動く
「構えろ! 囲んで黙らせろ!!」
ガーリンの怒声が響いた。
アイオンは片手剣の柄を静かに握り、じっと前を見据える。
最初の一人が飛びかかってきた――
鞘から抜かれた刃が、一閃。
「ぐっ!」
剣先は鎧の隙間へ寸止めで突きつけられ、そのまま柄で顎を打ち上げる。
男は白目を剥き、地面に崩れ落ちた。
それを皮切りに、次々と護衛兵たちが襲いかかる。
だが――斬撃は、打ち合いにすらならなかった。
アイオンの剣は刃ではなく、背や鍔、柄頭で正確に相手を叩き、膝をつかせ、武器を落とさせていく。
動きに一切の無駄がない。防御も回避も、すべてが自然の流れの中にあった。
「な、なにを……!?」「止めろ、やられる――!」
ざわめきが起こったかと思えば、次の瞬間には数人が地に伏していた。
残る兵士たちも、すでに武器を構える気力すらない。
「く、くそっ!」
最後まで踏みとどまった一人が剣を構える。
だが、アイオンが一歩踏み込み、その剣を叩き落として膝裏を突く。
「うがっ!」
倒れ込んだ男を一瞥した後、アイオンは静かに剣を構え直し、肩越しにガーリンを見据えた。
その時には、護衛団の全員が無力化されていた。
ほんの数十秒の出来事だった。
「な、なんだ貴様は……何者だ!?」
剣を手に歩み寄るアイオンに、ガーリンは必死に声を張り上げた。
「お、王族の護衛に刃を向けるとは国家反逆! 今すぐ跪いて詫びれば、まだ――!」
アイオンはその言葉を無視し、一瞬で間合いを詰めた。
「ひっ!」
身を引いたガーリンの額を、剣の鍔が正確に撃つ。
悲鳴とともにバランスを崩し、膝をついた。
「貴様! 私は伯爵家の――」
その口元を、柄の底で軽く叩く。
「伯爵家の――なんです?」
アイオンの声は低く冷たかった。
剣を構えたまま、一歩ずつ、確実に詰め寄っていく。
「お前は……わ、私を殺すつもりかっ?」
「どっちでもいいんですが。あなたが死んでも生きてても、この村に害がある。
……だったら、殺した方がまだ気は晴れますかね」
その言葉とともに、ガーリンの背から力が抜け落ちた。
「ま、待て……お願いだ……!」
地に崩れ落ち、両手で体を支える。
「許してくれ! 頼む、頼む……!」
「……随分と、愚民相手に殊勝な態度ですね? 高貴な伯爵家の方なのに」
アイオンは片眉を上げ、笑った。
「そんな姿を見て、かわいそうだと思ってくれる人、います? あなたみたいな虫けらに」
「……っ……!」
沈黙が落ちた。
アイオンは剣を静かに上げる。
その瞳は、氷のように冷たくガーリンを射抜いていた。
「では、さようなら」
言葉を失うガーリン。
カーラたちが固唾を呑んで見守る中、とうとう――
ガーリンは額を土に擦りつけた。
「す、すみませんでしたっ、わ、私が悪うございました……!!」
地に伏したまま、嗚咽を漏らす。
だが、アイオンの視線は冷ややかだった。
「それだけ?」
静かに落ちたその一言が、ガーリンの背筋を凍らせる。
「……っ……お、王国の……王女様の……お名前を、盾に…っ、我らは…っ」
「“盾にした”?」
アイオンの声が一段低くなる。
「なるほど。王族の名前に守られて、好き放題してたわけですね。誰も逆らえないと思って、弱い者をいたぶり、物資を奪い、女に手を出した」
「そ、そうですっ!」
「王族の傘の下で偉そうにしていただけの、愚物か」
アイオンの言葉は、刃より鋭くガーリンを刺す。
「自分の力じゃ何もできないくせに、偉そうにふんぞり返って、“愚民は這いつくばれ”と喚いていた――今はどうです? 這いつくばってるのは、どっちですか?」
