二章最終話 優しさに触れて
「王女殿下!」
フィギルと護衛団数人がジーナに追いつき、声をかけた。 だが、目の前の光景に戸惑いを隠せない。
(なんだこれは?)
ジーナと村の少女が向かい合い、その後ろには困惑した顔の少年。
――まるで、少年を取り合っているように見えた。
「ちょうど良かった。あなたたちは彼女を家まで送り、そのまま待機場所へ戻りなさい。私は彼に送ってもらうわ」
冷たく命じるジーナ。
だが、フィギルは食い下がる。
「し、しかし、ジーナ殿下。護衛は――」
「必要ないわ。あなたは彼の実力を疑っているようだけど、少なくともガーリン達を黙らせたことは知っているはずよ」
ジーナはフィギルの背後に控える護衛団へと視線を向ける。 誰も反論はできなかった。
「それなら、護衛は彼一人で十分。ここにガーリン達以上の脅威が現れても、対処できるのは彼だけ。でしょ?」
「…何かあった場合は?」
フィギルはなおも粘る。
それは最後の確認のようだった。
「何かあっても、あなたの責任ではない。――これで満足でしょ? 2人にして」
そう言って、ジーナはカーラを見つめる。
先ほどとは違い、どこか懇願するような揺れた瞳で。
「…あなたも。護衛はつける。理由はさっき伝えた」
「…従わなかったら?」
「…わかってくれると信じてる。あなたが私でも…きっと、この時は手放せないはず」
その言葉を聞いたカーラは、諦めたように溜息をつき、アイオンに歩み寄って肩を叩く。
「――そういうわけだから、私は帰る! …また明日な!」
状況が掴めないアイオンは、ただ戸惑うばかりだった。
「え、ええ…また明日…」
そんなアイオンの顔を見るのは初めてで、カーラとしては満足だった。
ジーナの隣を通り過ぎる際、小声で囁かれた。
「…ありがとう」
返事はしなかった。
カーラはそのまま家路につく。
子爵と護衛団も後を追った。
(また明日って言えないのは、辛いよな〜)
その気持ちが痛いほど理解できた。
カーラもまた、優しい少女だから。
#
夜風がそっと吹き抜ける。
静まり返った闇の中、聞こえるのは2人の呼吸だけだった。
ジーナはしばらく黙ったまま、アイオンを見つめていた。 何かを探るように、あるいは、何かを噛みしめるように。
「…あの子とは、仲がいいの?」
「カーラさんのことですか? そうですね…。初めてできた、友人です」
目を逸らさず、まっすぐ言葉を返す。
けれど、その言葉の裏にある感情を、アイオンは読み取ることができなかった。
(…なんだ、この空気)
ジーナはその返答に、どこか安心したような表情を見せる。 そして少し考えるようにしてから、口を開いた。
「改めて、ありがとう。助けてくれて」
「俺は、村のために動いただけです。感謝されるようなことじゃ――」
「違うの」
アイオンの言葉を、ジーナが遮った。
声が、わずかに震えていた。
「あなたの行動ももちろんだけど…あなたが救ってくれたのは、それだけじゃない。私の…心を、助けてくれたの」
アイオンは黙ったまま、ジーナの言葉を静かに受け止めていた。
「…私ね、あなたに会うまで、ただ生きてるだけだった。全てを諦めて、自分自身さえも諦めてた。だけど――あなたと出会わせてくれたのは、きっと女神様…なのね」
「…ふふ」
思わず笑いがこぼれる。
ジーナが不思議そうにアイオンを見つめる。
「申し訳ありません…でも、そうかもしれませんね。どんな理由であれ、あなたを助けることができたのは、女神の導きでしょう」
「…本当に、不思議な人ね」
「変な人、じゃなくて?」
「それは大前提よ」
ジーナの即答に、アイオンは思わず吹き出す。
つられるように、ジーナも笑った。
笑みを浮かべたまま、アイオンは言う。
「どう生きるかは、あなたの自由です。生きているんですから」
