綻び
(――しくじったな…)
アイオンは奥歯を噛みしめた。
一撃目で崩すつもりだった。
最低でも一人、無力化できていれば展開は違った。
だが今――三人とも健在。
しかも、ジーナを盾に取られている。
(あのナイフ使い…簡単に反応した…)
一瞬の判断ミスが、戦況を最悪に傾けていた。
「ははっ、なーんだよ。本当に来たのかよ。…お飾り王女のために命張りに?」
長剣の男が嗤いながら、金属音を鳴らして剣を構え、ジーナの顔を覗きこむ。
「こんな役立たず、 助けたところで王から感謝されるわけでもねぇのに――お前、相当バカだな?」
挑発に乗るつもりはなかった。
だが、その言葉に、アイオンの眉がわずかに動いた。
「…賊が人をバカにするのは、笑うところですかね?」
低く、短く、吐き捨てたその瞬間――
ジーナを押さえていた男の杖が赤く光り始めた。
「はっ! 啖呵は一丁前だな、坊っちゃん!」
魔力の粒が杖の先に集まり、火球が形成されていく。
「燃えちまえよ、“英雄気取り”のガキがよぉ!!」
叫ぶと同時に火球が放たれた。
アイオンは飛び退き、体をひねって躱す。
火球は木の幹に炸裂し、火の粉を撒き散らした。
ほぼ同時に、長剣の男が斬り込んでくる。
鋭く速い軌道。火球を囮にした連携だった。
(動きを読まれてる!)
「ほらほら! 集中しねーとすぐ死ぬぞ、坊やッ!」
斜めから迫る刃――避けきれない。
アイオンは剣で受けるが、流しきれず、後ろへと弾かれた。
「っ!」
足元が滑る。崖に近づきすぎた。
そこへ――
「よそ見だ」
低く冷静な声。ナイフのリーダーが背後から迫る。
(っ!)
転がるように身を沈め、かろうじて躱す。
だが隙を見逃すはずもない。
再び火球が迫る。剣の男が正面から牽制し、リーダーが横合いから間合いを詰める。
完全に包囲されていた。
(速い! 動きに無駄がない――想像以上に強い!)
一人が牽制すれば、もう一人が仕留める。さらにもう一人が逃げ道を潰す――完璧な連携。
(まずいな、これは……)
思考が、冷静に警鐘を鳴らしていた。
(このままじゃ、確実にやられる)
川沿いの細い崖道。逃げ場はない。ジーナも巻き込めない。
「どうしたー?終わりか?」
長剣の男が嘲笑を浮かべる。
「せっかく来たのによぉ、泣かせるだけか? 王女様もさぞガッカリだろーよ」
ジーナの顔が揺れた。
その瞳には、不安と――そして祈るような光が宿っていた。
(――いや)
集中する。
(まだ、終わってない)
アイオンは呼吸を整え、膝を沈めた。
(連携を断ち切れれば、流れは変わる。まずは―)
火球が再び生まれた。
その瞬間、アイオンは地を蹴る。
あえて見えるように直線に飛び込む。
驚いた杖の男が、咄嗟に魔法を発動――
(今っ!)
アイオンの姿が、消える。
火花が弾ける。
一瞬で間合いを詰め、杖の男に斬りかかる。
「くっ!」
回避が間に合わず、肩に浅く刃が走った。だが、それだけだった。
「ほらよ!」
長剣の男が横から斬り込んでくる。
剣を交差して防いだが――手がしびれる。体勢を崩す。
(まずい!)
そこへ、冷ややかな気配。
「終わりだ」
リーダーのナイフが、脇腹を深くえぐった。
「――っ!」
服が赤に染まる。膝が崩れ――視界が滲む。
(まだ、終わらせない!)