「や、やめてくれ…もう…っ…」
「やめて?」
アイオンは鼻で笑った。
「あなたは“やめて”と言われて、やめたことが一度でもあるんですか? 泣かれても叫ばれても、好き勝手してたんでしょ? なのに、今さら命乞い? 恥って言葉、知ってます?」
「……ひぃ……っ……」
アイオンは冷たい視線を落としたまま、さらに言葉を重ねた。
「王族の名を汚した者として――あなたの価値は、泥より下です。
家畜の方がまだマシだ。餌を貰う分、役に立つから」
「……!」
「虫けらにも劣る。けれど、虫は本能で群れを守る。あなたはどうです? 守るどころか、王女を盾に自分の欲を満たした。それを“忠義”と呼ぶんですか?」
ガーリンの瞳から、光が消えていく。
「“愚民は這いつくばるのが相応しい”――でしたね。今、その“理想”を体現できてますね。おめでとうございます、伯爵家の犬さん」
アイオンは片手剣を鞘に戻し、氷のような声で締めくくった。
「……吠えるだけの犬は、首輪でも噛んで生きてればいい」
#
騒ぎのする方へ、急ぎ足で駆けつけたのは――ジーナ王女と、フィギル子爵だった。
「な、なにこれ……?」
「……遅かったか……!」
目に入った光景に、二人は息を呑む。
地に伏した護衛団の兵たち。
泥にまみれ、顔を伏せて泣き崩れるガーリン。
そして、その中心で、ただ静かに立つ一人の少年。
「…………」
ジーナは絶句した。
広がる光景に、言葉が出てこない。
フィギルもまた、顔を強ばらせたまま、何も言えずに立ち尽くしていた。
倒れた騎士たちは、かすかにうめき声を漏らしているが、誰一人として立ち上がろうとはしない。
その中心に立つアイオンの背が、静かに――しかし確かに、皆を守っていた。
周囲では、震えていた女性たちが、一人、また一人と立ち上がり、安堵の吐息を漏らしていく。
「……助かった……」「ありがとう……」
嗚咽混じりの小さな声が、場の空気を少しずつ和らげていった。
そんな中――
「まったく。後先考えずに、なんてことを……」
柔らかながらも、はっきりとした声が響く。
振り返れば、レアとベティが姿を見せていた。
二人とも息を切らしながらも、凛とした足取りで歩み寄ってくる。
「アイオンさん〜? なんで手を出しちゃったんです〜?」
「……自衛ですよ。家に帰ったら、賊が暴れていたので、対処しただけです」
「レア様、ベティ様。怒らないでください。私たちを助けてくれたんです!」
震える声で、カーラたちがアイオンを庇う。
けれど――相手は王族の護衛隊。
その事実の重さを、誰もが理解していた。
レアは無言のまま、アイオンのそばへ歩み寄り、その腕にそっと触れた。
「怪我はしていないのね?」
「……ええ」
アイオンは少しばつの悪そうな顔をしながら、小さく息をついた。
そして、まだ言葉を見つけられずにいるジーナとフィギルの方へ、静かに歩み寄る。
跪き、深く頭を下げた。
「第3王女様、フィギル子爵とお見受けします。……この結果は、私の行動によって生まれたものです。罰を受けるのは、私一人にとどめていただきたい」
ジーナは小さく息を呑む。
アイオンの顔は、どこか涼やかで冷めていながらも、深い怒りを飲み下した後のような静けさを湛えていた。
「……本当に、あなたが……?」
ジーナがようやく絞り出した声は、驚きと疑念が入り混じっていた。
(こ、こんな少年が、彼らを? 曲がりなりにも王族の護衛に選ばれるほどの兵たちなのに?)