「……そうよね。私次第で生き方は変われる。――きっと、変えていける」
それは、まるで誓いのような響きを持っていた。
「明日、帰るんですよね?」
「…ええ。朝には出発するわ」
「ならもう、休んだ方がいいですね。送りますよ。村長の家でいいんですか?」
「そうね。―ねぇ?」
「はい?」
ジーナは一歩近づき、そっと手を差し出した。
「…次にいつ会えるかわからないから。だから…エスコートしてくれる?」
「構いませんが…子ども扱いは嫌なんじゃ?」
その言葉に、ジーナはわずかに口元を緩め、ふいっと視線をそらす。
「本当に、人の心がわからない人ね!」
「失礼な…じゃあ、行きましょうか」
ジーナの手を、優しく握る。
そのまま、2人で歩き出す。
「…ねえ、アイオン。王都に来たら、私と会ってくれる?」
「王都ですか…今のところ行く予定はありませんが…」
「そんなの、わからないでしょ! どうなの? 会ってくれるの!?」
「…暇があれば、ですね」
「!!最低!!」
そんな他愛のないやり取りを交わしながら、2人は歩いていく。
笑い合いながら、時にジーナはアイオンの無神経な返答に怒りながら――
それでも、繋いだ手だけは、別れるその瞬間まで離れることはなかった。
#
早朝。村にはまだ静けさが残っていた。
それでも、馬車の前にはぽつぽつと人が集まり始めており、見送りに来た子どもたちの姿もちらほら見えた。
「此度の遊行、大したもてなしもできず、申し訳ありませんでした」
村長が深々と頭を下げる。
「いいえ。迷惑をかけたのは、むしろ私のほう。あなたたちが気にすることではないわ」
「そのお言葉に、救われる思いです」
小さな声が飛び交い、子どもたちがジーナのまわりに集まってくる。
初日のように、ガーリンがそれを咎める様子はなかった。
ジーナはしゃがみ込み、目線を合わせて優しく語りかける。
「あまりお話できなかったけど、会えてよかった。また、必ず来るわ」
「ほんとにー?」
「本当よ」
ジーナの微笑みとその言葉は、子どもたちの胸に温かく響いた。
その輪の中をかき分けるように、ナリアが前に出てくる。
「これ、持っていって! アイくんが渡せなかったって言ってたから、昨日の夜から作ったの!」
差し出されたのは、布で丁寧に包まれた小さな包み。 受け取ると、甘い香りがふんわりと広がった。
「クッキー?」
「うん! うまくできたの! ねー?」
「「うん!」」
ナリアは少し照れくさそうに目を伏せる。
ジーナは胸がじんわりと温かくなるのを感じた。
「ありがとう。大事にいただくわ」
「あ! メリアさんも!」
控えていたメリアにも、包みが差し出される。
「い、いいんですか?」
「うん! …そういえば、名前似てるね!」
ナリアの無邪気な笑顔に、メリアも思わず微笑んだ。
そして、子どもたちは声を合わせる。
「「「皆さん、お気をつけて〜!」」」
その声に、ジーナは小さく頷く。
「あなたたちも元気で!」
背後でガーリンたちも、静かに頭を下げる。
問題ばかり起こしていた彼らも、今はどこか清々しい表情だった。
名残惜しそうに手を振る子どもたちを背に、ジーナとメリアは馬車へ向かう。
フィギルが無言で扉を開き、2人が乗り込むのを見届ける。
扉が閉めようとした時、レアとベティが近づいてきた。
「失礼…どうでしたか? この村は…あまり、良い思い出にはならなかったかしら?」
レアの問いに、ジーナは迷いなく答える。
「来てよかった。ここには、王都にはないものがある。――羨ましいくらいにね」
「それはよかったです〜。ぜひまた、いらしてくださいね〜。いつでもお待ちしています〜」
ベティがにこやかに頭を下げる。
その姿に、ジーナも思わず笑みを返す。
「…あなたたちって、最後まで不思議だったわ。他の旧女神教徒も、あなたたちみたいなの?」