無理やり立ち上がる。
血に濡れた双剣を握り、歯を食いしばる。
「無理すんなよ、ガキ」
長剣の男が余裕の笑みを浮かべ、踏み込んできた。
「お飾り王女のために、そこまでやるか? マジでバカじゃねーの?」
「っ!!」
剣を振るう。
だが、力が乗らない。
返された一撃に、足元が崩れる。
(このままじゃ、倒せない)
火球が飛ぶ。避けきれず、肩口を焼かれる。
「くっ!」
焦げた布が肌に張りついた。
「集中力も切れてるな。見えたぞ、お前の限界が」
リーダーが、冷ややかに歩み寄る。
「動きも読めた。もう、終わりだ」
剣を構え直そうとするも――
「っ――!」
ナイフが閃く。逆側の脇腹が抉られた。
世界が傾き、視界が遠ざかっていく。
(――ああ、終わりか…でも…)
ジーナの顔が、ぼやける。
手を伸ばすこともできず――意識が、闇に沈んだ。
#
「死んだな、こりゃ」
長剣の男が、転がったアイオンを見下ろし、吐き捨てる。
「ったくよ。サミィとドガの仇は取ったけど、なんか釈然としねぇな。……根性はあったのによ」
「まったくだ。生き延びる賢さがなかったってわけだ」
杖の男が腕を押さえながら、ジーナににじり寄る。
「それにしても――」
長剣の男がニヤリと笑い、ジーナに目を向けた。
「王女様。お前のせいで死んじまったな、このガキ」
アイオンの体を蹴飛ばし、踏みながら笑う。
ジーナは動けなかった。
いや、動こうとしなかった。
彼が来たとき、うれしかった。
――けれど今は、
(…私のせいで)
「黙りか? ま、黙ってようが、戻ってこねぇけどな」
杖の男がくくっと笑う。
「英雄ぶっても、田舎の小僧。お前に“いいとこ”見せられず死んだんだ。救えねぇな」
ジーナは唇を噛み、拳を握る。
ありがとうも、ごめんも言えなかった。
(せめて…)
(あの子の名前を、呼んであげられたら――)
――その瞬間、森の風向きが変わった。
木々がざわめき、空気が冷えた気がした。
そして――。
「っぐ、あっ!?」
杖の男が悲鳴を上げる。
痛みが走り、次の瞬間――その腕は、なかった。
「な、なんだ、なんでっ!? 腕が!!」
「……は?なんで? なんで??」
長剣の男が狼狽する。
風が巻く。葉が散り、霧が晴れる。
ジーナの直ぐ側に、立っていた。
血に濡れた衣を纏い、両手に剣を構え――少年が、まっすぐと。
「……驕り高ぶりは戦闘には不要。それを理解してないから、こうなる」
まだ幼い、乾いた声。けれど、どこか温かい。
「迎えに来ました。王女殿下」
ジーナは、目を見開き――そして、涙をこぼした。
彼は、生きていた。
そしてまだ――戦おうとしている。
「…手を」
ロープを断ち、ジーナの手を解いた。
「……なにをした?」
ナイフの男が、困惑と苛立ちを滲ませながら問う。
「確実に内臓を貫いた。その上、これにはヒュドラの毒が塗ってある。生きていられるはずがない。…なぜ回復している?」
「答える義理はないですね」
涼しく、アイオンが返す。
その声音には、わずかな冷気すら宿っていた。
「――だが、お前の状況は変わってない」
瞬時に冷静な思考を取り戻したナイフ使い。
「こいつの腕が吹っ飛んでも、魔法は使える。そうだな?」
「当たり前だ!! 許せねぇ…よくも!!」
杖の男が怒声を上げ、手元に再び魔力を集め始める。
杖の先が赤く脈打ち、再び火の球が形を取りはじめた。
「…そうだな」
長剣の男が一歩前へ出る。
剣先をゆっくりと構えながら、薄く笑った。
「やることは変わらねぇ。次は――首と胴を切り離す。それだけだ」
空気が張り詰める。
