恋敵
ランプの灯りが静かに揺れる一室に、重苦しい空気が漂っていた。
木造の壁に囲まれた小さな会議室には、ジーナ、メリア、フィギル子爵、護衛団長ガーリン、村長オルババ、そして女神教のレアが集まっていた。
外では護衛団と、森の外でジーナとアイオンを迎えた自警団たちが待機している。
ジーナは席に座ると、静かに一礼した。
「始めましょう」
その口調には、昼間とは違う硬さがあった。
誰もが、王女としての顔を感じ取る。
(…明らかに違う。なにがあったんだ?)
変化に気づいたフィギルは戸惑うも、次の言葉でさらに驚かされることになる。
「本来なら今すぐ休んで、明朝の出発に備えるべきだけど……どうしても、今のうちに話しておかなくてはならないことがあるの」
一同が息を呑むなか、ジーナは静かに続けた。
「今回の事件について、私はこう報告するつもりよ。
“私の護衛にあたっていた者たちは、敵の工作により一時的に仲違いしたものの――フィギル子爵の迅速な判断と指揮により再集結し、冒険者と協力して私を救出するに至った”」
室内は静まり返った。
誰もがその意図を測ろうと、ジーナを見つめる。
「フィギル子爵。あなたの指揮なくして、私は戻れなかったと正式に伝え、広めるわ。この騒動は、それで終わりにする」
「し、しかしジーナ様、それは…!」
フィギルが思わず立ち上がるが、ジーナは手で制した。
「――それが真実かどうかは問題じゃない。私がそれを“事実”として扱うという話よ。…あなたの意思は関係ない」
「……」
「そもそも私は、あなたへの復讐に巻き込まれただけ。でも、その芽に対してあなたは迅速に対応した。それを“成果”に変えれば、フィギル地方の信頼回復につながるはずよ」
フィギルは目を見開いたまま立ち尽くしていた。
「…よろしいので?」
(責任を問われるのは間違いない。だが、王女が直接証言するなら、完全にリカバリーできる…!)
フィギルの胸の内を見透かすように、ジーナは言う。
「勘違いしないで。私はあなたを庇ってるわけじゃない。ここであなたが責任を取れば、それは一人の子爵の失墜で済む。
でも、長く領主を務めてきた者が代われば、領民の生活に支障が出るかもしれない。…それを避けたいだけよ」
「…あの少年は、納得するでしょうか? 我々の失態をカバーしたのは、紛れもなく彼です。王家から報酬が渡されるのでは?」
ガーリンの言葉に、ジーナは鼻で笑った。
「彼は、そういうものを目当てにしていないわ。村に被害が出るのを抑えるために動いた、それだけ。…むしろ、過剰に感謝されるのは困ると言ってたくらいよ」
(…彼の意向も汲んでいるのか?)
静寂の中、フィギルはようやく深く頭を下げた。
「…承知しました」
ジーナは一呼吸置き、護衛団に向き直る。
「ただし、ガーリン隊長。あなたと一部の護衛団が、道中で王族の威光を笠に着て強引に振る舞った件――あれが帳消しになるとは思わないで」
ガーリンが唇をかみしめた。
「…弁解の余地もございません。深く悔いております」
「それを止められなかった私にも責任はある。けれど、王家の名を使った以上、必ず罰は受けてもらう」
ジーナの声は冷たいが、公正だった。
「けれど、死罪は免れるはず。それに感謝して。生きていれば、やり直しはきくわ」
「…はい。殿下の仰せの通りに」
ジーナは頷き、村長とレアに向き直る。
「この村の協力も、しっかり記録に残すわ。迅速な支援、情報提供、自警団の行動。すべてが“生還の理由”の一つだから」
オルババ村長が深く頭を下げた。
「もったいないお言葉です」
「…少年には、私から個人的に感謝を伝えるわ」
ジーナは少し表情を緩めたが、すぐに真剣な面持ちに戻る。
「――それに伴い、重要なことがあるの」
部屋が再び静まり返る。
「私が少年に助けられた――この事実は、一切口外してはならない。特に、あの場にいた自警団には厳重に通達してほしい」
フィギルが戸惑い気味に問う。
「…ですが殿下、それを隠し通すのは難しいのでは?」
「村人が吹聴しなければ、ただの噂で終わるわ。だからこそ、彼らを外に集めてるの。誰とも過度に接触させずに」
