不穏
バルナバ到着の翌日。
納税の儀式を終え、村長とラクトは、フィギル子爵のもとへ招かれていた。
応接室には地図と書類が広げられ、若き領主――フィギルが椅子に腰掛けている。
「長旅ご苦労だった。納税物、確かに受け取った。オルババ村の人々に感謝する」
フィギルは柔らかく微笑んだ。
その顔に、貴族らしい威圧感はなかったが、どこかギラギラとしていた。
「光栄でございます、子爵様。村の者たちも、この日を誇りに感じております。――遅ればせながら、子爵位拝命、おめでとうございます」
村長が深く頭を下げ、ラクトも続く。
「あぁ、ありがとう。去年以来だったな。その後に任命されたから、会う機会もなかった」
「恥ずかしながら、知ったのも最近でして…。今後とも、よろしくお願いします」
二人の再度の礼に、フィギルは軽く頷いた。
「さて、今日は一つ、報告と協力をお願いしたい」
そう言うと、フィギルは地図の一角を指し示した。
「――街と村を結ぶ街道を、改めて整備したい。物資や人の往来を増やすだけでなく、雇用を生み、領地に活気を取り戻すためだ」
「働く場、でございますか?」
村長が問い返すと、フィギルは頷いた。
「今、バルナバには職を失った者や流れてきた者が増えている。カルララ村でも働き手が不足していた。
オルババは今は問題なさそうだが、先を見据えるなら受け入れも必要だろう。仕事を与え、人口を増やし、ゆくゆくは新しい村を作ることも視野に入れている」
地図を折り、ふたりを見つめる。
「街道整備はそのきっかけだ。予算もある。惜しまず使うつもりだ。領民の交流のためにも、希望者には報酬を払って参加してもらいたい」
村長は少し考え込んだ後、ゆっくりと口を開いた。
「――改革ですか。確かに交流は広がるでしょう。ですが“敵”も呼びませんか? 他領から人を集めるのを、黙って見過ごすとは限らない」
「―だからこそ、私の代でやる」
フィギルは迷いのない眼差しで続けた。
「父にはできなかった“無茶”を、今のうちに形にしておきたい。村と街が繋がり、子どもたちが互いを知り、より良い未来を選べるように――それが私の望みだ」
村長はしばらく黙っていたが、やがてふっと鼻を鳴らす。
「なるほど。新しい領主様は、ずいぶんと野心家ですね。 ――わかりました。こちらでも人材を募りましょう。畑仕事の時期ですので、職人が多くなると思いますが」
「助かる」
フィギルは深く頭を下げた。
「ただし。オルババ村はこれまで通りを貫くだけです。急な発展など、村は望んでおりません。それだけはご理解を」
「…ああ、わかっている。父からも聞いているよ」
『オルババ村には関わるな』。
その真意はまだ掴めていないが、協力は得るつもりだった。
(この田舎を価値ある地に変える。それができれば、私の評価も上がる。…やってもらうさ)
フィギルは微笑んだまま、ふたりに告げた。
「それと、もう一つ知らせておきたい」
遠くを見るような視線で、言葉を続ける。
「――今年は、王族の“遊行”が行われる。二月後には、王子か王女の“御一行様”が街を訪れる予定だ」
ラクトが顔をしかめ、村長も沈黙する。
「…遊行、ですか」
「ああ。“民の暮らしを視察する旅”という建前だが、実際は査察だ。治安や税収、活気、領主の姿まで見られる」
フィギルは肩をすくめ、苦笑を浮かべる。
「オルババのような辺境には行かないと思う。…本音を言えばこの街にも来てほしくない。
だが、そうもいかないのがこのイベントだ…」
ラクトが腕を組み、少し考えた後に言う。
「今まで足を運ばれた方はいませんが、今回は可能性があると?」
「さあな。予想できないからこそ伝えただけだ。前回は1日滞在して帰った。まぁ、念のためだよ」
村長が静かに言葉を継ぐ。
「あいにく、王族を迎える宿もない村です。それがわかっているから、先代は伝えもしなかったのでしょう。――ご配慮願います。子爵様のためにも」
「…そうだな。査察官も“変わらない村”と報告していた」
「変わらないことが、村にとっての平穏なのです」
しばしの沈黙のあと、村長が深く息を吐き、静かに頷いた。
「了解しました。一応、村としても備えておきます」
「…ああ。頼んだ」
互いに小さくうなずいた。
――万が一が起こらぬように。
#
「…なんで、そんな田舎に行かなきゃならないのよ」
ジーナは机に投げ出された書状をにらみつけた。
それは“遊行”の日程だった。
継承順位が低い王族ほど、この“遠い地方の遊行”を押し付けられる。
重要な土地は、もっと上の者たちが行く。
「バルナバ? …どこよそれ。地図にすら載ってないじゃない」
ふてくされた声に、侍女が静かに答える。
「載ってはおりますが…かなり小さく。王都から馬車で10日以上。禁断の森の近くで、その先にはバルガ帝国の要塞があるとか」
「はぁ!? …誰も見てないような場所に、なんで私が行かなきゃならないのよ!」
怒り混じりの声は、すぐに萎む。
ジーナはよくわかっていた。
――自分が、王族の中で“目立たない存在”であることを。
「継承順位6位って、惨めよね…王になれるわけないし、無視もされない」
(これなら下の…あの娘のがマシじゃない! 最初っからいないものとして、こんなものにも参加しない…あの娘の方が!)
「お忍びであればご自由もききますし、名を広める機会にも」
「…そんなの、いらない」
侍女の言葉を遮り、窓の外に目をやる。
そこには、楽しげに談笑する学園の生徒たちがいた。
けれどジーナは、その輪にも入れない。
王族だから、誰も寄ってこないのだ。
(…辺境の地に行って、何があるっていうの? 土の匂いしかしない場所で…)
どうでもいい事ばかりを押し付けられる。
(…王族になんて、なりたくなかった)
自らの身が脅かされることも、
その地で自分を変える“誰か”と出会うことも――
ジーナも、その誰かも、まだ知らない。
#
部屋は薄暗く、窓はなかった。
分厚いカーテンに覆われた壁、蝋燭だけが小さく揺れている。
黒いローブを纏った男が、机に地図を広げた。
その指先がなぞるのは――バルナバ。
「予定通り、“遊行”は決まったな。幸運だ」
沈んだ声が空気を震わせる。
「フィギル…奴は若い。若さゆえに、溺れる様が一層映える」
対面で跪いていたフードの男が応じる。
「現地に潜らせる者は手配済みです。賊のふりをしての襲撃も可能。ただ王族を狙えば、騒ぎは王都まで届きます」
「それでいい。――いや、届かせろ」
ローブの男は薄く笑った。蝋燭の陰で、その顔は見えない。
「混乱こそ好機。王族に傷を負わせれば、それは“重罪”になる。継承順位6位の王女でも、命を失えば世間は騒ぐ。責任は――領主に向くだろう」
「フィギル子爵を潰すおつもりで?」
「奴が潰したのだ。…私の“商売”を」
奴隷取引の利権。
その1つを潰し、フィギルは子爵になった。
ある貴族の娘を助け、その功績で支持を得て。
「――まずは揺らせ。穏やかな水面に石を投げろ。春の田舎に、冷たい影を落とすんだ」
蝋燭の炎が、ひときわ大きく揺れた。