そして――
「ふふ」
アイオンが、微かに笑った。
その場に似つかわしくない、穏やかな、しかしどこか異質な笑みだった。
「……なにがおかしい? 気でも触れたか?」
ナイフの男が訝しげに睨む。
だが、アイオンの笑みは消えなかった。
「いえ。ただ…笑えてきただけです」
まるで冗談でも言うかのように、アイオンは続ける。
「おっしゃる通り、状況は変わっていません。そこの長剣使いは止められても…あなたは無理です。
逃げに徹しても追いつかれるでしょうしね」
「では何故笑う?」
ナイフの男が苛立った声を上げる。
「結局、最後は運に賭けるしかないようなので」
アイオンは、ほんの少しだけ肩をすくめた。
「全く……俺の人生、運が良いとは思えないんですがね。――失礼」
そう言うと、剣をしまい、ジーナを抱き寄せる。
「な、なにを?」
「しっかり掴まっててください!」
そう言い放つと、アイオンはジーナをそのまま抱え――崖下へ跳んだ。
眼下に広がる、轟々と流れる激流。
「なっ、クソガキ!!」
怒声が背後から飛んでくるが、もう遅い。
跳んでしまった後なのだから。
「き、きゃああああっ!!」
ジーナが耳元で悲鳴を上げるが、アイオンは無言で集中を深める。
(――空気を裂き、風を裂く)
彼の身体に、大気がまとわりつく。
(無理矢理形にするんじゃない…魔力を風と、溶け合わせる)
手を突き出し、イメージする。
――一瞬の暴風を。風の塊を。
水面が目前に迫る。
「風よ!!」
叫ぶと同時に、腕を振る。
次の瞬間、風の爆発が水面をたたきつけ、着水の衝撃を一瞬だけ和らげた。
「息を吸って!」
ジーナに指示し、そのまま川に飛び込む。
激流が、二人を飲み込んだ――。
#
「…なんだよ、あれ。あんな体外魔法…。あの身体強化と両立して…!?」
長剣の男が呆然と立ち尽くす。
「瞬時に致命傷が治るレベルの回復魔法を使って、その上に体外魔法を使って、落下すら制御した…? ありえない…!」
杖の男も、震えながら腕を押さえる。
だが、ナイフ使いのリーダーだけは冷静だった。
「――追うぞ」
振り返り、来た道へと向かう。
「お、おい待てよ! 俺は腕が…痛ぇんだってば! 回復薬、くれよ!」
「チッ!…さっさと飲め!」
冷たく言い放ち、回復薬を投げつける。
杖の男はしぶしぶ受け取りながら、不満げにこぼす。
「…そんな焦んなよ。落ちたってことは、死んだかもしれねぇだろ? このまま戻って――」
「失敗するということは、待つのは死ということだ」
リーダーがきっぱりと言い切る。
「最低でも王女がどうなったか確認しなければ、我々の任務は失敗だ」
その言葉に、他の二人もようやく緊張を取り戻す。
――王女は、確実に“消息を絶たせる”必要があった。
生きて帰られては、ジーナ王女の失踪は成立せず、フィギルにも致命的な打撃を与えられない。
「……わかったよ。さっさと行こうぜ」
三人は川沿いの崖を迂回しながら、森を進み出す。
この森の地形は、彼らが2ヶ月かけて最低限だけ調べたものだった。
野営地のための広場をいくつか整備し、魔物を放って近づけないようにした。
それだけで“十分”だったはずだった。
(――クソッ! 人員を増やし、もっと徹底的に調査すべきだった!)
ナイフ使いのリーダーは内心穏やかではなかった。
(野営地に戦力を残し、魔物の動きも完全に抑えるべきだった!…甘かった! こんな場所ならこの程度で十分だと…!)
たった一人の少年の出現が――
その「綻び」が、いまや計画の根幹を揺るがす“致命的なミス”となっていた。