ジーナはレアに視線を向ける。
「あなたなら、口止めできるでしょ?」
レアは静かに頷く。
「口止めというより、お願いすることはできるわ。そして、村の人たちはそれを守ってくれると思います」
ジーナは息を吐き、全員を見渡した。
「――今までの話、お願いではないわ。命令よ」
一瞬、部屋の空気が張り詰める。
「全員にとって最善の選択を提示した。“必ず守る”のよ。」
ガーリンとフィギルが頭を下げた。
「謹んで、従います」
「自警団には、私からも強く伝えます」
村長もそれに続き、深く礼を取る。
「村としても、厳重に通達いたします」
レアも静かに頭を下げた。
ジーナは最後に頷き、言う。
「――以上で終わるわ。全員、早急に動いて」
その声には揺るぎない決断と、王族としての威厳が宿っていた。
その場にいた誰もが、それを否応なく感じ取っていた。
#
慌ただしかった外の声も、いつの間にか静まっていた。
フィギルとレアが、ジーナとメリアのいる部屋へと入ってくる。
「すべて、無事に伝え終えました。殿下」
「自警団の方も問題ありません。皆、納得して家へ戻りました」
ふたりの報告に、ジーナは小さく頷く。
「よかったわ。…では、これで解散としましょう。明朝には村を発ち、バルナバへ。そこから飛空艇で王都、で間違いない?」
「はい。この周辺に来ていただく選択肢もありましたが、魔物の被害がどの程度か読めませんので、安全なバルナバにて合流するよう手配しました」
「わかったわ。なら、その前に――助けてくれた少年に、会いに行きたい」
「では護衛を――」
「いらないわ、そんなもの」
ジーナの即答に、フィギルが慌てて遮る。
「それはできません! 扇動していた2人は確保しましたが、彼らは末端の新入り。彼らが知らない者がいる可能性は十分ある。単独行動はお控えください」
「…私は、彼と二人で会いたいのよ」
ジーナの瞳に宿る強い意思に、フィギルはわずかに顔をしかめる。
「どさくさの中で救出されたのでしょう? 私はあの者の力に不安を感じています。それは許容できません」
ジーナはあからさまに不機嫌な表情を浮かべた。
「あなたの許可は要らないわ。私はそう決めたの。だから、勝手に行動させてもらうわ」
その強硬な姿勢に、レアが口を挟む。
「ジーナ王女殿下、落ち着いて。子爵は、あなたの安全のために言っているのよ。分かっているはずでしょう? 今は我儘が許される状況じゃないの」
「…なら、彼のところへ行くまではついてきてもいいわ。でも、話すときは二人きりにして」
反論を受け付けない口調で立ち上がるジーナ。
「そもそも、アイオンがどこにいるか知ってるの?」
レアに視線を向けると、彼女はどこか意地悪そうに微笑んでいた。
「どこにいるの?」
「一度家に戻ってから、訓練場でライアと模擬戦中よ。…カーラが見学に行くって、ベティが言ってたわ」
「カーラ?」
「あの子よ。彼を迎えた村の女の子」
その言葉を聞いた瞬間、ジーナは勢いよく部屋を飛び出した。
フィギルも訳も分からぬまま後を追う。
その様子を見届けて、レアは静かに微笑む。
「―ただ助けられただけじゃ、あんなふうに変わらない。…アイオンは、ジーナ王女の心に触れたのね」
孤立を好み、他人に興味すら示さなかったアイオン。
最近は多少変わったが、それでも親しい人間以外にはまだぎこちない。
そんな彼が、誰かの心に影響を与えた――。
それが、たまらなく嬉しかった。
#
夜の帳が村を包み、月明かりだけが訓練場を照らしていた。
涼やかな夜風が草を揺らし、静寂を撫でる。
そんな中、甲高い金属音が鳴り響く。
対峙するのは、ライアとアイオン。
双方、手に持つのは双剣。
「いつの間に双剣使いに?」
ライアが眉を上げ、楽しげに剣を振るう。
「必要に迫られて、です!」
アイオンも軽く呼吸を整えながら即答する。
地を蹴ったのは同時。
ライアの鋭い一撃を、アイオンは双剣を交差させて受け流し、一歩引いてから素早く切り返す。
だがその動きすら、ライアには見切られていた。
攻防は拮抗し、数合が過ぎた頃。
