対イザーク
陽射しが砂地をじりじりと照らす中、その中心では二人の少年が向かい合っていた。
――アイオンとイザーク。
少し離れた木陰にはカーラとエリーがいて、ライアは双剣を背負ったまま腕を組み、審判役として立っている。
「身体強化は禁止。使えば即終了よ」
ライアの声に、二人は頷いた。
「始め」
合図と同時に、空気が張り詰める。
イザークが先に動いた。
砂を蹴って一気に距離を詰め、斜め上から木剣を振り下ろす。
「ッ!」
アイオンは一歩引いて受け止め、力を逃すように剣を滑らせた。その勢いを利用し、即座に下段から斬り上げる。
イザークが半身をひねって回避し、腕で打ち払う。
「ほう、やるじゃねぇか!」
「遊んでたわけじゃないんで!」
そのまま連続の打ち合いへ。
木剣が乾いた音を響かせ、力と技がぶつかり合う。だが互いに決定打を与えるには至らない。
「アイオン、こんなに動けたっけ?」
エリーが木陰で呟く。
カーラは息を飲みながら見守っていた。
イザークの剣は重く無駄がない。
一撃ごとの圧と、経験に裏打ちされた間合いの掌握。振り下ろした直後には、すでに次の動きへと移っている。
だが、アイオンの剣筋も明らかに洗練されていた。細かい踏み込み、フェイント、斜めからの切り込み――別人のような緩急があった。
「そこっ!」
アイオンが横薙ぎに振る。イザークが受け止めた反動で、アイオンは体を回転させ背後を取ろうとする。その軌道は、肘、肩、首元と、数手先まで計算されたものだった。
「っの、器用な真似を!」
イザークは身を低くして後ろ蹴りを放つ。アイオンが跳ねてかわすと、間髪入れず接近戦へ戻る。今度は下から突き上げるような一撃。
イザークは横に体をそらし、腕で受ける――
「っぐ!」
一瞬、イザークの顔が歪む。
「今っ!」
アイオンが剣を振り抜く。だがその寸前――
「らああっ!」
イザークの突き上げがぶつかり、互いの剣が空中で激突。大きな音とともに二人は跳ね返され、距離が空いた。
「はあ、はあ……」
「……やるじゃねぇか、ほんとに」
二人の額には汗がにじんでいた。
「このくらいの力差なら、まだ追いつける……!」
アイオンの瞳が鋭く光る。
その視線に、イザークは口元をつり上げた。
「じゃあ見せてみろよ。全力で来な!」
再び、剣が交差する。
今度は速度が上がる。滑り込むようなアイオンの剣に、イザークは最小限の動きで応じる。
「お互い、引かねぇな」
「イザークの方が年上だからね。まだ意地を張りたいのよ」
剣の間に、火花のような緊張が走る。
斬り合い、避け、打ち込み、回避。手数は次第に絞られ、虚を突くよりも“隙を見抜く”戦いに変わっていった。
その刹那、アイオンが一歩踏み込み、地面を擦るような低い姿勢から鋭く突き出す。イザークが跳ねて避けるが、すぐに反転――逆方向へ一閃。
「っ、やりやがったな!」
ギリギリで木剣がそれを弾く。至近距離での連打。弾き、打ち、払い、踏み込む――一歩の狂いが命取りとなる激戦。
「――そこまで!」
ライアの声が飛ぶと、二人の剣が静止する。
どちらの剣も、互いの急所まで、ほんの寸前だった。
「引き分け、でいいわね?」
ライアに言われ、二人は剣を下ろす。
「あのままやってりゃ、俺の勝ちだったろ!」
「まさか。俺の方が優勢でしたよ」
互いに言い合いながらも、
「――でも、強かった」
アイオンの一言に、イザークはにっと笑う。
カーラが拍手をしながら叫ぶ。
「すごいじゃねえか!どっちも負けてなかった!」
「熱かった……」
エリーの声にも熱がこもる。
呼吸を乱しつつも、二人の顔には満足げな笑みが浮かんでいた。
「しかし、まいったな。まさかここまでやり合えるとはな」
イザークが額の汗を拭い、笑った。
「成長を実感できました。……楽しかった」
真剣勝負の末に得た奇妙な共鳴。
だが――
「あなたたち、まだ余力あるわよね?」
ライアが唐突に口を開いた。
「は?」
「え?」
二人が同時に声を上げる。
ライアはにやりと笑い、木剣の鍔を指で弾いた。
「次は、“身体強化あり”でやりましょう」
「え、いや!それはもう別の勝負じゃ?」
イザークが言いかけたが、ライアは構わず続ける。
「この訓練、アイオンのためでもあるけど、あなたのためでもあるのよ、イザーク。アイオンの成長は、あなたにとっても刺激になる。それに――」
ライアの視線がイザークに注がれる。
「彼との差を知ることは、今の自分の位置を知ることにもなる。興味、あるでしょう?」
「――なるほどね」
イザークは肩をすくめ、力を抜いた。
「アイオン、遠慮すんなよ。全開で来い」
「はい。――行きますよ」
剣が再び構えられた。先ほどとは違う空気を、カーラとエリーも無言で感じ取っていた。
ライアの口元が、ふっと緩む。
「第二戦、開始」
その声と同時に――風が変わった。
アイオンが動いた。いや、“消えた”。
地面を蹴ったのは一瞬。次の瞬間には、視界からその姿が掻き消えていた。
「っ、速ぇ!」
イザークは即座に身体強化を展開。筋肉が収縮し、神経が研ぎ澄まされる。全感覚が、直感に従って働く。
(正面……じゃねぇ。右後ろ!)
