自覚
森を抜けた瞬間、視界が一気に開けた。
空は茜色に染まり、夕日が草原の端を金色に照らしている。
乾いた風が頬を撫で、遠くで鳥が一声鳴いた。
その街道の脇には、一台の馬車が待機しており、2人の護衛兵と自警団の姿があった。
「…!」
馬車の扉が勢いよく開き、若い女性――ジーナの侍女、メリアが目に涙を浮かべて駆け出してくる。
「じ、ジーナ様ッ! ご無事で…! 本当に、よかった!」
メリアはしゃがみ込み、ジーナの手を両手で握ると、そのまま顔を伏せて泣きじゃくった。
ジーナはそっと微笑み、メリアの頭に手を添える。
「…心配をかけたわね、メリア。でも、もう大丈夫よ。――戻ってきたから」
その様子を見ていた護衛団の男が、静かにジーナの前で膝をついた。
もう一人もそれに続く。
「殿下。このたびは、我々の不手際で危険な目に遭わせてしまい、面目もございません…!」
「いいのよ。確かに失敗だったけど、それを次に繋げられるなら、無駄ではなかったと思いましょう」
「…我々には過ぎたお言葉です。なにもできず、ただ無事を祈ることしかできませんでした」
その言葉に、ジーナは歩み寄り、自らも膝をついた。
「それだけでも嬉しいわ。…私がガーリンたちを止められずにいたせいで、あなたたちの評価も下がってしまった。不甲斐ない王族だったわね。…お互いに、失敗だらけの旅だった」
護衛2人は顔を上げ、ジーナを見つめる。
――なにかが違っていた。
こんな言葉をくれる方ではなかったはずだ。
メリアも驚きながら、ジーナを見ていた。
「それでも、私は生きて帰ってこれた。だから、これからのことを話しましょう。こうして話ができるの。きっと、この失敗を次に生かせるはずよ」
ジーナは微笑んだ。
「はっ!」
2人はもう一度、深々と頭を下げた。
「メリア」
ジーナは立ち上がり、彼女の手を取る。
「…今日まで、ごめんなさい。私は情けなかった。あなたにも素っ気なく接して…ただのいじけた子どもだった」
その目には、涙が滲んでいた。
「あなたは唯一、ずっと私の傍にいてくれたのに。…あなたのことを知ろうともしなかった」
「ジ、ジーナ様?」
メリアは困惑を隠せなかった。
――“仕事だから傍にいるだけでしょ?”
そう言われるたびに、答えることは一度もできなかった。
「今さら、都合のいいことを言ってるって思われても仕方ないわ。…でも、あなたのことを、知りたいの」
「…私は、ただの従者です」
その言葉に、ジーナの肩が震える。
やはり、拒まれると思った。
「――申し訳ありません。ずっと、この先の言葉を言えず、私は逃げておりました」
メリアは静かにジーナの手を握り返す。
「分不相応な思いかもしれませんが…私は、あなたの従者です。そのうえで、…あなたの助けになりたいのです」
「…メリア!」
「これからも、よろしくお願いします。ジーナ様」
――夕闇の中、二人の影が重なった。
#
その様子を、アイオンは少し離れた場所から見つめていた。
(…もう大丈夫、か)
そこへ、槍を携えた女性が駆け寄ってくる。
自警団の一人、ビアンカだった。
「アイオン…! 本当に、生きててよかった…!」
「大したことはしていませんよ。幸運が重なっただけです。ご心配をおかけしました」
微笑みながら、アイオンは軽く頭を下げた。
「とんでもない化け物が出たって聞いたけど…服、ボロボロじゃない」
(誰かがあの場所に…?)
涼しい顔を装いながら答える。
「ええ。そのおかげで、賊たちの隙を突いて救出できたようなものです。魔物たちも賊が放ったんでしょうけど、制御できなかったんでしょうね。服はもうどうにもなりませんが、傷は回復薬でなんとか」
「ふーん。随分間抜けな話ね…でも、そのせいで森の生態系が狂ったのは痛いわ。今はまだ森に留まってるけど、繁殖したら被害は広がる」
「それはフィギル子爵が考えることです。しかし、経験の浅い者向けの土地に強い魔物が出るようになれば、人はさらに増えるかもしれませんし、悪い事ばかりじゃないかと」
「…子爵の座、危ういんじゃないの?って話も出てるけど」
「そうならないように、できることをしてもらうだけです。皆さんにも後で話があると思います」
「ふーん。まあ、いいわ!戻りましょう。 皆! 村に戻るわよ! トーゴ! あなたは先に戻って、皆に知らせて!」
一人の若い団員が馬に飛び乗った。
「了解! 大した距離じゃないけど、すぐに知らせて安心させるよ!」
馬が夕陽を背に走り出し、赤土の道に土煙が立ち上がる。
「皆様方も、出発しましょう!」
ビアンカが声をかけると、護衛団も頷いて準備を始めた。
「――アイオン!」
ジーナが声をかける。
「はい?」
「こっちに乗って」
手招きするジーナに、アイオンは静かに断る。
「いえ、王女殿下たちは先に行ってください。こちらは警戒しながら進みますので」
「…いや、行っていいわよ? 出てもせいぜい、ゴブリンやホーンラビットだったし、私たちでも何とかなるでしょ」
ビアンカが小声で囁いてくるが、アイオンの意志は固い。
「最後まで油断はできません。…俺が賊なら、このタイミングで最後の手を打ちますから」
もう、必要以上に関わるつもりはなかった。
