クソ女神
「…おもしろそう?」
言葉の意味はわかる。
だが、意図がまるでつかめない。
困惑のまま、疑問をぶつけた。
「意味がわからない。…何がおもしろいんだ?」
女神はニヤニヤと、不快な笑みを浮かべながら答える。
「…別に?お前に“幸せ”を…“愛”を知ってほしいと思っただけさ。その過程で、私を楽しませてくれればそれでいい」
―幸せ?愛?
女神は淡々と続けた。
「お前より不幸な人間なんて、どの世界にも山ほどいる。比較的平和な“あの”世界にもね」
鏡に映る光景が変わる。
――紛争地帯で餓死する子ども。
――独裁国家で理不尽に銃殺される男。
――敵兵に捕らえられ、暴力と屈辱を味わう女。
「命が続いていただけ、お前のいた場所は“平和”だった。彼らならこう言うだろう。“そんな環境で、何を甘えてるんだ?”ってね」
どこか諭すような、しかし皮肉を滲ませた声。
だが――人生の尺度なんて人によって違う。
自分が感じる幸不幸だけが、自分のすべてだ。
「…そいつらよりマシだったから、なんなんだ?」
感情を抑えながら、真意を問う。
「…ただ、“生きる喜び”を味わわせてやりたいだけさ」
鏡が再び切り替わる。
――笑い合う家族。
――仲睦まじい老夫婦。
――大勢の前で演説する人物と、それを輝いた目で見つめる子どもたち。
「いらない」
「ん?」
「二度目なんて、いらない。さっさと消してくれ!」
腹の底から叫んだ。
「そんなもの、欲しいやつにくれてやれ! 俺には必要ない!このまま消してくれ!! 救ってくれよ!!…女神なんだろ!?」
それだけが、唯一の願いだったのに。
「…その感情があるからこそ、“いいエンタメ”になるんだよ」
その言葉と同時に、光が体を包み込む。
「ふ、ふざけるな! 何をする!? やめろ!」
「私の世界に関する僅かな知識と、言語理解、それから行使能力を…つけとこうか。魔力も、少し上乗せしておく。同年代よりは高めに。でも特別すぎない程度に。覚醒で得るはずだった身体能力は……いらないか。知識でどうにかするだろうし。別の――」
女神はぶつぶつと、勝手に設定を語りながら調整を始める。
「なにを言ってる! やめろ! やめてくれ!」
「待てよ…?新しい体じゃ、すぐ死ぬか?私への当てつけに。…なら」
鏡が次々に映像を切り替える。
ベッドに横たわる子どもたち。
生き絶えた顔、すすり泣く家族。
「う〜ん、新しい試みだから慎重に探したいところだけど…お?」
画面に映るのは、目を閉じて横たわる少年。
その周囲には、泣いている人々。……きっと、家族だ。
「これは…あの病で亡くなった子か。農民の次男。
家族にも村人にも愛されていた。…それに、あの村の子!バッチリだ!」
空間に白い炎のようなものが現れ、少年の形を成していく。
そして――その目が開いた。
「やぁ…えっと…アイオン、アイオンか。君は、死んでしまった。…病でね。とても…悲しいと思う」
少年は泣き顔で俯く。
「だけど、君の魂は別の世界で生きる。まったく違う世界だが…便宜を図ってもらえるように、管理者に頼んでおくよ。君の次の人生が、どんな世界になるか楽しみだね」
白い光が少年の体を包み込み、そして消える。
「…なにをした?」
「わかるだろ? 彼の体を“借りる”代わりに、彼の魂を別の世界へ。ついでに、“私の目”にもなってもらった。当然、自我は消したけど」
そこまで聞いて、ようやくこの女神の“狙い”が理解できた。
「ふざけるな!」
「察しが良いのか悪いのか…まあ、正解だよ」
今回は、“正解”の札はなかった。
「死んだ“愛する家族”が生き返る。奇跡の行使さ。世界に影響は…多分ない。ほんの、小さな出来事だね」
「…やめろ」
こいつ……本当に“女神”か?
いや、邪神だ。完全に。
「そんな家族に、“二度目の喪失”を与えるなんて…お前にはできないだろ? あれだけ人の汚い部分を見せられても…お前は、本質的に“優しい子”だから。ね?」
「…黙れ」
「…私は、ずっとお前を見ている。そして、お前の“目”を通して、世界を楽しむ」
光がさらに強くなる。
さっき見た、あの少年が消える瞬間と同じように。
「…クソ野郎」
もう、何も抗えないと悟り、精一杯の憎しみを込めて睨みつけた。
「ははっ、褒めるなよ。照れるだろ?」
…褒めてねぇよ。
「お前が、どんなふうに変わっていくのか…楽しみにしてるよ」
光が一気に強くなり、女神の顔も姿も消えていく。
「お前が望むとき、“今のお前”が最も望まない力を授けよう」
ニコニコと笑う女神の、意味不明な言葉だけが耳に残る。
――泣き声が聞こえる。
“生まれたときは自分が泣き、死ぬときは誰かが泣く”
それが、人の人生の始まりと終わりだという。
なら――今、泣いているのは…誰だ?
「…クソ女神が…」
見慣れない天井を見上げながら、瞳から涙が流れていた。




