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相応しい価値

王宮の前庭に、出発の時が訪れていた。


ジーナ・ローズレッド第3王女。

14歳。

政治の駒として生まれ、愛されたことのない娘。


その馬車の前に、父――ローズレッド12世が立つ。


「気をつけていけ」


冷たい声。

それは娘への言葉というより、壁に向けた独り言のようだった。


ジーナは静かに頭を下げる。


「……は。ご配慮、感謝いたします」


王はそれ以上、何も言わずに背を向けた。

まるで娘の存在など、最初からなかったかのように。


相変わらず、大物ぶりたいのね――と、心の中で乾いた笑いが浮かぶ。

ただの傀儡が虚勢を張る姿は滑稽だった。

そんな者に、冷たくされる自分もまた。


母は、王に“献上された内の一人”という存在だった。

王が誰を愛し、誰に背を向けるのか――その判断に、ジーナの母も含めた誰も選ばれなかった。


ただ一人を除いて。


王が姿を消したあと、ジーナは視界の端に気配を感じた。


白い服に、金の髪。

小柄な少女が、身じろぎもせず立っていた。


第4王女、リアラ。

10歳。王の最後の子。

継承順位は最下位。

宮廷の誰からも「いないもの」として扱われている。


だが――皆、知っている。


“王が唯一、心を寄せた女”の娘だと。


王がその腕で抱き上げた、たった一人の少女。

何かを贈った。言葉を残した。記憶に留めた――

それは、ジーナには与えられなかった“すべて”だった。


あの子は、王に愛された痕跡そのもの。


リアラの瞳が、ジーナを見ていた。

なにかを言いたげに、手を伸ばしかけて――やめる。


ジーナは視線を逸らし、馬車の扉へと向かう。

見ない。認めない。自分には関係ない。


扉を閉める手が、一瞬だけ震えた。


車輪が動き出し、王宮が遠ざかる。

誰にも惜しまれず、誰にも手を振られず。

バルナバ――王の関心が決して届かない場所へ。


けれど、ジーナの胸に残ったのは、父でも王宮でもなかった。

ただ、あの小さな視線だけだった。


あれが、“愛される子”。


思わず、奥歯を噛みしめた。



「……静かね」


ジーナは、わずかに足元の砂を蹴る。

馬車の周囲には兵の姿もなく、物音ひとつしない道端。

風が木立を揺らす音が、やけに大きく聞こえた。


道はよく整備されている。

数年前に整えられたという街道は、馬車でも揺れが少ないほどに平らだ。

けれど、それがまた腹立たしかった。


「“整ってるから護衛が少人数”って、どういう了見?」


ジーナの声には、冷めた苛立ちが混じっていた。


従者の女性――メイラは、申し訳なさそうにそっと答える。


「バルナバは比較的安全な地とされておりますゆえ……」


「ええ、安全でしょうとも。

“反乱も魔物被害も起きないから、放っておいていい”ってことでしょうね」


ぎし、と馬車の床が軋む。

ジーナは苛立ちを紛らわすように腰を上げ、馬車から降りる。


「こんなところに来る王族なんて、私くらいよ。

……ええ、どうせ私はただの“辺境遊行”要員。名ばかりの視察」


護衛の一人が、それを聞いていた。


真紅の紋章を肩に刻んだ騎士。

名はガーリン・デュラント。貴族の名家出身。

王女の護衛を命じられたときも、微塵の栄誉心などなかった。


「とはいえ、辺境の視察に王女が来られるとは、大変名誉なことですな。

いくら王族といえど、すべての地に立てるものではない」


ジーナが目を細める。


「……つまり、“あなた方のような者が行けば充分だった”と?」

「いえいえ。私のような家柄の者が“王女を護る”ことに、大変意義があるということです」


その物言いに、ジーナは言葉を失う。


本気で言っているのかしら――と、心の中で呟いた。


この男の語る“王女”は、彼にとって“護衛対象という地位の証明”でしかない。

そこに敬意も忠誠もなく、ただ“自分の価値を引き立てる存在”として見ている。


「あなた、本当に騎士なの?」


ジーナの声は、いつになく冷たかった。


ガーリンは微笑を絶やさず、むしろ得意げにうなずく。


「ええ、デュラント家の名に恥じぬようお仕えしております。

貴族として、ローズレッド王国の名誉を支える者として」


「――そう。じゃあ、“第4王女”のためにも、その思いでいるのね?」


ガーリンの笑みが、わずかに引きつる。

だがすぐに、つとめて朗らかな声を装う。


「わたくしの記憶には、正式な王族の名簿しかございません」

「……話にならないわね」


ジーナはため息をつき、踵を返す。


従者のメイラがそっと傍らに寄り添う。


「申し訳ありません。ガーリン様は、ああいうお方で……」

「いいのよ。もともと、“お飾りの王女”に付き合うだけの存在なんだもの」


冷たい言葉が落ちる。

でも、その奥にあったのは――

自分でも持て余している、“居場所のなさ”と“価値の薄さ”への苛立ちだった。


街道の先には、バルナバ。

王都から最も遠く、価値のないとされた地。

それでも、ジーナはそこへ向かわねばならない。


だったらせめて、誰よりも“ちゃんと”見てやる。


馬車の扉が再び閉まり、静かに揺れ出す。

揺れに身を任せながら、ジーナは目を伏せた。



休憩地点。

護衛達の声が辺りに響く。

まるで気にしないような声量で――


「まったく、気の毒になるな。あれも一応、王女の一人とはな」


笑い混じりの声に、護衛たちはにやりと笑いを返した。


「継承順位6位、辺境送りの第1便。しかも護衛は我々だけ。

国からどのような扱いをされてるか、察するに余りありますな」


