幕間 奇跡の日
「…力及ばず、ごめんなさい」
シスター・レアが頭を下げる。
その後ろで、シスター・ベティも頭を下げていた。
「ど、どうすることもできなかったのです…あなたたちのせいではありません」
涙をこらえながら、セアラが返事をする。
子どもにだけ発症する奇病――生存率は極めて低く、患った時点で死を覚悟しなければならない。
そう、事前にレアから聞かされていた。
「そうです。よくしていただきました…最後は苦しむことなく、アイオンは女神様のもとへ帰りました」
ラクトが、セアラの肩をそっと抱きながら言う。
「アイオン…」
長男のゼアスが、アイオンの傍で小さく呼びかける。
「…アイちゃん?」
それを見て、ナリアもアイオンに呼びかけた。
けれど、死というものを理解するには、この子はまだ幼すぎる。
堪えきれず、涙が溢れた。
「…泣いても、いいのよ? 悲しいときは、泣いてもいいの」
限界だった感情が、レアの優しい声で一気に崩れた。
「うぅっ…うわぁぁああっ!!」
「セアラ! セアラ! くそっ…くそぉ!!」
「うわーん! アイオンが…アイオンがぁ!」
もう二度と、アイオンは目覚めない。
その事実を理解できてしまう私たちは…ただ、泣いた。
喪失感が胸を、体を、深く深く支配していた――。
そのとき。
「アイちゃん!」
ナリアが突然、声を上げる。
「ナリア…アイオンは、もう…」
この子は本当にアイオンに懐いていた。
剣の訓練に夢中だったゼアスよりも、いつも面倒を見てくれて、遊んでくれたのはアイオンだった。
「アイちゃん…泣いてるよ? どうしたの? いじめられたの?」
……?
全員が、アイオンを見る。
――目を、開けている?
「あ、アイオン…?」
恐る恐る、セアラが声をかける。
さっきまで目を閉じて、呼吸が止まっていたはずの息子が――
「…ごめんなさい」
話した。
レアとベティに視線を向ける。
ふたりとも口を開け、言葉を失っていた。
アイオンはゆっくりと起き上がり、
「……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
繰り返し、何度も謝り続ける。
その姿を、思わず抱きしめた。
ひどく震えていた。
「大丈夫! 大丈夫よ、アイオン!」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
その震える体を、ただ抱きしめ続けた。
アイオンが眠るまで――ずっと。
「…みんな帰った。助かってよかったなって」
「…そう」
眠るアイオンの傍で、ゼアスとナリアの頭をセアラはそっと撫でる。
泣きながら眠るアイオンの隣を、ナリアは離れずに。
ゼアスはベッドの縁にもたれかかって…。
しばらくして、レアとベティが戻ってきた。
「…前例がないことだわ。確かに、心臓は止まっていた。呼吸も」
「そうですね〜。この病気で生き残った例は多少ありますが、心臓が完全に止まってから数分後に蘇生したケースは…他の病気を含めても聞いたことがありません〜」
「…奇跡としか言いようがないわ」
奇跡――
「…女神様の奇跡でしょうか? 私たちの祈りが、届いたのでしょうか?」
「わからない…そうとしか。でも、そうだとしたら…」
「う〜ん…軽はずみなことは言えませんよ〜」
ベティが、珍しく冷静な声で言う。
「これが女神様の救いだとしたら、教義に反します〜。死は、他の世界へ旅立つための通過儀礼でしかありません〜。それを否定するような行いを、女神様がなさったとは〜…ちょっと、思えません〜」
「…そうね。軽率に判断しては駄目だわ」
レアも落ち着きを取り戻していた。
「…このことは、誰にも話さないほうがいいわ。見ていなければ、誰も信じないし。無駄な憶測が広がれば、危険なことにもなりかねない」
セアラとラクトは、息を呑む。
「…狙われる…誰にですか?」
「…女神様の奇跡だと思われては困る連中よ」
「…すなわち、あの俗物集団ですね〜」
「やめなさい、ベティ」
舌を出し、「失敬」と自分の頭をぺしんと叩くベティ。
少しだけ、空気が和らいだ。
「わかりました。ゼアスが目を覚ましたら、きちんと話します。ナリアは…まだ理解していないので、大丈夫だと思います」
「そうね…下手に刺激して、記憶に残るほうが怖いわ。ただ“元気になった”って伝えておけばいい」
「はい…」
やがて、レアとベティは教会へと戻っていった。
「俺たちも休もう。ここ数日、ろくに寝てなかったしな。体力も限界だろ?」
アイオンの頭を撫でるセアラに、ラクトがやさしく声をかける。
「…ねぇ、ラクト」
「…ん?」
「…この子は…誰に謝ってたんだろう?」