「はい。しかしながら、あの者たちの狼藉は、目に余るものがありました。
王族の権威を盾に、暴れ回っていたと認めましたが……ね?」
泥の上でうずくまっていたガーリンが、恐る恐る顔を上げる。
その表情には、先ほどまでの傲慢な貴族の面影は微塵も残っていなかった。
「……わ、私が……間違っていました……!」
掠れた声で、震えながら言葉を吐き出す。
「王族の名を借りて……好き勝手を……しました……。
村人に手を上げ、金を奪い、女たちを連れ去ろうとしたのは……私たちの判断でした……」
場が静まり返る。
ジーナは目を見開いたまま、じっとその姿を見つめていた。
やがて――
ゆっくりと息を吸い、一歩前へ進む。
「あなたの言葉は、私――ローズレッド王国第3王女、ジーナ・ローズレッドがしかと聞き届けました。
今回の全てを、王国へ報告します。あなたの行為は、王家の名を利用した重大な背信。処分は王都にて決定されるでしょう」
ガーリンはその場で完全に平伏し、頭を泥へ擦りつけた。
「……はい……すべて……甘んじて受けます……」
その姿に、ジーナはもう何も言わず、静かに視線を逸らした。
隣でフィギル子爵が、ぽつりと呟く。
「……まさか、ここまで無様を晒すとは……」
その声は震えていた。
傲慢の象徴のようだった男の、落ちぶれた姿。
現実として受け入れるには、まだ時間がかかりそうだった。
ふと、ジーナが振り返る。
目の前には――
地に跪き、頭を下げたままの少年。
「あなた、名前は?」
その問いに、アイオンは顔を伏せたまま答える。
「アイオンです」
「……そう」
ジーナはわずかに目を伏せ、そして顔を上げる。
「――あなたの行動は、村人を守るための正当なもの。
王家に名を連ねる者として、私はその勇気と判断を尊重します」
「……ありがとうございます」
しばし彼を見つめ――
ジーナは、ほんのわずかに唇の端を持ち上げた。
「この件、あなたへの罰は――ないことと、ここに宣言します」
その瞬間、カーラが泣き崩れた。
「よかった……! 本当によかった……!」
村人たちが彼女の肩を抱き、涙を拭う。
(……私の決心、無駄になったわね)
ジーナは少しだけ、複雑な思いを抱いていた。
止めようとしていた者たちを、たった一人の少年がねじ伏せてしまったのだから。
その傍らに、レアが寄り添い、そっと囁く。
「……あの子、少しだけタイミングが悪かったですね」
「いいのよ。敬語なんて……」
微笑を浮かべ、レアは言葉を続けた。
「――立派でした、ジーナ王女殿下」
「……ありがとう」
「アイくーん!」
ナリアが、アイオンに駆け寄る。
「ナリア! そうだ、セアラさんは?」
家の方を見ると、セアラが肩を抱えられ、外へ出てきた。
意識は戻っており、ベティがすぐに回復魔法を施す。
「申し訳ありません、ベティ様……」
「いえいえ〜。軽症でよかったです〜」
安堵の息をつくアイオン。
だがその直後――
村長とラクトが駆けつけ、彼の軽率な行動を叱りつつも、深く頭を下げた。
「……なんだか」
ジーナは、その光景を見つめながら呟いた。
「――来てよかったわ」
その言葉に、レアが静かに微笑む。
#
日が沈み、森の奥には冷たい夜の気配が満ちていた。
木々の間で、焚き火の赤い炎が揺れる。
その光に照らされる男たちの顔は、赤黒く、不気味な陰影を帯びていた。
「……終わったな、あの護衛団も」
誰かがぽつりと呟く。
口元には笑みを浮かべているが、目には一片の温もりもない。
「あの王女様の反応は予想外だったが……さすがにやり過ぎたな。あれじゃ伯爵家からも見捨てられる」
「だが、奴らのおかげで、ずいぶんと動きやすくなった」
木に凭れた若い男が、唇の端を吊り上げる。
「王女と、その腰巾着の子爵――今や、オルババ以外じゃ護衛団と“同罪”扱いだ。
誰もあいつらを擁護しようなんて思わねぇ。護衛団の暴走を止められなかった時点で、信用なんざ残っちゃいねぇさ」
「今日の出来事が広まる前に、もう一つ事件を起こせば、一瞬でかき消せる」
「世の中、そんなもんだ。……疑いが真実を塗り潰す」
「――で? やるのか?」
「ああ。バルナバへの帰路でやる予定だったが……今だな」
焚き火の男が、声を潜めて笑う。
「王女が行方不明。領主は管理責任を問われて失脚。……そして俺たちは、大金を手に入れる」
「王女が泊まる家は、村長の屋敷。守りはまともだった護衛2人と、従者のメリアだけ。
警戒は甘い。……完全に緩んでやがる。フィギルもな」
「森には大量に魔物を仕込んでおいた。冒険者どもも足止めされるだろう。追跡は遅れ、俺たちは逃げやすくなる」
焚き火の奥で、男の目が鈍く光る。
「拐って、森へ逃げる。時間をかけて抜ければ、その頃には王都で大騒ぎだ」
「従者はどうする? 殺すか?」
「いや。『王女が拐われた』って事実を伝えさせなきゃな。
“ひとりでどこかへ行った”なんて思われちゃ困る。……生かして、きっちり状況を理解させた上で、眠らせる」
「――よし。始めるぞ」
風が冷たく吹き抜けた。
焚き火の炎が、ぱちりと音を立てる。
誰も言葉を発さない。
夜の中で――
何かが、静かに動き出していた。