体をひねり、振るった木剣が、背後から迫る一撃を弾いた。硬質な衝突音。木片が飛び散る。視線の先には、いつの間にか回り込んでいたアイオンの姿。
「本当に、“消えて”見えるな!」
あの日、ライアと戦った時に見た“それ”。
今、それを真正面から受けている。
息を吐く間もない。次の瞬間、またアイオンが動いた。
一歩、二歩――それより速い。
見えているはずの動きが、実際の位置と一致しない。
(ちょっとでも判断を誤れば、首を飛ばされる!)
イザークは神経を張り詰め、攻撃の糸口を探る。
守りだけでは、いずれ突破される。
「――はあっ!」
アイオンが踏み込み、刃が一直線に突き出される。
反射で剣を振り、ギリギリでそれを逸らすイザーク。だが、腕がしびれる。重い。身体強化で増幅された速度と力に、身体が悲鳴を上げ始めていた。
(こいつ、ここまで来てるのか!)
だが、怯まない。
わずかな隙を狙い、足払い――
「……!」
アイオンが跳躍。空中で回転し、姿勢を立て直す。
その滞空の一瞬を狙い、イザークが全力の打ち上げを放つ。
「おらっ!」
しかし――
「っ!」
空中で構え直したアイオンが、それを真正面から受け止めた。
激しい衝突音とともに、二人は後方へと吹き飛ぶ。土煙が舞い、一瞬だけ沈黙が訪れる。
だが、すぐにまた前へ。今度はイザークが踏み込み、アイオンが迎え撃つ。
刃と刃が激しく交差し、火花のように木片が散る。
攻め、守り、誘い、崩し――
一瞬一瞬が命取りとなる速度の応酬。
わずかな読み違えが、即座に敗北へと繋がる。
訓練場には、二人の荒い息と足音だけが響いていた。
何度目かの打ち合いの後、距離を取り合う。
呼吸を整えながらも、視線は外さない。
次の一撃が“決定打”になると、互いに感じていた。
(来るか)
イザークは心の中で呟く。
だが、次の瞬間――風が止まった。
(……は?)
アイオンの“気配”が消えた。
足音も、風の揺らぎも、空気の変化すらない。
視界を凝らし、耳を澄まし、全神経を集中させる。
だが――何も、見えない。
(これは!? 右? 左? いや、上か!?)
焦燥が胸を満たし、冷たいものが背を這う。
そして――
「――っ!!」
本能的に振り返る。
だが、遅い。
至近距離、わずか数センチ背後から――
「はっ!」
アイオンの一撃が、音もなく振り下ろされた。
空気を裂く音とともに――
イザークの木剣が宙を舞い、彼自身もその場に膝をついた。
「――っは、今のは……見えなかった、完全に……!」
悔しさと驚きにまみれた声が漏れる。
ライアが、静かに手を上げて告げた。
「――そこまで。勝者、アイオン」
静寂が訓練場を包む。
カーラとエリーが、息を呑む音だけが響いた。
アイオンは木剣を下ろし、乱れた息のまま、イザークに頭を下げる。
「ありがとうございました」
イザークも、膝をついたまま頷いた。
「……ああ。礼はこっちの方だな。……あんな動き、マジで初めて見た」
ライアが微笑を浮かべ、イザークを見やる。
「よく食らいついたわ、イザーク。あの速度についていけたなら、素質は十分にあるわよ。最後も、本能で反応できてた」
「……そうかよ。ならちょっとは、胸張ってもいいな」
立ち上がるイザークの表情には、敗北よりも清々しさがあった。
アイオンの背をポンと叩き、ぽつりと呟く。
「お前、まだまだ強くなるな。でも、負けねぇからな」
「どうも。そちらも、見違えましたよ」
アイオンも、疲れと達成感の混じる表情で応じた。
#
夕暮れが薄れ、夜の気配が訓練場を包む頃。
イザークはカーラとエリーに肩を叩かれながら引き上げ、残されたのは、アイオンとライアの二人だけだった。
静かな空気の中、ライアは腕を組み、じっとアイオンを見つめていた。
アイオンが、少し気まずそうに視線を逸らす。
「とりあえず、どうでしたか?」
「悪くなかったわ。身体強化なしであそこまで動けたのは好材料ね。イザーク相手に互角でやれたのも、大きな成長よ」
素直な賛辞のあと、少し間を置いて――
「でも、満点ではないわね」
