい声で言った。


「もう行ってしまうのね…やっぱり少し寂しいわ」

「ふふ、そうです〜。毎日が静かだと少し退屈ですから〜」


ライアは肩をすくめ、いつもの気取らない笑みを見せる。


「監視のために置いておいたわりに、ずいぶん惜しむじゃない?」


レアがわずかに目を細め、意味ありげに笑った。


「監視していたのは事実よ。でも…あなたも、居心地は悪くなかったんじゃない?」


「まぁね。食事は美味しかったし、寝床も悪くなかった。それに――話すのも、飽きなかったし」


「うふふ、それはよかったです〜。…不思議ですね〜。あなたって、そういうのを嫌う人だと思ってました〜」


「そう見える?」


「ええ、少し。…でも、時々、安心した顔をしてたわ」


ライアは短く息を吐き、視線を外した。

指先が、無意識に荷の紐をきゅっと締める。


「…そうね。もう、ないと思ってたから。誰かと同じ屋根で長く住むなんて。…勘がいいわね」


「ふふ、職業柄、ね」


「…ここは、悪くなかった。…ちょっとだけよ」


最後の言葉は、風に紛れるほど小さな声だった。

だが、二人には十分すぎるほど届いていた。


「なら、また戻ってきなさい。…あなたにも、休める場所は必要でしょ?」


レアの提案に、ライアは笑いながら肩をすくめる。


「歓迎しますよ〜。お茶とお菓子、用意しておきます〜。…甘いもの、お好きでしたよね〜?」


「…バレてたのね」


「隠せてませんでした〜。夜中に焼き菓子をこっそり食べてましたもの〜」


「…見てたのね」


「ええ、見てたわ。だから、次は堂々と食べに来なさい」


レアのからかいに、ライアは小さく吹き出した。

その笑顔には、強さだけではない、どこか柔らかさも滲んでいる。


「考えておくわ」


肩の荷を軽く直し、ライアは教会の石段を降りる。


「じゃあ、二人とも達者で」


「あなたも、道中お気をつけて」


「お気をつけて〜」


ライアは振り返らず、片手を軽く上げた。

その背を見送りながら、レアとベティはしばらく黙っていた。


「…寂しくなるわね」

「そうですね〜。好みなんか激しかったですから、料理は楽になりますけど〜」


レアは静かに微笑む。


「作る量、間違えないようにしなきゃね」


朝の光が石畳を白く染め、鳥のさえずりが遠くから響いた。



朝の空気は澄んでいて、村の門前にはまだ人影がまばらだった。

ライアは赤毛をざっくり束ね、革の胸当てを締める。

腰には双剣が収まっている。


「…あなたも、長居しすぎたわね」


バルナバで買い、ここまで来た馬。

村の子どもたちを乗せ、親しみを込めて可愛がられていた。 彼女も、寂しそうだった。


呟いて手綱を握ると、門番のロッチとボブが駆け寄ってきた。


「ライアさん、本当に村を出るのか?」

「せっかく村に馴染んでたのに…」


「目的は果たしたからね。二人はこれからも仲良くね。…あまりサボりすぎないように」


「へっ、手厳しいな! でも…また戻ってきてくれるんでしょ?」


「気が向いたらね」


片手を上げて応え、ライアは馬を進める。

朝靄に包まれた街道を、蹄の音が静かに刻んでいく。


しばらく沈黙。

――暫く進むと、木陰から声がした。


「なにも言わずに出られるとは思いませんでした」


ライアが手綱を引くと、アイオンが立っていた。

軽装で双剣を腰に、黒髪が朝の風に揺れている。


「別れは済ませたはずだけどね?」


ライアの声は、驚きというより、どこか愉快そうだった。


「…普通の弟子と師匠の別れは、あんなあっさりなんですかね?」

「どうかしら? 私の時は、もっとあっさりだった気がするわ。それで?」


ライアが馬上から見下ろすと、アイオンは言葉を選び、静かに口を開いた。


「…礼を言いたかったんです。あなたのおかげで、多少はマシになれましたから」

「借りを返しただけよ。それに――」


ライアは視線を遠くにやり、朝靄を裂く道を見据えた。

突風が赤髪を揺らし、声が一瞬遠くなる。


「――悪くなかった。自分を遥かに超える才能に教えることができたのは」


「え?なんです?」


「――忘れないでね。驕らずに、精進し続けて。今のあなたは、まだまだ弱いわ」


アイオンはわずかに息を呑んだが、迷いのない瞳で頷いた。


「はい。いつか、期待に応えますよ」


その言葉に、ライアはふっと笑う。


「そう。――なら、冒険者になりなさい」

「冒険者に?」


「この場所じゃ、あなたはこれ以上伸びない。もっと広い世界を見なさい。命を賭ける場でしか得られない強さがある。…それに――」


ライアは、馬上でわざと声を落とした。


「あなたのこと、師匠に報告しておくわ」

「雷轟に?」


「そう。…今は世捨て人で山に籠もってる。あの人が興味を持つかはわからないけど…いつか会いに行きなさい。彼は、ヘルケイル山にいるわ」


「どこですか? それ」

「場所は…それも自分で探してみなさいな」


それは挑発のようでもあり、約束のようでもあった。


「じゃあね、アイオン。期待してるわよ」


最後に片手を上げ、ライアは馬を駆けさせる。

蹄の音が朝靄を裂き、赤い髪が遠ざかっていった。


アイオンは無言で、その背に深く頭を下げる。

しばらくして顔を上げたとき、彼女の姿はもうなかった。


「…生きていれば、どこかで会う。――冒険者なら」


言葉は朝の風に溶けた。

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