表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
76/152

決着

森に、静寂が戻っていた。

ただ、湿った血の匂いと、少女の嗚咽だけが残る。


ジーナは地に崩れ、絶叫の果てに声を失っていた。

目の前には、首を落とされたアイオンの亡骸。


震える手でその体に触れようとして――触れられなかった。


一人が、血に染まったナイフを振って返り血を払う。


「――終わったか」


長剣の男が、ため息まじりに言う。


「ああ。回復魔法も使えねぇだろ。首を落としちまえばな」


杖の男が淡々と呟いた。


「…こいつ、名前、なんて言ってたっけ?」

「アイオン、とか言ってたな。覚えとく価値はあるぜ。後で飲むときの肴にでもな」


長剣の男が口笛を吹きながら、ジーナへと近づいた。


「さて、と。そろそろ行こうか、王女様?」


ジーナは顔を上げない。


「…」

「…おい、聞いてんのか?」


無視された長剣の男が苛立ち、腕を掴む。

だがジーナは、かすれた声で呟いた。


「…アイオンの、剣…どこ?」

「は? 何言ってんだ?」

「彼が…片方、持ってなかった。あれは、ヒュドラに――」


ジーナは突き飛ばすように男を振り払い、ふらつく足で走り出した。

向かう先は――ヒュドラの残骸の傍。


そこに、それはあった。


巨大な魔物の傍に突き立ったままの、一本の剣。

アイオンのもの。

かつて、サミィという賊の一味が使っていた双剣の一本。


「…あった…」


ジーナは膝をつき、その柄を両手で握る。


「…私も、すぐ…行くから」


ジーナの目には、涙すらもう残っていなかった。

その手で剣を持ち、胸元へとゆっくりと構える。


「――これで、いい」


震える声で、誰にともなく呟いた。


「だって…もう…」


長剣の男が慌てて駆け寄る。


「おい待て、バカッ…やめろ!!」


杖の男も動く。


「やらせるな! お前が死んじゃ――!」


ジーナは剣を突き出す――その時だった。


「やめろ、ジーナ!!」


その声に、世界が止まった。


聞き間違いではなかった。

あの声は――


「――え?」


風鳴りが止み、空気が揺れた。


その場の全員が、反射的に見た。

そこに、立っていた。


血の海に沈んだはずの少年。

首を落とされ、完全に死んでいたはずの存在。


――アイオンが。


彼は、確かにそこにいた。

だが、その姿は異様だった。


その身には、傷は見当たらない。

ヒュドラによって失ったはずの右腕すら、戻っていた。


けれど、服だけは破れ、焦げ、切り裂かれていた。

火で焼かれ、剣で裂かれ、ナイフに貫かれた。

ついさっきまでの激闘の痕跡だけが、そこにあった。


それが、逆に恐ろしかった。


「おい、なんだこれ?」


杖の男が、言葉を失う。


「首、落としたよな? 見間違いなんかじゃ、ねぇよな…?」


長剣の男が、震える指で剣を構えながら後ずさる。


ジーナは、アイオンを見つめ、呼吸を忘れていた。


「――っ、アイオン…!?」


その名を呼ぶと、アイオンは微笑んだ。

それは、確かに彼の笑顔だった。

ジーナの目に、再び涙が滲む。


次の瞬間、アイオンの姿が、一瞬で消える。


「――っ!」


杖の男が悲鳴を上げる間もなく――


ザンッ!!


赤い閃光が、彼の胴を裂いた。


「が、があああっ…!!」


血が吹き出し、杖の男が崩れ落ちる。

その顔は驚愕の色に染まっていた。


アイオンは振り返らない。

そのままジーナの元へと一瞬で移動し、彼女の手を握り、剣を取る。


「最後まで、生きることを諦めちゃ駄目です。でなきゃ、死に損になるかもしれませんよ?」


「…なによそれ…本当に、変な人」


「どこが?…いや、そうですね。今の俺はどう見ても変だ」


笑顔に、ジーナは思わず安心してしまう。


「生き返った…? いや…死んでない? でも、首は…!」

「何なんだ、お前は…!?」


リーダー格のナイフ使いが低く唸りながら、構えを取り直す。

だが、アイオンは笑って返した。


「ははっ!化けて出てきただけですよ」


そして、双剣を構える。


「――始めますよ? 最後の勝負」


風鳴りが、殺意を孕んで渦巻いた。


「アイオン…貴様、何者だ!?」


ナイフ使いの男が低く唸る。


ただの少年に見えていたはずのその存在は、今や目の前に立つだけで空気が張りつめる異質な“気配”をまとっていた。


一方、長剣の軽薄な男は、乾いた笑いを浮かべる。


「まあいい。死なねぇなら、死ぬまで殺し続けるだけだ」


カチリ、と長剣を構える音が響いた。


「やるぞ。頭を切り替えろ。…次は切り離すだけじゃ終わらせねぇ。切り刻んでやる」

「……ああ」


ナイフが風を切る音と共に、リーダー格が先に動いた。


低く地を這うように、鋭いナイフが襲いかかる。

同時に、長剣使いが高く跳躍し、アイオンの背後から一閃。


――しかし。


「遅いですね」


ヒュッ、と風鳴りがした瞬間、アイオンは姿を消していた。


「なっ――!」


ナイフ使いの反応も遅れなかった。

飛び退いて距離を取る――が、その一瞬、地面を蹴って跳びかかる影。


「そこだッ!!」


長剣使いの刃が、まっすぐアイオンの背に迫る。

が――


ギィン!!