「ふふ、どうでしょう? 長いこと他の者と会っていませんが、きっと変わらないと思いますよ。私たちは、ただ“歩く”お手伝いをしているだけです」
「導くことはできません〜。でも、寄り添うことはできます〜。答えは、自分で見つけてください〜」
その言葉にジーナははっとし、自然と口元がほころぶ。
「…本当に厳しいわね。でも、優しいわ。…女神教じゃないって言ってたのに、彼も同じことを言ってた」
「アイオンが? ふふっ」
「どんなことを言ってたのか〜、聞いてもいいですか〜?」
「…嫌よ。大事な言葉だから」
「…残念です〜」
ベティは本気で悔しそうな表情を浮かべた。
アイオンと二人きりの時に何があったのか、あれこれ聞きたかったのだ。
――そこに女神様の干渉があったのかを。
(…きっと、何かがあったのは確か〜。また謎が増えてしまいました〜。はぁ〜)
「――そろそろいいか? 時間が惜しい」
フィギルの声に、2人は馬車から離れる。
ジーナは座席に深く腰を下ろし、扉が閉まった。
フィギルも自分の馬車に乗り込む。
護衛団が進み出し、2台の馬車は村を離れていく。
朝日が昇る中、窓越しに広がる風景を見つめながら、ジーナは小さく呟いた。
「――本当に、来てよかったわ」
思わず、笑みがこぼれる。
「…また、会える」
馬車は朝の道を軽やかに駆けていく。
まだ名も知らぬ“明日”へと向かって――。
#
――訓練場
「…お前、見送りに行かなくてよかったのか?」
イザークの声が、訓練中のアイオンに飛んだ。
今、アイオンはオニクから体外魔法の制御を学んでいた。
「昨日、話しましたし」
そう答えながら、手のひらに風の魔力を集める。
だが球体にはならず、渦のように乱れるだけだった。
「…こっちはセンスないね。身体強化並ならすぐSランクになれたのに」
オニクが珍しく楽しそうに茶化す。
「全部うまくいくとは思ってません。身体強化だって、試行錯誤で3年かかりましたから」
「3年で、か…負けてらんねぇな!」
「頑張りなさいよ! イザーク!」
エリーがイザークの肩を勢いよく叩く。
そんな様子に、ウルは静かに笑っていた。
「お〜い! 王女様たち帰ったぞ〜!」
カーラが手を振りながら近づいてくる。
「見送りに行かなくてよかったのか?」
「大丈夫です。昨日話しましたし、王都に行けばまた会う予定ですから」
「…お前、王都行くのか?」
カーラの目がわずかに見開かれる。
「いつかは、です。見たいものがあるんで」
“今じゃない”その言葉に、カーラは少し安心したようだった。
「王都か〜…俺たちもそろそろ出る頃かな?」
イザークがパーティに問いかけるが、ウルが首を横に振る。
「いや、もう少しこの辺りにいた方がいい。強い魔物が出始めたし、初心者向けの土地じゃなくなってきた。他領からも冒険者が集まり始めるだろう。今が稼ぎ時だ」
「そうね〜。ハーピーやアーススパイダー以外も出るかもしれないし、ヒュドラは無理でも、今なら稼げるわ」
エリーも頷く。
そんな中、オニクが呆れたように口を挟んだ。
「ウル。…いい子ができたから離れたくないだけだろ? 単純なんだから」
「「なに!?」」
イザークとエリーが声をそろえて反応し、ウルをにらむ。
照れているのか、ウルは口笛を吹いて誤魔化した。
「まだまだ騒がしそうですね」
アイオンが苦笑混じりにカーラへ声をかける。
「そんくらいがちょうどいいさ。平和の証拠だろ?」
カーラは明るく笑った。
訓練場に響くイザーク達の喧騒。
その音に包まれながら、アイオンもまた、穏やかな笑みを浮かべるのだった。
――今日という日常の中に、静かに、けれど確かに“希望”が宿っていた。
二章本編はここまで
ブクマ、リアクションお待ちしてます
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