なにも知らずに
陽射しが心地よい昼下がり。
街の中央を抜ける石畳の道には人々の賑わいがあり、季節の果物を売る露店や、香ばしいパンの香りが漂っている。
カーラ、ジェシカ、サリーの三人は、少し街外れまで足を伸ばしながら、緩やかな坂道を並んで歩いていた。
「やっぱりバルナバって大きいね〜。うちの村とは全然違う〜!」
サリーが楽しげに、左右の店を眺めながら言う。
「ほんと。露店も多いし、服も可愛いのいっぱいある。…こういうとこ、アイオン連れてきたら似合いそうだよね」
ジェシカの何気ない一言に、カーラの足が一瞬止まった。
「…は? なんであいつの話になるんだ?」
「えー? 別にいいじゃん。顔は良いけど愛想最悪で“無しよりの無し”だったけど、最近はその辺も可愛く見える程度には印象変わったわ〜」
サリーが笑いながら言い、ジェシカも軽くうなずく。
「そうそう。病気になる前とは違うけど、やっぱり顔は良いし! それに村一番に強いってのもポイント高いよ! なにより…あのナリアちゃんに向ける笑顔が…!たまらん!!」
「…ふーん、そりゃ良かったね」
カーラはそっけなく返し、少し顔を背けた。 その反応に、サリーが小声でジェシカに囁く。
「…あれ? 気にしてる? でも、ね〜?」
「うん。…カーラが好きなのは分かってるけど…ねぇ?」
わざとらしく聞こえるように言う二人に、カーラが小声で噛みつく。
「や、やめろ! 道の往来で恥ずかしい!」
だが、二人は構わず続ける。
「え〜でもさ? 別に良くない? あたしたちが気になるって言っても」
「そうそう。だってあいつ、全然気づいてなさそうだし〜。あんたが何も言わないなら、チャンスもらってもいいかな〜、なんて?」
にやにやとからかうように笑う二人。
「……っ!」
カーラの頬が、目に見えて赤くなる。
「…そ、そりゃ私に止める権利はないけど…本気?」
「ポイント高いのは本当よ〜?」
「好きなら、先に言えば〜? でなきゃ、ね〜?」
からかい混じりの二人の声に、カーラは両手を広げて制すように叫んだ。
「う、うるせえな! 先行くからな!」
ぷいっと顔を背け、早足で歩き出すカーラ。
ジェシカとサリーは顔を見合わせ、くすくす笑った。
「…なんであんなにわかりやすいのに、本人は気づいてないわけ?」
「なんでだろ? ゼアスと仲良かったから、勘違いしたまんまなのよね」
「うん。でもまあ…アイオンがどう思ってるか、だよね〜」
「…それが一番難しいやつ〜」
風が三人の髪を優しく揺らす。
バルナバの街の片隅で、ほんの少しだけ、恋の予感がふくらんでいた。
*
昼を少し過ぎた時間帯。 バルナバの冒険者ギルドには、今日もいつものように人が集まっていた。
がやがやとした喧騒の中、一角のテーブルではイザーク、エリー、ウル、オニクの四人が腰を落ち着けていた。
「で? 結局、またホーンラビットの群れ退治だったってわけ?」
イザークがあきれ顔で尋ねると、向かいのウルが肩をすくめた。
「うん。カルララ村近くの畑な。急に数が増えたとかで…。正直、散歩みたいなもんだったよな?」
「…もう出てくる季節らしい。放っておくと作物を荒らすって。依頼金も悪くなかったよ」
静かに答えたのは、隣にいたオニクだった。 身なりの整った彼は、相変わらず本に目を向けながら話す。
「…ま、お前らが満足ならいいけどよ。俺は修行に来たのによ! 雑用ばっかやらされてよ!ここに来る前にやったのなんか、土掘りだぜ、土掘り! な? エリー!」
イザークがふてくされると、エリーが苦笑しながら答える。
「土掘ってたのはあなただけでしょ。私は畑に種を植えてたし。あと、勉強したり」
「あーあーはいはい。おつかれさん。えーと、あの子…名前、ナリアだっけ?」
「そう。アイオンの妹さんよ。ちゃんと元気になったし、お母さんも安心してた」
エリーの声はどこか柔らかだった。
「…そっか。あの村、のどかだけど…なんつーか妙に空気が重いっていうか。なんでだろうな?」
「…余所者だからじゃ?」
オニクがぽつりと漏らす。 一瞬、場の空気が少しだけ固まった。
「…ま、それもあるか」
イザークは肩を回し、話題を変えるようにあくびをひとつ。
「にしても、街は街で騒がしいな。遊行だっけ? 王族が来るってんで、えらく警備が張り切ってるらしいけど。まだ先だろ?」
「…それ、ギルドでも噂になってる。でもそっちより、街道整備の方が大事なんじゃない? 街全体の事業だし」
「それもか。まぁ荒れてるってほどじゃないけど、明かりもねーし、休む場所もねーからな。そういうの作るなら、便利にはなるか」