甲高い金属音。

その刃は、背後も見ずに差し出されたアイオンの双剣に受け止められていた。


「っなッ…」

「甘いですね」


クルリと体を半回転。

アイオンはそのまま、片方の剣を振るい、長剣使いの腹をかすめる。


「ッ!クソッ!!」


後退し、体勢を立て直そうとする軽薄な男。

そこに、再びナイフ使いの刃が迫る。


「――甘いのは貴様の方だ!!」


高速の連撃。

2本のナイフが同時に違う角度から迫る。


だが。

アイオンは、そのすべてを読み切っていた。


最小の動きで剣を振るい、刃と刃とが交錯する音が響く。火花と突風が飛び散り、地面にナイフが跳ねた。


「くっ、なんなんだ、こいつ!」


「ははっ、まさかお前が防戦一方とはな!」


長剣の男が再び距離を詰める。

だがその笑顔には、もはや余裕はなかった。


「今度こそ――ッ!!」


頭上からの鋭い斬撃。

だが――それは、虚空を斬った。


「なっ――!?」


横合いから回り込んでいたアイオンが、低い姿勢から片刃を突き出す。


「――残念でした」


ズブッ――


剣が、腹部を貫いた。


「ぐっ、あっ!?」


それは、軽薄な笑みを浮かべていた男の腹だった。

剣が深く、致命的に刺さっていた。


「が…ハ、は…? 俺が…? こ、んな――バカな…」


男が、よろめく。

アイオンは静かに語る。


「どんなに強気に振る舞おうと、俺に呑まれてましたね。戦いでは、その時点で大きく後れを取ってしまう」

「く、そ…お前…なんなん…だ…」


膝をつき、血を吐きながら、男が崩れ落ちる。


その目が開いたまま、光を失ったとき――

長剣使いの命は、確かに終わった。


「2人、終わりです」


アイオンは双剣を構え直し、残る男――リーダー格のナイフ使いを見据える。


「一対一ですね。さて、覚えてます?」


「…なにをだ?」


「――俺の糧になってもらいますよ」


森の空気を切る風勢が高まり、静まり返った空間に、剣戟の余韻だけが染み込んでいく。



リーダー格のナイフ使いは、一歩後ろへと退き、改めてアイオンを見据えた。


「……なるほどな」


重い沈黙のあと、男が静かに口を開く。


「手を出してはいけない、“本物”があんな村にいたって事か」


アイオンは黙って構えを崩さない。


「最初に見たときは、多少できる程度にしか見えなかったんだがな」


男の声には、僅かな震えが混じっていた。

だがそれでもなお、意地のように冷静を装っている。


「首を落としても死なない。ヒュドラの毒も効かない。傷もない。あげくに…確かになかった右腕まで戻ってやがる」


「……」


「なあ、ガキ。ひとつだけ教えてくれ」


男が、ナイフを構えたまま一歩、踏み出す。


「――お前、本当に人間か?」


沈黙。足元で風が擦れ、乾いた葉を鳴らす。


「…いや、答えなくていい。どんな答えでも…恐ろしい」


男は乾いた笑いを浮かべた。


「だが一つ、ハッキリしている。俺の方がまだ上だ」


ナイフが、夕焼けを反射してきらめく。


「だからやるさ。最後までな…たとえ、相手が――“化け物”でも」


その言葉に、アイオンが口を開く。


「…違いますよ」


「は?」


「俺は――ただの村のガキです」


静かな声。だが、その奥には深く、冷たい意思があった。


「ただ村を守るためにここに来た、それだけの普通の人間です。だから、これはあなた達の行動の結果に過ぎない」


「…!」


「だから―ただのお返しなんですよ」


双剣が、構え直される。


「あなた達の行動の結果に対する、お返し。わかります?……今日までのフィギル地方に出たであろう魔物被害。これからも出るであろう魔物被害。ジーナに対する暴言の数々。…その全てをまとめて―」


風鳴りが一段高くなった。


「返します!!」


――次の瞬間、地面を抉る衝撃とともに、アイオンが疾走する。


リーダー格のナイフ使いも、すでに構えていた。


「来い!化け物ッ!!」


そして、最後の戦いが始まる――


突風が彼の足元を巻き上げ、荒れ狂う渦となって地面をえぐった。


「っ…!」


ナイフ使いの男は反射的に後退する。

巻き上がった土と葉が視界を曇らせた。


「――まだ扱い慣れていないな!」


冷静な声が、混乱を裂くように響く。


「ええ、正直、全然コントロールできてません」


アイオンは苦笑交じりに答える。

だが、その目は真っ直ぐに冷たく光っていた。


「それでも、やらなきゃいけないので!」


次の瞬間、風鳴りが弾けた。


ドンッ!


