借り
(ここが……オルババ村)
ライアが到着したのは、ケニーたち到着の数時間後だった。
バルナバのような田舎街から、さらに奥地へ進んだ先にある村。
領地である以上、フィギルへの税があるはずだが……どうやら、細々と農業で納めているらしい。
フィギルはこう言っていた。
「父の代から、あの村には関わるなと言われている。だから基本的に放ってある」と。
(…どんな理由があるのかしら?)
興味はある。
だがまずは、入らなければ話にならない。
馬を降り、村の入り口を守る二人組に声をかける。
「少し、いいかしら?」
「冒険者か? なんの用でこの村に?」
「知り合いに会いに来たのだけど…入れてもらえないかしら?」
警戒心むき出しの二人に、なるべく穏やかな口調で続ける。
「知り合い?誰だ?」
「う〜ん…名前を聞いてなかったのよねぇ」
「聞いてない?それって、知り合いじゃないだろ」
訝しむ二人。
そこに一人の修道服姿の女性が現れた。
「どうしました〜?ロッチさん、ボブさん?」
「あぁ!ベティ様!この女性が知り合いに会いに来たそうですが…名前がわからないと言いまして。どうしたものかと…」
「そうなんですか〜。…その方、どんな方です〜?」
ベティが尋ねる。
ライアは記憶をたどりながら答えた。
「そうね…黒髪で中性的な少年、かしら? 鋼の剣を持っていて、身体強化がすごく上手い…そんな子よ」
二人の男は顔を見合わせて、口をそろえる。
「「…アイオンか?」」
「…その人に、どんな用が〜?」
穏やかな笑顔のまま、目だけがじっとこちらを探ってくる。
「…それを話すわけにはいかないの。けど、会わなきゃならないのよ。どうにかならない?」
にこやかに返す。
強引に突破するのは容易いが、そうすれば今後に差し障る。
「わかりました〜。私がご案内します〜」
「い、いいんですか? ベティ様?」
「はい〜。私が責任をとります〜」
「な、なら…どうぞ。監視はつけますか?」
(目の前でそれ言うのはどうなのよ…)
「いえ〜、無駄ですよ〜」
彼女には、力量を見抜く目があったようだった。
「わ、わかりました! お気をつけて!」
「では、行きましょ〜」
馬を預け、ベティの後に続いて村を歩く。
(さて、どうなるかしら…)
#
平和な村をしばらく進んだところで、ベティがまた口を開いた。
「アイオンさんとは、どこでお知り合いに〜?」
「それを勝手に言うわけにもいかないのよね。命がかかってるから」
「命〜? う〜ん、よくわかりませんね〜。でも、危害を与える気配はないので〜、連れていきます〜」
「ええ。そんな気はないわ。ただ、心配していたことを伝えに来ただけなの」
「あ〜! いましたね〜。あの人で合ってますか〜?」
ベティが指差す先には、言い争う二人の少年と、それを呆れながら見ている男の姿があった。
#
「だ、だから! 頼むよ! もっと強くなりたいんだ!」
イザークが必死に食い下がる。
「嫌ですよ。人に教えるほどの余裕はないんです。今は自分の鍛錬に集中したいので」
冷たくあしらうアイオン。
これでも、以前よりはずっと優しい。
少し前なら有無を言わさず逃げていた。
「諦めろよイザーク。アイオンさんは暇じゃないんだって」
ケニーがなだめる。
だが、イザークは引かない。
――切り札を出す。
「ケニーさん! あんたからも頼んでくれ!」
「…はぁ!? なんで俺が?」
「“あの時の借り”。今返してもらう!」
「今ぁ!? もっとマシな時に使えよ!」
「いいから! 頼むよ、ケニーさん!」
ため息をつきながら、ケニーは渋々アイオンに向き直る。
「アイオンさん、頼みを聞いてやってもらえませんか? 一から十までじゃなくていいんで…こいつ、才能はあるんです。きっかけさえあれば、たぶん化けますよ。いいライバルになるかも」
「ケ、ケニーさん!」
「――確かに、お二人には"借り"がありますからね」
アイオンが少しだけ悩む。
が、なぜかケニーのほうが焦る。
「い、いやいや! 無理ならいいんですよ! そんなお時間、もったいないですよね!」
「お、おい! ケニーさん!?」
「うるせぇ!黙ってろ!!」
(こ、こんな事で貸しを返されちゃ…!)