イザークは村までの道中を思い出しながら話す。 何度か野営を強いられたが、中間地点に休める場所があれば、確かに楽になるだろう。
「でも、利便性が上がるってことは、良いことばかりじゃねーからな。賊が動きやすくなる環境じゃ、危険は増える」
「…だからフィギル子爵の私兵を増やすんだって。街道に待機所も作って、安全性を確保するみたい」
オニクが答える。
「へぇー! それなら問題ないな! さすがやり手の子爵様!」
「…しかも街道整備や待機所作りで大量に人を雇うらしいし、貧民対策にもなる。初心者向けの土地だとしても、過疎地にしとくには勿体ないしね」
「へぇ〜、冒険者にも仕事が回ってくるといいな!」
「…あると思うよ。整備中に魔物に襲われるリスクもあるし、森の伐採もやるって話だから」
「そりゃいいね! 小銭稼ぎながら修行もできる!」
ウルはビールのジョッキを傾け、ぼそりとつぶやいた。
「…ま、面倒事に巻き込まれなきゃいいけどな。お前ら、無駄に騒ぎに首突っ込むなよ?」
ウルが指で二人を差しながら言うと、エリーが軽く会釈し、イザークは笑いながら「はいはい」と応じた。
「…にしても、アイオン、どうしてるだろうね?カーラちゃんも残念がってたし…」
「さあな。どうせまた、修行だーってどっかで汗かいてんだろ」
「…余裕な顔してると、すぐ抜かされちゃうよ?」
エリーが呆れ顔で言うと、三人は小さく笑った。
#
オルババ村の訓練場では、木と木がぶつかる音が響いていた。
「そこっ!」
「くっ――!」
ロッチの木槍が突き出され、アイオンはぎりぎりでかわす。
足元を滑らせるようにして半身をずらし、木剣で槍の腹をはじいた。
「はい、そこ!」
鋭い声が割って入る。
二人の間にぴたりと割って入ったのは、ライアだった。
腕を組んで戦場のすぐ脇に立っていた彼女は、軽く地を踏んで止めをかける。
「一度、間合いを切って。――二人とも、呼吸が上がってる」
アイオンとロッチが顔を見合わせ、ほぼ同時に一歩後ろへ退いた。
額には汗がにじんでいたが、目にはまだ意志の光が宿っていた。
「ふー…ありがとな、ライアさん!」
「…どうも」
二人が礼を言い、再び構えを取る。
「じゃあ再開。ロッチ、槍の柄が甘い。アイオン、反撃がワンテンポ遅いわよ」
「はい」
「了解ッス!」
ライアの号令で、ふたたび模擬戦が始まる。
ロッチが踏み込み、鋭く槍を突き出す。
「いくぞっ!」
「――!」
アイオンはそれを読むように受け流し、剣を下からすくい上げるように返す。
だがロッチもすぐに体を引いて避け、槍を回転させて柄で突いてくる。
「くっ!」
肩をかすめる打撃。
だがアイオンは踏ん張り、木剣を逆手に握り直すと間合いを詰めた。
「そこ!」
ロッチの脇をすり抜けるように回り込み、剣先を腹に向ける――
「ストップ!」
ライアの声で、動きが止まった。
「今のは、アイオンの一本ね。…でも、ロッチも対応は良かった」
肩で息をしながら、ロッチが言葉を発する。
「…ズルいぞ、お前!」
「え?」
きょとんとするアイオンに、ロッチは汗をぬぐいながら続けた。
「最初は俺のが勝ってたじゃん! なんで数日で逆になるんだよ!? おかしいだろ!」
困ったようにアイオンは笑った。
「まぁ、槍の相手にも慣れてきましたし…。でも、いい練習相手がいて助かってます。感謝してますよ?」
「…ムキーッ! お前! 嫌い!」
ロッチは盛大に地団駄を踏みながら騒ぐ。
ライアはそんなやり取りを見つめ、ふっと笑みをこぼした。
(本当に、良い練習相手だったわ…。でも)
「…ロッチ。身体強化を使っていいわ。アイオンはそのまま“無し”で」
「…えっ?」
アイオンが驚いてライアを見る。
ライアはニヤリと笑った。
「…気を抜いたら大怪我するから、注意してね?」
「…いいんですね!? マジでやりますよ!?」
ロッチが声を弾ませる。
「危なくなったら止めるし、お願いね、ロッチ」
アイオンの意志は二の次だった。
必要なのは、今の反応でどこまで対応できるかを見ること。
「じゃあ構えて――」
「へっへっへ! 覚悟しろよ、アイオン!!」
「…お手柔らかに」
ライアは満足げに頷き、手を上げて合図を送る。
「――始め」
「行くぞッ!!」
ロッチの叫びとともに、地を蹴る音が響いた。
次の瞬間、木槍が――視界の端に突如現れる。
(…はやっ!)
直感ではなく、“理解”が先に来た。
肩の動き、足の角度、目線の揺れ――その全てが、脳内で“次”の動きを予告していた。
(くる、左から突き上げ――!)
予測通りだった。
だが、その情報に体が追いつかない。
(…間に合わない!)
