一歩一歩
オルババ村から少し離れた、雪解けの森。
息を潜める少年の手には片手剣が握られ、その刃先が小さく震えていた。
(ホーンラビット、3匹……)
成体だ。突進すれば、大人でも吹き飛ぶ。
魔法を使えば楽に終わる――だが、それはできない。
『地の力を鍛えなさい。身体強化は禁止』
ライアの声が頭をよぎる。
(……落ち着け。冷静に)
唇を噛み、視線を前へ戻す。
一匹の気を引くため、石を投げた。
カツン――。
音に反応し、1匹が跳ねてくる。
(よし……まずは1匹)
構えた剣に力を込め、突進してくる角を斜めから狙う――
「ッ!?」
剣筋が浅く、跳ね返された衝撃に腕が痺れる。
その隙を突かれ、角が横腹をかすめ、地面を転がった。
「くっ……!」
痛みを押さえ、低く構え直す。息を吸い、足の動きに集中する。
跳ねる瞬間――剣を突き込むと、1匹目が沈んだ。
(あと2匹)
振り返ると、残りの2体が同時に動き出していた。
狙い澄ましたように死角に来る。
(避けきれない……!)
一匹を剣で受け、もう一匹の角が肩に直撃する。
大きく弾かれ、雪に倒れ込む。
視界がぶれ、呼吸が乱れた。
(やばい…身体が重い)
それでも剣を手放さず、よろめきながら立ち上がる。
(……馬鹿にされるのは、もう御免だ)
踏み込み、攻撃を誘う。
跳んできた瞬間、片手剣を逆手に振り抜き、1体を地面に沈めた。
残るは1匹。
息は荒く、剣を構える手も震えている。
(来い……最後だ)
挑発するように足を引きずり、ホーンラビットが飛びかかった瞬間――
地面を蹴り上げて目をくらませ、腹へ渾身の一撃を叩き込む。
断末魔を上げ、最後の1匹が倒れた。
――静寂が戻る。
荒い息をつき、アイオンはその場に座り込んだ。
血に染まる剣先を見つめるが、胸の奥にあるのは達成感ではない。
「……こんなもんなのか」
情けなさが込み上げる。これが自分の“素の力”かと。
身体強化を使えば一瞬だった――そう思うたび、悔しさと空しさがにじんだ。
「くそっ!」
それでも剣は手放さない。
森の寒さよりも、自分の弱さが堪えるから。
アイオンは少しだけ空を見上げた。
アイオンに春は、まだ遠かった。
#
森を抜け、オルババ村の入り口が見えてくる。
その前には、いつものようにロッチとボブが屯していた。
ふたりともただの若者に見えるが、村では父・ラクトの次に強い男たちだ。
片手剣を腰に、軽くなったバッグを担ぎ、泥と血にまみれた足取りで近づくアイオン。
「…ん? おい、あれ」
ボブが目を細める。
「おいおい、近くの森に行ったんだよな? 禁断の森じゃないよな?」
「…お疲れ様です」
アイオンの姿に、ボブが立ち上がる。
「そんなに手こずったのか!? なんでボロボロなんだよ?」
「…本来はこの程度ですよ。素の力で行けって、ライアさんに」
「そんなこったろうと思ったぜ。あの赤毛の姉ちゃん、意外とスパルタだな」
「…どうでしょう。必要なことを適切に教えてくれてますよ」
ぼやきながら歩き去るアイオンを、ふたりは見送った。
「あれなら俺でも勝てるな」
「身体強化しなきゃ、ただの子どもだな……」
#
村を抜け、肉屋に着く頃には肩の傷がズキズキと痛み出していた。
木の看板の下、店先で包丁を振るう男――ブライがちらりと顔を上げる。
「おお? アイオンじゃねぇか。どうした、今日は?」
「獲れたんで。3匹だけですけど、ホーンラビット」
袋を開けて見せると、ブライは鼻を鳴らした。
「3匹ぃ? おいおい、いつもより少ねーなー。寝ぼけながら狩ってきたのか?」
「……本来の自分の成果って感じです」
「よくわかんねぇが、無理すんなよ? セアラがぶっ倒れちまう!」
ブライは手慣れた様子で袋の中身を確認する。
「ま、相変わらず血抜きは完璧だな。ほれ、9G」
「…どうも」
「そんな格好で帰るなよ? セアラとナリアに泣かれちまう!」
「…教会に寄るんで、平気です」
お金を受け取りながら、アイオンはため息をひとつついた。
獲物の量よりも、自分の力不足を痛感した一日だった。
#
店主とのやり取りを終え、教会へ向かう。
すでに日は落ちかけていた。
(…ベティに騒がれるな)
扉を押し開けると、夕暮れの光が射し込む教会の中。
血と泥にまみれたアイオンの姿を、真っ先に見つけたのは――
「アイオンさん!? 大丈夫ですか〜!?」
奥から小走りで駆け寄ってきたのは、やはりベティだった。
白い修道服の裾を軽く持ち上げ、慌てた様子でアイオンを支える。
「うわっ、ベティさん……だ、大丈夫です。たぶん」