「ご厚意に感謝しますが…万全を期したいんです。申し訳ありません」
深く頭を下げるアイオンに、ジーナは静かに頷き、馬車へと向かう。 その後ろをメリアが追う。
「…あんた、助けたんでしょ? カーラの時みたいに」
「隙があったから助けられただけです。それがなければ、どうにもなりませんでしたよ」
そう言って、アイオンも荷馬車へ向かう。
(…絶対にそんなんじゃない。でなきゃ、あんな顔しないし…私を睨んだりしない)
ジーナの悲痛な表情も、ビアンカに向けられた敵意も、アイオンには見えていなかった。
(…はぁ。カーラが心配。私はボブがいるから誤解は解けるけど…)
ビアンカがため息をつく頃、王女の馬車も動き出した。
「ビアンカ! 乗って! 急いで!」
「は〜い、わかってるってば!」
急かされながら、ビアンカも馬車に乗り込む。
空は次第に群青へと染まり始めていた。
それぞれの想いを胸に、彼らは村へと向かっていく。
#
(…運良く助けられただけ。過剰に扱っちゃいけない)
ジーナは自分に言い聞かせる。
(秘密を交わした以上、守らなきゃ。村という閉鎖空間での距離感…あれは普通)
アイオンが耳打ちされている光景を思い出し、不愉快な感情が込み上げる。
「…あの? ジーナ様?」
メリアが心配そうに声をかける。
「ごめんなさい、メリア。少し考え事をしていて」
「そ、そうですか。…彼が助けてくれたんですか?」
「…ええ。ヒュドラと賊の争いに紛れて、って感じだったけど」
「ヒ、ヒュドラ…!? あの森に、そんな魔物が?」
「賊たちが連れてきたみたい。未成熟だったみたいだけど、それでも充分危険よ。…魔物を使ったショーの元締めと繋がってる、みたいなことを言ってた。いろんな魔物の卵や幼体を、領土中に撒いたんですって」
「…なるほど」
「でも、持ち込んだ魔物のせいで予定のルートが使えなくなって、結局ヒュドラを置いた場所を通るしかなかった。…その杜撰さで命拾いしたわ」
「なるほど。情報戦では勝ってたのに、実行部隊はお粗末だったんですね」
「…私を狙ってたんじゃないからね。子爵への恨み…それに利用されただけの、貢物ですって。…それが“飾り物の王女”に相応しい価値だって」
窓の外では、村の家々から煙が上がっているのが見える。
「ジーナ様…」
「ち、違うのメリア! 受け入れてはいるけど、今はそれが全てだとは思ってないわ」
「では…?」
「私にできることは少ないけど、できることをするわ。たとえ“必要のない王族”でも、私は王族。…それを受け入れて、生きていきたい」
「誰に何を言われても、陰口を叩かれても…私は、やりたいことをやってみたい」
窓の向こう、村の入り口が見え始める。
「…それで夢を見れなくなっても。――私は、生きていたいの」
#
(まさか…本当に戻ってくるとは…)
フィギルは動揺していた。
もう、すべてが終わったと思っていた。
(夢…か? 女神が見せる幻想か?)
自分の手をつねる。痛みは確かにあった。
やがて、先導する護衛団と馬車が見えてくる。
(――奇跡か)
フィギルを先頭に、ガーリンら護衛団、そして村長たちが馬車を待ち受ける。
扉が開き、ジーナが降りてくる。
フィギルは膝をつき、頭を垂れた。
続けて護衛団が膝をつき、頭を垂れる。
やがて、ジーナが近づく気配に、体が強張る。
「顔を上げなさい」
「…このたびの失態、誠に申し訳ありません。頭を下げた程度では償いきれぬと承知しております。このゲルト・フィギル、すべての罰を受け入れる所存です」
「…我々も同じ所存です」
フィギルの謝罪に、ガーリンらが重ねる。
「…全てを、受け入れるのね?」
「「はい」」
「なら、話があるわ。誰も来ない場所で――」
「アイオン!!」
村人の中から少女が駆けてきた。
「おい! 不敬だぞ!」
慌ててフィギルが制止するが、少女は止まらない。
荷馬車に駆け寄り、降りてきたアイオンに声を掛ける。
「アイオン! よかった! 無事…なんだよな?」
「ええ。ご心配をおかけしました、カーラさん」
アイオンは微笑んだ。
(…なに、これ)
感情の波に、思考が追いつかなかった。
「えー? 本当に無事? 服はボロボロだけど、怪我はないの?」
カーラがアイオンの身体をまさぐるように確かめる。
「なんとか。回復薬が効く程度の傷でしたから」
その様子に、ジーナは目を見張った。
「――あ、ボブー!」
「おー! ビアンカ! 無事でよかった!」
先ほどアイオンに親しげだった女性が、別の男と抱き合っている。
「てめーら、王女様方の前でいちゃつくな!」
別の男が怒鳴る。
「嫉妬すんなよ、ロッチ」
そのやり取りに、ジーナはようやく理解する。
「――あぁ、そうか」
その様子に、フィギルは恐る恐る声を掛ける。
「…王女殿下?」
しかし、そんな彼の言葉は、ジーナには届かない。
(…私は、彼に恋をした)
そして、あの少女も同じなのだと。
そして、あの子の方が、きっとアイオンに近い。
それが、どうしようもなく――
続けざまに彼を囲む人々。
家族や、シスター達や、冒険者たち。
しかしジーナは、ただ1人の少女を見つめ続けていた。
――嫉妬と、羨望を込めて。




