丁度いい相手
雪はすっかり解け、地面のあちこちから若草が顔を覗かせていた。
まだ空気は冷たいが、吐く息に白さはもうない。
冬の終わりを告げる風が、静かな村を優しく撫でていく。
春を前にして、数人の村人たちがバルナバへ向かう準備を始めていた。
税を納めるための荷馬車が、朝の光の中に並んでいる。
干し肉や保存麦、木工品や布、自警団やアイオンが狩った魔物の魔石――村の手で丁寧に作られた品々だ。
今年の納税には、例年通り村長とラクト、自警団の数人、希望者が同行する。
村に滞在していたイザークとエリーの姿もその中にあった。
一方、村の訓練場にも、変わらぬ朝があった。
片手剣を構えるアイオンの前には、見守るライアの姿。
アイオンは毎年この行事に参加しない。
バルナバには興味がなく、欲しいものはケニーが届けてくれる。
―畑仕事が本格化する前に、できるだけ鍛錬に時間を使いたい。アイオンはそう言っていた。
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オルババ村の広場では、村人たちが荷車の準備を進めていた。
「ったく、ただの付き添いのはずが、いつの間にか荷運び係になってんじゃねーか…」
重たい布袋を積み終えたイザークが、大きく伸びをする。
半袖の腕には土と汗の跡。
文句を言いながらも、手は抜いていない。
「文句を言うくらいなら、もう一袋いけたわね」
木箱の固定を終えたエリーが冷静に突っ込む。
小柄ながら無駄のない動きで、積み荷はすでに完璧に括られていた。
「お前ほんと、手厳しいよな…たまには愚痴に付き合ってくれよ」
「グダグダ言ってないで手を動かせ!」
背後から突然飛んできた声に、イザークがびくりと肩を震わせる。
「うわっ! カーラか! 心臓に悪い!」
腰に手を当てたカーラが、後ろにいた。
「ったく、たかが荷運びでうだうだ言うなんて…それでよく冒険者やれてるな?」
「こっちは休業中だっての! オレだって修行したいのに…」
イザークは視線を訓練場に向ける。
すでに剣を振っているだろう、アイオンの姿を思い浮かべながら。
「…あいつ、街に行ったことないんだろ? 休養がてらついてくればよかったのに」
「たまには休めって伝えたんだろ? それでもやるってんなら…仕方ないよ」
どこか残念そうなカーラの顔に、エリーがため息をつく。
その素直さを少しでもアイオンに向ければいいのに、と。
そのとき、村長と並んで歩いていたラクトが声を上げた。
「よし、積み終わったな。そろそろ出発するぞ!」
馬の綱を引く男たちの顔が引き締まり、村人たちは荷台へと乗り込む。
「バルナバまで3日。道中、魔物や賊に注意して進む。油断するなよ!」
ラクトの声が響き、出発の空気が広がる。
「…ま、気落ちしててもしゃーない! あいつが気に入りそうなもんでも買って帰ってやろうっと!」
カーラの切り替えを、イザークが茶化す。
「へぇ〜? あいつの好み、知ってんのか? しばらく一緒にいたけど、全然わかんなかったぜ。そういう話にも乗ってこないし」
「知らん! でも、私のサンドイッチは美味いって言ってくれた! だから新しい食材でも探してみる!」
「いいじゃない! 男なんて胃袋掴んだもん勝ちよ!」
エリーが笑いながらカーラを褒める。
少し照れたカーラはすぐに切り替え、イザークに詰め寄る。
「――お前がどういう質問して、アイオンがどう答えたのか。一言一句思い出して教えろ。…いいな?」
「お前、その顔やめろって…」
「お〜い! お前ら〜! 早く乗れ〜!」
ラクトの声に急かされ、慌てて空いている馬車に飛び乗る三人。
「はぁ…まぁ、久しぶりのバルナバだ。楽しむか!」
イザークは、しつこく詰め寄るカーラを無視して、荷馬車に揺られていた。
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「そこまで。一旦休みましょう」
