報告と命令
夜の静けさが村を包む中、教会の奥にある小部屋では、淡いランプの灯りがゆらゆらと揺れていた。
木の椅子に腰掛けていたのは、この村の村長――オルババ。
年齢よりも落ち着いて見える佇まいで、手元の書類に静かに視線を落としていた。
その向かいに座るのは、教会を預かるシスター・レア。
蝋燭のやわらかな光に照らされた彼女の穏やかな横顔が、相手の言葉を静かに待っている。
「――すぐに始まるようです。街道の整備も、見回りの兵の配置も」
オルババの声は落ち着いていた。騒ぐでもなく、不安を煽るでもなく、事実だけを淡々と告げていく。
「領主様は、村と街の繋がりを強化し、人の流れを活性化させたいようです。まずはカルララ村とバルナバを結ぶ道を整えるとか。あちらの方が人手不足が深刻なようですから」
「なるほどね。もう随分と長いこと行っていないけれど、あちらの方が他領地に出やすい。だからこそ、人は離れていきやすいわけね。それを改善するために?」
レアが穏やかに問い返すと、オルババは静かに頷いた。
「ええ。実際、バルナバの貧民街には人が増えているように感じました。彼らに仕事と生活を与えるには、良い事業だと思います。それに、あの方のやり方には無理がない。負担の偏りも、可能な限り均等に調整されていると感じました」
「良い領主様のようね。野心家だけど」
「ええ」
領民を増やし、領地を活性化させ、土地の価値を上げ、そして自らの評価も高める。
誰が見ても分かりやすいやり方ではある。
「後ろ盾もあるようで。――フォスター公爵。その方の娘君が奴隷商に囚われていたそうです。偶然、それを助け出し、気に入られた――と、噂で聞きました」
「そして今回は、奇病に対する赤い薬草の提供で、王から褒賞金を得て、事業の予算に充てた。というわけね。運は良さそうな人」
ふっと笑うレアに、オルババの表情も少しだけ和らいだ。
けれど、その目に浮かぶのは、淡い不安の色。
「ただ――これは、村を守ってきた者の直感にすぎませんが。すべてが穏やかに進むとは思えないのです」
レアは少しだけ目を細めた。
「どこかに、軋みが出ると?」
「ええ。急な変化というのは、得てして誰かの心に影を落とすもの。
それが表に出るかどうかは、私たち次第ですが」
「その通りね。来る人すべてが善良とは限らない。むしろ、外から入ってくるほどトラブルの種になりやすい。一応、備えはしておきましょう」
「お願いします。村の者が混乱したとき、道を示せるのは、あなた方の言葉ですから」
「あまり頼り過ぎては駄目よ? あなたが村長なんだからね?」
レアの声音に、少しだけ冗談めいた響きが混じる。
そのとき、部屋の扉がそっと開かれた。
入ってきたのは、シスター・ベティ。
ふわりとした足取りで、にこにこと笑みを浮かべながら二人の間に加わった。
「失礼します〜。レアさま、村長さん〜。例の件、確認してきました〜」
「例の件? ああ、王都からの遊行ね」
レアが促すように言葉を繋ぐと、ベティが頷き、柔らかな声で続けた。
「はい〜。やっぱり事実のようです〜。ですがいつも通り、バルナバを視察するだけみたいですし〜。こちらには来ないかと〜」
「そう。ならば特段、村として動く必要はなさそうね」
レアは軽く息を吐いたが、その口調には油断の色はない。
「でも、頭の片隅には入れておきましょう。今は“いつも通り”でも、終わるまではわからないわ」
「はい〜、承知しました〜」
ベティは素直に頷きつつも、どこかほんわかとした調子を崩さない。
それを見て、オルババが思わず苦笑を漏らした。
「あなたがいてくれると、村も安心できます」
「えへへ〜。そう言われると照れちゃいます〜」
