アストライア
この体に――この世界に転生してから、3年が経った。
驚くほどに、自分はこの世界に適応してしまった。
クソ女神から与えられた知識は、世界の基礎をまるごと叩き込まれたようなものだった。
アストライア。世界の名。
その一国、ローズレッド王国。
王都パルキノンから遠く離れた辺境、フィギル子爵の領地。
その片隅にある小さな村―オルババ村で、俺は“アイオン”として暮らしていた。
村の人口は200人ほど。
前世では農作業などやったこともなかったが…今ではすっかり慣れていた。
#
「お疲れ様ーっ!」
畑に元気な声が響く。
「お、ナリア!もう昼か?」
「うん!お父さんとアイくんを呼んできてって、お母さんが!」
「おぉ、母さんの手伝いか!偉いぞ〜」
今世の父、ラクトに抱き上げられ、少女は顔を輝かせる。
「アイオン!ここまでだ、帰って飯食うぞ!」
「はい、ラクトさん」
どこか他人行儀な返事が口をつく。
この体に入ってから、ずっと申し訳なさでいっぱいだった。
それでも、この人たちは俺を家族として受け入れてくれている。
「いこう、アイくん!」
妹であるナリアが笑顔で手を差し伸べてくる。
「…ごめん。行こう」
その笑顔を、未だ正面から受け止められないままだった。
#
村に戻る道すがらも、ラクトは村人たちに声をかけられる。
「ラクト!仕事終わりか?」「もっと働けよ〜」
「ナリアちゃ〜ん!結婚して〜!」
「俺の目が腐ってもやらん!」
「ははっ!子離れしろよ!」
笑い声が弾む。
元兵士だったラクトは、今では自警団を率いて村を守る頼もしい存在として、村人に慕われていた。
#
ナリアが元気よく家のドアを開ける。
「お母さん、ただいま!」
「おかえり、ナリア」
母セアラが笑顔で迎えてくれた。
「ただいま、セアラ! 働いてきたぞ!」
「それが仕事ですよ」
「…ただいま帰りました、セアラさん」
「おかえり、アイオン。お疲れ様」
その柔らかな微笑みにも、応えられないままだった。
母を手伝う妹、褒める父。
段々と暖かな家庭の光景が広がっていく。
だが俺にとっては、まだ馴染みのない風景だった。
#
食事を終え、剣と盾を手にする。
「では、行ってきます」
「おう!油断するなよ!」
「気をつけてね、アイオン」
「いってらっしゃい!」
"家族"の声に振り返る事もなく、逃げるように家を出た。
#
村の出口付近。
「アイオン! …おい、アイオン!」
声が追ってくるが、聞こえないふりで歩き続けた。
「聞こえてんだろ! アイオン!!」
根負けして足を止め、ため息混じりに振り返る。
「なんですか、カーラさん」
「お前くらいだぞ、私にそんな態度するの…」
「それはそれは―。では、ご機嫌よう」
「だから待てと言ってんだろ!!」
ぐい、と胸倉を掴んできたのは村一番の美少女――カーラ。
外見は華やか、性格は剣呑。兄のゼアスと喧嘩三昧の少女だ。
「ゼアスさんなら、まだ帰ってきませんよ。夢の兵士生活、順調らしいです。次に帰ってくるのは冬の休暇ですって」
「誰があいつの話なんかしてるかーっ! それよりお前、また一人で狩りか!?」
赤面しながら話題を逸らすのが、逆に分かりやすい。
「ラクトさんから許可は得ています。村長も認めてますし。魔物被害を減らすのは村にとって重要です。魔物肉は売れる、小銭も稼げる。店の収益が上がり、酒場に金が落ち、行商人も来る。俺は装備を新調し、また商品が流通する。金が巡って、村が潤う。…つまり、世界が潤う」
まくしたてる俺。
だが、怒りに燃えるカーラには微塵も効果がなかった。
「屁理屈こねてんじゃねぇ! たまには家族と過ごせって言ってんの! ゼアスが村を出てから、セアラさんもナリアちゃんも気落ちしてんだぞ! お前は一度死にかけてるんだ! 少しは親孝行しろ!」
顔を真っ赤にして怒鳴るカーラ。
その声につられ、村人がわらわらと集まってくる。
(…面倒な)
「ゼアスさんが村を出たのはもう一年前です。手紙も届きますし、今はそこまででもない。…まあ、善処して検討します。それでは」
言い切ると同時に魔力で身体を強化し、一気に駆け出す。
「あっ! 待てコラ! 逃げんな! レア様も心配してんぞーー!!」
背後の声を振り切り、森へ走った。
#
「ガァァァッ!! あのクソ野郎!!」
カーラは地団駄を踏む。
彼女は“今の”アイオンに惚れていた。
だが当の本人は、なぜか勘違いしたまま。
ゼアスに相談したところ「お前が妹になるのは嫌だ」と冗談めかされたせいで、以来喧嘩が増えたのだ。
そこへ野次馬たちの合いの手が飛ぶ。
「カーラよぉ、それはねぇべ!」
「素直になれって!」
「俺にしとけー! カーラちゃーん!」
「いやいや、あれは簡単に落ちんぞ!」
なぜか村人にはバレバレ。
アイオンだけが気づかない。
「ギャップだって! ギャップに男は弱ぇんだ!」
「カーラにもあるだろ、ギャップ!」
「あるある! 男勝りな奴には胸があるもんだ!」
「でもあいつはA級よ! A級!!」
「魔物はEから弱い順なのに、なんで胸はAからなんだろうな?」
「知るかバカ!」
「ギャハハハ!」と盛り上がる野次馬たち。
「うるせえぇぇええ!! 散れぇぇぇええ!!!!」
カーラが近くの箒を振り回すと、村人たちは蜘蛛の子を散らすように退散した。
#
森へ入る。
この辺りには低級の魔物が魔物が生息しており、食料や稼ぎ場として利用されていた。
「…無駄に魔力を使った」
一息つき、魔物を探す。
やがて角を持つウサギ、ホーンラビットが三体姿を現した。
「…ちょうどいい」
魔力を巡らせ、一気に斬りかかる。
一匹目を瞬殺。二匹目の突進を盾で受け止め、そのまま斬り伏せる。
最後の一体と正面から相対し、俊敏な動きを回避して首を跳ねた。
「幸先いいスタートだ」
血抜きをし、解体。バッグに詰める。
朝は畑を手伝い、日が暮れるまで狩りをする。
それが、この世界に転生してからの“日常”だった。