地面から噴き上がる爆風が、アイオンの体を強引に跳ね上げる。


それは“飛ぶ”というより、“弾き飛ばされた”ような軌道だった。


「――っ!」


ナイフ使いは即座に身を翻し、数歩後退する。

しかし、そのわずかな“遅れ”こそが命取りだった。


「――いきますよ!」


空中で身体をひねりながら、双剣が斜めに振り下ろされる。


「雑だが…速い!」


ナイフ使いは刃を交差させて防ぐ。


ギィン!!


火花が激しく散る。

力任せに叩きつけられた双剣の一撃に、男の足元がズリッと滑った。


「っ…だが、粗が多い!」


体勢を立て直し、脇腹を狙ってナイフを突き出す。

――だが、アイオンの姿はすでに消えていた。


「…な――」


再び、背後で風が擦れる。

乱れた風圧に押されるように、アイオンが飛び込んでくる。


「まだ…!」


ナイフ使いは咄嗟に防御姿勢を取る。

アイオンの剣が激しく叩きつけられ、男の両腕が痺れるように重くなる。


その瞬間――


アイオンが右足を後ろに引き、地面に風を集中させる。


「まだ…うまくいかない、けど――!」


叫びとともに、力を解き放った。


バンッ!!


爆発するような風圧。

土煙が吹き上がり、目くらましのように辺りを覆う。


「くっ――!」


視界が一瞬、完全に奪われる。


「ここだ!!」


その土煙を割って、アイオンの声が響いた。


次の瞬間――


「この距離は――俺の間合いだ!!」


風を裂く一閃が走った。


「――ぐぁっ!」


ナイフ使いの体が、血飛沫を撒き散らしながら吹き飛んだ。


よろめきながらも、彼は最後まで武器を手放さなかった。

だが、深く刻まれた一閃により――その足は、もう動かない。


「…見事、だな」


膝をつきながら、男が静かに呟く。


「風も、剣も…荒削りだが、確かな力がある…」


「恐縮です。でも――」


荒い息をつきながら、アイオンは剣を構えたまま答える。


「勝ったのはこの一度だけです。…あなた方には二度殺されてます。今回でさえ、動揺したあなた達の隙をついただけ。…普通は一度で終わりですし、運が良かっただけですよ」


「…運か…見放されたのは…俺か…」


それきり、ナイフ使いは何も言わなかった。

そして、静かに地面へと崩れ落ちる。


――静寂。


吹き荒れていた風も、ようやく静まった。

双剣を手にした少年が、ただ一人その場に立つ。


足元には、誰もいない。

勝負は、終わった。


森には再び静けさが戻っていた。

夕暮れの空が茜に染まり、葉の隙間からこぼれる光が、乾いた地面を照らしている。


その中心に、2人。


アイオンはゆっくりと双剣を鞘に収めた。


ジーナは何も言わず、彼を見つめていた。

涙の跡が、その目元にまだ残っている。


沈黙のまま、時間が流れる。

やがて、ジーナが口を開いた。


「…あなた、本当に…アイオンなのよね?」


アイオンは少し視線を落とし、やがて微笑む。


「はい。俺は俺です。そこに変わりはありません」


「でも…あんな傷を負って、生きてるなんて…。だって、首が…」


「う〜ん…まあ、そうなんですけど」


「…なに?」


アイオンは少し考えてから、口を開いた。


「忘れてくれませんか?」

「…は?」


思わぬ言葉に、ジーナの目が丸くなる。


「どう答えても、きっと伝わりません。なので、誰にも言わず、忘れていただければ…」


俯きながら、アイオンはまるで叱られている子どものように答える。


その姿を見て、ジーナが返す言葉は一つだった。


「…わかったわ。じゃあ、助けてもらった借りは、それで帳消しってことでいい?」


アイオンは微笑み、頷く。


「ええ、それで!」


ジーナも軽く頷いた。


「では、完全に夜になる前に、安全な場所へ行きましょう。もう賊はいないでしょうけど、ヒュドラみたいな化け物が出ないとは限りません」


「…いないわよね?」


「わかりませんよ? さ、行きましょう」


剣を収めたアイオンは、そっとジーナに手を差し出す。


「…子どもじゃないんだけど」


「…すみません。癖でつい」


慌てて手を引っ込めるアイオン。

そんな姿を見て、ジーナがふっと微笑む。


「まあいいわ。エスコートしてくれる?」


そっと、手を差し出す。


「…喜んで」


その手を握るアイオン。


2人は戦いの場を背に、森の奥へと歩き出す。

沈黙は続くが、それはどこか心地よい静けさだった。


ジーナは、握る手の感触と、アイオンの背中を交互に見ながら歩いていた。


(…冷たい手。でも、なんでだろう。すごく――)


風が静かに吹き抜ける。

夕暮れの光が、2人の影を長く地面に伸ばしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