「全然大丈夫に見えないです〜! ああっ、傷が! 肩もひどいです〜!」
おろおろしながらも両手に光を集め、回復魔法をかけてくれる。
あたたかな魔力が傷口に染み渡り、痛みが次第に引いていった。
「…ありがとうございます、ベティさん」
「いえいえ〜。でも本当に無茶はダメですからね〜?」
そこへ、淡い金髪を束ねたもう一人のシスター――レアが近づいてきた。
「アイオン。ずいぶん汚れてるけれど……ずっと森にいたの?」
「はい。ホーンラビット、3匹を。なんとか」
「ライアから?」
「はい。見つかったのが3匹だけで」
「そう……あまり無茶しないようにね?」
優しい言葉の奥に、厳しい視線を感じた。
「……ライアには、もう報告したの?」
「今から行こうかと。……どこに?」
「自警団との鍛錬を終えて、部屋にいるはずよ?」
そのとき、冷ややかな声が奥から響いた。
赤い髪の女性が現れ、鋭い眼差しでアイオンを射抜く。
「――で、どうだった?」
「……力不足を痛感しました。訓練と命の奪い合いの差で、あぁも動きが変わるんだなと」
「その通り。当たりどころが悪ければ木剣でも危ないけれど……命の取り合いは、まったく別の緊張感を与える。経験も、力もね。今まで身体強化に甘えてきた分、もっと経験が要るわ」
皮肉っぽく唇を吊り上げ、ゆっくり歩み寄るライア。
「…禁断の森で多少は経験しましたが」
「格上の相手との戦いはまた別よ。今あなたに必要なのは、“格下にも身体強化を使えれば”という甘えを消すこと。それは戦闘で一番いらない感情よ。――驕りはね」
(…俺の心を見透かすような言葉だ)
戦っている最中も、終わってからも思ってしまった。
身体強化を使えば、こんな奴らに手こずることはなかったのに、と。
「…精進します」
「ええ。自覚があるなら、次に活かしなさい」
それだけ告げ、ライアは踵を返して奥へ戻った。
その背に、アイオンは深く頭を下げる。
(…やるしかない。悔しいと思えるなら、まだやれるはずだから)
背筋を伸ばすと、レアがやわらかく声をかけた。
「…少し厳しいわね。でも、あなたが納得しているなら良いと思うわ」
「ありがとうございます。ベティさんも、すみませんでした」
「いえいえ〜。無事に帰ってきてくだされば、私は満足です〜」
再び頭を下げ、教会を後にした。
#
夜。
教会の食堂では、レア、ベティ、ライアの3人で食卓を囲んでいた。
「……食事中に怖い顔されるのは気分良くないんだけど」
ベティの視線を受け、ライアがぼやく。
「……アイオンさんが望むならいいのですが〜。でも回復薬も渡さないなんて、ひどいと思います〜」
「言ったでしょ?どの程度のケガなら体にどんな負担がかかるか、知る必要があるの。あの子、知識と技術のズレがひどいのよ。それを治すには荒療治が一番」
淡々と語るライアに、ベティの視線はなお鋭い。
だが、レアが間に入った。
「……アイオンが納得して師事しているなら、私たちが口を挟むことじゃないわ。それに回復薬の使いすぎは体に悪い。……あなたの回復魔法は、あの子を十分に癒しているわ」
「……はい〜」
ようやくベティは手を動かし始めた。
その様子に、レアは小さくため息をつく。
「……まだまだ子どもね、皆」
その呟きだけが、静かな夜の食堂に落ちた。
#
帰宅してからの時間は穏やかに進んだ。
「おかえり。無事でよかったわね」
母・セアラが優しく抱きしめる。
その手の温もりに、戦いの疲れが少しだけ溶けていった。
「今日はごはんいっぱい食べてね! アイくんのぶん、多めにしたから!」
妹のナリアが煮物を差し出す。
その無垢な笑顔に、アイオンは苦笑する。
「おお、よくやったな! ……無理はするなよ」
父・ラクトの声には、静かな力強さがあった。
3人と囲む食卓は、温かい。
胸に残る悔しさも、この時間だけに包まれる。
食事を終え、家族が眠りにつく。
ただ一人、アイオンはそっと家を抜け出した。
教会近くの小さな空き地で片手剣を抜く。
(……今日の感覚、忘れないうちに)
「1……2……3」
剣が夜風を裂き、静かな空に吸い込まれる。
不思議と焦りはなかった。悔しさよりも――強くなれる喜びに近い。
(少しずつでも前に進んでいる。そんな気がする)
動きはまだ粗い。だが、身体が応えてくれる感覚が嬉しかった。
強くなることは、思っていたより面白い。
夜空を見上げる。
雲ひとつない空に、満月と星々が静かに輝いていた。
――まるで遠くから見守ってくれているかのように。
もう一度剣を構え、振るう。
足元には影が伸び、空には銀の光が満ちていた。