「……やっぱり」
アイオンが苦笑し、頭をかく。
ライアは歩み寄り、目の前で木剣を軽く弾いた。
「本来、“読ませない動き”と“読まれた上で崩す動き”、両方できなきゃ駄目。でも、どちらもまだ完成してない。まぁ、経験あるのみね」
「はい……」
さらに続ける。
「身体強化戦でも欠点はあった。最後の“消えた”一撃――確かに速さも威力も十分。でも、撃つまでにちょっと“溜め”が入ったわよね? あれじゃイザークに『今から消えます』って言ってるようなもんよ」
「……はい。集中する時間は短くなってるつもりでしたが……」
「そこが弱点。動きの中で自然に組み込めるようにしないと、本物の強敵には通じない」
――と、まるで“自分のような”と言いたげに指をさす。
「それに、真に恐ろしいのは“消えてから、複数の選択肢を持ってる”戦い方よ」
ライアは腰に手を当て、淡々と続けた。
「姿を消してから斬る、外す、投げる――そういう選択肢を持ってこそ、本物の強さになるの」
アイオンは歯を食いしばる。
「つまり、俺はまだ“読みやすい”ってことですね」
「そういうこと。手札は多い方がいい。でもそれには考えなきゃいけない。思考しながら動くのをやめちゃ駄目だし、かといって型にハマるのもダメ。……地道にやるしかないわよ」
アイオンは真剣な表情で頷き、尋ねる。
「少しは……変われてますか? 前より」
「それは自信を持っていいわ。目の動きも、呼吸の使い方も、格段に良くなってる」
少し笑みを浮かべて、ライアは背を向けた。
「――ただし。今のうちに、できるだけ“自信の芽”は潰しておきたいの」
「え?」
「言ったでしょ? 驕りは戦闘に一番いらないって。だから、何度でも言っておくわ」
再び振り向き、冷静な目で告げる。
「――あなたは、まだ“速さに頼ってるだけ”」
「……!」
「反応を超える速度は確かに武器。でも、それだけで勝てるほど、世の中甘くないの。次は“読まれても勝つ”工夫を覚えなさい」
アイオンは木剣をギュッと握りしめ、力強く頷いた。
「――はい。もっと、ちゃんと強くなります」
その言葉に、ライアはほんのわずか――誇らしげな色を浮かべた。
「いいわ。その意気。さ、今日は終わり。家に帰って、ゆっくり休みなさい。――自主練はなしよ?」
「……わかりました。失礼します」
小走りで訓練場を去るアイオンの背を見送りながら、ライアはぽつりと呟いた。
「止めてもやるわね、あれは」
そう言って木剣を肩に担ぎ、彼女も静かに歩き出した。
夜風が吹き抜ける訓練場には、戦いの熱と、小さな余韻だけが残っていた。
#
教会近くの空き地で、アイオンはひとり剣を振っていた。
わずかな感覚のズレを気にしながら。
(久しぶりの身体強化だったけど……確かに強くなってる)
命を糧に力を得る。
その力が僅かに、確かに効力を増していると感じる。
(……驕るな。図に乗るな)
戒めの言葉を思い浮かべ、剣を振る。
――ただ強くなる。
僅かでも、どこまでも。
#
翌朝、陽がまだ高く昇りきる前の訓練場。
イザークは一人、黙々と剣を振っていた。
(ちくしょう。負けたのは仕方ねぇ。あいつが予想より速すぎた)
剣を振るたび、あの“消えた一撃”が脳裏をよぎる。
気配も、気流の変化すらもなかった。
ただ、背後から鋭く――まるで“刃の風”が吹いたようだった。
(でも、少しだけでも“見えた”。……あれを、次は――止めてみせる)
打ち込み。踏み込み。剣の軌道を何度も修正する。
ただの模倣じゃない。自分の動きに組み込むために、何度でもなぞる。
(今のままじゃ、あいつにあっという間に置いていかれる!)
汗が額から落ちる。息が荒くなる。
それでも剣を止めない。誰に言われたわけでもない。ただ、自分の意志で。
(まだまだ負けらんねぇ!)
握った剣は、重みを増していくように感じられた。
だが、それが心地よかった。
イザークは静かに息を吐き、もう一度、剣を振る。
それは、負けた男の“悔しさ”ではなく――
強くなると決めた男の、一歩目だった。