ギリギリで剣を前に出すも、槍はその上をなぞるように滑り、脇腹をかすめた。
「ぐっ…!」
一歩、二歩と後退する。
だが踏みとどまり、木剣を握り直す。
「…まだいけるよな?」
「…当然」
ロッチは笑っていた。
けれど、目は本気そのものだった。
再び突き出された槍。
(下段から――切り上げ!)
見えている。
頭では完全に把握している。
――でも。
(っ…体が…!)
ほんの一瞬。
体の反応が、思考の“後”を引いてくる。
防ぐしかない。
剣を滑らせ、力で受け止める。
衝撃――肘まで痺れるほどの重さ。
「ちっ!」
ロッチが跳ねるようにして間合いを詰める。
(次は、振り抜き…っ!)
上段からの叩きつけ。
重くて、速い。
バックステップでかわすが、頬をかすめる風が痛い。
(見えてるのに、防げない…!)
脳は理解している。
でも体が、筋肉が、訓練が、技術が――
そのすべてが、まだ足りない。
それでも。
(止まるわけにはいかない!)
アイオンは叫びもせず、剣を握り直す。
反撃。
踏み込んで、渾身の一太刀。
だがロッチの方が一歩早かった。
「――残念!!」
槍の柄が横から打ち込まれる。
脇腹に鈍い衝撃。
膝をつきかける――が、堪える。
審判役のように、ライアが静かに見守っていた。
(…でも、楽しい)
剣を構える手は震えていたが、唇はかすかに笑っていた。
「…まだまだです」
「っは! 後悔すんなよ!」
木槍を構え直すロッチ。
アイオンも木剣を肩に担ぎ、深く息を吐く。
(脳が理解して、体が追いつかなかった。……なら、その差を一つずつ埋めるしかない)
――戦いは続く。
その目に、恐れはなかった。
ライアはその様子に満足げに頷きながら、心の中でつぶやく。
(いいわね…。この段階で“理解”できてるなら、きっと――時間の問題)
#
ロッチが訓練場から去り、木槍の音も笑い声も遠ざかっていく。
残されたのは、夕陽に照らされた静かな広場と、
木剣を手に、地面に膝をつくアイオン。
「…しんどい」
息は荒れ、額から汗が滴る。
剣を握る腕も、震えを隠せなかった。
「どうだった? “圧倒的不利”な戦闘は?」
ライアが隣に歩み寄り、腰を下ろす。
「…あの条件では、難しいですよ」
「そうかしら? 十分、対応できてたと思うけど」
アイオンは大きく息を吐いた。
「見えてるのに…反応が遅れる。わかってるのに、間に合わない」
伏せられたその横顔を、ライアはしばらく見つめていた。
そして静かに口を開く。
「…頭で理解してるからよ」
「…え?」
「あなたは今、“脳”で相手の動きを理解してる。肩の入り方、足の向き、呼吸のタイミング…。全部しっかり見て、理屈で動こうとしてる」
アイオンは黙って耳を傾けた。
「でも、それじゃ遅い。反応は、理解の“後”にしか来ない。考えてからじゃ間に合わない相手もいるの。特に、身体強化された相手なんてね」
ライアは帽子を軽く振り、砂を落とすように言った。
「じゃあ、どうすれば…?」
アイオンの声には、焦りと悔しさが混ざっていた。
「“本能”で動くの。…って言っても、感覚任せの無茶をしろって意味じゃないわ」
ライアの声は、少し優しかった。
「体に、先に覚えさせるの。理屈じゃなく、反復で。
剣を振るタイミング、避ける癖、踏み込みのリズム――
それが“考えなくても動ける”ようになったとき、初めてスタートラインに立てるのよ」
アイオンは頷いた。
悔しさを噛みしめながらも、明確な課題が見えたことに、胸の奥がほんの少しだけ熱くなる。
「反応できなかったのは、ただ経験と鍛錬が足りないだけ。才能のせいじゃないわ」
「…じゃあ、やるしかないですね」
「そう」
ライアは微笑んだ。
「見えてたって言ったでしょ? その目は確かよ。
あとは、“体をそこに追いつかせる”だけ…。そして先を目指すため―わかる?今も身体強化を禁止してる理由」
「…素の反応で追いつけば、身体強化で追い越せる。…更に先の行動を本能的にできるようになる。…随分簡単に言いますね」
「私はできるし」
肩をすくめて、くすりと笑うライア。
それでも、アイオンの中には確かな火が灯っていた。
木剣を握り直し、再び構える。
「……どうせ、明日もやるんでしょ?」
「もちろん。でも、明日からは森に入るわ」
「わかりました」
「それで3日ほど命の取り合いをして、次の日は、1日中私と模擬戦ね」
「…本当に?」
アイオンが腰を上げ、ライアを見る。
「ええ。イザークがいれば良かったけど、帰るのは4日後みたいだし…。
明日から3日間は森に入る。次の日私と実戦訓練の仕上げ。そして、イザークと対戦ね。身体強化は“無し”で。"有り"だと…たぶんお話にならないと思うから」
「……いいですね、それ」
ニヤリと笑うアイオン。
それにつられて、ライアもふっと笑った。




