順調に進む
日差しの強い昼前。
オルババ村の畑では、ラクトとアイオンが並んで鍬を振るっていた。
その隣で、不自然な動きで土を返している男が一人。
「おい、これ腰にくるんだけど!? お前ら、毎日こんなことやってんのかよ!」
イザークが顔をしかめ、鍬を放り出す。
「慣れないとしんどいよな!」
ラクトが笑って水筒を差し出すと、イザークは素直に受け取り、豪快にあおった。
「くぅーっ、生き返る…。てか、おっちゃん、ほんとこれが日課なのか?」
「日課だな。やらなきゃ食えないし、春は作付けの勝負どきだ」
「マジかよ、これ魔物退治よりキツいな」
「はは、それは言い過ぎだ!」
苦笑いするラクトの後ろで、アイオンが土の塊を砕きながら口を挟む。
「でも、街道整備が本格的に始まったことで、空気が少し変わった気がします。外に出る人も、戻ってくる人も増えて…知らない人も入ってきてます」
「そうだな。フィギル様が本気で動いてる。カルララ村から来た人たちも、昨日見かけた」
ラクトは空を見上げる。
「道が繋がれば交流は増える。良いことじゃないか!」
「良いことばっかでもねぇだろ?…揉めてる連中も見かけたぜ?」
イザークが鍬を立てかけ、腰を伸ばす。
「人が増えればそうもなるさ。でも、自警団がしっかり対応してる。じきに慣れるさ」
「……『ここ、思ったより悪くない』って、エリーと話してたんだがな。ま、最初は何日も泊まる場所じゃねぇと思ってたけどよ」
イザークの言葉に、アイオンが応じる。
「二人もどこかの村の出身なんだから、慣れてるのでは?」
「ここまで田舎じゃねーよ! 畑仕事なんてやったことねーし…。だから、悪い手並みなりに――」
イザークは鍬をちらりと睨み、渋々と呟く。
「…手伝ってんだよ」
「筋は悪くないぞ?」
ラクトが苦笑して、再び鍬を手に取る。
「ま、それでもありがとな。村の人間じゃないのに、嫌な顔せずにやってくれて」
「別に、嫌な顔してないとは言ってねぇぞ」
「…顔には思いっきり出てますからね」
アイオンが静かに突っ込むと、イザークは「チッ」と舌打ちしてそっぽを向いた。
そんなやりとりの背後から、朗らかな声が響く。
「お父さ〜ん! アイく〜ん!」
「お〜い、飯だぞ〜!」
「イザーク! お疲れ様〜!」
遠くから手を振るナリアの姿。
カーラとエリーもそれに続く。
「お、タイミングばっちり!」
イザークが即座に反応する。
「…さっきまで“まだやれそう”って顔してたくせに」
アイオンが呆れたように言うと、イザークは肩をすくめて歩き出す。
「いいんだよ。働きすぎは毒だ。俺の本職は戦いだしな」
「そっちのが似合ってるが…まだ手伝ってくれんだろ?」
ラクトの問いかけに、「あと半日な!」と指を立てるイザーク。
その後ろ姿を見送りながら、ラクトがぽつりとつぶやいた。
「それでも来てくれるってのは、ありがたいことだ」
「…二人で十分ですけどね」
アイオンの声に、ラクトは笑う。
「な〜に、お前の訓練の時間が長く取れるようになるんだ! 良いことじゃねぇか!」
――吹き抜ける風が、土の香りを運んでいく。
「……そうですね」
土の香りは、嫌いではなかった。
#
教会の庭先。
春の柔らかな風が、花壇の花々をそっと揺らす中。
レアとベティが、洗濯物を干していた。
「増えましたね〜、知らない顔〜」
ベティがシーツを広げながら、ぽつりと呟く。
「ええ。ひとりふたりは見かけるわね。村の人間じゃない人たち」
レアは静かに頷き、洗濯かごに視線を落とす。
「街道整備のおかげですか〜?」
「ええ、間違いないわね。オルババなんて、今までは誰がわざわざ来る?っていう場所だったのに」
「街に行きやすくなれば、人も増えます〜」
ベティはふわりと笑い、隣の物干し竿に手を伸ばす。
「……ただ、気をつけなきゃいけないことも増えるわ」
レアは空を見上げ、わずかに目を細めた。
「人が増えるのは良いこと。でも、それだけ“見えないもの”も入りやすくなる。村の人たちにとって、変化は嬉しさだけじゃないの」
「は〜い。もちろん、気をつけます〜。…喧嘩も見受けられますし〜」
「大怪我になるようなものではないけれど……襲われないように、注意してよ?」
「当然です〜。この身は女神様に捧げたもの〜。女神様の恩恵を受けた方なら、別ですが〜」
「…それ、他所ではくれぐれも言わないでよね」
レアはそう言いながら、干した洗濯物の端をそっと整えた。
「あの子も、変わりましたね〜」
「アイオンのこと?」