ガーリン・デュラントは、小石を靴先で蹴り飛ばす。


「“使い走り”にされることすら理解せず、王女面しているのが痛ましい」

「でも、王族というものは、そうあるべきでは?」

「違うな。“誇り”と“無知”を履き違えた者は、ただの空っぽだ」


もうひとりが肩をすくめる。


「ま、無知な分だけ、まだ扱いやすいんじゃないか?」

「ならばいっそ、人形のように黙って微笑んでいればいい。

口を開けば“血筋の価値”を語り、目を向ければ“地位の虚像”を抱える」


ガーリンの目が冷たく細められた。


「――愚かなものだ」



その声を、ジーナは聞いていた。


馬車の扉の陰。

ひとつだけ隙間を残したまま、彼女は静かに立っていた。


耳に届く言葉の一つひとつが、内臓を針で刺すようだった。

けれど、それは驚きでも怒りでもない。


ただ――よくわかってるじゃない、と心の中で呟く。


“自分には価値がない”

“誰にも求められていない”

“王族であることで、かろうじて存在を繋ぎ止めている”


それを、ジーナ自身が一番よく理解していた。


けれど――


なりたくてなったわけでもないのに、王女じゃなきゃ生きていけない。


それしか残されていない。

それを捨てたら、何も残らない。


空っぽの器でも、虚ろな肩書きでも。

ジーナは、それに縋るしかない。


馬車の扉を、そっと閉める。

静かに、目を閉じた。


風が吹いていた。

護衛たちの笑い声が、遠くに過ぎていく。


ジーナはただ、黙ってそのすべてを飲み込んだ。


馬車の席に腰を下ろすと、メイラが控えめに声をかける。


「お疲れではありませんか、ジーナ様」

「……少し風にあたっていただけよ」


窓越しに吹き込む風はどこか冷たく、春の気配を忘れさせる。

ジーナはそのまま、遠くを見つめた。


しばらく沈黙が続いたあと、ふと口を開く。


「聞いていたでしょう? あの人たちの会話」


メイラの指が、わずかに震えた。


「はい。ですが、あれは――」

「正しいわよ。彼らの言う通り、私は“余り物”。飾りの王女。王にも、国にも、必要とされていない存在」


声は静かだった。

感情の起伏はない。

ただ、重く澱んでいた。


メイラは言葉を探した。だが、何を言っても、薄っぺらくなる気がした。


ジーナが、ふっと笑う。


「哀れんでくれてもいいのにね。

ああいう人たちって、“哀れみ”にすら価値を見出さないのよ。

ただ『自分が上』であることを、確認していたいだけ」

「ジーナ様……」


「でも、わかってるの。――私は、空っぽ。器だけ。名前だけ。

それでも、私は“王女”でいるしかないの」


そう言って、顔を伏せた。

窓に映ったその横顔は、14歳の少女には似つかわしくないほど、強く、寂しかった。


メイラはそっと膝をつき、ジーナの前で頭を下げる。


「私にとっては、ジーナ様はジーナ様でございます。

どんなに誰かに否定されようとも、私は、お側にお仕えいたします」


ジーナは返事をしなかった。

ただ、視線を少しだけ落として――小さく呟く。


「――それは“仕事”だからでしょ?」


馬車は再び揺れ始める。


彼女の行く先は、誰にも期待されていない地――バルナバ。


私には相応しい場所ね、とジーナは心の中で呟いた。



重たいカーテンに覆われた書斎。

外界の光は遮られ、蝋燭の揺らめきだけが、分厚い書類の山と古びた地図を照らしていた。


その奥、椅子に腰掛けた男が、ワイングラスを傾ける。

年齢は不詳。柔らかな物腰と、冷たい眼差し。

指先で皿の上のぶどうを弄びながら、ゆったりと呟いた。


「出たか、バルナバへ」


部屋の隅に控えていた影が、静かに頭を下げる。


「はい。予定通り、今朝。最小限の護衛のみで、王都を発ちました」


「ふむ……フィギル破滅への大事なピースだ。無事に着くことを願おう」


男は口元を歪め、愉快そうに笑う。


「私の復讐のための道具になれるんだ。価値のない王女には、それ相応の“価値”をくれてやらねばな」


影は何も言わず、ただ恭しくうなずいた。


男はグラスを卓に戻し、指先でリズムを刻むように軽く表面を叩く。


「賊は放ったのだな?」

「はい。子飼いの者たちを。あの地に対抗できる戦力はおりません。加えて、魔物も放っております。

本来、雑魚しか現れぬ領地。おそらくD級の魔物にすら手こずるでしょう。……なにが起こっても、不思議ではございません」


その言葉には、わずかな自信がにじんでいた。


「ならば良い。……だが、まさかこのタイミングで“貧民政策”をするとはな。まったく、ありがたいことだ」

「はい。侵入も容易だったとの報告がございます」


部下の答えに、男はますます上機嫌になる。


「ふふ……王女を“飼う”というのは、楽しみだ。

フィギルに絶望を与えたあとは、必ず私のもとへ連れてこい。……わかっているな? くれぐれも“汚す”なよ」


唇を吊り上げながら、男は念を押す。


「承知しております。奴らにも、厳重に申し付けております」

「うむ。楽しみだ」


ワインをひと口。

その液を舌の上で転がすように味わう――まるで、後に弄ぶ王女を思うかのように。

そして、低く呟く。


「だが、忘れるなよ。失敗すれば――お前の“価値”はなくなる」


静かな声に、冷たい圧がにじむ。


影は即座に深く頭を垂れる。


「……はっ。肝に銘じております」


男は満足げにうなずき、再び口元に笑みを浮かべた。


蝋燭の火が揺れた。

重い静寂が部屋を包み、やがて影は音もなく姿を消す。

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