レアも微笑みながら、背もたれに体を預けた。
「何か起きたとき、まず心を落ち着かせてくれる存在がいるのは、大きな支えになるわ。私たちも気を引き締めましょう」
「はい〜」
「もちろんです」
三人の視線が交わり、小さな部屋に再び静けさが戻っていく。
ランプの灯りがほのかに揺れ、夜の気配がいっそう深まっていった。
その夜、教会での小さな会議が静かに幕を閉じた。
けれどその心には、それぞれが確かに――動き出した改革と、その先に広がる波紋の気配を感じ取っていた。
村の未来のために、静かに、確かに備えを重ねながら――。
#
夜の帳が降りたある街の裏通り――。
人気のない倉庫の地下、その奥まった石造りの一室に、灯りがひとつ揺れていた。
黒布を羽織った男が、粗末な机の前に立つ。
目の前には数名の賊。
粗暴な顔つきもあれば、冷静に状況を計る目もあった。
だが彼らは皆、目の前の男に一言も逆らわず、命令を待っている。
「――バルナバに潜れ」
男の声は低く、よく通った。
まるで事務処理でもするような、感情のない口調だった。
「今あそこは人が増えている。貧民も旅人も流れ者も。目立たず動くにはうってつけだ。まずは拠点を築け。連絡網の確保も優先だ」
一人の賊が問いかける。
「狙いは、フィギル子爵でいいのか?」
「そうだ。だが直接は動くな。奴を壊すのに手はかからん。道具がある」
男が机に広げたのは、王都からの文書。
そこには、王家の第3王女・ジーナが、バルナバを視察する“遊行”に出る旨が記されていた。
「この女が、二ヶ月後にバルナバを訪れる」
賊たちの目が光る。だが男は一切の熱を持たずに続けた。
「殺すな――攫え。王女が誘拐されれば、真っ先に罪に問われるのは誰だ?」
「――子爵、か」
「そうだ。奴が守る土地で、王族が連れ去られたとなれば、責任を取らされる。……地位も名誉も、崩れる」
男はそこでわずかに口角を上げた。
だが、それは喜びというより“皮肉”だった。
「奴隷商を潰されたから、か?」
別の男が呟く。黒衣の男は首を横に振った。
「ビジネスの一つだ。潰されたからといって未練はない。……だが、“男爵風情”に踏み潰された。主はそれが我慢ならないのさ」
机の上に手をつき、ゆっくりと視線を巡らせる。
「遊行に乗じて王族を攫え。責任でフィギルを苦しめ、足を縛れ。追い詰めろ。……そして、王女は“主のもと”へ届けろ」
その言葉に、空気が一段冷えた。
「王族といっても第3王女。継承順位は第6位。いなくなったところで、国は動じない。だが、“王族が殺された”という事実が、子爵の足を止める」
「つまり……殺したように見せかけるってことか」
「そうだ。――表向きは“死亡”だ。バルナバで王族が命を落とした。民心も信用も、一夜にして揺らぐだろう」
「で、実際には?」
男は薄く笑った。
「――“王族で遊びたい”とのことだ。その身を味わい、自分で王族を汚す」
「飼い慣らすってことか」
「そう。“王女”としては終わらせる。だが、その肉体と心は“主”のために生かす。所有物として。ペットとしてな」
数人の影が、無言で顔を見合わせた。
誰もが命令の意味を理解している。
「3日以内に潜入。二ヶ月以内に地盤を整えろ。
攫う手順は任せる。ただし――“美しいまま”連れて来い。汚してはならん。でなければ、お前たち諸共、私が責任を取らねばならん」
そして男は蝋燭を摘み、火をひと息で吹き消した。
「以上だ。――失敗すれば、次に“消える”のはお前たちだと覚えておけ」
その言葉だけを残し、男は部屋を後にした。
残された者たちは誰一人声を発さず、静かにそれぞれの任務へと散っていく。
その夜、暗い影が、バルナバの地へと向かって静かに動き出した。