草むらの端で見守っていたカーラが、拳を胸の前で握りしめる。
「がんばれっ、アイオン!」
その声に応えるように、アイオンの動きがさらに冴える。
今の彼には、もうかつてのぎこちなさはない。
意志と肉体が繋がり、動きに淀みがない。
ライアが笑みを浮かべて言う。
「頭で思った通りに体が動くようになった?」
「…まだまだですけど!」
跳び退いて間合いを取り、アイオンが小さく息を吐く。
そして――
「風よ!」
その声と同時に、足元から突風が巻き起こり、視界を土埃と落葉が遮る。
その隙をついて、アイオンは背後へ――
「――甘いわね」
静かな声が耳元に届く。
気づけば、ライアの剣がアイオンの首筋に添えられていた。
悔しさを噛みしめつつ、彼は素直に言う。
「…1本、取られました」
「まだまだね」
ライアは双剣をくるりと回し、勝者の余裕を見せる。
息を整えるアイオンの顔には、悔しさと同時に、どこか晴れやかな表情が浮かんでいた。
「風魔法。使えるようにはなったけど、制御できてないみたいね?」
「はい。身体強化と併用すると不安定になりますし、魔力の消耗が激しくて」
「それが両立の難しさ。体外魔法と体内魔法を同時に使える者は、ほとんどいない。あなたほどの身体強化に釣り合わせるとなると…一流を超えた、超一流だけよ」
ライアは剣を鞘に納めながら続けた。
「正直、驚いたわ。…人は死線を越えると急激に成長するけれど、まさか体外魔法を使えるようになるなんて、ね」
「ですが、結局あなたに傷一つつけられませんでした」
「当然よ。私のプライドにかけて、弟子に傷を負わされるわけにはいかないわ。…師匠に怒られるもの」
ふっと笑うライア。
「“雷轟”、でしたっけ? 体外魔法と身体強化を両立する化け物みたいな方」
「そう。――最強と称えられる人たちは、皆人間離れしている」
「…想像もつきません」
途方もなさに、思わずため息が出る。
「でも、あなたなら並べる。――越えられる。私は、そう思うわ」
ライアは、穏やかに、どこか寂しげに微笑んだ。
「私にはできなかった。でも、あなたならできる。それなら、私も師匠に怒られずに済むわ」
そう言って、背を向けて歩き出す。
「――借りは返し終えた、わよね?」
まっすぐに見つめ、アイオンは答えた。
「…十分に、です」
ライアは小さく笑う。
「それなら、よかった」
月明かりに照らされた赤髪が、夜風に揺れていた。
その背が闇に溶けていくまで、アイオンは静かに見送っていた。
#
「…修行、終わりってこと?」
カーラが近寄ってくる。
「ええ。もっと教えてもらいたいことはありましたが、あの人はここに留めておくには惜しすぎますから」
「…村、出ちゃうのかな」
寂しげに呟き、ライアが去った方を見つめるカーラ。
「…きっと、また来ますよ。この村、気に入ってましたし」
カーラに目を向け、アイオンは手を差し出す。
「帰りましょう。送ります」
その手を、カーラは素直に握り――
「アイオン!」
振り返ると、息を切らしたジーナが走ってきていた。
「…なんで王女様が?」
カーラの疑問はもっともだったが、アイオンにも答えはわからない。
やがてジーナが目の前に立ち、肩で呼吸を整える。
「お、王女様…?」
戸惑うカーラを、ジーナが鋭く睨みつけ、そして――
「…二人にして」
低く――けれど、確かな敵意を滲ませて言った。
「王女殿下…?」
アイオンが戸惑いながら問いかける。
その呼び方に、ジーナはわずかに眉をひそめる。
答えず、カーラに近づき耳元で静かに囁く。
「――あなたには“明日”がある。でも、私には“今”しかない。次にいつ会えるかもわからない。…だから、この時間は私にちょうだい」
ジーナの瞳と、カーラの瞳が交差する。
(…まさか、王女様も?)
カーラは気づいてしまった。
――同じだ、と。
自分と同じように、賊に攫われ、絶望の中で救われた。 アイオンの優しさに触れ、心を奪われた。
(…こいつも、私と同じ――惚れてる!!)
察してしまった。
そして理解してしまった。
恋敵であるということを。