だが、アイオンはその心中を見透かすように微笑んだ。
「わかりました。ケニーさんの頼みなら聞きましょう。あの時、格安で物資を売ってくれなければ、今の俺やナリアはありませんでした。“あの時の借り”、返しますよ。ケニーさん」
にっこりと、強調して。
「本当か!? ありがとう! ケニーさんもありがとう!」
呆然とするケニーの手を、イザークが握る。
ケニーに残ったのは、大損。それだけだった。
そんな中――
「おもしろそうな話をしてるのね。…混ぜてくれない?」
ライアが声をかけてきた。
「…お前…」
アイオンは目を見開き、ライアと、そしてベティに視線を移す。
「久しぶりね。…私のこと、覚えてる?」
「…三馬鹿はどうした?…ライア」
「覚えててくれてよかった。私、あなたの名前聞いてなかったから。…あの三人は引退してお店を開くわ。料理、美味しいのよ?」
「冒険者よりは合ってるな」
警戒を残したまま会話を続けていると、イザークが割って入る。
「あんた! なんでこんなところに?」
「それはこちらのセリフよ。若手のホープ君が、なぜこんな村に?」
「…身体強化のコツを習いに来たんだ。間違いなく、オレが見てきた中で一番だから」
「へぇ〜!」
曰く付きの冒険者と、若手のホープ。
二人の間に共通の話題はなく――
「え〜っと、アイオンさん〜? この女性とは、どういったご関係で〜?」
ベティが問う。
「どういった…う〜ん…」
「お前、その年でこんな女性に手を…」
「下衆な話はやめていただけますか〜?」
「す、すいません! 場を和ませたくて…」
「私のことは後回しでいいわ。それより――」
ライアが双剣に手をかけた瞬間、場の空気が張りつめる。
「危害を加える気はないと〜」
「ないわよ。ただ、確かめたくて」
アイオンに剣を向け、静かに言う。
「試しに、打ち込んできてくれない?」
「…なんの試しだ?」
ライアは一瞬で距離を詰め、アイオンの耳元でささやいた。
「…あの森を切り抜けた力が、本物かどうか――」
アイオンが身を引き、剣を抜く。
「全力で?」
「違うわね。"殺す気で"。それくらいが、ちょうどいいと思うの」
ライアの目は、恐れも緊張もなかった。
ただ、冷たい水面のように静かで、澄んでいた。
「わかった」
短く応じたアイオンの気配が、ふっと消える。
#
イザークが目を凝らしたときには、もう遅かった。
背後から斬りかかる影。
その一閃を、ライアは振り向きもせずに受け止めた。
双剣――右が払って受け、左がすぐさま喉元へ返す。
「ッ!」
アイオンが飛び退き、間一髪でかわす。
その動きに、ライアは眉ひとつ動かさない。
涼しい顔で、再び構えを取る。
――どこか退屈そうですらあった。
(なんだこれ…!)
イザークは唖然としたまま、立ち尽くしていた。
アイオンの動きは速い。
視線を外せば、次にはもう違う位置にいる。
だが、それ以上に――ライアの双剣が見えない。
斬り込めば捌かれ、踏み込めばかわされ、退けば追撃が来る。
それでもアイオンは食らいついた。
剣を両手で握り、低く構えて飛び込む。
地面を滑るような踏み込み。
ライアの右肩を狙った斬撃は、また双剣にいなされた。
「焦らないで。そんなに力んだら、動きがバレバレよ」
言葉さえも、余裕。
(くそっ!)
