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村の近くへ差しかかったアイオンは、立ち止まり、眉をひそめた。
(……おかしい。音が、少なすぎる)
いつもなら、子どもたちのはしゃぎ声や家畜の鳴き声が響いてくるはずの場所だった。
だが今日は、風に揺れる柵門の軋みだけが際立っていた。
「おい、戻ったか!」
入り口からロッチが駆け寄り、その後ろからボブも息を弾ませて追いつく。
「なにかあったんですか? 静かすぎる」
アイオンの問いに、ロッチは唇を真一文字に結び、低く答えた。
「王女の護衛団だ。第3王女ジーナ殿下の護衛団が、好き勝手に村で暴れてやがる」
入り口に停めてある馬車の周りに、赤い鎧の兵たちが見えた。
「マシなのは、馬車のそばにいるあの二人だけだ。
中の従者を守ってるらしい。
だが、他の連中は――まるで賊だ。好き勝手に暴れてやがる」
「……? 視察に来るとは聞いてましたけど、なぜ暴れてるんです?」
ボブが肩をすくめ、顔をしかめる。
「バルナバやカルララでもやってたらしい。“下民はひれ伏せ”とでも言いたげな態度で、倉庫を漁ったり、民家に上がり込んで飯や金をふんだくってるって話だ」
ロッチが吐き捨てるように言った。
「イルダ婆さんなんか、水を汲んでただけで小突かれて、足の骨を折った。それに……王女様にってクッキーを渡そうとしたナリアちゃん達を、無礼だって言って、目の前で踏みにじりやがった」
「……王女様は?」
「踏まれたクッキーを拾って“おいしい”って言ってた。それがなかったら、暴動になってたよ。
フィギル子爵も、何かあれば領地全体の問題になるから強く出られないみたいだ。
村長は『とにかく関わるな』って言ってるけど……向こうが勝手に押し入ってくるんだ。どうしようもねぇよ」
アイオンは思わず息をついた。
(……しょうもない一団だな。いや、王女を騙る賊なんじゃないか? でも、子爵も一緒にいるなら違うか)
ロッチが声を潜める。
「それと――お前ん家と教会に、若い女たちと子連れの母親が避難してる。
護衛団、他所じゃ無理やり連れ込んで……襲ってたって話だ」
「……誰に聞いたんです?」
「誰って……村の人間じゃなかったな。最近外の人間も多いだろ? その辺から聞いたんだと思う」
ボブが首を傾げながら言った。
「……そんなことより、問題は今だ。事実、奴らが横暴してるのは間違いない。
教会はライアさんが守ってるが、お前ん家は自警団が数人いるだけ。
下手すりゃ衝突になる。様子を見に行ってくれ。何かあったら守ってやれ。
……ただし、揉めるなよ? あいつらに刃向かったら、村ごと火の粉をかぶることになる」
ロッチも頷いた。
「火の粉はごめんだが……耐えかねた領民が嘆願書でも出せば、まだ助かる道はあるかもしれん。
……まあ頼んだぞ」
アイオンは深く息を吸い込む。
「わかりました。冷静に対処します」
「助かる。気をつけてくれ」
ロッチの言葉に、アイオンは短く頷き、踵を返した。
(……家に行くか)
足取りを速め、村の奥へと駆け出した。
――走るアイオンを見送った後。
「これで少しは安心できるか? でもあいつらがいる内は……くそ! 早く帰れっての!」
ボブが悪態をつく。
だが、アイオンの訓練に付き合っていたロッチは別の何かを感じていた。
「いや……マズいかも」
「え? なんで?」
「たぶんだけど……あいつ、キレてると思う」
#
――その頃、村の中では混乱の兆しが静かに広がっていた。
ラクト家には、数人の女性と子どもたちが避難していた。
その中に、カーラの姿もあった。
「ったく、なにが護衛団だ。ただの賊じゃねぇか!」
怒りを隠そうともしないカーラに、サリーがそっと言葉をかける。
「カーラ、声を抑えて。何があるかわからないから……」
「……わかってる。でも、ムカつくんだよ。子どもたちにまであんな仕打ち……」
カーラの目が、ナリアたちに向く。
怒りと憐れみが混ざったまなざし。
「……クッキーを渡したかっただけなのに。王女様が偉いのはわかるけど、なんで周りの奴らまで、あんな態度なんだよ……」
「理由はわからないけど……でも、王女様が止めなかったら、ラクトさんがどうなってたか……」
「……護衛団、なんて呼べるもんじゃねぇ。ただの賊だよ、あれは」
ふと、あの誘拐事件の記憶が蘇る。