ライアの声に従ってアイオンが剣を下ろす。
傍にはナリアとレアがいた。
「アイくん、お疲れ様! すごかったよ、ビュンビュンって!」
「退屈じゃなかった?」
汗を拭いながら応えるアイオンに、ナリアは無邪気に笑った。
「そんなことないよ! 綺麗だった!」
その言葉に少し嬉しさを感じたが――
「綺麗ってことは、剣筋が読みやすいってことよ。型に意識が寄りすぎて単調になってるわ。相手がいないから仕方ないけど、それに慣れちゃダメ」
ライアの鋭い指摘が入る。
アイオンは気を引き締め直す。
「なら、あなたが付き合ってあげれば? 打ち込みしながらの方が、アドバイスもしやすいでしょ?」
レアが提案するが、ライアは首を横に振った。
「それでもいいんだけど…今のアイオンに必要なのは、同格か少し上くらいの相手よ。勝率でいえば4割くらいの」
彼女は思案顔を浮かべる。
イザークはアイオンの身体強化に対する“矯正”には最適だったが、その先の“成長”には壁が必要。
(Dクラスの魔物か人間。そんな相手がちょうどいいんだけど…)
訓練や探索の中で探していたが、適任はいない。
ラクトは腕こそ申し分ないが、情が入りすぎる。
「レア。誰かいない? ラクトと同じくらいの腕で、情を挟まない人」
レアは少し考え、言った。
「二人いるけど…一人は情があるかも。負の方向に、だけど」
「最高じゃない。誰?」
思わぬ収穫に笑みが浮かぶライア。
“負の情”――悪感情があれば本気でやり合ってくれる可能性は高い。
アイオンとナリアを残し、ライアとレアはスカウトに向かった。
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(…俺も行きたかった)
ロッチは物思いに耽っていた。
村の入り口を守るようになって、もうすぐ3年。
昨年はバルナバ行きに同行できたが、今年は留守番となってしまった。
「…おいロッチ、呆けるなよ!」
隣にいたボブが不満げに声をかけてくる。
「行きたかったんだよ、今年! なんで去年だったんだよ!」
本気で悔しがるロッチに、ボブは呆れながら応じた。
「お前さ、カーラは諦めろって。勝ち目ないんだよ」
「うるせぇ! あんな奴のどこがいいんだ!? 綺麗な顔と、昔助けてくれたくらいだろ!?」
「…その二つだけで十分だろ。子どもの頃さらわれて、襲われそうになったところを助けてもらったんだぞ? 俺が女でも惚れるわ」
「キーッ!! 俺がいれば……くそっ! 最近やたらモテてないか!? ジェシカにサリー、果てはベティ様まで! なんなんだよあれ!! この前まで村人の名前すらまともに覚えてなかったくせに!」
「ジェシカとサリーはギャップ萌えだな。ナリアと話してる時の顔がたまんないらしいぞ。ベティ様は…病気が治ってから、ずっと気にかけてるみたいだ」
ロッチが吠え、ボブが淡々と分析する。
二人はまだ独身で、嫁探しにも余念がない。
ただし、ボブには交際中の女性がいる。
余裕のある分、冷静だ。
だがロッチは違う――嫉妬と悔しさを煮詰めたような感情を抱えていた。
「…どう? ちょうどいい会話してるけど、相手に不足ある?」
「完璧よ、レア。恋愛がらみの負の感情は最高ね」
ロッチとボブが振り返ると、そこにはニヤニヤと笑う美女が二人。
ライアとレアだった。
#
向かい合うアイオンとロッチ。
互いに手にするのは、木剣と木槍。
ナリアはセアラが迎えに来て帰っていった。
実戦想定の場には刺激が強いので、むしろよかった。
レアがライアにそっと囁く。
「…あんな誘い方でよかったの?」
「ええ。『カーラに良く言ってあげる』――それだけよ」
「…当人がどう受け取ったかは知らないけど」
哀れむような視線で、やる気満々のロッチを見やる。
(よしっ!やるぞ!ここで勝てば、カーラは俺を…!)