「はい〜。表情も、目の色も。前よりずっと…“優しさ”があるように見えるのです〜」
「…ええ、そうね。あの子は、これからもっと変わっていくわ。たぶん、私たちが思ってるよりも、ずっと大きく」
しばし沈黙が流れる。
二人の視線は、揺れる草花と、遠くから聞こえる畑の作業音に向けられていた。
「楽しみですね〜」
「そうね」
洗いたてのシーツが、さらりと風に揺れた。
その白さは、新しい日々の始まりを、静かに祝福しているかのようだった。
#
オルババ村とバルナバの街を繋ぐ街道。
森沿いのその道では、今まさに工事が進められていた。
春の陽気が満ち始めた頃。
固かった地も少しずつ柔らかさを取り戻し、作業にはうってつけの季節となっていた。
「石持ってきたぞー! 次の段に積むか?」
「おう、そっち頼む!」
若い村の男たちが、汗を拭いながら声を掛け合う。
手際の良い者もいれば、不慣れながらも懸命に作業にあたる者もいる。
そして、その中には外から来た作業者たちの姿もあった。
鍛冶工、測量師、腕っぷしの強そうな男たち。
見た目も言葉遣いも様々だが、どれも仕事はこなしているように見える。
だが――その中の数人だけは、明らかに“別の目”をしていた。
道端に腰を下ろし、汗を拭う男。
だがその視線は、村人にも石にも向けられていない。
森の縁、草むら、岩陰――
この辺りはもともと魔物の被害が少なく、出るとしてもD級以下。
ホーンラビットやゴブリン、稀にウルフやオーク程度。
だからこそ、警戒のための見張りは少人数の低ランク冒険者と、自警団のみ。
「……なあ、これ、昼間はマジで人の通り少ねえな」
別の男が、声を潜めて呟く。
杭打ち作業の合間に、そっと地形を見渡す。
「そうだな。村と街の中間あたりなら、声も届かないし……通る人も数刻おき。強めの音でも気づかれにくい」
「魔物も雑魚ばっか、ってのがいい。逆に“野盗の仕業”で片付く。……さっさと森に入って国境か他領の境目まで行けば、追うのも無理だろ」
「……あの村に査察に行くなら、うってつけかもしれねぇ」
彼らの会話は、他の作業員の掛け声に紛れ、誰にも聞こえないよう慎重に交わされていた。
一見、街道を造るための作業。
だが彼らは、道を“試して”いた。
村と街の距離、往来の頻度、応援が来るまでの時間、地形、魔物の質――
すべてを分析し、利用しようとしていた。
善意に紛れた、わずかな“企み”。
だが今のところ、それに気づく者はいなかった。
#
小高い丘の上。
そこからは、オルババ村とバルナバを繋ぐ街道が、一本の命脈のように地を這って伸びていくのが見えた。
「――よくやってるな、皆」
馬の手綱を軽く持ちながら、フィギルは遠目に工事現場を眺める。
村人たちの汗、若者たちの掛け声、外部から雇った作業者たちの動き。
今のところ、目立ったトラブルはなかった。
「……正直、あの辺境の村がここまで協力的とは思わなかったが……杞憂だったか」
父に関わるなと釘を差されていた村。
だが、思っていた以上に協力的で、多くの労働力を貸し出してくれている。
しかも、全員が文字を理解しているという点でも、大いに助かっていた。
「旧女神教の村、か。彼らがいれば、領土内の識字率を上げられるな。……しかし新女神教が……」
考え込んだが、得られるメリットのほうが遥かに上だった。
「元々バルナバには新女神教関係者は少ない。村との交流の延長なら、問題ないだろう」
口元に、小さく満足げな笑みが浮かぶ。
村人たちは真面目に働き、バルナバの住民も手を止めることなく作業に励んでいる。
そして何より――
「貧民層から集めた人達も、意外と働いてくれている」
もともと街に溢れていた日雇いや浮浪者たち。
行き場を失っていた彼らを労働力として受け入れたことで、街の治安も少しずつ落ち着いてきた。
「一石二鳥どころか、三鳥、四鳥にもなるかもしれん。道が整えば交易も活性化する。村の作物も早く運べるようになる。街の経済もより回るようになる。……そして、不満を抱えていた層も、仕事に縛られる」
そうなれば、今まで目をそらしてきた不穏分子も、いくらかは大人しくなるだろう。
少なくとも、フィギルはそう見ていた。
「今は――ただ進めるのみだな」
馬の鼻を撫でながら、小さく息を吐く。
「……遊行が始まる前に貧民問題に対処できた。それは大いにプラスだろう。……しかし、第3王女ではな……」
穏やかな風が吹く。
その中で、フィギルはもう目前に迫った“遊行”に、深くため息をついた。