あの時の連中も酷かったが――今回の連中は、それ以上だ。
「……でも、助けてくれたじゃない。アイオンが。あの後、すごく怒られてたけど」
「……村長やレア様、ラクトさんにな。でも……あいつが大人を呼びに行ってたら、私は今みたいに笑えてなかった」
もし、あの時に助からなかったら。
もし、辱められていたら――
その想像だけで、身震いする。
「いいなぁ。そんなの、惚れちゃうよねぇ」
サリーや周りの女性たちが、くすくすと笑う。
その笑いに、カーラの頬が赤く染まった。
だが――
「我らは王女殿下の護衛団である! この家を改めさせてもらう!!」
ラクト家の入口から、怒声が響き渡った。
室内が、一瞬で静まり返る。
#
外では、護衛団の一団が庭先に踏み込み、並び立っていた。
鼻で笑う騎士が、雑草を踏み荒らす。
「やっぱりド田舎ですね、ガーリン様。バルナバのほうがまだマシでしたよ」
――場面は、外の騎士たちの視点へ。
土足のまま近づく護衛兵たちの前に、村の自警団が立ちふさがった。
「ここは民家だ。お引き取り願おう」
年配の自警団員が、冷静に告げる。
「これ以上、王女殿下のお名前を盾に好き勝手されるのは困る」
だが、首に金鎖を下げた若い騎士が嘲笑を返す。
「聞きましたか、ガーリン様? 無礼な田舎者がなにか言ってますよ」
「ふむ。威勢は良いが、頭が悪いようだ。――排除しろ」
ガーリンの命で、護衛兵たちが前に出る。
「構えろ!」
自警団が棍棒や槍を構えるが――
「遅い!」
ひときわ大柄な護衛兵が突進し、一人を肩口から弾き飛ばした。
「ぐっ!」
呻きとともに地面に転がり、別の一人も壁に叩きつけられる。
「やめろ!! 住民を傷つける理由はないはずだ!」
年長の団員が叫ぶが、護衛兵たちは意に介さない。
「我らは王女殿下のために動いている。貴様らの制止に従う理由はない」
「この反応……無礼者がこの家に潜んでいる可能性が高い。調査せねばなるまい」
そう言って、ガーリンは扉に手をかけた。
「入るな!」
最後の一人が立ちはだかるが、その肩口を騎士の平手が薙ぎ払った。
「邪魔だ」
乾いた音と共に、男は倒れた。
ガーリンは鼻で笑い、扉を押し開ける。
「では、お邪魔させてもらおうか」
ラクト家の扉が、軋む音を立てて開かれる。
張りつめた気配が、室内を凍らせた。
「こんなところに隠していたのか」
金鎖の騎士が、土足のまま踏み入ってくる。
「な、なんのご用でしょうか……」
セアラが一歩前に出て、震える声で頭を下げる。
その背後では、母親たちが子どもを抱えて奥の扉を守っていた。
――場面は、室内の視点へ。
「その奥に何がある?」
ガーリンはちらりとセアラを見ただけで、すぐに奥の部屋へ目を向けた。
「不穏分子が隠れている可能性が高い。おい、どけ」
「いえ、それは――」
セアラが立ちふさがるが、背後から護衛兵が肩をつかむ。
「下がれ。我らは王女のために行動している」
「やめて! 話なら私が!」
だが、セアラは力任せに突き飛ばされ、床に倒れ込んだ。
頭を打ち、呻きながら気を失う。
「セアラさん!」「やめてください!」
母親たちの声に、護衛兵たちは睨みを利かせて黙らせた。
「こうなりたくなければ、どけ」
ガーリンは一歩ずつ、母親たちに迫っていく。
――その時。
「やめろッ!」
空気が凍るような叫びが響いた。
扉から出てきたのは、カーラだった。
#
「クソが……! 人の家に土足でズカズカ踏み込んできて、何してやがる!」
「口の利き方に気をつけろ。下賤な小娘風情が」
ガーリンの顎の合図で、護衛兵がカーラの両腕を掴む。
「離せ! ふざけんな! さっさと出てけ!」
ガーリンはカーラの頬を叩き、顎を掴んで顔を覗き込む。
「ふん。こんな田舎には相応しくない顔だな。ちょうどいい、私が相手にしてやろう」
下品な笑みと共に、護衛団からも声があがる。
「隊長ー! 俺にも回してくださいよー!」
「中々の美人ですよ、これは!」
その言葉に、カーラの怒りが爆発する。
「てめぇら、本当に王国の騎士なのかよ!? やってることが賊と同じだろ!」
「王女様の護衛を務める我らを、賊呼ばわりとはな。とんだ反乱分子だ。奥にも女がいるだろう、そいつらも――」
「やめろッ!」
ガーリンが嘲笑を浮かべたまま、カーラを地面に投げ出す。
「愚民は家畜だ。しっかり教育してやる。さあ、泣け! 許しを請え!」
鞭が振り下ろされた――
(誰が泣くか……!!)