木槍を振り回しながら、ロッチは一人で気合を入れていた。
日頃の鬱憤を晴らすチャンスに、女神すら拝みたくなる気分だった。
(…槍か。初めての相手だし、慎重にいかないと)
対するアイオンは冷静だった。
慣れない武器、警戒が要る。
「二人ともいい? 身体強化はなし。危なくなったら止める。それだけよ」
ライアの声に、ふたりは頷く。
「ケガしてもレアがいるから安心してね。じゃあ…」
ライアが息を吸い、宣言した。
「――始め!」
その声と同時に、ロッチが木槍を構えて突っ込んだ。
「うおおおおっ! くらえぇぇぇっ!!」
勢い任せの突きだが、意外にも速い。
アイオンはすかさず身を翻し、その一撃をかわす。
(やっぱりリーチが長い! 正面からじゃ不利だ)
足を止めず、円を描くように間合いを取り直す。
「どうしたアイオン! ビビってんのかよ!」
ロッチは上機嫌だ。
いつも冷静なアイオンが押されている。それだけで気分がいい。
(勢いはあるけど――冷静に、確実に)
突き、払い、突き――
重たいが単調な動き。
アイオンはそれをギリギリでかわし、隙を見て木剣を差し込むが、槍の柄に弾かれ決定打には至らない。
(槍…厄介だな。タイミングをずらさなきゃ)
相手の踏み込みを読んで、懐へ飛び込む。
――刹那、踏み込んだ。
「そこっ!」
木剣の一撃が届いた――そう思った瞬間。
「がら空きだ!」
体勢を崩しながらも、ロッチの槍がアイオンの肩に当たる。
さらにその隙を突かれ、胸元へもう一撃。
「これで終わりだッ!!」
「―そこまで!」
ライアの声が空気を裂き、動きが止まる。
アイオンは息を切らしながら、ゆっくりと木剣を下ろした。
「ふぅ、勝った…! よっしゃぁぁぁぁ! 見たかーーっ!!」
その場で飛び跳ねながら、ロッチは喜びを爆発させる。
(…カーラ、俺、かっこよかったよな?)
心で問いかけるが、この場に答える相手はいない。
一方、ライアはアイオンの肩に手を置き、声をかけた。
「悪くなかったわよ、アイオン。武器も間合いも違う。初めての槍相手にしては、よく対応できてた」
「…でも、負けました」
「訓練は結果だけが全てじゃない。自分の動きを見直しなさい」
アイオンは小さく頷いた。
「ロッチさん、ありがとうございました」
深く頭を下げるアイオンに、ロッチは得意げに返す。
「お、おう! 筋は悪くない! が、もっと精進しろよ? カッカッカ!」
ふんぞり返るロッチに引きながらも、アイオンは静かに剣を構える。
「では、引き続きお願いしますね」
「…え? まだやるの?」
戸惑うロッチ。
「そりゃやりますよ。まだ朝ですし。とりあえず昼まで。その後休憩して、夕方まで。よろしくお願いします」
「き、聞いてないぞ!? 俺にも仕事が…」
助けを求めるようにライアを見るが、にこやかに返された。
「ボブから了承は得てるわよ? 『訓練にも出てこないから、徹底的にこき使ってくれ』って」
「あ、あいつも訓練出てないじゃないか!!」
「私とは会わないだけで、訓練はしてるらしいわ」
「で、でも! なんかあったときに備えて二人いないと! ルールだろ!?」
ロッチはあらゆる手でごねる。
だが――
「アバスに頼んでおいたから平気よ」
レアが笑顔でとどめを刺した。
断る理由は、すでになくなっていた。
「じゃあ――構えて」
ライアの号令に、構えるアイオン。
「くそっ! 何度やっても同じだぜ!!」
ロッチは槍を構える。
――逆に考えた。
アイオンに勝ち続ければ、カーラの評価も上がるかもしれない。
だが、レアとライアは知っていた。
村人たちもみな知っている。
カーラの心に、つけ入る隙などないことを。
ロッチ以外は、皆知っていた。
「しゃあっ! かかってこい、アイオン!」
――ロッチの春は、まだまだ先だ。