必死に斬り込むアイオン。
だがライアは、まるで踊るように捌き続ける。
斬って、跳び、回って、切り上げる。
幾度となく繰り出される攻撃は、しかし一度も当たらない。
ライアの動きに迷いはなかった。
二本の剣が、まるで意志を持ったように流れるような軌道でアイオンを制す。
「もっと、無心で振らないと。そうじゃないと、私には届かない」
そう言いながら、ライアの剣がアイオンの左肩をかすめた。
血が一筋、空に舞った。
それでも、アイオンの動きは止まらない。
いや――変わった。
イザークが思わず息をのんだ。
(空気が…変わった?)
風が止まった気がした。
音がなくなった。
空気のざわめきも、足音も、土の跳ね返りさえも。
目を見開いたイザークが気づいた時には、もう手遅れだった。
アイオンが消えた。
さっきまでの“速さ”とは別格。
それは、もはや視認できる動きではなかった。
―――
「…そこね」
カン、と硬質な音が響いた。
ライアの左手の剣が、ぴたりとアイオンの剣を止めていた。
正確に、完璧に。
まるで最初から、そこにくると知っていたかのように。
「ふぅ。いい線いったけど―惜しかったわね」
ライアがひとつ息を吐く。
剣を軽く払い、アイオンを突き飛ばすようにして距離を取る。
アイオンはその場に膝をついた。
肩が震えていた。息も荒い。限界だった。
それでも、彼は最後まで――剣を離さなかった。
イザークは、ただ呆然と見ていた。
想像以上の身体強化をするアイオンと、それを簡単に防いだライアを――
#
――止められた。
刃がぴたりと、まるで導かれたかのように受け止められたその瞬間、
アイオンの胸の奥に、じわりと冷たいものが広がった。
(やっぱり、か)
わかっていた。
ライアとの力の差なんて、最初の一撃を防がれた瞬間に思い知らされていた。
いくら斬っても当たらず、いくら工夫しても崩せなかった。
それでも、あの一撃は――
(今の限界だったんだけどな)
自身が修練を重ね、手にした超高速移動。
そのすべてを込めた奥の手を、ライアはごく自然に防いでみせた。
決して慌てることもなく、苦戦する様子もなく。
最初から知っていたような顔で。
(全部、見えてた?)
心のどこかで、ほんの少しだけ、期待していた。
届くかもしれないと。届いてほしいと。
だがその願いは、一瞬で打ち砕かれた。
地面に膝がついたのは、反射でも疲労でもなく、ただ――重さだった。
届かなかったという、事実の重さ。
悔しい。苦しい。けれど、どこか納得もしていた。
(これが…一流か)
自身との格の違いを思い知った。
それでも、手から剣は落ちなかった。
ただ一つの希望が、まだ胸の奥で火を灯していた。
(――先は長い。それがわかっただけでもいい)
この敗北を、忘れない。
そう、呟く代わりに、アイオンはそのまま立ち上がる。
ゆっくりと―なにかを確かめるように。
#
「だ、大丈夫ですか〜? 回復しますね〜!」
ベティが駆け寄り、アイオンに回復魔法をかける。
「ありがとうございます、ベティさん」
「いえいえ〜。…連れてきてしまったのは私なので〜」
礼を述べるアイオンに、申し訳なさそうに返すベティ。
そのやり取りを眺めながら、ライアが口を開いた。
「身体強化は、本当に素晴らしいわね。でも、体捌きも剣術も並以下。C級でも力押しの相手ならなんとかなるけど、それ以上には通用しないわね」
「おっしゃる通りで。…それで、お聞きしたいんですが、どれくらい滞在される予定で?」
アイオンは、どこか期待を込めて尋ねる。
「かしこまってくれるのね?そうね…あなたに“借り”を返すまで、かしら?」
「…なら、長くなりそうですね」
思わず笑みがこぼれる。
本当はイザークのことなんて、どうでもよかった。だが――
(…こういう感覚か。いいね)
――強くなれる。
その予感を、噛みしめた。