カーラは目を閉じ、覚悟する。
だが、痛みはいつまで経っても訪れなかった。
そっと目を開けると――
そこには、背中があった。
自分を守るように立ち塞がる、見慣れた背中。
「貴様、何者だ? どうやって――」
ガーリンの問いを無視して、背中の主が振り返る。
「大丈夫ですか?」
「――アイオン」
その顔を見た瞬間、張り詰めていたものが崩れて、涙があふれた。
#
「……泣くなんて、らしくないですよ」
「う、うるせぇ! どこ行ってたんだよ! ナリアちゃんが! セアラさんが!」
涙を拭い、怒鳴り返す。
「……ナリアのことは聞きました。でも、セアラさんまで……」
「貴様ッ! こっちを向け! 誰に背を向けているかわかってるのか!?」
ガーリンが叫び、護衛団がアイオンの前に隊列を組む。
だが、アイオンは振り返らず、女たちに静かに言った。
「皆さん、家の中へ」
アイオンはカーラや女性たちにそう伝え、ゆっくりと護衛団の方を向く。
「誰って、誰です?」
「この愚民が! 我らは第3王女ジーナ殿下の護衛を務めている! 名誉ある護衛をな!
我らの存在はローズレッド王国によって保証されている!
その我らに楯突いた貴様は反乱分子として処罰する! その権利もあるのだぞ!」
「へぇ」
「貴様、わかっているのか? 我らに歯向かうということは、ローズレッド王国に歯向かうと言う事だ!
こんな村、滅ぼすのは簡単なんだぞ!」
「……でしょうね」
その言葉に護衛団が笑い出す。
「ならばさっさと地面に頭を垂れ、誠心誠意謝罪しろ!
今なら貴様の首一つで済ませてやる!!」
ガーリンが剣を抜き、威圧する。
「――お断りします」
ニッコリと笑いながら、アイオンは拒絶する。
「あんたらの身分なんて、どうだっていい。どこでなにしようが勝手にすればいい。
……ただ、弁えないとダメですよ?」
「……貴様、誰に何を言っているかわかっているんだな?」
「わかってますよ? ――王族の護衛という皮を被った、ただの賊でしょ?」
「貴様ーーッ!!」
護衛団の一人が激昂し、アイオンに向かって突っ込む。
だが、次の瞬間、その男は地面に崩れ落ちていた。
「な、なにをした……?」
「――さっきからペラペラと偉そうに」
笑みが消える。
底冷えするような殺気が、アイオンの全身からにじみ出ていた。
「ひっ……」「な、なんだこいつ」「ガ、ガーリン様……」
冷酷な殺意に怯え、護衛団が一歩後退する。
ガーリンの顔にも、明らかな恐れが浮かんでいた。
村に戻ってきてから。
ナリアのことを聞いて。
村の荒れた様子を見て――
そして、カーラの頬が腫れていたのを見てから。
怒りを、ずっと、ずっと溜め込んでいた。
「――弁えろよ?クズ共が」
静かに、けれど確実に、怒りが形を取っていく。
「これは反乱でも、反逆でもない。――返ってきただけだ」
その瞳に宿る光は、怒りでも怒鳴りでもなく、
ただ静かに――“限界を越えた意思”を宿していた。
「――お前らが好き勝手してきた、因果がな」




